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あなたのお子さんは車の免許を取る用意がありますか目ざめよ! 1974 | 6月22日
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親の責任
それは親自身が判断しなければならない問題です。若年者の車の運転を禁ずる法律を作ることが最善の答えであると考え,そのことを唱道する人が多くいます。しかし,他の人は,若者たちに公正な,さらに良い答えがあると信じています。運転年齢を上げても運転経験の少ない初心者の数を減らすことにはならない,というのがその主張です。そして,運転を習いはじめる年齢がどうかということより,こうした経験の不足のほうが自動車事故の大きな原因である,と考えています。
このようなわけで,まだ年若い子どもに運転の練習を許すかたが多くいることでしょう。しかしながら,学校での自動車運転教習課程を受けさせただけで親の務めを果たしたと考えるべきではありません。一般に言ってこれはそれほど十分なものではありません。事実,ミシシッピ州とカリフォルニア州での調査結果によると,学校で訓練を受けた十代の運転者のほうが,他の十代の運転者よりも事故率が高くなっています。学校でなされる場合はなぜうまくいっていないのでしょうか。
基本的に言うと,それは若い運転者に実地の経験を与えないからであるとみなされています。実際の運転にはわずかの時間しか当てられず,しかもそれが交通量の少ない道路で低速度でなされるだけです。そうした状況では,緊急な事態にほとんどぶつかりません。大きな自動車保険会社の代弁者はこう説明します。「若年の運転者は,パンクや横すべりなど,さまざまな非常事態に対応する備えが欠けている。若い運転者が何か非常な事態に直面すると,それにまともにぶつかって,それが最後となってしまう場合があまりに多い」。
そのために,1933年に,高等学校における最初の運転教習課程を創設したアモス・E・ネイハート博士はこう述べています。「すべての生徒が少なくとも12時間は実地にハンドルを握るべきである。生徒は,横すべり・ブレーキの故障・タイヤのパンク・落輪などを,模擬的にせよ経験しておくべきである。われわれは操作上の技術は教えてきたが,事故を防止する技術はあまり教えてこなかった」。
それで,親は,自分の子どもが十分な運転経験を重ねていることを確かめるべきです。いっしょに乗って練習させることもできます。高速道路でのスピードに実際に慣れさせることもできます。また,横すべりの場合の対応のしかたを教えることも賢明でしょう。致命的な交通事故四件に一件は,これが主要な原因であると推定されています。広くて,他の車がなく,氷の張った駐車場を見つけ,そこで横すべりや逆ハンドルの場合の練習をさせてもらうことができるかもしれません。横すべりの場合の対応のしかたについてどれほど書物を読んでも,それを実際に経験することには及びません。
しかし,子どもが巧みに車を操り,非常な事態にも対応できるようになったとしても,それだけで親の務めが終わるわけでもありません。正しい精神態度を教え諭すことも,これ以上ではないまでも,これに劣らず大切です。
冷静で円熟した態度を教え込む
あなたのお子さんはまだ十代であるかもしれません。しかし,車のハンドルを握る場合には,人の生命と資産を正しく評価する堅実な人となっていることがどうしても必要です。お子さんがそのように行動していることを見届けることはあなたの責任です。お子さんのうちに,礼儀と,法に対する敬意と,慎重さと,他の人の権利を顧慮する態度とを育ててください。
それをするための大切な方法は,車を運転するさいに親自身が良い手本を示すことです。著名な精神分析学者であるブルノ・ベテルハイム博士はその点を強調して次のように述べます。「親は交通法規を時おり破るだけであるかもしれないが,子どもはそれだけで,常にすべての法規を守らなければならないという意識を失うことになりかねない。親が時おりスピード違反をし,もどかしがって停止信号をくぐり抜けたりすると,若者は,“おとな”になるとは,法律を破っても捕まらないようになることだと思い込むようになる」。
交通の状態を常に分析し,よく考えながら運転することも教えなければなりません。ある親はこのことを一種のゲームのようにしており,それについてこう説明しています。
「わたしの息子は……前の座席でわたしの横に座り,前方を見て,起こりうる危険を見つけ出すようにします。例えば,前方に駐車した車が並び,運転席に人の見える車もあります。その運転者が急に車を発進させ,あるいは車道側のとびらを開けるかもしれません。自分のほうはどうすべきでしょうか。自分からは見えない自動車道があって,そこから急に車が出て来ることもあります。こうした突発事態にどう備えたらよいでしょうか。前方には見通しのきかないカーブもあります。どのように進んで行くべきでしょうか」。
若い人たちは反射能力が鋭く,最後の瞬間に事故を防ぐような行動が取れる,と考える人もいます。しかし,実際には,隣りの人より一秒の何分の一か速くブレーキに足をかけられることより,そうした行動をしなくてもすむように慎重に運転することのほうが,事故防止のためにずっと大切です。
若い人たちに安全運転の大切さを銘記させる別の方法は,交通法規の違反者にどのようなことが起こりうるかをじかに見聞きさせることです。土地の取締り当局と連絡を取れば,話を聞くためにそこを訪ねることを喜んで許してくれるでしょう。そして,十代の青少年に特に教訓となり印象となる幾つかの例についてわかるようにしてくれるかもしれません。
同じく効果的なのは,少年に病院の救急病棟を訪ねさせ,運び込まれて来る交通事故の例を実際に見せることです。これは永続的な印象を与え,安全運転の大切さを強く銘記させます。問い合わせて理由を説明するなら,そうした救急病棟を訪ねることを許可してくれるでしょう。
お子さんが車を使用する場合,親としてそれをどのように監督するかは,お子さんの将来を大きく左右する問題となります。これは決して誇張ではありません。車の運転に伴う危険に対して親は目をつぶることができません。それは現実のものです。若いかたが車を運転するようになる場合,安全な運転をできるよう,親としてできるかぎりのことをしてください。お子さんの命,そして他の人の命がそれにかかっているのです。
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高速道路での幻覚目ざめよ! 1974 | 6月22日
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高速道路での幻覚
明らかに,運転者の疲労から来る幻覚が夜間の不可解な交通事故を数多く引き起こしている,と専門家たちは報告している。運転者の疲労がどんな作用をするかを例示するものとして,サンフランシスコのある外科医の場合を挙げることができる。その外科医は明け方の5時まで続いた手術をすませた後,郊外にある自宅に向かって車を運転していた。すると突然,医師の目の前に巨大なビルが出現した。車は鋭い音を立てて止まった。ビルの玄関すれすれのところでなんとか止まった,と彼は感じた。しかし車から降りてみると,ビルなどはどこにもなく,人けのない高速道路がただ続いているだけであった。
「もちろんすぐに,自分が高速道路催眠にかかっていたことに気づいた」と,同医師は後に語った。また次のようにも語った。「長時間運転していたこと,遅い時刻であったこと,疲れていたことなどが,幻影を引き起こす下地となっていた。睡眠に対する渇望が幻覚を見させたのである。実際には存在しないビルを避けようとして,自分の命を失うか,あるいは他の車に乗っている人を殺してしまうところだった」。
高速道路でのこうした幻覚の危険を考えて,専門家の中には,単調な直線コースのところに,「危険: 疲労時にはこの付近で幻覚が生じる」と書いた,運転者に対する警告を掲げることを提案した人もいる。
しかし,疲労した運転者が幻覚を見ることがあるのはなぜだろうか。ハーバード大学公衆衛生学部ではその可能性について次のような説明を行なった。「極度に疲労した運転者は車を止めて休むことを潜在的に欲している。しかし,意識下の思いは何かの理由で引き続き運転させようとする。車を止めようとして働く本人の想像作用が,実際にはありもしない家やビル,風車や壁や動物などの障害物を作り出す。……ほんとうに疲れている時には,運転手は幻覚を見る可能性が十分にある。それは,今のうちになんとか運転をやめさせようとして内面の思いが取る手段である」。
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