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どうして信じるべきですか目ざめよ! 1980 | 2月8日
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によると,人間の造り主は人間を完全な者に造りました。人間には,地を従え,自分の子孫で地を満たす責任が与えられました。(創世 1:28)それを首尾よく成し遂げられるかどうかは,人間の造り主の指示に従うかどうかにかかっていました。それらの指示に従えば,「混乱」もなく,地を従えたあとに自然の災害や疫病で生命を失うこともなかったでしょう。しかし,創造者の導きを退けたために,人間という「家」は,今や手入れの行き届かない状態にあり,だれもそれを否定することはできません。
神は人間に,自分の道を選択する自由意志をお与えになりました。神は人間に服従をしいるようなことをされません。それでも,幾十世紀にもわたって人間が失政を続けてきた間に,神は,自らの自由意志を用いて神に仕えようとする人々を捜し求めてこられました。ご自分の創造物を支配する,神の権利を認めようとしない者たちは間もなく滅ぼされることを,聖書は説明しています。そうした人々は命の源である方を退けるので,罰として命を失うのです。しかし,自分たちの生活を喜んで神のご要求に調和させる人々は,神の天の政府の下で,地が全世界的な楽園に変えられるのを目撃する喜びにあずかります。それらの人々は,人間の不完全さや失政のために失われていた祝福すべてを享受します。―啓示 21:3-5。
ですから,今,神について知るようになることは,どんな人にとっても極めて大切です。ある人々がどのようにしてそうなったのかを知るのは有益なことです。
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ある人々が信じるよう助けられた方法目ざめよ! 1980 | 2月8日
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ある人々が信じるよう助けられた方法
神の存在を信じていない人は,どのようにして神を知るようになれるのでしょうか。現在,神を信じるようになっている人の多くは,まず最初に,ある特定の問題に直面しなければなりませんでした。それは何ですか。
東洋の一宗教に属していたひとりの人は次のようなことを認めています。「[創造者はいないという考えを捨て切れなかった]大きな理由の一つは,その宗教が気ままな生活を送り,満足感を抱くよう勧めていることにありました」。
同様に西洋でも,著述家,ジョン・コグレーはこう述べています。「近代主義(少なくともマルクス主義的でないもの)は,個人の自由 ― 思想,政治,性行為に関する事柄,そして中でも生命という大きな問題に関する仮説などの点での自由 ― に途方もないほど重きを置いている」。
この自由,そして最初の引用文の中に挙げられた気楽な生き方は,破壊的なものになりかねません。それを捨てて,より高い権威を認めるには謙遜さと広い心が求められますが,そうした特質はすべての人に備わっているわけではないのです。
何を得るための自由か
言うまでもなく,自由は望ましいものになり得ますが,有害なものになることもあります。子供に自由を与えすぎるなら,交通の激しい道で遊んだり,熱いストーブに手を触れたりしかねません。外部の助けなしに,自分ですべての決定を下すという面での完全な自由は,その決定が間違っている場合に,ありとあらゆる種類の問題を引き起こします。
神の存在に関する真理を受け入れるとき,わたしたちが何かを得そこなうことはありません。確かに,個人の自由はある程度制限されますが,その制限は自分自身や他の人を傷つけないために役立つような仕方で加えられるにすぎません。神を本当に信じる人々は,そのような制限の必要を進んで認めてきました。神に関する真理を認めることは,自由を与えるものともなりました。自分たちの哲学によって他の人を食いものにしようとする人々に欺かれることからの自由や,人生の目的を知らないために味わう絶望感からの自由です。かつて,イエスが言われたように,「真理はあなたがた
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