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『これらのことを保ち続けなさい』ものみの塔 1959 | 3月1日
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を求めませんでした。私たちは,敬虔と共に食物,衣服,そして住居に満足すべきです。それですから,食べ過ぎ,飲み過ぎ,そして生活の心配に没頭し過ぎてはなりません。なぜですか。もしこれらのものが生活上の重要な事柄,つまり富める者の生活の場合のごとく生活の主要な理由になるなら,キリスト・イエスの足跡を歩いて,彼に従う時間というものがなくなるからです。私たちの興味を持つているものが食べることや,飲むこと,そして生活の心づかいであるなら,そしてそれらのものを多く得る為に商売のことだけに専念没頭するなら,私たちはキリスト・イエスの兵士になり得ません。両者を一緒にして行くことはできません。
終りの時の期間中に目ざめている
17 現在のこの悪い世と共に滅びるのを避けるため,各人には何が要求されていますか。
17 イエスは,ルカ伝 21章の中でこの終りの日における生活を述べています。そして全き終りは突然に起るため,その日は罠のごとく私たちの上に速かに臨むと言つています。それから,何が生じますか。それは地の表面に住むすべての者の上に来ると,イエスは言いました。彼は例外を設けていません。使徒たち,そして勿論今日のクリスチャン達に対する彼の強いさとしの言葉は,次のようでした,『これらの起ろうとしているすべての事からのがれて,人の子の前に立つことができるように,絶えず目をさまして祈つていなさい。』たしかに,全能の神の大いなる日の戦いの際に,刑を受けずに済むのがれの道はあります。そののがれの道は,目をさましてクリスチャンとして生活し,神の前に祈りを捧げることです。そうするならば,悪魔の組織制度に一時に降りかかつて来るあらゆる困難や,災害からのがれることに成功するでしよう。それらは,政治制度,宗教制度,そして商業制度で成り立つ悪魔の組織制度を全く一掃し,この世界を支配する悪鬼共や,悪魔そのものをも底無い坑に投げ入れるでしよう。神の霊的な宮でクリスチャンとして警戒し,その場所で目ざめていることは,つまり人の子の前で是認を受けた立場を保つという意味です。彼は,現在の悪い世を滅ぼすハルマゲドンの戦いの際にあなた方を生き残らせ,神の正義の新しい世に入れられるでしよう。
18 なぜノアの日に世は滅びましたか。終りの時に住む人々の為にノアとその家族は,どんなすばらしい模範を残しましたか。
18 これは,世界の滅びる最初ではありません。それは以前のノアの時代にも起りました,『神が寛容をもつて待つておられ……その箱舟に乗り込み,水を経て救われたのは,わずかに八名だけであつた。』(ペテロ前 3:20,新口)ヱホバは,ノアの時代に住んでいた人々を滅ぼす正当な理由を持つていました。彼らは神にすこしの注意をも払わず,またその時の世の終りについてノアに伝道せしめた神の音信にも注意を払わなかつたのです。しかし,彼らは食べたり飲んだりして楽しく時を過し,御馳走を食べ,自分自身のことや生活の心配だけを考えていました。彼らは食べ過ぎや暴飲に没頭し切つていました。ハルマゲドンの戦い以前の私たちの時代は,ノアの時代のときと良く類似しているであろうと,イエスは私たちに告げています,『人の子の現れるのも,ちようどノアの時のようであろう。すなわち,洪水の出る前,ノアが箱舟にはいる日まで,人々は食い,飲み,めとり,とつぎなどしていた。そして洪水が襲つてきて,いつさいのものをさらつて行くまで,彼らは気がつかなかつた。人の子の現れるのも,そのようであろう。』(マタイ 24:37-39,新口)この洪水は,ノア時代の地の表面に住むすべての者の上に臨みました。同様なことは,ハルマゲドンの戦いのときにも生ずるでしよう。クリスチャンは眠つていることができません。「目ざめていて,その上衣を保つ者は幸福である」とイエスは言われました。ノアは,箱舟の建造ということに関しては眠つていませんでした。彼はその建造に忙しく働きました。それに加えて,彼は伝道しつづけました。ノアといつしよにいた3人の息子とその妻たち,およびノア自身の妻はみなノアと共に忙しく働きました。そして,洪水が来たときには彼らは用意が整つていて目をさましており,すべての動物と共に箱舟の中にいて,その時の世に生き残り清められた地に入ることができたのです。ノアと彼の家族は目を覚まして,働きをなし,そして雨が降つて来たときには用意が整つていました。目を覚ましていることは,報償のあることです! あなたは神の宣教の上衣を失いません。
19 第1世紀のクリスチャンたちは,エルサレムについてどんな警告を受けましたか。それで,彼らは,自分の目ざめている状態を示すどんな行いをいたしましたか。
19 もしノアが自分の世話に委ねられた事柄を保たなかつたなら,彼は自分自身を救うこともできなかつたでしようし,自分の愛する他の者たちをも救わなかつたでしよう。現在為し得るただ一つの賢明な事柄は,目を覚ましつづけ,私たちに与えられる責任を良く果すということです。丁度,エルサレムの滅びる直前,初期クリスチャンたちの為したごとくすることです。(西暦)70年にエルサレムの滅びた時よりも幾年も昔に,クリスチャンたちはイエスの与えた予言の言葉により,そのことの警告を受けていました。『エルサレムが軍隊に包囲されるのを見たならば,そのときは,その滅亡が近づいたとさとりなさい。そのとき,ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。市中にいる者は,そこから出て行くがよい。また,いなかにいる者は市内に入つてはいけない。それは,聖書に記されたすべての事が実現する刑罰の日であるからだ。』(ルカ 21:22,新口)五旬節<ペンテコスト>の日から間もなくして,多くの人々は真理の知識を得てヱホバの奉仕に献身し,そして洗礼を受けました。実際のところ,1日の中に3000人は洗礼を受けました。エルサレム内にはたくさんの集会所があつたにちがいありません。神の民はその場所に集まつて互いに神の言葉を研究し,伝道活動を準備しました。しかし,彼らが聖書を研究している時でも,彼らはいつも見張りをなし,エルサレムの滅びについてキリスト・イエスの予言した危険な状態について目を覚ましていました。それですから,66年にローマの軍隊がエルサレムを囲んだとき,滅びは間近いものと彼らは知つたにちがいありません。これらの軍隊がちよつとの間撤退したとき,エルサレムにいたクリスチャンはみな都の門から出て山の方に逃げ,ユダヤの山を越えてヨルダンの谷を下り,河を渡つて安全な山々であるギレアデに行きました。警告を受けるときに,なぜ滅びの起る場所にとどまるのですか。目を覚まして義務につかねばならぬこの危急の時に,なぜ眠つているのですか。それらの初期のクリスチャンたちは,自分たちの責任に目ざめていました。彼らはエルサレムの滅亡後でも,御国の良いたよりを伝道しつづけ得る為に,自分たちの生命を保ちつづけようと欲しました。彼らは生命を保つたのです。
20 霊的に目ざめていることを示すどんな事柄は,今日のヱホバの証者について真実であると言えますか。
20 今日,キリスト教国は上衣を着ていないため,真のクリスチャンには裸の状態をあらわに示しています。これは,奉仕というクリスチャンの特権に眠りこんでしまつたからです。しかし,ヱホバの証者は全世界にわたつて神の御国を伝道しつづけ,神の御心に注意を払いつづけます。ヱホバの聖所内に来て崇拝を捧げる者たちが清い者であるよう彼らは注意を払います。丁度,夜番に当つた見張りがヱホバの宮を保護して,汚れたものを一切内に入れず,宮を汚すとか,宮のものを盗ませなかつたことと同じです。この終りの日でも,御国の事柄は『忠実にして慧い奴隷』級に委ねられており,そして今では,あらゆる国民,種族,言語から『他の羊』の『大いなる群衆』が来て彼らに加わつています。これらの者たちも,地の極にまで伝道することにより御国の事柄を守るという特権を持つています。現在70万人以上を越えるこれらの御国奉仕者の大いなる群れは,食べ過ぎとか飲み過ぎとか,またはこの生活の煩い事で心がにぶくなつていません。彼らは次のことに目ざめています。すなわちキリスト・イエスはハルマゲドンの時に盗人のごとく突然,急に来るということ,そしてこの滅びが地に来るとき,それは地の表面に住むすべての者に影響を及ぼすということです。それで,彼らは目を覚まし,人の子の前に立場を保ちます。そして,御国の事柄を守り,宣教の衣服を着用し,自分たちの責任に対して認識を持つていると示します。これらの衣服を持つことにより,彼らはヱホバ神の恵みを受けており,そして聖所内でヱホバの聖なる奉仕をしていると証明します。
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誰が実際に救われるか?ものみの塔 1959 | 3月1日
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誰が実際に救われるか?
1 『世の光』は誰であると聖書は示していますか。この光は,人類の裁きにどのような影響を及ぼしますか。
正しいことを行い,真理を求める人は,光に来ます。洗礼者のヨハネは,『世の光に』なつた人にユダヤ人を紹介しました。洗礼者のヨハネは,『証の為に来た。
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