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  • あなたの立場を守りなさい
    ものみの塔 1955 | 8月1日
    • と他の人にすすめる充分の資格を持つています。神は宣教により,神を正しくよろこばす方法を多くの人に学ばせています。『それで私たちはキリストの代りの大使であり,神は私たちを通してすすめておられるようである。キリストの代りとして,私たちは願う「神に和解しなさい。」』(コリント後 5:20,新世)宣教を成功させるために是非大切なものは,へりくだつて自分の正しい立場をしつかりと保つことであります。しかもその結果,伝道される他の人だけでなく,自分自身も永遠の生命を得ることができるのです。

      24 ある人にとつて,ヱホバの取り極めに従うことは,なぜ難しいものですか?

      24 多くの人は,この古い世の名声のため,このことを難しく感じます。多分,高い誇りを持つ為,家から家に生命の神の音信を伝えることができません。仕事の知合や友人が見るかもしれぬと,恐れるかもしれません。あるいは,もつと上の立場を持つべきであつて,自分の仕事は講演の壇上から語り,大きな群を指示することであると感ずるかもしれません。長年のあいだ社会の仕事を行い,男や女の多くの人を監督して来た女の人もいることでしよう。その人が新しい世の社会に来るとき,男の監督に服従するのは難しいと感ずるでしよう。そして自分の持つ能力は重んぜられて,例外が設けられ,他人を指示する仕事を続けることができると感ずるかもしれません。この世の仕事をする際,幾十人,幾百人の人々を上手に指示し得る人もいるでしよう。その人が,新しい世の社会に来るとき,自分よりも低い人の監督を受けるのは難しいと感ずるでしよう。そしてその監督をよろこんでうけません。人々は多くの事情の妨げをうけ,神の完全な制度内における正しい立場に立てません。

      神はつくられた割当を保つ

      25 人が違つたものを欲するからといつても,神は御自分の準備を変えませんが,そのことについて聖書の中にはどんな例がありますか?

      25 しかし,ヱホバは人間のために制度を変えません。神の制度に一致したいならば,私たちが変化しなければなりません。昔ひとりの将軍が,ヱホバの御準備の恵みを受けようと欲しました。その記録は,私たちの益のために書かれているものです。その将軍は,自分の持つ高い地位にもかかわらず,特別の準備がなされないため非常に怒りました。その将軍は,スリアの軍隊の長ナアマンでした。『スリア王の軍勢の長ナアマンはその主君のまえにありて,大なる者にしてまた貴き者なり。是はヱホバ曾て彼をもてスリアに救をほどこしたまいしが故なり。彼は大勇士なりしが,癩病をわづらい居る。昔にスリア人隊を組ていでたりし時に,イスラエルの地より一人の小女を執えゆけり。彼ナアマンの妻に事えたりしが,その女主にむかいわが主サマリアに居る予言者の前にいまさば善らん者を。かれその癩病を癒すならんと言たり。』(列王紀略下 5:1-3)このことは間もなくスリア王の聞くところになり,王は懇篤な手紙をイスラエルの王に宛てて書き,予言者によりナアマンを癒させるように願いました。そして,銀10タラントと金6000および衣服10襲を送りました。取り極めがつくられ,ナアマンは例のごとく馬や車をしたがえ,予言者エリシヤの家の戸の前に立ちました。しかし,エリシヤは戸のところに来ようともせず,また格別騒ぎ立てることもしないで,ただ使を遣して,ヨルダン河に行き,その水で体を洗えと告げたとき,ナアマンは烈火のごとく激怒して去りました。そして自分の国の河の方がヨルダン河の水よりはるかに良いと言いました。聖書の記録は,次のようです。『エリシヤ使を之に遣して言う。汝ゆきて身をヨルダンに七たび洗え。さらば汝の肉本にかえりて,汝は清くなるべしと。ナアマン怒りて去りて言いけるは,我は彼かならず我もとにいで来りて立ち,その神ヱホバの名を呼びてその所の上に手を動かして癩病を癒すならんと思えり。ダマスコの河アバナとパルパルはイスラエルのすべての河水にまさるにあらずや。我これらに身を洗いて清まることを得ざらんやと。すなわち身をめぐらし怒りて去る。』(列王紀略下 5:10-12)ひとりの従者がナアマンに近づき,その気持を静めて言うのに,もしエリシヤが大きな事を為せと命じても,よろこんで行うべきであるのに,ましてこの小さな事をなぜ行わないのですかと述べました。ナアマンはエリシヤの述べた通りに従つたとき,その癩病は全く癒されました。

      26 今日どんな準備がありますか?

      26 変えねばならなかつたのは,神でなく,その権力を持つ軍人でした。ヱホバは一つの方法で物事を処理され,弱小な人間の利己主義のためにその方法を変えません。今日の人類に対するヱホバの御処置もそれと同じです。ヱホバは,贖の犠牲,『忠実にして慧き双隷』級を持つ神権制度,御自身の民に真理を次々に啓示すること,その他などのすばらしい備えをいたしました。このすべてのものは,謙遜で正直な人に希望を与えます。そして,その希望には,今日永遠の生命に導く霊的な癒しのたしかな根拠が伴つているのです。(マタイ 24:45-47,新世)自分は他の者と違つているとか,あるいは勝つていると考える人に対してヱホバは特別な御準備を設けません。また,特定の人を選んで,特別の啓示を与えるとか,御霊を余分に注ぐこともいたしません。ヱホバは制度の方法で一つの群として民を取り扱われます。そして,群がお互いにどのように働くかについては,御自分の御言葉聖書の中で十分多くの助言を与えております。今日制度が進歩して,霊的に繁栄していることは,このことの真実であることを明白に証明するものです。今日幾十万という人々は,このことを悟つて,ヱホバのつくられる御準備をうけ入れています。そして幾世紀も昔からヱホバを知つた人々が御国とその祝福を待ち望んだと同じく,御国の将来の祝福を待ち望んでいます。

      27 神のすべての僕は,どんな一つの事を待ち望みましたか? この結果,すべての僕たちはどんな道を歩みますか?

      27 正義のアベルはそれを待ち望みました。エノク,ノア,アブラハム,イサク,ヤコブ,ヨセフ,モーセ,ギデオン,バラク,サムソン,エフタ,ダビデ,サムエル,そして予言者たちもそれを待ち望みました。(ヘブル 11:1-40)イエスは,それを祈つて求めよと教えました。(マタイ 6:9,10,33)イエスの使徒や弟子たちはそれを信じて待ち望みました。同じく,今日の多くの人々はそれを信じ,待ち望みます。ヱホバは忠実な人を決して失意させません。ヱホバは,正義の御国で宇宙を支配させるという大きな御目的を変えられず,むしろ幾千年に亘つて,その詳細の取り極めのため常に働いて来られました。それで,人は神を崇拝して,何を待ち望むべきかを知り,しかも失意落胆して希望を変える必要はありません。神の御言葉は「わが足の燈火わが路のひかりなり。」(詩 119:105)彼らはヱホバの指示する道に歩いており,自分の足が堅い平坦な場所に立つていると知ります。

      28 ヱホバに依り頼まぬ人は,どんな道を歩かねばなりませんか?

      28 これと対照して,ヱホバの助言を求めず,この古い世の組織制度の偉人に依存する人々は,絶えず失望を感じ,その希望は失意に変りました。計画や,同意や,王たちは,次から次に真実の満足をもたらすのに失敗し,そして解決不可能に見える多くの災害や問題をいつも残しています。彼らの足は,陥穴の充ちている凸凹の道を歩んでおり,目標をはつきりと見ることができません。

      29 ヱホバの会衆内の立場について,何を言うことができますか?

      29 それで,人間にとつて最善のものとは,この古い世の目から見て偉大なものとか人気のあるものではなく,最善のものはヱホバのつくられる取り極めです。ヱホバの民の会衆内の立場は,たとえ低いものに見えようと,それは真実の安全を保証し,価値のある立場です。それは,クリスチャンが求め,かつ得て,それから保たねばならぬ立場です。もしも,次の詩篇を書いた人と同じ心を持つクリスチャンならば,それを行います。『ヱホバよ我なんじのまします家となんじが栄光のとどまる処とをいつくしむ。願くはわがたましいを罪人とともに,わが生命を血をながす者とともに取収めたもうなかれ。かかる人の手にはあしきくわだてあり,その右の手は賄賂にてみつ。されどわれはわが完全によりてあゆまん。願くはわれをあがない,我をあわれみ給え。わがあしは,平坦なる所にたつ,われもろもろの会の中にてヱホバを讃めまつらん。』― 詩 26:8-12。

  • リビヤで,
    ものみの塔 1955 | 8月1日
    • リビヤで,

      牧師たちが良いたよりの伝道に反対することは,なにも新しいことではありません。トリポリでは,ユダヤ教とカトリックの牧師は伝道に反対し,ヱホバの証者の配布する文書を読んではならないと教会員に命じています。カトリックの牧師は家から家に行き始めました。といつても,良いたよりを伝道するためではなく,家から家になされるヱホバの証者の活動効果を無くすためです。ひとりの牧師は,説教壇から傭いの聴衆者にむかい。こうふんのあまり,こう叫びました。『この市で聖書研究している人は,約700人いる。この罠に落ちないように注意を払われよ。』トリポリにいるヱホバの僕の示す熱心のため,実際数よりも2倍以上の数があるものと見ています。(1955年度のヱホバの牧師は,証者の年鑑より)

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