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    ものみの塔 1985 | 2月1日
    • 共に集まることを決意する

      「80年ぶりの豪雨で28人が死亡」。翌日の新聞の見出しはそうなっていました。午前2時から8時までのわずか6時間に,合計約2,500㍉の雨が台湾省北部に降ったのです。特にひどかったのは台北<タイペイ>市でした。この数時間に,普段のひと月分に相当する雨が降り,4㍍も増水した所がありました。しかしその日,台湾省北部のエホバの証人は集まり合うことになっており,台北市が大会都市になっていました。エホバの証人は,年に2回開かれる巡回大会の二日目に集まることが果たしてできるでしょうか。

      妻と私は1984年6月3日に目を覚ました時,あらしのものすごさを理解していませんでした。モンスーンの季節に強く降るのは珍しくもありませんでしたから,大して気にしていなかったのです。しかし,普段とは違って静かなことがだんだんはっきり分かってきました。普通だと,私たちの住んでいるアパートの前にバスが数分おきにとまるのですが,そのバスが走っていません。そして,午前7時半には停電となり,普通のモンスーンの雨ではないことがはっきりしてきました。午前9時55分に始まる予定の大会のことを考え,私は大会の音響係に電話をかけ,プログラム中に停電するときのことを考え,電池で動くアンプの装置と懐中電灯を準備するように手配しました。

      そのころ,近所の人や友人から,市内のこの場所で洪水が広がっているというニュースが入ってきました。私たちは大会の午前のプログラムに間に合うように出かけることを決意し,午前8時少し過ぎにバイクに乗って家を出ました。普通なら大会ホールまで20分で行けます。家の前の道を出た途端,通行の困難なことが分かりました。低地に近づくにつれ,考えていた4本の異なったルートは通過できないことが分かってきました。以前,雨期に諸会衆を訪問するときには,深さ30ないし40㌢の水の中を走ったことが何度もありました。しかし今回は,バスもトラックも,人の腰までつかる水の中で立ち往生していました。それで私たちはバイクを家に戻し,その地域を歩いていくことにしました。私たちの霊的な兄弟たちとその日に集まり合う決意をまだ抱いていたのです。

      歩くことも困難を極めました。雨はやんでいたのですが,水はどんどん増えてきます。景美渓<チンメイチー>という川に近づくにつれ,どぶやマンホールから茶褐色の水が泉のように吹き出してきました。堤防の向こうの川は増水して,周囲の土地よりもすでにだいぶ高くなっていたからです。私たちはしっかりと腕を組み,どこかの穴に落ちることがないように一歩一歩注意深く確かめながら,早い流れをゆっくり渡って行きました。川の橋の上に立った時に初めて,ただならぬ状況であることがよく分かりました。普段は橋の15㍍ほど下に,野菜の栽培や豚の飼育に用いる広い川床の間を細い川が流れているのですが,その川が川床を覆い尽くし,荒々しい流れに変わり,堤防を越えんばかりになっていたのです。川は橋の下まであと1㍍と迫っています。

      橋の向こう側の洪水の様子はもっとひどいように思えました。でも,そこを通って来た人が,下の道の状態はそれほど悪くなく,バスやタクシーが道を走っていると言いました。それで私たちはそこへ向かって勢いよく歩き始めたのですが,行けば行くほど,流れは強くなってくるように思えました。私よりも背が低い妻は,バランスをとるためにしっかりと私にしがみついていなければなりませんでした。そのうちに,通れそうもない場所にやってきました。横丁から,さながら川のような大量の水が猛烈な勢いで流れ込んでいました。幸いにもその部分には2本のロープが張られていたので,そのロープにつかまって何とかそこを通り抜けることができました。高地へと進むにつれて水は減り,私たちはやっとのことで立ちどまり,長靴の水を出し,足の荷を軽くすることができました。

      洪水の影響のない最初の道路にたどりついた時に,大会ホールに行くことを阻む別の問題に直面しました。走っていた数少ないバスはひどく混雑しており,ほとんどのタクシーは客を乗せようとしなかったのです。しかしやっとのことで,すでに客が乗っている1台のタクシーがとまってくれました。洪水の地域を出るために幾度も回り道をして,午前10時少し過ぎに大会ホールに着きました。

      うれしいことにエホバの証人の大部分はすでにそこにおり,大会が始まるのを待っていました。すべての人々が,バスやバイク ― 普通は大多数の人が用いる ― では来られないので,様々な深さの水を渡り,ここに来るための努力を払ったのです。大会のプログラムに対する彼らの認識を目にするのは本当にすばらしいことでした。この地域にはわずか417人の証人しかいませんが,関心を持つ多くの人々も,洪水をものともせず共に集まって聖書の霊的な真理からさわやかなものを得ようと決意していたのです。午前中のプログラムの出席者は629人でしたが,それが午後の主要な話の時には764人にふくれあがりました。台湾省北部の私たちの地域では,おぼれたり,土砂崩れに遭ったりして30人以上の人が死亡しましたが,集まることを決意した人々の中で,被害を受けた人は一人もいませんでした。彼らはエホバ神の保護に感謝してりっぱなプログラムを楽しみました。

      そうです,私たちは,自分の家やそこにある物のことを過度に思い煩うことなく大会に行こうとする決意をご覧になって,エホバが私たちすべてを保護してくださることを確信していました。そして確かに,出席者の中で,重傷を負ったり,大規模な被害を受けたりした人は一人もいませんでした。しかし私たちは皆,仲間のクリスチャンとの快い交わりや提供されたすぐれたプログラムから多くのものを得ました。このことは,何かの不都合な事情に妨げられてクリスチャンの集会や大会に行けなくなることがよくあるとしても,努力する人々は豊かな報いを受けるということを私たちに示しています。―寄稿。

  • 読者からの質問
    ものみの塔 1985 | 2月1日
    • 読者からの質問

      ■ 不滅性と永遠の命にはどんな違いがありますか。

      天で霊の命を受ける油そそがれた者も,神から義と宣せられ,地上の楽園で命を受ける人間も,終わりのない命を享受することになります。ですから,結果について考えると,天での不滅性も地上での永遠の命も基本的には同じこと,すなわち永久に生きるようになることを意味します。しかし,不滅性については幾らか注解を述べることができます。

      「不滅性」と訳されているギリシャ語(アタナシア)は,否定のアと「死」を意味するタナトスから成っています。ですから不滅性という語には,『死がない』,つまり不死という基本的な意味があります。もっともなこととして,エホバはすべての命の究極の源で,不滅です。(詩編 36:9; 90:1,2)この点は,今や「神の栄光の反映,またその存在そのものの厳密な描出」であられる,栄光を受けたみ子が,「王として支配する者たち[人々]の王,主として支配する者たちの主であり,ただひとり不滅性を持(つ)」方として描かれている事実によって確証されます。(ヘブライ 1:3。テモテ第一 6:15,16)いかなる被造物も,不滅性を有する方であるイエスの命を取り去ることはできません。この不滅性という点で,イエスは死ぬ可能性がある人間や霊者とは異なっています。さらにこう書か

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