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  • アラスカにおける最も望ましい宝の探査
    ものみの塔 1982 | 9月1日
    • この監督は,アラスカの至る所で少なくとも11の王国会館の建築または改装および他の神権的な建築計画に携わりました。今日では,アラスカ地方には14の近代的な王国会館があります。また,一部の全時間奉仕者のための宿舎が一つと,アラスカにおける会衆と伝道活動を監督するための支部事務所があります。

      孤立の問題を克服する

      エホバの民の会衆から14年間孤立していたとしたら,あなたはどうしますか。妻であり母親であったあるクリスチャンの場合がそうでした。その人は1954年に,ご主人と一緒に,周囲から孤立している,水上の木材伐採搬出場に行きました。それはアドミラルティー島の南端の内海航路にありました。この忠実な証人とその人の3人の若い娘は,その間ずっと,会衆で普通に行なわれるクリスチャンのすべての集会を行なってきたのです。その人たちは,手紙を出したり,時折自分たちの“水に浮かぶ”家を訪ねて来る人々に証言を行なったりして,“探査”を続けました。アラスカ全土の辺ぴな町々に住む大勢の人々が,これらの献身した神の僕たちから手紙を受け取りました。そして幾人かが,神の言葉の宝を自分のものにするためにそれらの手紙に反応を示しました。

      現在母親はアラスカ最南端の町ケチカンに住んでおり,過去12年間,全時間の伝道奉仕を楽しんできました。3人の娘は,母親に倣って忠実の道を歩んでいます。一人はアンカレッジに住む長老と結婚していますし,末娘はドイツのベテル家族の一員として奉仕しています。

      人里離れた北部での伝道

      区域内の辺ぴな所にあるすべての村で宣べ伝える業を行なうことを決意した,フェアバンクスと北極地域の三つの会衆は,エホバの証人が所有する飛行機4機を利用することにしました。それらの会衆は2年間に,それらの飛行機がアラスカ山脈の北側の広大な地域を飛び回るのに必要な費用を賄うため,1万4,000㌦(約322万円)を超える寄付を行ないました。区域内の各村に行くのにその都度14人もの人が参加し,伝道した地域はおよそ84万4,340平方㌔に及びました。短い夏ですが,二夏の間に200以上の村と町が伝道されました。

      西海岸では,ほとんどのエスキモーがエホバの証人を歓迎し,王国の音信を熱心に聞きました。シャクトゥーリックという村では,エスキモーの老夫婦が,「新しい体制」についての聖書の約束を聞いて,目に涙をためながら,「その新しい体制に私たちも入れてくださるよう,どうぞエホバにお祈りしてください」と懇願するように言いました。

      探査の結果

      アラスカの広大な地域をしらみつぶしに踏査した金探鉱者の数,あるいはシャベルで掘り返された土の量,砂金を採るために使われた水の量などが分かるでしょうか。それは分かりません。物質の富を得るために注ぎ込まれた努力は想像するほかはありません。しかもそれを発見した人は驚くほどわずかなのです。同様に,「良いたより」の

  • 70年にわたる忠実な奉仕
    ものみの塔 1982 | 9月1日
    • 70年にわたる忠実な奉仕

      特にアフリカで,何千人ものエホバの証人に知られていたジョージ・R・フィリップスは,最近,地上におけるクリスチャンの奉仕を終えました。フィリップスは1898年にスコットランドで生まれ,1912年にバプテスマを受け,それから2年後に全時間奉仕を始めました。第一次世界大戦の時には,クリスチャンとして中立の立場を保ったために投獄されました。フィリップス兄弟がアフリカに派遣されたのは1924年のことで,喜望峰からケニアまでが同地におけるフィリップス兄弟の奉仕地域となりました。同兄弟は長年にわたり,ものみの塔協会南アフリカ支部の監督を勤めました。70年余にわたって神への奉仕を行なったフィリップス兄弟は,1982年3月24日に84歳で亡くなりました。

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