エホバの証人の「勝利の信仰」国際大会
東南アジア旅行
全世界で開かれているエホバの証人の「勝利の信仰」国際大会のうち東南アジア4か国を訪問する日本の証人たち45人の一行は8月11日夕刻,最初の訪問地である韓国のソウルに到着し地元の証人たちの暖かい歓迎を受けました。近隣の国々で仲間の証人たちがどのようにして福音宣明の仕事を推し進めているかを知りたいと全員は心から望んでおり,強い期待を抱いてこの旅を開始しました。
韓国では今年四つの国際大会が開かれ,ソウル市では2か所で行なわれました。日本からの出席者たちはその一つに出席し,韓国のエホバの証人と交わることができました。プログラムに真剣に耳を傾ける聴衆を見て励まされました。日本からの訪問者を含めアメリカやドイツなどから信仰の仲間約280人が韓国を訪れました。これら海外からの客すべてをソウル市内の諸会衆が夕食に招待するという愛のこもった取り決めが前もって計画されました。その結果もてなしの精神に富むこの国のエホバの証人が招待したいと申し出た人数の合計は450人にものぼり,訪問した客の多くが二晩続けて違った会衆へと夕食に招かれたほどでした。
そうした席上で語られた経験の一つをご紹介しましょう。それは第二次大戦中の投獄生活の忍耐に関する朴<パク>夫人の経験です。日本軍当局の厳しい取り扱いを受けたにもかかわらず彼女と他の6人の証人たちは牢獄の苦しみに耐え,しかも接することのできる限り他の囚人たちにも証言しました。証人たちは別々の部屋に入れられていましたが,朴夫人は同室の女殺人囚に証言し彼女は真理を受け入れました。その後炊事係りに割り当てられたこの女殺人囚は,7人の証人たちにひそかに必要な食物を与え続け,外でさえ食糧の乏しかった時これら忠節なエホバの民を養いました。この女囚は後に証人になり女看守の一人も真理を受け入れました。今や70歳台になった朴夫人はなお娘と共に全時間奉仕を続けており,この奉仕に今年で28年間携って来ました。
韓国支部は半日を費やして日本からの訪問者のため特別の日本語のプログラムを取り決めてくれました。支部内の見学の後,1912年から今日に至るまでの福音宣明の業の歴史について興味深い報告を聞くことができました。1928年に真理を聞きさっそくコルポーターとして朝鮮全土を自転車で伝道してまわった証人が語る経験や他の話はその場にいたすべての者を感動させずにはおかないものでした。当地の若い男子のエホバの証人たちが直面する困難についても説明があり,現在395人がクリスチャンの良心に基づく兵役拒否のため27の刑務所で3年の刑に服役中であること,非公式に励ましのための旅行する奉仕者の訪問がなされており,彼らの霊性は良い状態であること,ある人は刑務所内で月に210時間を報告し,あるところでは56人のうち11人が月に60時間宣べ伝える業にあずかっていることなどが報告されました。韓国支部事務所の成員は32人で一生懸命働いています。
ソウル市内はきれいに手入れがされており人々は勤勉です。しかし国中は今準戦時国となっており,市の中心にあるいつもはスポーツの練習にも供される広い道路は一たん戦争ともなれば戦闘機の滑走路ともなります。聖書の平和の良いたよりが本当に必要です。ソウル市にあるエホバの証人の大会ホールの見学を最後に,韓国での励みの多い旅程を終え香港へと向かいました。
香港の人口は公式には450万人と言われていますが,人々の移動が多く常に500万を超えているとのことです。この人口の過密都市で750人のエホバの証人が霊的な収穫の業に励んでいます。今年4月の報告では全時間奉仕者として働いた人々が23%もいたことを聞けば香港の証人たちの熱意が伝わって来ます。香港島の北角という所で公共のホールを借りて開かれた大会には1,321人が出席しました。会場には若い証人たちが多いので励まされました。日本からの出席者はここでも大歓迎を受け,広東語のプログラムを隣にすわった地元の証人たちの助けを借りて楽しみました。
滞在中の楽しみの一つは香港支部の見学でした。ある建物の2階が支部事務所です。2人が支部の奉仕に専従し6人は宣教者として奉仕しています。ポルトガル領マカオにある一つの会衆を含め10の会衆がこの支部の世話を受けています。中国人社会には昔から村ごとに30歳以上の男子からなる長老制度があったので,エホバの組織が近年聖書に基づく年長者の取り決めを実施した際すぐにこの地のエホバのクリスチャン証人たちは聖書に基づいたその取り決めの価値を認識できたということなど興味深い説明を案内者がしてくれます。
香港の土地は花こう岩から成っていて地震もないので地下室さえない高層ビルがたちならんでいます。こうした区域の伝道をどのようにして行なうのか知る機会もありました。地元の証人たちに伴われ聖書雑誌を用いての証言活動に参加したのです。人々のアパートのドアは丈夫な木のドアですが,それを保護するために同じ大きさの鉄格子のドアが外側についています。家の人は内側の木のドアを開いて訪問者と鉄の戸をはさんで応待します。犯罪が少なくなく,犠牲者とならないためこのように前もって用心しているとのことです。中には鉄格子を開けてくれる人もいてこれがやはり自然に感じます。人種や国籍のさまざまな人々が町のいたるところに住んでいて忍耐と適応性が特に必要とされる人々の畑であることが実感として伝わって来ます。しかしそれでもこの国の業はすばらしく進歩しており,800人の伝道者ももう一息です。受けた親切と励ましを胸に空路再び次の予定地フィリピンのマニラに飛びました。
マニラ市のリサール記念野球場およびフットボール場が国際大会の会場であり,両方ともタガログ語が用いられました。1万8,000人を上回る人々がプログラムを楽しんでいます。でもこの国唯一の大会としては出席者が少ないのに気づきます。しかしこのフィリピンが7,000以上の島々から成り,80以上の言語と方言が使われていること,このマニラでの大会後同様なプログラムの地域大会が8か所で開かれ,できるだけ大ぜいの人々が益を得られるよう計画されていると聞き励まされました。
マニラ市の北東に隣接するケソン市に協会の職員宿舎と印刷工場があります。非常に美しい庭のある明るい建物が五つあります。そこで96人が熱心に魂を込め働いています。23の言語で印刷された雑誌が国内と外国のエホバの証人の霊的必要を満たすためここから送り出されています。一つの言語で済むわたしたち日本人にとり,数多くの言葉で良いたよりを伝えるフィリピンの証人たちの働きを見るのは本当に励ましとなりました。またある言語の「ものみの塔」誌は月一回の発行でそれには4週分の研究記事だけが載っています。それを用いてある区域では月一回特別の努力を払って遠いところから自分たちの「ものみの塔」研究に出席し,5時間を費やし四つの記事を一度に学んでいるとのことです。
次に訪れた台湾省での滞在は3日だけでしたが,霊的に非常に鼓舞されるものとなりました。台北市に到着してから最初に市内見物をし,有名な古宮博物館で中国の歴史的な物点を数多く見ることができました。台北での大会は市の北側に隣接した町の中学校の講堂で開かれ1,300人の出席でした。
台湾省の証人たちは東南アジアの前に述べた三つの国でもそうであったように,エホバの証人の中央機関から来たダン・シドリックとレオ・グリーンリースの励みを与える聖書の話に一心に耳を傾けました。聴衆の中には東部地方からのアミ語を話す人も多数出席していて,会場は外国からの訪問者たちも交じえ愛と友情の楽しい交歓の場となりました。アミ族の人々の多くは,プログラムが北京語で話され,理解できないにもかかわらず旅をして出席したのです。しかし後ほどアミ語を話す人々が同様の益にあずかるための取り決めがなされる予定です。
聴衆の一人の証人は中立の問題で10年の刑を宣告され服役中ですが,刑務所内での模範的な振る舞いが認められ5日間の特別外出許可が得られたのです。やはりこの国でもエホバの証人は試練があります。
台湾支部はとても都合よく設計された美しい建物です。ここで3人が支部の奉仕に携わっていて合計18人が居住しています。毎号の雑誌を入手するまでの勤勉な支部事務所の働き人の努力に胸を打たれます。また大会中野外の奉仕に加わり人々に平和の良いたよりを伝える機会もありました。50歳以上の人々はよく日本語が話せるので親近感がいっそう感じられます。楽しい交わりや外国からの客のための特別のプログラムにも感謝しつつ,全員喜びと忘れがたい愛と友情を胸に日本への帰途につきました。
バプテスマを受けた人々の経験
日本の四か所で開かれた今年の国際大会では,合計1,658名がバプテスマを受けました。それらの人々のうちの幾人かの経験をご紹介いたしましょう。
豊橋市に住む一人の男の人は今から17年前に真理を知りました。エホバの証人との交わりも持ち,1963年に京都で開かれたエホバの証人の国際大会にも出席しました。しかし,バプテスマを受けることを考えるようになったころ,親族からの反対に遭い,真理の道から離れてしまいました。時たつうちにこの人は二人の子供の父親となりましたが,世の中の状態の変化を見て真理の事が心に浮かぶようになりました。しかし,彼の妻は聖書の話をするのを好まず宗教に対しては否定的でした。そんなある日,彼は知人の家を訪ねた際にその家の奥さんがエホバの証人であり,そこでエホバの証人の聖書研究集会が開かれていることを知りました。それがきっかけで,その家で行なわれていた集会に時おり出席するようになりました。そして,その人にとっては思いがけない事態が生じました。その人はこう述べています。「そのような私をエホバは私の思ってもみなかった方法で導いてくださいました。妻が,伝道者の訪問を受けて聖書研究をすると言いだしたのです。私は驚きました。あれほど宗教をきらっていた妻がです。……それまで家庭内がうまくいっていなかったのが目に見えてよくなりました。妻の研究も進み妻の分からないところの質問に私が答えていましたが,私も分からなくなり,遂に私も聖書研究をしてもらうことになりました」。もちろん,その間に問題がなかったわけではありませんが,それらを克服し共に進歩しました。そして京都での国際大会から15年後の今年,名古屋市での国際大会で夫婦そろってバプテスマを受けました。
市原市に住むある父親も個人的な問題を克服して今回の大会でバプテスマを受けました。その人は自分の経験を次のように語っています。「1975年の夏休み前に小学校6年生の長女が『聖書の本を買って』と家内にねだりました。家内は本屋をずいぶん見て歩きましたがなかなか見付からず,そのような本は特定のところにしかないと考えて悲観していました。それから間もなくエホバの証人の伝道者が訪問してきました。家内がすぐに『聖書をお持ちですか』と尋ねたところ,すぐに持って来てくれました。そして間もなく家内と娘は聖書を学ぶようになりました。半年程,時おり家内と娘の聖書研究を見ているうちに私も学びたいと思うようになりました。特に私はお酒が好きで,1日に焼ゅう1升とビール3本を毎日飲み,家内は生計のことでずいぶん苦しみ,離婚話も何度となく出ました。それでこの大酒をいかにやめるかということは私にとって挑戦でしたので,これが動機となって聖書を学ぶようになりました。学び続けるうちに半年程でたばこをやめ,お酒も1日にビール1本位に自制できるようになりました。以前は酒酔い運転で違犯をしたこともありますが,大酒をやめてからそのようなこともなくなりました。二日酔いすることもありませんから責任感が増し,誠実な仕事を行なうことができます。また,思いも鮮明になり,たいへん益となりました。学び始めて2年半たちますが,その間家族そろって進歩するよう努力してきました。今回の大会で家内と高校一年の長女,そして私の三人がそろってバプテスマを受け,エホバへの献身を公にできたことは大きな喜びです。
バプテスマを受けた人々の中には年配の人々も含まれていました。名古屋に住む一人の婦人は69歳ですが長年の間,真理を求めていました。以前この婦人は体が弱く,子供にも次々と死なれ夫も戦争で失ったため,「真剣にまじめに生きてきたはずなのに,どうして幸福になれないのだろうか」と考えるようになりました。そして,「自分を支えてくれるものは宗教かもしれない。私はそれによって支えられて力強く新しい生き方を始められるかもしれない」と考え,仏教や天理教の話を聞きに行くようになりました。その後,キリスト教世界の教会と関係を持つようになり,それぞれ違った宗派で2度バプテスマを受けました。さらに教会のために自分の家を集会所として提供していました。そのようなある日,若いエホバの証人がその婦人の家を訪れました。その婦人はこう述べています。「自己紹介の後,『聖書を知りたいと思いませんか』と言われたのを覚えています。本当に私は聖書を知りたいと思っていました。しかし今まで長い間,教会の環境に慣れてきた私は急に頭を切り替えることができませんでした。『とこしえの命に導く真理』の本を用いての勉強も実際にはよく分からなかったように思います。それでもその若いエホバの証人は一生懸命訪ねて来てくださり,大会にも招待していただきました。そこでは大勢の人が熱心に聖書を学んでおり,今までの教会とは違った雰囲気がありました」。この婦人は忘れてしまっている文字を再び学びながら長い時間をかけて聖書を学び,よく進歩し,今年の大会でバプテスマを受けました。
これらの人々をはじめ,この大会でバプテスマを受けた人々は皆,「良いたより」が自分の生活にもたらしたものに感謝し,世界的な真の兄弟関係に加えられた幸福感を言い表わしています。わたしたちはこの世界的な交わりの中にこそ,真の神に対する生きた信仰,そうです,勝利の信仰を見いだすのです。