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  • 支部事務所を開設する
  • 増加する王国会館
  • 最初の大規模な大会
  • ポルトガル全国に拡大する
  • 見直された聖書
  • 前途の明るい見込み
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1976
塔76 12/1 715–718ページ

ポルトガルで「活動に通ずる大きな戸口」が開かれる

ポルトガルのエホバの証人の前に,「活動に通ずる大きな戸口」が突然開かれたのは,1974年4月25日のことでした。48年間続いた独裁政権は,全く予期されなかった軍事革命によって,一夜のうちに倒されました。信教の自由が宣言され,他のすべての市民的自由も回復されました。これら忠実なクリスチャンにとって,何と喜ばしい変化なのでしょう。幾年もの間,彼らはその業を禁止され,少数者の宗教として迫害されてきました。その革命以来,ポルトガルでは彼らにとってすばらしい事柄が起きています。

神と隣人に対する愛に動かされて,ポルトガルのエホバの証人は,この「王国の良いたより」をかつてないほど精力的に宣べ伝える機会をとらえています。そして,人間の組織が人類の諸問題を解決し得ると信じるのがむだであることに気付いた多くの人々を,非常に短期間のうちに見いだしました。封建主義,独裁的国家社会主義<ファシズム>,共産主義,社会主義,そして帝国主義など,多種多様な“主義”を長い間試みたにもかかわらず,根本的な問題が相変わらず存在していることを,これら心の正直な人々は認めました。幸いにも,彼らは人類の諸問題に対する唯一の解決策を見いだしました。「どこにですか」とお尋ねになるかもしれません。現存する最古の歴史書,聖書の中にです。人間にとって唯一の希望とは,神による政府,そうです,神の王国です。

ポルトガルで起きている事柄を理解するために,次の事柄を考慮してください。1950年から1969年の20年間に,活発なエホバの証人の数は58人から最高数の6,037人にまで増加しました。しかし,1974年4月からわずか20か月の間に,6,270人余の人々がエホバのクリスチャン証人としてバプテスマを受けました。平均すると,一日に10人以上の新しい弟子が生まれたことになります。これは,多くの人々にとって生活を大きく変化させることを意味しました。彼らはもはや,神の単なる“伝統的な”信者ではありません。彼らを行動へと動かす生きた信仰を持っています。そして,「霊と真理をもって」,喜んで神を崇拝しています。―ヨハネ 4:24。

支部事務所を開設する

1975年2月14日には,業の再組織に向かって大きな前進が見られました。この日,エホバの証人の支部事務所となる立派な施設を借りるための契約が結ばれたのです。それは近代的で優れた設計の建物で,部屋数は20あり,ポルトガルにおける証人たちの業を監督するのに,まさに理想的なものです。それ以来,リスボンに近いエストリルという町にあるその建物が使用されています。

2か月の間に,総重量約60㌧にも及ぶ聖書文書が,ニューヨークのブルックリンにあるものみの塔協会の工場から,大型コンテナ4台で送られて来ました。さらにポルトガルの協会は1975年中に,印刷会社を通して合計33万3,700冊の書籍を印刷しました。聖書文書に対する需要は非常に大きいので,会衆の長老たちが500冊ないしは1,000冊もの文書を積み込むため,自分たちのトラックでエストリルへやって来るのは珍しいことではありません。

この支部のベテル・ホーム(「ベテル」は「神の家」を意味する)の開設は,さらに別の面でも祝福をもたらしました。その敷地には建物の裏に菜園とりっぱな芝生があります。その地方で庭師をしている人の妻がたまたま近隣の会衆に交わっていますが,その庭師は友好的な人で,エホバの証人との交わりを楽しんでいました。彼自身は聖書を学ぼうとはしませんでしたが,エホバの証人が禁令下にあったときにも,自分の家を集会のために提供していました。ベテルの庭は専門家に手を加えてもらう必要があったので,この人に援助が依頼されました。幸いにも彼はそれを引き受け,1975年の春に数日間ベテルで働きました。ベテル家族との交わりは,彼の思いと心に深い感銘を与えました。家族の一人から聖書研究を勧められたとき,彼は余り乗り気ではありませんでしたが,やがてその勧めに応じました。その庭師に必要だったのは,ただ『きっかけをつかむ』ことだけでした。というのは,その後彼は急速に進歩し,1975年12月の始めにバプテスマを受けたからです。

しかし,この庭師はバプテスマを受ける前から,異なった種類の“種”をまく業に忙しく携わっていました。彼の説得力のある話を聞いて,市の検査官が神の王国に関心を抱いていました。その食糧検査官はすぐに音信の意味を理解し,それ以降,不正な行為をやめ,聖書研究のための集会に出席するようになりました。彼が近所の人に話をしたところ,その人も会衆の集会はもちろんのこと,毎週の家庭聖書研究にも参加するようになりました。その結果,その庭師がバプテスマを受けた日には,彼の司会で研究している四人の関心ある人々が共に出席していました。真理を語ることがイエス・キリストの活発な弟子を生み出すことを示す,何とすばらしい方法なのでしょう。その庭師のエホバの証人は,今でも草木を植えたり手入れしたりする仕事を楽しんではいますが,「王国のことば」を他の人々に語ることによって,その実を育てることに,より大きな喜びを抱いています。―マタイ 13:18-23。

増加する王国会館

1975年1月9日,ポルトガルの諸会衆に対して,王国会館を持つことができるとの知らせが出されました。この『開かれた戸口』は,エホバの証人を本当に興奮させました。その時以来,合計72の立派な会館が借りられ,装飾が加えられ,献堂式が行なわれました。現在,さらに40の会館が献堂式を目指して着々と準備されています。大都市では借用料が高いので,三つないしは四つの会衆が同じ会館を使用して,こうした費用を支払っています。清潔で品位のある王国会館を建てるのに十分な資金を得るため,ラジオ,テープ・レコーダー,金の指輪,腕輪やブローチなど,個人の所有物を売ったエホバの証人たちもいました。“ブタの貯金箱”をひっくり返して,自分の貯金すべてを会衆に持って来た子供たちもいます。ある会衆の姉妹たちは,寄付としてすべての宝石類を持ち寄りました。

ポルトガル領マデイラ諸島のフンシャルでは,珍しい経験がありました。王国会館にふさわしい建物といえば一むねの倉庫だけでしたが,それはかなりの改造を必要とするものでした。倉庫の持ち主は改造することに同意し,近くの会衆の証人たちが作業に取り掛かりました。ある金曜日の午後,トラック一台分の木材が降ろされたとき,建設を監督するエホバの証人はたまたま居合わせた倉庫の持ち主に,週末のうちに天井を取り付ける予定であると話しました。持ち主はその言葉をとても信じられませんでした。そんな作業は不可能だと思いながらも,好奇心に駆られて,月曜の朝建築現場を訪れました。彼は板張りの美しい天井を自分の目で見て驚き,こう言いました。「その仕事は請負人にやらせても,少なくとも二週間はかかるだろう。ところがあなた方は,一回の週末で仕上げたというわけだ」。こうした出来事に加えて,建設に携わる三つの会衆の間にありありと見られる兄弟愛の精神は,その持ち主に大きな感銘を与えました。王国会館の献堂式の直前,彼はその会館の使用料を11か月間無料にすると言って,土地のエホバの証人たちを驚かせました。また,彼は多額の寄付をして,働いている証人たちに茶菓子を届けてくれました。

最初の大規模な大会

エホバの証人が合法的に認められることによって,年に一回の地域大会がポルトガルでも開かれるようになりました。これは全く新しい経験でした。何という挑戦なのでしょう。以前の大会組織や大会設備といったものはなく,拡声器や食堂で使うなべさえなかったので,すべては無一物から出発しなければなりませんでした,1975年1月に開かれた,旅行する監督たちすべてとの特別な集まりにおいて,夏の地域大会の計画のあらましが説明されました。

大会の時になると,すべての人はすばらしい仕方で能力を発揮しました。各部門はよくその機能を発揮し,エホバの証人たちが四日間のプログラムに出席するのを助けるという目的を果たしました。そのプログラムには,この不穏な時代に起こる挑戦にクリスチャンがどう対処し,どう克服するかに関する,多くの健全な助言が含まれていました。1975年の7月と8月中,ポルトガルにおける三つの地域大会の公開集会に合計3万4,529名の人々が参加し,さらにアゾレス諸島の大会では410名,マデイラ諸島のフンシャルでは629名の出席者がありました。

そのような重大な出来事が,注目されずに終わることはありません。1975年8月2日付のポルトの日刊紙ジョルナル・デ・ノティシアスは,同市で行なわれた大会に関してこう述べました。「ふん囲気はエホバの証人特有の穏やかで暖かいものである。我が国ではこれはカトリックに次ぐ大きな宗教団体で,すでに会員数は1万6,000人余に達している」。

1975年8月4日付のオ・コメルシオ・ド・ポルト紙は,王国の歌に言及してこう述べました。「エホバの証人の会員が作詞作曲したその歌は,聖書に基づいており,エホバを待ち望む喜び,神の祝福を受ける柔和で忍耐強い人々の得る満足感,またすでに統治を始めている王国の到来における喜びを物語っている。

「その歌は非常に美しく,確かに聖書の真理を学び,かつそれを伝えるための一つの方法である」。

リスボンのテンポ紙は,同じフットボール・スタジアムで二週間続けて行なわれたリスボンの大会の模様を大きく取り上げました。この新聞は8ページの定期付録版全体をエホバの証人に当てており,記事全体は一欄幅で1,100㌢にもなります。1975年8月7日付のテンポ紙は,リスボンの最初の大会に関してこう述べました。「我々報道員がこの大会で最も感銘を受けたのは,警察官がいないことだった。1,100人に及ぶ自発奉仕者が,大会組織の各部門で働いたが,それには交通整理,駐車場の監督,清掃,救護,運搬,体育館に設置された売店で1時間に約6,000食を準備して提供すること,さらにスタジアム周辺の6か所の売店で飲み物やサンドイッチを売るといった仕事が含まれている」。

確かに,「神の主権」地域大会は,あらゆる面で大成功を収めました。

ポルトガル全国に拡大する

1975年の10月から12月には,神の王国の音信をまだ一度も耳にしたことのない町や村やいなかで「良いたより」を伝道するため,特別な運動が始められました。58名の特別全時間奉仕者は数人ずつ車に分乗して,すべての道路で働き,すべての家を訪問しました。結果はどうでしたか。

その運動の最初の月,4人のエホバの証人で成る一グループは,聖書と書籍を合計2,241冊配布しました。関心ある人々のために,方々で公開講演が行なわれました。ある小さな村では,非常に誠実で親切なカトリックの一家族が,そのグループに無料で宿舎を提供してくれました。証人たちが帰って来ると,その親切な婦人は毎晩食事を準備していました。彼女はこれら“開拓者”の行なう聖書教育の業に大きな関心を示し,「それで,あなた方の今日の仕事はいかがでしたか。人々はよく聞きましたか」という言葉で,毎晩彼らを迎えました。この心の暖かい婦人はまた,教会聖具室の管理もしており,その教区司祭のおもだった支持者でした。しかし,司祭はめったに訪問しなくなりました。この婦人が自宅で行なわれる聖書の話を聞かせるために,その小さな村の人々を23人も連れて来たとき,それはエホバの証人にとってうれしい驚きでした。

見直された聖書

禁令下に置かれていた間,各会衆が聖書を十分の数量手に入れることは困難でした。事実エホバの証人は,聖書の販売店で聖書をまとめて買うことすら断られていたのです。1975年の11月と12月に初めて行なわれた戸別の聖書配布運動用に,ニューヨークから6万部の新世界訳聖書が届いたとき,喜びにあふれたのは当然のことでした。人々に提供するポルトガル語の聖書を手にしたエホバの証人は,非常な熱意を抱きました。ブラガというきわめて宗教心の強い北部の町では,家から家の伝道を始めたばかりの人が,最初の週に25冊の聖書を熱心に配布しました。

エホバの証人が20名ほどいる,ある田舎の会衆は,その運動の最初の一週間で聖書を104冊,つまり1人平均5冊以上も配布しました。

前途の明るい見込み

リスボンおよびその近郊だけでも,現在100以上の会衆があり,リスボン市には人口176人につき1人の割合でエホバの証人がいますが,それでもなお,「義に飢え渇いている」人々が大勢見いだされています。―マタイ 5:6。

現在ポルトガルには,活発なエホバの証人が1万8,000人余りいます。報告によると,ポルトガル全国ではさらに幾千人もの人々が,これらのエホバの証人と共に,王国会館における集会に定期的に参加しています。また,1976年4月にはキリストの死の記念式を祝うために,4万5,221人の人々が集まったことを考えると,ポルトガルのエホバの証人が自分たちの前に,「活動に通ずる大きな戸口」の開かれたことを喜んでいる理由が容易に理解できます。彼らは喜んで,また熱意を込めてその戸口を通り抜け,様々な奉仕の特権を大きな祝福としてとらえました。(コリント第一 16:9)彼らは手を緩めてはいません。最近,非常に多くの祝福を受けたポルトガルのエホバの証人は,自分の祝福について「わたしはこれを語り述べようとしても多くて数えることはできない」と語ったダビデと同じように感じています。―詩 40:5,口。

[716ページの図版]

ポルトガルのエストリルにある,エホバの証人の支部事務所

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