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  • 「良いたより」を携えてフィンランドの全土に達するよう努める
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1980
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  • 肥よくな畑における急速な増加
  • 人々に達するために求められた努力
  • 会衆を整理統合する
  • 土地の人に順応する
  • 反対もわたしたちの業を中断させることはない
  • 法廷は訪問を受ける権利があることを認める
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1980
塔80 2/15 12–15ページ

「良いたより」を携えてフィンランドの全土に達するよう努める

「良いたより」をすべての人のもとへ携えてゆくには努力が必要とされますが,フィンランドの場合,特にそう言えます。スウェーデンとソ連とにはさまれ,ヨーロッパの片隅にあるフィンランドは,世界でも北の果てに位置する国の一つです。そして,寒い国です。とはいえ,人々が考えるほど寒さの厳しい,雪に閉ざされた気候ではありません。それは,周囲を温暖にするメキシコ湾流のおかげです。

この「一千の湖沼の地」に住む474万3,000人の住民の大半はフィンランド語を話しますが,人口の約7%はスウェーデン語を母語としています。フィンランド人は,最初,ロシアの南東部あたりからこの地へ移住してきたものと思われます。フィンランド人はエストニア人と深いつながりがあり,さらに遠縁になりますが,ハンガリア人ともつながりがあります。

公式には,人口の92%が,国教とされるフィンランド福音ルター教会に属しています。ところが,聖書は人間の手で書かれたものにすぎないと主張し,聖書の述べる事柄に対して重大な疑問をさしはさむ人が少なくありません。そのような人々は,何人かの著名な僧職者たちの意見をそのまま繰り返しているのです。教会の出席率は約3%で,男の人たちは結婚式や葬式など特別の行事のある時にしか教会へ行きません。当然のことですが,フィンランド人は「良いたより」を必要としており,この地の1万3,000人を超すエホバの証人は,この励みを与える音信を携えて人々のもとへ行くために精力的な努力を払っています。では,どんないきさつがあって,「良いたより」はフィンランドで宣明されるようになったのでしょうか。

肥よくな畑における急速な増加

1909年のこと,スウェーデンの聖書文書頒布者,つまり全時間の働き手たちが,初めてフィンランドを訪れ,聖書文書を幾らか配布しました。しかし,本当の始まりとなったのは,同じ年の少し後のことです。トゥルクに住む信仰心の厚い人がパレスチナへの巡礼の旅に出発しましたが,スウェーデンで手間取っていました。その地で一人の証し人に出会い,ものみの塔協会の初代会長C・T・ラッセルの著した,聖書研究の手引き書を入手しました。やがて,その本に真理が記されていることを悟り,旅を中止してフィンランドへ帰りました。それから,その本を友人のカールロ・ハルテバの所へ持ち込み,それをフィンランド語に訳すよう依頼しました。この二人はやがてバプテスマを受け,この国の至る所に「良いたより」を広めるという仕事に精力的に取りかかり,文書を翻訳し,公開聖書講演を行ないました。

その勤勉な努力の結果はすぐに表われました。1912年にC・T・ラッセルがフィンランドを訪れた時,ほぼ2,000人の人がその話を聞きにやって来ました。また,その時開かれた大会には140名が出席しました。報告によると,1912年にはこの地で477回公開講演が行なわれ,17名が聖書文書頒布者の業に携わりました。J・F・ラザフォードは,1913年にフィンランドを訪れた際,3,000人の聴衆に向かって話をしました。

その初期の時代に,この地で神の民の間に見られた優れた福音宣明の精神は,現在に至るまで衰えを見せていません。そして,“電撃的な”幕明け以来,神の業は着実に進歩してきました。現在では,国内の各所に合計251の会衆があります。1922年には,「信教の自由」法が制定されました。その結果,望む者は国教会から籍を抜くことができるようになりました。また,その新しい法律は,公序良俗に反しない限り,各人が各々の宗教を実践する権利を保障していました。これが基盤となって,1945年に,「エホバの証人の宗教協会」が公式に登録される運びとなりました。とはいえ,ものみの塔協会の支部事務所はすでに1911年にヘルシンキに開設されており,1912年にはフィンランド語の「ものみの塔」誌が定期的に刊行されるようになっていました。

人々に達するために求められた努力

その初期の時代に,国土の三分の一が北極圏にある,この広々とした,人口のまばらな土地に住む人々すべてのもとへ行くのは,全く容易なことではありませんでした。広大な森林がこの国の国土の三分の一を覆い,湖と沼地がさらに十分の一を占めています。美しい湖の数は単に1,000にとどまらず,ほぼ6万を数え,島の数はその二倍に上り,そのうち3万は沿岸部にあります。ですから,人々に達するための旅には時間がかかります。初期の時代には特にそう言えました。今日では,道路網や交通機関も著しく向上し,昔より自動車も増え,立派な列車やバス,優れた航空網などがあります。

1917年12月に,フィンランドがロシアから独立したのを契機に内戦が起き,対立する党派が支配権をめぐって抗争を繰り広げました。しかし,その結果として生じた様々な問題すべてにもめげず,真のクリスチャンは「良いたより」をひたすら宣明し続け,新しい会衆が幾つも組織されました。

第二次世界大戦中,フィンランド人のエホバの証人たちは,文書類の発禁処分という事態に直面しただけでなく,特に自分たちがクリスチャンとしての中立の立場を保つゆえに逮捕投獄されるという事態にも立ち向かわねばなりませんでした。(ヨハネ 15:19)しかし,「良いたより」を宣明してゆく点での努力は大いに祝福されました。1944年には王国宣明者の数が62%増加し,1945年には267の会衆に,合計1,632人の伝道者がいました。今日,この地には373人に一人の割合でエホバの証人がいます。これは神の祝福の証拠にほかなりません。

言うまでもなく,北極性気候は挑戦となります。しかし,「良いたより」を携えるこれらの人々は暖かい装いをして極寒の気候の中を出掛け,自宅に引きこもっている人々のもとへ行きます。時には寒さが助けになることもあります。その一例をお話ししましょう。ある冬の日,一人の男の人は幾人かのエホバの証人が自分の家へ近づいて来るのを見つけました。エホバの証人と話したくなかったので,その人は屋根裏部屋へ向かい,妻に話をさせておいて,その間そこに待避しているつもりでした。上方の寒くて,火の気のない屋根裏部屋にいると,下の暖かい部屋で王国伝道者たちが自分の妻に話している声が聞こえてきます。訪問者たちが話をやめて立ち去ってくれればよいと思っていた矢先,妻が訪問者たちにコーヒーを入れましょうというのが聞こえてきて,がっかりしました。そして,座って震えていると,エホバの証人が妻に六か月の聖書研究をするよう勧めるのが聞こえてきました。それは余りにも長すぎます。六か月間も屋根裏部屋に潜んでいることなどとてもできません。そこで,主人は下へ降りて行き,話し合いに加わり,熱いコーヒーにありつきました。研究が始まり,その人も研究に加わり,今日ではわたしたちの霊的な兄弟の一人になっています。

会衆を整理統合する

1949年当時,フィンランドには415の会衆があり,その各々に平均して9名の伝道者がいました。これは,交通機関がなかったことと,地方の兄弟たちが比較的孤立していたことに原因があります。しかし,事情が好転するにつれて,統合される会衆が増えてゆきました。そしてそのことは,フィンランドのクリスチャンを大いに鼓舞し,強めました。今では会衆の数こそ251しかありませんが,各会衆に平均して52名の王国伝道者がおり,より教訓的で,信仰を強める集会を開けるようになっています。

1968年以来,約100か所に新しい王国会館が建てられ,今ではほぼ200の会衆が自分たちの会館で集会を開いています。1961年に建てられた新しいベテル・ホームは業の拡大に伴って手狭になり,1970年代には二つの大きな増築部分が従来の建物に付け加えられました。そして,1978年にヘメーンリンナに巡回大会のための大会ホールとして用いる不動産が購入されました。1,300人を収容するこの立派な美しい建物は,1979年の初頭に完成し,フィンランド南部の約9,000人のエホバの証人によって利用されています。

土地の人に順応する

エホバの証人は,戸別訪問をする際に,友好的な話し合いをするよう努めます。しかし,そのためには順応性が求められます。都会では,家の人がより大きな圧迫を感じているように見受けられ,どちらかといえば単刀直入に「要点を話す」必要があります。ところが,地方によっては,「どこから来たって?」とか,「もう結婚しているのかね」といった質問に答えてからでないと,一般に聖書の話を進められない土地もあります。フィンランドのある地域では家の人と話し合いを始めるのがかなり困難です。しかし,そのような地方の忍耐強い王国宣明者は,しばしば優れた話し合いという報いを受けます。興味深いことに,この国で人口に対するエホバの証人の比率が最も高いのはそのような地域です。

数年前,一人の巡回監督は,リストーという名の若者に関する経験を語りました。この若者の住んでいた家では,会衆の集会が開かれていました。しかし,リストーはその集会に出席しませんでしたし,ほとんど口も利きませんでした。その家族の者たちの話では,リストーは関心を持っていない,とのことでした。近所の区域すべてを網羅した後,巡回監督はまだ訪問し終えていないただ一つの集落まで自分と妻を案内してくれるようリストーに頼みました。

その集落に余り家がないのを見て取った巡回監督は,リストーに一緒に行く気がないかどうか尋ねました。若者はそれに同意し,近隣の人々は一行を友好的に迎えました。最初に二軒ほど訪問した後,巡回監督が,リストーの家で公開講演は行なわれているのだから,リストーが近隣の人々を招待したほうがよいのではないか,と提案したところ,彼は喜んでそれに応じました。少ししてから,家の人に雑誌まで提供しました。家族の者たちはリストーが実際に聖書について人々に語ったということを聞いて驚き,「関心を持っていたなんて知らなかったわ。どうして話してくれなかったの」と声を上げました。それに対してリストーは,「だって,僕にすすめてくれたことは一度もなかったじゃないか」と答えました。その後,リストーは立派な進歩を遂げ,これまでの数年間,特別開拓者(全時間の王国宣明者)として優れた業を行なってきました。

反対もわたしたちの業を中断させることはない

フィンランドには自由の気風があり,当局者は概してすべての人を公平に扱おうと努めます。しかし,証言活動を中断させるための努力が幾らか払われたこともありました。

例えば,数年前,フィンランド都市同盟は市や町で施行される条例の試案を作成しましたが,その中の「公安条例」の一条は「戸別訪問をしようと努める」宗教活動を禁じていました。その論議によれば,特にアパートなどでは,玄関のベルを鳴らすと家の人たちの迷惑になるというのです。多くの市や町はこの新しい条例を採択しました。

エホバの証人は,アパート内の各戸のベルを鳴らす人々が多く,その音は近隣の迷惑になることを認め,一つのアパートの各戸を立て続けに訪問するのではなく,時間をずらして訪問するように努めました。ほかの場合には,引き続き家から家への証言を行ないました。この活動は,非常に多くの人々から大変喜ばれています。幾年かの間,実質的に困難な問題は全く起こりませんでした。ところがある日,海に面したロビイーサという小さな町で,二人の開拓者がたまたま一警察官の家を訪れたところ,その警官は二人が法を破っていると主張しました。後日,罰金を支払うようにとの通知を受け取りましたが,二人はむしろ問題を法廷へ持ち込むことにしました。

法廷は訪問を受ける権利があることを認める

兄弟たちは,その弁論趣意書の中で,人の家のベルをふさわしい仕方で,また正当な理由をもって鳴らすことは,論理的に言って,家の人の迷惑になるとはみなせない,と述べました。家の人はだれかが自分に話したいと思う場合にそれを鳴らせるように,ベルを取り付けたからです。その趣意書は,家から家を訪問し,人々のもとへ聖書の音信を携えてゆくことはエホバの証人の実践する宗教の一部分であり,エホバの証人の宗教法人を認可した際,政府はこの福音宣明の方法を認めたことを示していました。また,多くの人はエホバの証人の訪問を望んでいることが示されました。単に少数の人がそのような訪問を望まないというだけの理由で,家から家の訪問すべてを禁じるのは自由を奪う行為であるという点も指摘されました。

ある若い開拓者は,自分がエホバの証人に会う前は麻薬中毒者で,自分の問題についてエホバの証人から助けを得られることなど知る由もなかった,と法廷で語りました。それでこの若者は,要請しないのに証人たちが自分のところを訪問してくれたことを非常に喜んでいました。証人たちの助けで若者は麻薬常用癖を克服し,有用な市民になれました。若者は,他の多くの人々も喜んで助けを受けるだろうが,どこでそれが得られるか分からないでいる,と述べました。そして,戸別訪問をして,そのような人々を探すことは必要だ,と指摘しました。

弁論を聴いた後,裁判官は,被告である兄弟は家の中へ入ろうとしていなかったので,条例を破ってはいない,ということを認めました。それによって訴えは却下され,検察側は上訴しませんでした。それで,翌日地元紙が報じたとおり,ロビイーサでは家から家を訪れ宗教について話しても,家の中に入らない限り違法ではない,ということになりました。それ以後,多くの町や市は条例を撤回しており,当局者の中にはエホバの証人が聖書を携えて家から家で行なっている良い業について,好意的な発言をする人もいます。

フィンランド人はこれまで幾年もの間,比較的平穏に暮らしてきました。しかし,インフレ,失業,犯罪などが増加して,不安感を一層募らせているため,聖書が将来について述べる事柄に関心を抱く人は増えています。確かに,キリスト教世界の他の国々同様,フィンランドにも,「エホバの言葉を聞くことの飢きん」があります。(アモス 8:11,新)しかし,数多くの湖や緑の森林,白い雪のあるこの国,夏には白夜,冬には北極光<オーロラ>の見られるこの地で,エホバの証人はすべての人のもとへ,希望を与える「良いたより」を,これからもずっと携えてゆくよう努めることを心に決めています。

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