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  • 自分と自分の教えに気をつけなさい
    ものみの塔 1969 | 4月1日
    • られ,今日に至るまで真理を教える面で率先してきました。この忠実な奴隷たちの集合体は神の国の良いたよりを伝えるため,多くの土地の多くの言語を有効に用いるという面で手本を示しています。この「奴隷」の監督下に書かれた出版物に使われることばは明瞭で,理解しやすいものであり,そこに提出される考えは人の心を終始神のみことばに向けさせるものです。全地で開かれる会衆の集会のプログラムはこの「さとい奴隷」によって組まれ,神についての知識を増し加えることによって信仰を建てることを目的としています。(ロマ 10:14)エホバのみことばの原則にかたく従うこの忠実な「奴隷」の態度には,人に力と確信を持たせるものがあります。人間の知識より神の知恵を重視するこの忠実な「奴隷」は家の者に霊的な食物を与える面で無類の存在であり,エホバの豊かな祝福を引き続き受けています。―マラキ 3:10。

      伝達の手段を改善する

      14 箴言 13章20節に従うことは,教える能力を向上させる面でどのように役だちますか。

      14 自分の教えに気をつけ,自分の伝達の手段を改善するための別の方法として,箴言 13章20節の次のことばがあります。「賢い人と歩いている者は賢くな(る)」。(新)パウロがエペソ書 5章15節で述べるとおり,このためには単なる勉強以上のものが必要です。「それで,あなたがたは十分に注意して,賢くない者ではなく,賢い者のように歩き(なさい)」。(新)しかし,「自分の歩みを定めることさえ,歩く人に属していない」ことをも認めねばなりません。(エレミヤ 10:23,新)聖書はこう記録しています。「会衆はユダヤ,ガリラヤ,サマリヤの全域を通じて平安期にはいり,確立されつゝあった。そして,エホバを恐れ,また聖霊の慰めを得て歩むにつれ,会衆は拡大し続けた」。(使行 9:31,新)ノアは神とともに歩みました。(創世 6:9)イエスは歩み方という面で模範を残されました。(ヨハネ第一 2:6)それである人とともに歩むということは,その人と一致し,同じ考え方に基づいてその人と一緒に行動することを意味しています。パウロはエペソ書 2章1-3節でその点を示し,その中で特に次のことを述べています。「汝ら前には……この世の習慣に……したがひて歩めり……我らもみな前には……肉の慾に従ひて日をおくり肉と心との欲するまゝをな(せり)」。神の民についても同じです。彼らは互いを助け,神のみことば,神の霊そして円熟した神の民の導きに従って自分を強め,聖書の原則にかなった同じ考えに達します。詩篇 119篇63節は賢明な神のしもべの態度をこう言い表わしています。「われは汝をおそるゝ者またなんぢのさとしをまもる者の侶なり」。

      15 パウロはクリスチャンの進歩をどのように説明していますか。

      15 こゝで聖書にかなった結論を得ることができます。つまり,人はこのすべての進歩を自分自身の力でするのではありません。パウロがコリント後書 3章5,6節(新)で述べるとおり,こうして人を形造る力は神から来ます。「わたしたち自らに十分な資格があり,すべてのことがわたしたち自身によるというのではない。わたしたちが十分な資格を得たのは神によるのである。神はほんとうに,わたしたちを新しい契約の奉仕者として十分に資格のある者としてくださった」。

      他の人との交わり

      16 聖書の原則を尊重する人々とともに歩むことの益をさらにあげなさい。

      16 聖書の原則に従う人々と交わるのは有益なことです。そのような人々とともにいる時,人はほんとうに安心した気持ちになります。確かにこのような人々もまちがいをし,あやまちをすることがあります。しかしそのような場合でも,聖書の教えに基づいて直接に話すことができ,また聞いてもらえるでしょう。高慢な人々の多い今の時代に,聖書からの矯正を受け入れ,「すみません,許してください」とすなおに言う人々と交わるのは大きな祝福です。ほんとうに賢明なのはこのような人々です。

      17 (イ)自分の考えを表現する能力は急速に向上しますか。(ロ)この進歩を確かにするため,特にどんな点に気をつけるべきですか。例をあげなさい。

      17 わたしたちはどんな事柄においても少しずつ進歩します。これは知識を増し加え,それを活用することにもあてはまります。気をつけるべきなのはこの点です。小さな事柄,わずかな機会に気をつけなさい。これが漸進的な進歩を確かにし,長年のあいだに心づよいほどの進歩となります。会衆の演壇で話をする特権がある時,あなたは自分の考えが聴衆にはっきり伝わるように配慮しますか。あまり使ったことのないことばを調べ,その正しい使い方と発音とを覚えますか。「ものみの塔」研究で節を読むとき,どのことばもつかえずに読めるようにあらかじめ調べますか。家から家に行くとき,自分は家の人以上に聖書について知っていると考えすぎて,必要な準備を粗略にし,あるいは省略しますか。親である皆さんは自分の子供とともに毎日少しずつ進歩することを求めますか。それとも,子供と語り合うことを避けて,子供をテレビがする訓練にゆだねますか。これは新しい言語を学ぶようなものです。毎日少しずつ努力して自分の知る単語を一つか二つずつふやし,それを実際に活用してゆくなら,やがて数百の単語を覚え,その国語を話せるようになるでしょう。ことばや表現法をふやしてゆくにつれ,あなたの話し方は表現力と色彩に富み,意味を十分に伝えるとともに,他の人にきわめて有用なものとなるでしょう。忍耐づよくあり,どんなにわずかな進歩でもそれを喜びなさい。ことばを知らなかった赤子が,時の経過とたゆまぬ訓練とによって,やがてりっぱに話をするおとなとなることを忘れてはなりません。

      18 (イ)わたしたちは自分の真の姿をどこに見ることができますか。(ロ)どんなことに注意すべきですか。

      18 自分を吟味するためのものとしてエホバが備えた鏡,つまり「自由に属する完全な律法」をよく見ることによって,自分自身に気をつけなさい。(ヤコブ 1:25,新)自分を公正に扱い,気持ちをいらだたせ,いつも疲れを感ずるほどに自分を追いまわしてはなりません。聖書の勧めは神のみことばを鏡とすることであり,ある人がするように,他の人を物事をする際の標準としてはなりません。わたしたちが見ならうべきなのはキリスト・イエスひとりだけであり,イエスはご自分の荷は軽いと言われました。(マタイ 11:30)自分の最善をつくしているなら,他の人が言ったり行なったりすることのゆえに心を煩わしてはなりません。一方,知識を増し加え,能力を向上させることについて,多くの人がするように思わせぶりな態度をとってはなりません。多くの人にとって,進歩のためには努力が必要です。今日の世界において,努力は必ずしも人の関心を集めるものではありません。この点において平衡のとれた見方をするためには,問題をさらに掘り下げることが必要であり,それは次の記事の中で扱います。

  • 初期クリスチャンをしるしづけた熱意
    ものみの塔 1969 | 4月1日
    • 初期クリスチャンをしるしづけた熱意

      ★ 「二十世紀を経たキリスト教」と題する本の中で,著者は初期クリスチャンと彼らに対するローマ政府の態度とについて次のように述べている。「ローマ政府がユダヤ人の場合に喜んで例外を設けようとしていたのであれば,同様にクリスチャンに対して聖なる皇帝のための祭壇で香をたくのを喜んで免除しようとしなかったのはなぜか。クリスチャンは,ユダヤ人の場合よりも一層苦々しい寛容の問題を引き起こした。ユダヤ人の社会は一種の閉鎖した集団であり,積極的な改宗を行なわなかった。他方クリスチャンは絶えず人々の改宗を勧め,全住民をキリスト教に帰依させようと公然と努めていた」。今日のエホバのクリスチャン証人も,すべての誠実な人が真のキリスト教の原則を学んで実践するのを助けるため熱心に働いている。

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