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  • 望遠鏡と顕微鏡 ― それによって明らかにされた事実はあなたにどんな影響を及ぼしていますか
    目ざめよ! 1984 | 12月22日
    • 望遠鏡と顕微鏡 ― それによって明らかにされた事実はあなたにどんな影響を及ぼしていますか

      望遠鏡と顕微鏡。これらはいずれも,気の遠くなるほど遠方にある星雲や,余りにも小さくてこの文の終わりにある丸の中に100万個も入ってしまう微生物など,隠されていた驚異を明らかにしてきました。その結果,これらの道具によって人間の物の見方は大きく変わりました。古代の人間は宗教的な畏怖の念を抱いて天を見上げました。恒星や惑星は,人間の生活に大きな影響を及ぼす神々とみなされました。しかし,人間は,自分と自分の住む地球という惑星が宇宙の中心そのものであるということに何の疑念も抱いていませんでした。

      天文学の教授であるエドワード・R・ハリソンによると,地球を中心にした宇宙というこの概念は「[異教の]宗教の揺るぎない土台」となり,「地上の人間の生活に意味と目的を与えた」ようです。望遠鏡とそれが明らかにした劇的な事柄は,この居心地のよい世界を粉砕しました。顕微鏡は,妊娠と出産(かつては計り知れない奇跡と考えられていた ― もっとも今なお奇跡ではある),病気(かつては神々による災厄と考えられていた)などにまつわる謎を解き明かしました。

      そのため,かつては宗教から答えが得られた問題について,いま最良の答えを出せるのは白衣を着た研究者たちである,と考える人が大勢います。しかし,人間は本当に,自分の見るものの意味を教えてくださる神をもはや必要としないほど,観察し,測定し,分析することに熟達したのでしょうか。望遠鏡と顕微鏡によって,神について書いてある主要な本,聖書を信ずる根拠が取り除かれてしまったのでしょうか。

  • 望遠鏡と顕微鏡 ― 昨今の進歩
    目ざめよ! 1984 | 12月22日
    • 望遠鏡と顕微鏡 ― 昨今の進歩

      今日の天文台の望遠鏡は,口径4.4㌢のガリレオの望遠鏡と比べると,いわば巨獣のような存在です。ガリレオの原始的な装置は屈折望遠鏡でした。一方の端の大きな凸レンズが像を結び,他方の端にある小さな凹レンズがその像を拡大しました。後日,この凹レンズもまた,凸レンズに変更されました。注目すべきことに,その装置は物体を33倍に拡大する能力があり,ガリレオは木星の四つの衛星や金星の満ち欠けといった,はるかかなたの驚異を見ることができました。

      今日の反射望遠鏡は,遠くの天体からの光を集めるために巨大な鉢の形をした鏡(口径600㌢[236インチ]のものもある)を使っています。そのため,これらの反射望遠鏡は,肉眼で見えるものの1,000万分の1の明るさしかない物体をも見いだすことができます。オーストラリアにある一望遠鏡は,1,600㌔先にあるロウソクの灯をも見つけることができると言われているのです!

      しかし興味深いことに,今日の天文学者はガリレオが直面したのと同じ問題に今なお直面しています。ガリレオは恒星を望遠鏡で拡大して見ると,その数は増えても,大きくはならないことに気づきました。恒星が望遠鏡で拡大しても一点の光にしか見えないのであれば,それは信じられないほど遠くにあるに違いないとガリレオは考えました。今日の天文学者たちは,それらの天体がどれほど遠方にあるのかを正確に知っているようですが,精密なレンズやみがきあげられた鏡をもってしても,恒星は針で刺した穴から漏れる光のようにしか見えません。「観測者の天文学の本」はこう述べています。「恒星ははるかかなたにあるので,これまでに作られたどの望遠鏡を使っても,光の点にしか見えないであろう」。

      しかし,だからといって,科学者たちは恒星をより詳しく観察しようとすることをやめてはいません。例えば,米国航空宇宙局(NASA)は1986年に,地球の大気圏外の軌道に乗る大きな宇宙望遠鏡を打ち上げることを計画しています。この望遠鏡だと,地上の望遠鏡で見いだすことのできるものの50分の1の明るさしかない物体をも見いだせる,と科学者たちは考えています。

      幸い,宇宙を探る方法はほかにもあります。少し前のこと,ある天体が電波を発していることが発見されました。これらの信号が地球に達する時には1兆分の1㍗よりも弱くなっていることがあります。それで,そうした信号を受信し,増幅するために,大きな電波望遠鏡が開発されています。このようにして天文学者たちは,クエーサーやパルサーおよびその他の好奇心をそそる現象を観察することができるようになっています。

      ですから天文学者たちはもはやガリレオのように目を細めて望遠鏡の接眼レンズをのぞき込むことに幾時間も費やすということはありません。ブリタニカ百科事典(英文)はこう説明しています。「天文学の研究はほとんどすべて,肉眼ではなく,写真あるいは光電子写真装置によって行なわれている。……接眼レンズを通して見える物の何分の1かの明るさしかない物体も写真に撮ることができる。1枚の写真乾板には膨大な量の情報が含まれていることがある。……100万個の星の映像と10万の星雲の映像がそれに含まれていることがある」。

      科学者たちはそのような写真を用いて,注目に値する事柄をなし得ます。「天空と望遠鏡」誌はかつて,スペクル・インターフェロメトリーと呼ばれる技法を使えば,赤色超巨星のあるものの表面を明らかにすることができる,と説明しました。ただし,ほかの星は,最も近接している星でさえ,単なる光の点のままです。

      肉眼で見ると太陽に一番近い恒星も,望遠鏡で見ると三つの星になります。一つはケンタウルス座プロキシマ星です。ほかの二つは80年ごとに互いの周りを回る一組の星で,ケンタウルス座α星として知られています。太陽を除けば,これらの三つの星は地球に最も近い恒星ですが,それでも地球から4.3光年(40兆㌔以上)離れているのです。「天文学」という本はこう述べています。「太陽の大きさをこのページの句点の一つで表わすとすれば,太陽に一番近い恒星,ケンタウルス座α星という連星はその縮尺でゆくと,16㌔先の二つの点で表わされることになる」。

      天の南極を横切って,二つの雲の塊のように見えるものがあります。15世紀のポルトガル人の航海者たちは,それを“岬の雲”と呼びました。後日,それらは有名な探険家,フェルディナンド・マゼランにちなんで名づけられました。望遠鏡によって,それらはいずれも広大な銀河系外星雲であることが明らかになっています。大マゼラン雲だけでも,推定50億の星を有しています。

      こうして人間は一巡してもとの場所に戻ってきました。望遠鏡のおかげで宇宙に関する迷信的な概念は収まったものの,畏怖の念を新たにして空を見上げているのです。

      隠された世界を見る

      ミクロの世界も,人を引きつけるという点では決して劣りません。飽くことを知らない好奇心に動かされて,レーウェンフクは自分のレンズに映るものなら何でも研究しました。ある時,自分の口から唾液を幾らか取って,顕微鏡で調べてみました。驚いたことに,「多くの非常に小さな生きた極微動物が大変かわいらしく動いている」のが見えたのです。それからレーウェンフクはこれら口の中のバクテリアに関する記述とそのスケッチを1683年にロンドンの王立協会に送りました。後日,レーウェンフクは,「人間の口の中の歯に付いている歯垢の中に,一つの王国全体に住んでいる人間の数よりも多くの動物が住んでいるという人がいたらどうだろうか」と感嘆の声を上げました。人間の口の中に住む微生物の数は,現代の推定によれば,幾十億にも達します。

      隠された世界を探究する科学者たちは確かに,レーウェンフクでさえびっくりしたであろう事柄を発見してきました。例えば,たった1滴の血液の中に3,500万個ほどの赤血球が含まれているのを現在では見ることができます。さらに,一つ一つの赤血球には2億8,000万個以上のヘモグロビン分子が含まれていることもあります。「たった一つのヘモグロビン分子を構成する1万個の原子の位置を図面にするのがどんなに大仕事か,想像していただきたい」と,コピッジ博士は自著,「進化論: 可能か不可能か」の中で述べています。

      微生物 ― 有益か有害か

      細菌のことを考えただけでもぞっとする,と言う人は少なくありません。確かに,微生物の中には病気や死の原因になるものもあります。しかし,これは例外であって,そのような微生物ばかりではないようです。

      例えば,牛乳を1杯飲んでおいしいと思いますか。牛が飼い葉を消化して牛乳を生産できるようになるには,その胃の中に住む幾兆個もの微生物が必要とされます。良性の細菌は,人間の腸の中にも住んでいます。「微生物学原論」という教科書はこう述べています。「腸内細菌の中には,ビタミンB群の主要なもの,ビタミンEやビタミンKを合成する力を持つものが少なくない。そのようにして生産されるビタミンは,宿主のビタミンの需要を満たす上で少なからぬ貢献をしている」。

      小さな微生物は効率のよい清掃局の働きをもしています。科学著述家のルードビッシは次のように書いています。「微生物が死骸や廃棄物を処理しなかったとしたら,廃棄物は積もり積もって,我々はスペースがなくなって死ななければならなくなる。我々の生存は微生物に,すなわち顕微鏡の助けを得て初めて見えるようになる,普通では目に見えない世界に依存していると言っても決して過言ではない」。

      装置が改良されて,生物学者たちは微生物そのものをより詳しく観察できるようにさえなっています。これらの微生物も驚くほど複雑です。中には,鞭毛と呼ばれるむちのような尾の付いた微生物もいます。顕微鏡を通して,それらの微生物がほんの1滴の水の中で動き回っているのを見ると,興味をそそられます。ある種のバクテリア(スピリルム・セルペンスと呼ばれる)には,電気プロペラのように回る尾が付いています。(測定したところ,何と毎分2,400回転もしていました!)そしてこのミニ潜水鑑が方向を変えなければならない場合には,反対側の端のスイッチを入れるだけでこと足ります。

      顕微鏡 ― その最新の発達水準

      レーウェンフクの自家製の装置は,驚いたことに,対象物を250倍以上に拡大することができました。しかし,今日の光学顕微鏡は,対象物を1,000倍ほどに拡大する能力があります。「微生物学原論」という本は,「ありふれたイエバエをそれぐらいに拡大すると,9㍍以上の大きさに見えることになるであろう」と説明しています。

      1931年に電子顕微鏡が発明されました。電子の流れを対象物に向けることにより,対象物が100万倍ほどに拡大された像を作り出すことができます。この顕微鏡には重大な欠点が一つあります。電子顕微鏡は生きた試料を研究するために用いることはできないのです。しかし,光学顕微鏡とテレビカメラおよびコンピューター記憶装置を結合させた新しい装置を使って,科学者は生きた細胞の生物学的活動を実際に観察することができるようになりました。ニューヨーク・タイムズ紙はこう伝えています。「直径100万分の1インチ(0.000025㍉)しかない管つまり微小繊維が,食物や老廃物の粒子などを互いに反対の方向に,同時に運搬しているのが見られる」。

      このように望遠鏡と顕微鏡は有力な道具です。おかげで人間は自分たちの住む世界 ― そして宇宙 ― に対する驚くような洞察を得ています。では,この新たな洞察は,信仰の必要性を増し加えるでしょうか。それとも,何らかの仕方でその必要性を失わせますか。

      [4ページの拡大文]

      銀河系には推定200の球状星団があり,その各々に数千ないし数十万の星がある

      [5ページの図版]

      望遠鏡によって,宇宙には幾十億もの星雲があり,その各々に幾十億もの星のあることが明らかになった

      [6ページの図版]

      1滴の血液には幾百幾千万もの赤血球が,一つ一つの赤血球には幾億ものヘモグロビン分子が,その分子各々には1万の原子が含まれている

      小さじ1杯の土壌の中に幾十億もの微生物のいることがある

      [7ページの図版]

      顕微鏡でしか見えないこのバクテリアの鞭毛は,プロペラのように回転する。中には毎分2,400回転するものもある

  • 望遠鏡と顕微鏡 ― それによって明らかにされた事実はあなたの信仰を弱めましたか,それとも強めましたか
    目ざめよ! 1984 | 12月22日
    • 望遠鏡と顕微鏡 ― それによって明らかにされた事実はあなたの信仰を弱めましたか,それとも強めましたか

      ペンジアスとウィルソンはハトのせいだと思いました。感度の良い電波受信装置がヒューという奇妙な音を受信し続けた時,二人の科学者は点検してみて,2羽のハトが巨大なアンテナにとまっているのを見つけました。ところがこの羽のある侵入者を追い払った後にもヒューという雑音が消えなかったので,この音は宇宙の果てから来たものではないかという考えが二人の脳裏に浮かびました。

      科学者たちが信じるところによれば,ペンジアスとウィルソンが単なる電波障害だと思ったものは実際には“ビッグ・バン”― ずっと昔に宇宙の誕生をもたらした大爆発 ― のこだまだったということになります。二人の発見と,積み重なってゆく確証となる証拠とに促され,驚くべき可能性を考える科学者たちが出てきました。すなわち,「初めに神は天と地を創造された」と述べる聖書の記述は正確だという可能性です。―創世記 1:1。

      例えば,ニュー・サイエンティスト誌の1983年6月23日号に,「宇宙論の創発的科学は神の存在を否定することはしないし,また,そうすることもできない」という見出しが載りました。その記事の筆者である物理学の一教授はこう述べています。

      「星雲,恒星,原子,そして中でも最も顕著なものとして,我々人間など,我々の見るなじみの深い体系を宇宙が生み出すことを可能にした物理学の法則に組み込まれている,起こりそうもない一連の“偶然の出来事”や“偶然の一致”とみなされるものに心を打たれる科学者は,ここ数年の間に増加の一途をたどっている。……重力や電磁力の相対的な力がほんのわずか違っていただけでも,太陽のような星は青色巨星や赤色矮星になってしまうであろう。我々の周囲の至る所に,自然界がちょうどよくできていることを示す証拠が見られるようである」。

      明らかに,望遠鏡は創造者を信ずる根拠を取り除いたわけではありません。それでは,世界随一の宗教書である聖書を,まじめに受けとめることができるでしょうか。確かにそうすることができます。望遠鏡と顕微鏡はどちらも,聖書を真剣に受けとめざるを得ないような理由を与えています。そのうちのほんの幾つかを考えてみることにしましょう。

      『星は他の星と……異なる』

      科学の教科書は大抵の場合,印刷されるが早いか,時代遅れになってしまいます。それほど頻繁に,新しい諸発見が,従来信じられていた事柄を無効にしてしまうのです。ところが,望遠鏡や顕微鏡のことなどまだ考えつかれてもいなかった時よりさらに幾世紀も前に書かれたにもかかわらず,聖書は驚くべき正確さをもって科学的な問題についてしばしば語っています。

      一つの例はコリント第一 15章41節です。そこで使徒パウロはこう述べています。「太陽の栄光は一つの種類であり,月の栄光はまた別であり,星の栄光はまた別です。事実,星は他の星と栄光の点で異なります」。

      何げなく見ていると,大抵どの星もその明るさの違いを除けば,同じように見えます。ところが天文学者によると,星は白から,青みを帯びた白,黄色,オレンジ色,オレンジ色を帯びた赤,そして赤まで,さまざまな色をしています。パルサー ― 高速で回転する崩壊した星と考えられている ― には幾らかユニークな「栄光」があります。カチカチと音をたてて回る回転木戸のように,パルサーは1秒間に何回も定期的に電波信号を出しています。かに座と帆座のパルサーは可視光線をさえ出しています。星の密度は大いに異なります。また,その大きさも大いに異なっています。ベテルギウスという超巨星の直径は,少なめに見積もっても,4億㌔を超えるのです。ベテルギウスが太陽系の太陽の位置にあるとしたら,この星は地球をも含め,火星の軌道があるところまでの太陽系のすべてを呑み込むことになります。

      使徒パウロは,情報を収集するものとして,ガリレオの持っていたような粗末な道具さえなかったのに,どうして科学的な真理を書き記すことができたのでしょうか。神の霊感による,というのが,それに対する道理にかなった答えです。

      「天の法令」

      「あなたはキマ星座のきずなをしっかり結ぶことができるか。あるいは,ケシル星座の綱をも解くことができるか」と,神はお尋ねになりました。また,「あなたは天の法令を知っているのか。あるいは,その権能を地に施すことができるだろうか」とも尋ねておられます。(ヨブ 38:31,33)人間は,「法令」,つまり法則が天体の動きを支配しているということを幾世紀ものあいだ知りませんでした。ヨハネス・ケプラー,アイザック・ニュートン卿,およびアルバート・アインシュタインその他の人たちの発見を当てはめることにより,天文学者たちは「キマ」のような星座をつないでいる「きずな」が重力であることを理解するようになりました。

      天文学者たちはまた,星が静止しているのではなく,ある天文学者の言うように,『星雲の中心,つまり核の周りを巨大なメリー・ゴー・ラウンドのように回転している』とも述べています。この太陽系の太陽が銀河系の中を一周するには推定2億年かかります。星に軌道があることを示唆している点で,聖書は正確です。

      生命は生命からしか生じない

      顕微鏡も聖書が信頼の置けることを示しています。創世記 1章に述べられている生物学の法則を考えてみてください。生物は「その種類にしたがって」繁殖します。今日の強力な顕微鏡のおかげで,科学者は生殖,および遺伝子の境界線についてよりよく理解するようになり,その境界線は聖書の陳述が科学的に根拠のあることを証明しています。

      詩編 36編9節で,聖書は神についてさらに,「命の源はあなたのもとにあり,わたしたちはあなたからの光によって光を見ることができるからです」と述べています。人間は幾世紀もの間,生命は無生の物質から自然発生するというギリシャの哲学者アリストテレスの説を信じていました。17世紀になっても,教養のある人々でさえ,ネズミは古くなったぼろから,ゾウムシはコムギから,カエルは泥から,ウナギは水のしずくから生じると依然として信じていました。

      1859年にダーウィンが「種の起源」を出版したときには,この論争がまだ激しく交わされていました。進化論を支持し,生命の起源を説明するものとして,いわゆるバクテリアの自然発生を引き合いに出す人は少なくありませんでした。同年,フランスの科学者プーシェは,微生物が水と空気と干し草から生じることを“証明”しました。しかし,フランスの別の科学者,ルイ・パスツールはこうした主張に異議を唱え,ほこりの粒子に乗って空気中を運ばれて来たバクテリアがプーシェの実験に混入した可能性がある,ということを示しました。

      プーシェはひるむことなく,今度は,ピレネー山脈のほこりのない空気の中でその実験を繰り返しました。その上,いかなるバクテリアをも殺すために,干し草と水の混合物を煮沸しました。ですからこの混合物がほどなくしてバクテリアでいっぱいになった時,プーシェはとうとう自然発生を証明したと信じて疑いませんでした。しかし1870年代に,アイルランド人の科学者ジョン・ティンダルは,干し草のバクテリアは耐熱性の胞子を形成し,それらの胞子は長時間煮沸しても死滅しないということを発見しました。哀れなのはプーシェです。プーシェの干し草の混合物はきちんと殺菌されていなかったわけです。こうしてティンダルの実験は自然発生の学説に致命的な一撃を加えました。

      今や科学者たちは,現代の顕微鏡を使って,細胞が一体どのようにして分裂し,増殖するかを見ることができます。生命は既に存在している生命からしか生じないということは今では確立された科学的事実です。聖書はその事実を幾世紀も前に指摘していたのです。

      「胎児のときのわたしをも」

      詩編 139編16節で聖書は,「あなた[神]の目は胎児のときのわたしをもご覧になりました。あなたの書にそのすべての部分が書き記されていました」と述べています。胎児の「すべての部分」が「書き記されて」いると聖書が述べていることに注目してください。詩というこの手法を使って,詩編作者は科学者たちがごく最近になって発見したある事柄,すなわち各細胞の中のDNA,つまり遺伝の情報に言及していたようです。南アフリカのフアイスフェノート誌は次の点を思い起こさせています。すなわち,この遺伝物質を「これまでに“読む”ことのできた人は一人もおらず,最も強力な電子顕微鏡を使ってもそれはできていない。しかし,これら情報の粒子は各人に特有のものであり,その人の性格や容貌を決定するということを科学者たちは知っている」。

      信仰を築き上げる本

      南アフリカのウェスタン・ケープ大学の物理学者,マーリン・メール教授は最近次のように語りました。「科学的な論理の教育を受けた人の中に聖書の正確さに心を打たれない人がいることなどどうしてあり得るのか,とても想像できない。無生の物理の世界にはっきりと見られるのと同じ一致と調和が,最も強い畏怖の念を起こさせる書物 ― 聖書 ― の中にはっきりと見られる」。言うまでもなく,聖書は科学の教科書ではありません。それでも,聖書は確かに人間にとって本当に問題となる疑問に答えています。科学は宇宙に関する諸事実を明らかにし,生命の過程の複雑なメカニズムを探ります。しかし,人生の目的が分からなかったなら,そのすべてに一体どれほどの価値があるでしょうか。聖書だけがこのような質問に満足のゆく答えを与えています。

      詩編作者のダビデはその点を認めていました。今日の天文学者と同じように,ダビデも星の瞬く天空を調べるのに多くの時間を費やしました。「天は神の栄光を告げ知らせ(る)」とダビデは述べています。しかし,ダビデは自然に驚嘆するだけでは十分でないことを認めていました。詩編のその同じ編の中で,ダビデはさらにこう述べました。「エホバの律法は完全で,魂を連れ戻す。エホバの諭しは信頼でき,経験のない者を賢くする。エホバから出る命令は廉直で,心を歓ばせる」― 詩編 19:1-4,7,8。

      望遠鏡と顕微鏡は,マクロの世界からミクロの世界に至るまで,わたしたちの住む世界が畏怖の念を起こさせ,複雑であることを顕著な仕方で示しました。わたしたちが取り組まなければならない諸問題も同様に複雑で,人間には余りに複雑すぎて,神の助けなしにはとても手に負えません。「エホバよ,地の人の道はその人に属していないことをわたしはよく知っています。自分の歩みを導くことさえ,歩んでいるその人に属しているのではありません」。(エレミヤ 10:23)人類が自滅に向かってまっしぐらに進んでいるように見えるときに,山のような科学的なデーターは決して人類を救うものとはなりません。ですから,考え深い人々はほかのところに解決策を求めます。そして,時の荒波に耐え,そして今では望遠鏡と顕微鏡による科学的な精密な調査にも耐えた1冊の本の中に,その解決策は見いだされるのです。

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