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    ものみの塔 1962 | 1月1日
    • で一杯になったことは今までにかつてない」と1961年7月30日付の「レイノルズ・ニュース」は,ロンドンの一致した崇拝者の大会について述べていました。ツイケンハムのラグビー・ユニオン・グランドで行なわれたこの大会は,エホバの一致した崇拝者たちで一杯でした。この会場は,1955年の勝利の御国大会のときにも使用され,そのとき4万1970名が公開集会に出席しました。今年の大会は,その最高数を上まわるでしょうか。その通りになりました。なぜなら4万8070名がツイケンハムに集まって公開講演を聞いたからです。英国史上最大のこの大会の演壇は,羊のおりに似せてつくられました。「おりの中の群れのように私は彼らを一致させよう」という1961年のエホバの証者の聖句を良く象徴するものでした。―ミカ 2:12。

      イタリアでもエホバ神の一致した崇拝者たちの最大の大会が開かれました。チュリンでの公開集会には,6372名が出席しました。

      イタリアのエホバの証者が6日間の大会を開いたのは始めてであって,会場のパラソデル・エスポシジョンが宗教的な目的の為に使用されたのも始めてのことでした。神権的な大会がイタリアで大々的に宣伝されたのも始めてのことでした。招待ビラが使用されただけでなく,12の大きな街路の旗幟も使用され,町の要所に建てられました。この大会は地下で行なわれました。秘密ということではなく,ただ展覧会場は大きな公園の地下につくられていたからです。明り取りとか,その他の施設は十分であって,会場はひろびろとしていました。17の国々からの代表者たちがこの大会に出席したので,この大会は国際的なものでした。ここの装飾はすばらしいもので,舞台のうしろの赤いカーテンの上には,金色のヘブル語四子音文字が飾られていました。この大会には非常な熱心がみなぎり,イタリア人の証者たちは,「あなたの御心が地に成るように」,「聖書の話の筋書」および「すべての国民が神の御国の下に一致するとき」などがイタリア語で発表されたことに大よろこびでした。

      アムステルダムの大会は,ネーデルランドでいままで行なわれた大会中,最大の大会で2万3708名が公開集会に出席しました。講演者はみなオランダの証者たちの示した熱心に感謝を示しました。そして,大会に出席した人々は,オランダ語で発表された文書を心からよろこんで受けとりました。

      パリでもフランス最大の新しい世の社会大会が開かれました! 1955年パリの勝利の御国大会の最高出席者数は,1万6500名でした。それで,フランスのエホバの証者たちはこんどはどうかと考えていました。特にアルジェリアの危機のため,大会についての公の宣伝はいっさい許されていなかったので,いろいろと考えをめぐらしていました。それで,出席者の数が合計2万3004名にのぼったとき,それはたいへんうれしいことでした!

      フランス語を話す大ぜいの証者たちにとって,これは最大の大会でした。しかし,スペイン語,ポーランド語,およびポルトガル語の話も,フランス語の話がなされているときに同時に行なわれました。フランス人の証者たちは努力をすこしも惜しまず,スペインやポルトガルから来たクリスチャンの兄弟たちの宿舎や輸送をあっせんするために大きな犠牲をはらいました。

      パリ大会の特筆大書すべき点は,水の洗礼によってエホバ神に献身を象徴した人の数です。―1203名で,そのときまで出席していた人々の約9パーセントにあたります! たいへん高い率です。この全部の大会で合計9000名以上の人々がエホバの一致した崇拝者としてエホバの御こころを行なうため,水の洗礼により献身を象徴しました。

      工夫をこらす

      この一連の大会を開くため,たくさんの問題に打ち勝つことが必要でした。たとえば,コペンハーゲン大会は拡声装置のむずかしい問題にぶつかりました。この大会のスタジアムは,四方のスタンドでかこまれていました。ノルウエー語を話す人々,スウェーデン語を話す人々,フィンランド語を話す人々は,それぞれのスタンドを割りあてられました。4番目のスタンドは3階建のもので,1階と2階はデンマーク語を話す人々のため,いちばん上の階は英語を話す人々のためでした。講演は5つの言語で同時に行なわれました。一時に5つの話? コペンハーゲンの電気技師たちは,「不可能だ」と言いました。しかし,エホバの証者たちは,1年間音響装置について工夫をこらしました。大会のとき,拡声装置はたいへん良い効果をあげました。

      スタジアムの草の上に美しい花をならべるため,花を入れる容器がたくさん必要でした。色のあざやかなたくさんの花を幾百もの箱に入れて,大きな矩形に配置する計画が立てられました。容器の問題は,かつて弾薬を入れていた315の箱を使用することによって解決されました。スタジアムの手すりのところに花を飾りつけるため,小さな容器が必要でした。頑丈な砲弾容器の使用で,その問題は解決しました。

      ロンドン市で大会の準備をしていた証者たちは,ボイラーを必要としました。どこでボイラーが得られますか。英国の大戦艦バンガードが解体されていて,証者たちはそれには多くのボイラーがあることを知りました。証者たちはその解体の仕事をしていた会社の人と会い,安い値段でボイラーを使用することができました。証者たちは,このように諸問題を解決して,平和な生活をし,イザヤ書 2章4節の言葉を成就する者であることを証明しました。それは真のクリスチャンが剣を鋤に変え,槍をかまに変えるという聖句です。

      ロンドン大会のとき,拡声装置の問題は独特な仕方で解決されて,反響はひとつもありませんでした。スタジアムでこれはどうして可能でしたか。拡声器はみなグランドに置かれず,聴衆に面するようにスタンドの背後から外に向けられていたからです。聴衆は背後から音を聞きました。音はスタジアムのいろいろの場所の壁にぶつかって反響しなかったのです。

      ハンブルグの大会でも大きな問題がありました。問題の中心は,会場がハンブルグ市最大の公園内の大きな美しい芝生であったということです。大会前には,施設はひとつもありませんでした。証者たちは何もないこの場所でせっせと働き,巨大な舞台をつくりあげました。それは長さ約50米,幅約24米,高さが5米から6米もありました。それは石づくりの建物に似せてつくられたのです。オーケストラは,舞台内の半円形の場所に席を取りました。この舞台はひじょうに大きく,大会の執行部門はみなこの中で働くことができました。舞台装飾のなかで顕著なものは,実物のように見えた大きな花の絵と,巨大な鉄ワクの上にエホバの御名のヘブル語四子音文字がつけられていたことです。そこから,光のようなものが出ていました。それで,ハンブルグの兄弟やチュリンの兄弟たちは,独立して働いていましたが,この大会のいちばん印象的な,そして最適の装飾として,エホバの御名のヘブル語四子音文字を使用しました。大会で発表されたもののひとつは,「あなたの御名があがめられるように」という本でした。

      ハンブルグ大会は野外で行なわれたため,雨よけはありませんでした。雨が降ればどうなりますか。雨は降りました。しかも大会中毎日降ったのです。しかし,雨が降っても大会はとぎれずに進行しました。大会出席者たちは,悪天候に備えて,暖かい衣服,雨がさ,ローヒールの靴を用意するようにと告げられていました。大会は予定どおりに進行したのです。雨が降り始めると,傘がぱっとさされました。

      ハンブルグの大会場は野外の場所であったため,衛生が問題になりました。大会前に,約10万人が出席するなら,いくつ位のトイレットが必要かという試験がなされました。(日曜日には8万8338名が出席しました)。エホバの証者は,約1300のトイレットが必要と考えて芝生の中に下水管を設置しました。そして,大会の数ヵ月前に大きなテントが立てられ,1300の水洗便所がつくられました。大会の2日目に市の衛生局員が来ました。彼らは,水洗便所の前で大ぜいの人が列をなして待っているのではなかろうかと心配していました。1300のトイレットがつくられており,列をつくって待つ人はひとりもいないと説明されました。おどろいた役人は,こう言いました,「衛生局が反対すべき点はひとつもない」。

      ハンブルグの大会で兄弟たちは工夫をこらして別の問題をも解決しました。オーケストラの背後の板にうちつける音響物質を入手することでした。証者たちはいっしょうけんめいに働きました。その結果,きわめて良い音の音楽が拡声機を通して聞かれました。秘けつ? たまごの箱です。コップ形の凸凹のあるボール紙のたまご箱を用いたのです。年若いエホバの証者は,幾百枚もいろいろのところから集めてきて,オーケストラの背後の壁にはりました。きわめてすばらしい音響の物質でした。

      バリの大会では簡易食堂用のテントが必要でした。テントを借りると,3万ドルから4万ドルの借用料を払わねばなりません。それで支部事務所は,5000平方米の布地を買って,ベテルの家族の者は夜や週末にその布地を縫って大きなテントをつくりました。兄弟たちがテントをつくったので,約3万ドルは節約できたでしょう! 拡声装置の方でも,同様な費用の問題がありました。話がフランス語,ポーランド語,ポルトガル語そしてスペイン語でなされたため,複雑な拡声装置が必要でした。商業的な会社は,拡声装置の借用料は6000ドルであると言いました。それで,巡回区の持つ拡声装置をみな集め,それ以上に必要なものは買い入れました。買ったものは,大会後に巡回区に売られたので,6000ドルをまるまる節約することができました。

      パリ大会の終り頃,大会出席者の使用した鉄道の駅の駅長さんは,報道員にこう語りました,「こんなに行儀の良い群衆は,いままで見たことがありません。いちばん混むときでも,みなさんは静粛を保ちました。フットボールの試合があるときとは,なんとちがうのでしょう! 彼らは,人種とか国籍の如何を問わず,みな幸福そうに見えました。あなたがたはこの世の必要とする一致を見出しているようです」。

      たしかに,1961年の一致した崇拝者大会のシリーズは全世界的なきぼを持つ一致をすばらしく表わしました。天候とか他の問題にはかかわりなく,大成功のうちに終了し,大いなる統一者エホバ神にほまれをささげました。

  • 読者よりの質問
    ものみの塔 1962 | 1月1日
    • 読者よりの質問

      ● テモテ前書 2章9,10節とペテロ前書 3章4節には,女性のかざりにかんする事柄が書かれていますが,どう解釈すべきですか。―アメリカの一読者より

      問題の聖句はこうです,「また,女はつつましい身なりをし,適度に慎み深く身を飾るべきであって,髪を編んだり,金や真珠をつけたり,高価な着物を着たりしてはいけない。むしろ,良いわざをもって飾りとすることが,信仰を言いあらわしている女に似つかわしい」。「あなたがたは,髪を編み,金の飾りをつけ,服装をととのえるような外面の飾りではなく,かくれた内なる人,柔和で,しとやかな霊という朽ちることのない飾りを,身につけるべきである。これこそ,神のみまえに,きわめて尊いものである」。

      アダム・クラークのような聖書注釈者たちは,使徒の時代に異邦人の女たちの間では,ごうかな結髪だとか,髪を編んで金の飾りをところどころにあしらった髪型が流行していた,と言っています。このように,なまめかしくけばけばしく飾りたてることは,クリスチャンに全くそぐわぬことであり,パウロもペテロもそれをいましめています。

      しかし,使徒のこの教えに基づいて,女性の飾りをすべて禁じてしまうというような極端なことをするキリスト教国の宗派は,あきらかにまちがっています。髪を編んだり,かざったりするのが,みな悪いというわけではありません。それはペテロが「服装」を含めていることからも分かります。女性はどうしても衣服をつけなくてはならないでしょう。聖書に出ているこの助言の要点は,クリスチャンの婦人が何を着てよいか,何を着ては悪いかと言うことでなく,何に重きを置くべきかということです。クリスチャンの婦人が,魅力的でありたいなら,また人の心に訴えたいなら,外面の飾りでなく,内面的な飾りに重きを置くべきです。また,頭脳と心そして良い気質ということに重きを置くべきです。残念なことに,内面的な飾りをつけるよりも,外面的な飾りをつける方が,はるかにやさしいのです!

      クリスチャンの婦人は,つつしみ深く,身を装い華美なものや,挑撥的な衣服を避け,趣味のよいものをつけるのがよいでしょう。宝石類でけばけばしく飾りたてて,不必要な注意を引かぬようにし,同じく,顔のお化粧も不必要に目立たせるようなことがないよう注意すべきです。つつしみ深く飾ることが,別に悪くないということは,昔のエホバの僕たちが,日常,宝石類を用いていた事からも分かります。―創世 24:53。出エジプト 3:22。サムエル後 1:24。エレミヤ 2:32。ルカ 15:22。

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