ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • ニネベ ― 誇り高ぶったアッシリアの首都
    ものみの塔 1976 | 7月1日
    • 攻め,[セナケリブの忠臣たるパディ王をユダの王ヒゼキヤに引き渡すという]罪を犯した役人や貴族を殺し,その死体を町の周りに巡らした杭に付けてさらした」。サンドゥアリ王とアブディミルクテ王の連合軍を打ち破ったエサルハドンは,次のように豪語しました。「余は,人々にわが主アシュルの力を見せんがために,サンドゥアリとアブディミルクテの生首をその主だった家臣の首に結わき付け,ニネベの目抜き通りを行進させた」。アッシュールバニパルは,エジプトとの戦いに際して自分の軍がどんな行動を取ったかに関し,次のように語りました。「配下の将兵はだれをも容赦しなかった。死体を杭に付け,その皮膚をはぎ取り,(それで)町(々)の壁を覆った」。

      別の浮き彫りは,王宮の楽しみの園で,ブドウの木や他の樹木に囲まれた快適な寝いすに横たわり,酒宴を催して飲み食いしていても,アッシリアの王が戦争を忘れてはいなかったことを示しています。寝いすのそばの机には,弓や矢筒,刀などが整えられており,近くの木の枝には,打ち破った敵軍の王の首など気味の悪い戦勝記念が掛けられていることもありました。

      頑強に抵抗する者に対するアッシリア人の残忍な仕打ちは,他の者を恐れさせるためのみせしめであったに違いありません。アッシリア人の残忍な手に陥ることを恐れるあまり,すぐに降伏してしまった都市も少なくありません。こうしてアッシリア人は,手間のかかる攻城をせずに,目的としていたもの,つまり,進んでアッシリアに隷属することを選んだ人々からの巨額の貢物を手に入れたのです。

      『淫行をもて諸国を奪う』

      他の国々はアッシリアと同盟を結び,それによってある程度の独立を維持しようとしました。ニネベは『淫行をもて諸国を奪う』と語った預言者ナホムの言葉は,明らかにこの点を指しています。―ナホム 3:4。

      淫婦の行為について聖書の述べる事柄に照らしてみると,この点をよりよく理解できるでしょう。聖書の箴言は,ある若者が淫婦に出会った時の様子を次のように記述しています。

      「遊女の装いをした陰険な女が彼に会う。この女は,騒がしくて,慎みなく,その足は自分の家にとどまらず,ある時はちまたにあり,ある時は市場にあり,すみずみに立って人をうかがう。この女は彼を捕えて口づけし,恥しらぬ顔で彼に言う,『わたしは酬恩祭をささげなければならなかったが,きょう,その誓いを果しました。それでわたしはあなたを迎えようと出て,あなたを尋ね,あなたに会いました。わたしは床に美しい,しとねと,エジプトのあや布を敷き,没薬,ろかい,桂皮をもってわたしの床をにおわせました。さあ,わたしたちは夜が明けるまで,情をつくし,愛をかわして楽しみましょう……』と。女が多くの,なまめかしい言葉をもって彼を惑わし,巧みなくちびるをもって,いざなうと,若い人は直ちに女に従った,あたかも牛が,ほふり場に行くように」― 箴 7:10-22,口。

      こうした淫婦のように,ニネベは,援助や恩恵を与えるとの空約束をして国々を欺きました。友好を申し出るその言葉は魅惑的に聞こえたものの,裏には巧妙なたくらみが隠されていました。ニネベの計略に陥る国々は,やがて自由を束縛され,その属国になってしまいました。ユダの王アハズの場合がその良い例です。自分を王位から追い落とそうとするスリアとイスラエルの陰謀を阻止するため,アハズはアッシリアの王テグラテ-ピレセル(テルガデ-ピルネセル)三世に金品を贈って助けを求めました。(列王下 16:5-9)テグラテ-ピレセルは確かにスリアとイスラエルの軍勢を壊滅させはしましたが,アハズにとって,それは一時的な救済にすぎませんでした。アハズが最後にどうなったかについて,聖書はこう記しています。「アッシリアの王テルガデ・ピルネセルは彼の所に来たが,彼に力を添えないで,かえって彼を悩ました。アハズは主の宮と王の家,およびつかさたちの家の物を取ってアッスリアの王に与えたが,それはアハズの助けにはならなかった」。(歴代下 28:20,21,口)このようにアハズは,真の救済を得るどころか,自分とその民を圧制的なアッシリアのくびきのもとに置いたにすぎません。

      聖書に基づく年代の計算によると,ニネベの『流血行為』と「淫行」は西暦前632年に終わりを告げました。その年,ニネベは,バビロン王ナボポラッサルとメディアのキャクサレスの率いる連合軍によって滅ぼされました。ニネベで発見された浮き彫りが火と煙で損なわれていることからも分かるように,征服者は同市に火を放ったに違いありません。バビロニア年代記は,ニネベに関して次のように述べています。「彼らは膨大な量の戦利品を市中および神殿から運び出し,同市を廃墟と[ならしめた]」。

      ニネベの滅びは,「神の[預言の]言葉」の正しさを強力に証明するものです。また同市の滅びは,血に染まった軍国主義や欺きを秘めた同盟関係など,神の道を無視する行為が,いつまでも功を奏するものではないことを物語っています。これは,真剣な考慮を払うに値する事柄です。わたしたちはだれも,神の否とする体制や生き方を支持したり,それらと手を結んだりして,失望を刈り取りたいとは思いません。それゆえ,神の言葉である聖書が教えている事柄をよく調べ,神の約束による王国政府に全幅の信頼を寄せるべきです。

  • 新聞記事を読んで聖書研究に関心を抱く
    ものみの塔 1976 | 7月1日
    • 新聞記事を読んで聖書研究に関心を抱く

      マラウィのエホバの証人に対する迫害の記事がカナダのガルレーク・アドバンス紙に掲載されてから間もなく,ガルレークから約56㌔離れた,スウィフトカレントに住むエホバの証人の家庭に,一人の婦人から電話がかかりました。その婦人は,マラウィでの宗教上の迫害に関する新聞記事を読んで,聖書研究を始めたいと思ったのです。その時,エホバの証人である両親が不在だったので,息子が伝言を引き受けました。追って電話をかけてみると,その婦人は,自分の親族の半分はカトリック教徒で,残りの半分はエホバの証人であり,自分はどの宗教にも属していないことを説明しました。しかし,エホバの証人の様子を見ていると,彼らが精神的な平和と満足を得ているように思え,自分もそうしたものを得たいと強く願うようになった,とのことでした。その婦人は,自分と14歳になる娘のために聖書研究を望んでいました。さらに,放課後の時間に研究を司会してもらえるなら,年下の二人の子供たちも研究に参加させたいと言うのです。その人は,自分の住んでいる町ガルレークにエホバの証人を見いだせないでいましたが,自分の町に王国会館があることを聞いてとても喜びました。

      電話を受けたエホバの証人は,それから,丁度その日の晩に集会を開くことになっているガルレーク会衆の人々に連絡をしました。集会へ行く途中,彼らは関心を持つこの婦人を訪ねました。そしてその日の晩,婦人と14歳になる娘は王国会館に来たのです。二人は,聖書研究の面でよく進歩し続けています。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする