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  • 小さな事柄も重大な問題
    ものみの塔 1968 | 12月15日
    • を他の人に勧めるような仕方でそれらのものを送るのでは,その行為は真実の愛を人に示していないことの表われにほかなりません。またその種の行ないは神に喜ばれません。しかし真のクリスチャンは神の御旨にかなうことを心から願っています。

      他の祝祭

      もちろん祝祭には宗教的な祝祭以外のものがあります。国家や一国の英雄をたたえるために催される祝祭もあります。エホバの証人はそのような祝祭をどう見なしますか。エホバの証人は,他の人々がしたいと思うことに干渉しようとは思いませんが,イエス・キリストが御自分の真の追随者は「世のものならず」と言われたことばをしっかり心にとめています。(ヨハネ 17:16)さらに世の事柄に関係して汚された人の崇拝は,清いものではなく,神に受け入れられないと聖書に述べられていることを知っています。(ヤコブ 1:27)どうしてそうなのですか。

      なぜなら,イエスが示されたように,「この世の君」はエホバ神ではなく,神の敵対者であるサタン悪魔だからです。(ヨハネ 14:30)悪魔はイエスに,自分を崇拝したなら世のすべての国を与えると申し出ました。そして今日に至るまで,国々の上に強力な支配権を行使してきました。(マタイ 4:8-10)聖書の述べるこの事実が真実であることは,今日の地上の状態が証明しています。エホバの証人は聖書に書かれていることを信じます。ゆえに,古い事物の体制のいかなる部分であれ,それをほめたたえるような祝祭には参加しません。証人たちは,神の国がまもなくこの世のあらゆる国々を打ち砕き,そして永遠にわたって治めることを知っています。(ダニエル 2:44)また,永遠に生き続けたいと願っており,従順な人間に祝福をもたらす神の御準備に全幅の信頼を寄せています。

      私たちは問題を避けることはできません。もしエホバ神の御旨にかないたいと願い,すべての心と魂と思いと力をこめて神を愛することに心を定めているなら,この事物の体制の祝祭を無害のものと見なすことはできません。私たちはそれらの祝祭を退けることの重大さを認識しなければなりません。忠実な初期クリスチャンは,偶像崇拝に少しでもかかわりのある行為であれば小さな事柄でも,たとえ命を捨てても断固として拒否しました。今日,エホバの御旨にかないたいと願う人は彼らの模範にならわねばなりません。その種の事柄に関しては,クリスチャンはいつも次の原則を心にとめましょう。「小事に忠なる者は大事にも忠なり。小事に不忠なる者は大事にも不忠なり」― ルカ 16:10。

  • 戻ってきた札入れ
    ものみの塔 1968 | 12月15日
    • 戻ってきた札入れ

      ◆ 昨年のこと,エホバの証人の「人々を弟子とする」地域大会の準備のため,大会の清掃部門の人々が最初にニューヨーク州ウチカ市のメモリアル公会堂にはいった時,62ドル(2万2320円)入った札入れを見つけました。それは大会の遺失物係りに渡されましたが,大会の終了するまで自分のものであると名のり出た人は一人もいませんでした。それで札入れは大会の監督に渡され,彼がその中を調査すると,身分証明書が見つかり電話番号もわかりました。

      監督は落とし主を訪問したところ,彼が1年前の1966年7月1日,卒業式に出席した際に札入れを失ったことを知りました。

      「札入れの中にお金がはいっていますか」という言葉が監督の受けた最初の質問でした。

      「あなたはいくら入れておかれましたか」と彼は監督に問い返えされました。

      「60ドルです」と彼は答えました。

      今でも札入れの中に62ドルはいっていることを聞いた彼は,驚きのあまり言葉も出ませんでした。彼はエホバの証人の正直さに大そう感銘しました。

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