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    ものみの塔 1976 | 10月15日
    • です。この方法で多くの人は幾年にもわたり,全時間「開拓」奉仕の喜びを味わっています。わたしたちはだれでも,自分に何ができるかを調べてみることができます。―エフェソス 5:15,16。

      15 もしある特定の日に終わりが来ると考えて自分の生活を調整した人がいるなら,その人は今どうすべきですか。

      15 しかし,ある特定の日に照準を合わせて,自分や自分の家族に本当に必要な事柄など,わたしたちがクリスチャンとして普通に注意を払うような日常の事柄を怠るのは賢明ではありません。その「日」が来ても,クリスチャンは常に自分の責任をすべて果たさねばならない,という原則は変わらないことを,わたしたちは忘れかけているかもしれません。こういう考え方をしていなかったために失望している人がいるなら,その人は,自分の期待に背いて,あるいは自分を欺いて自分を落胆させたのが神の言葉ではなく,自分自身の理解が間違った根拠に基づいていたためであることを悟り,自分の見方を今調整することに注意を注がねばなりません。

      16 もしあなたが全く誠実な気持ちである特定の日を非常に重要視していたなら,どんな慰めを見いだせますか。

      16 一方,あなたはある日を非常に重要視し,感心にも時の緊急性と人々の聞く必要とに一層深い注意を払ってきた人であるとしましょう。そして今,一時的に,多少失望を感じているとしましょう。あなたは本当に敗者でしょうか。あなたは本当に傷ついているでしょうか。あなたは,そのように良心的に行動することにより得をし,益を得た,と言えるとわたしたちは思います。またあなたは,本当に円熟した,より穏当な見方ができるようにされました。―エフェソス 5:1-17。

      17 イエスが裁くために「来る」正確な日を,わたしたちは前もって知らされないということは,どうして分かりますか。

      17 終わりは全く不意に世界の上に臨む,と聖書は繰り返し告げています。使徒はこのことについて次のように述べています。「[裁きが行なわれる]エホバの日がまさに夜の盗人のように来ることを,あなたがた自身がよく知っているからです」。(テサロニケ第一 5:2)イエスは,真のクリスチャンたちが,『盗人が襲われるように』襲われることのないよう,当時の弟子たちにまで,そしてまた今日のわたしたちにこう言われました。「それゆえ,ずっと見張っていなさい。あなたがたは,自分たちの主がどの日に来るかを知らないからです」。そしてそのあと,「あなたがたも用意のできていることを示しなさい。あなたがたの思わぬ時刻に人の子は来るからです」と言われました。(マタイ 24:42-44)イエスのこうした明確な陳述は次のことを暗示しています。すなわち,キリストが裁きのために「来る」時は,それが実際に生ずる時まで,神のしもべたちに知らされることは決してないということです。実際,その時は,彼らにとって『考えられない』ように思えるときに臨むでしょう。―ルカ 12:39,40。

      諸国民が多くの危機を“生き残っても”,それに欺かれてはならない

      18 「大患難」が始まる前に,あらゆる場所のすべての国民が今にも餓死しそうな状態になると考えるべきではありませんが,なぜですか。

      18 しかし,イエスが実際にどんなことについて警告されたかに注目してください。イエスの言葉は,「大患難」が近づくにつれ,あらゆる場所のあらゆる人々が飢餓状態に陥るような世界情勢が出現することを示してはいません。そうでなければ,どうしてイエスの弟子たちがその時に『食べ過ぎや飲み過ぎに押しひしがれる』危険があるでしょうか。またイエスが,大洪水前のノアの日の状態と,ソドムおよびゴモラの滅びる前のロトの日を例として用いておられることも忘れないようにしましょう。当時,人々の生活の仕方が普通の状態に見えたことを,イエスは示しておられます。彼らは,破滅が突如彼らを襲うその日まで,『飲んだり,食べたり,めとったり,嫁いだり,買ったり,売ったり,植えたり,建てたり』していました。―ルカ 17:26-30。

      19 諸国民は,間に合わせ的なことをして事を運ぶことができるかもしれませんが,わたしたちは何を念頭に置いていますか。

      19 ですからわたしたちは,「大患難」の必然的前兆として世界の諸体制が今にも停止しそうになる,あるいは事実上崩壊状態に達するのを予期してはいません。また,それらの体制が深刻な危機から明らかに立ち直るように見え,その明らかな回復の影響で神の裁きの日の到来が先に延びるかのように思えても,わたしたちは欺かれません。この体制が無限に続くものであるかのように,この世と共に“再建”に着手するようなことはしません。テサロニケ第一 5章3節の,霊感による使徒パウロの言葉によると,この世の人々は,「突然の滅びが,妊娠している女に苦しみの劇痛が臨むように,彼らに突如として臨み」,逃れる可能性が全く断たれてしまう直前に実際に,「平和だ,安全だ」と言います。

      20,21 (イ)洪水前にもそうであったように,わたしたちは食べたり,飲んだり,建てたりなどしますが,その際にどんなことを避けねばなりませんか。(ロ)テサロニケ第一 5章4-6節の使徒パウロの言葉は,迫っているかの「日」の危険を逃れることについて,どのように警告していますか。(ハ)パウロは,目ざめていることの意味を,ローマ 13章11-14節でどのように示していますか。

      20 食べたり,飲んだりすることも,めとったり,家族を育てたり,買ったり,売ったり,植えたり,建てたりするのは別に悪いことではありません。悪いのは,ノアやロトの日の人々がしたようにすることです。すなわち,そうした事柄に没頭するあまり神の目的と神の義の規準を見失い,生活の中で肉の事柄を第一にすることです。そうすることは霊的に眠りに落ち入ることです。その道とは反対に,使徒パウロはこう述べています。「しかし,兄弟たち,あなたがたはやみにいるのではありませんから,盗人たちに対するように,その日が不意にあなたがたを襲うことはありません。あなたがたはみな光の子であり,昼の子なのです。わたしたちは夜にもやみにも属していません。ですからわたしたちは,ほかの人びとのように眠ったままでいないようにしましょう。むしろ目ざめており,冷静さを保ちましょう」― テサロニケ第一 5:4-6。

      21 目ざめている,そしてやみの子ではなくて光の子であることを証明する,とはどういうことかを示して,パウロはローマ 13章11-14節で次のように述べています。「あなたがたは時節を,すなわち今がすでに眠りから覚めるべき時であることを知っている……今や,わたしたちの救いは,わたしたちが信者になった時よりも近づいているのです。夜はずっとふけ,昼が近づきました。それゆえ,やみに属する業を捨て去り,光の武具を着けましょう。浮かれ騒ぎや酔酒,不義の関係や不品行,また闘争やねたみのうちを歩むのではなく,昼間のように正しく歩みましょう。そして,主イエス・キリストを身に着けなさい。肉の欲望のために前もって計画するようであってはなりません」。

      22 わたしたちはその「日」の来る時を知らないからといって気をゆるめてよいでしょうか。

      22 ですから,「大患難」がいつぼっ発するかも,神の子の千年統治がいつ始まるかも知らないからといって,そのために今日警戒している必要が少なくなるわけではありません。目ざめ,用心し,用意している必要は非常に増大します。もし正確な時を知っていたなら,わたしたちは気をゆるめ,その時が近くなったころに用意を始めればいい,という気になるかもしれません。しかし知らないなら,いつも用意していなければなりません。神の言葉である聖書の全趣旨,そして特に神のみ子の助言の趣意はそこにあります。

      23 その「日」を待つ間何をすることに努めるよう,パウロは勧めていますか。

      23 したがって使徒の次の助言は,わたしたちにぴったり当てはまります。「それゆえ,互いに慰め,互いに築き上げることを,あなたがたが現に行なっているとおりに続けてゆきなさい」。(テサロニケ第一 5:11)わたしたちは,「起きることが定まっているこれらのすべてのことを逃れ」させる道を歩むよう,兄弟たちだけでなく,会衆外の人々をも,あらゆる機会を利用して助けます。(ルカ 21:36)親であるなら,子供たちが親と共に目ざめていてよく見張っているように,霊的事柄の価値を認めまた用心深い点で優れた模範を彼らに示すことに努めます。

      いよいよ固い確信を抱いて前進する

      24 終わりの近いことについて言えば,年代に関する記述はわたしたちにとってどんな価値がありますか。

      24 聖書の中で年代が記述されているのは,良い目的があるからこそです。その年代計算の示すところによると,わたしたちは人類史の6,000年の終わりにいます。この邪悪な事物の体制の上に神の不利な裁きが臨む時を示していないとはいえ,この年代上の事実は,残されている時が非常に短いことを確信し得る,わたしたちがすでに有する他の数多くの理由に今一つの理由を加えることは確かです。神の言葉は生きていて強力であり,わたしたちを義の新秩序に導き入れるという,神の言葉に対する強い確信の一つの根拠として,それらの理由に一層の支持を与えます。

      25 わたしたちは確信できるしっかりした根拠を有しているので,どんな態度を取りますか。

      25 ですからわたしたちは,神のために,神のみ子のために,真理と義のために,そして命そのもののために常に目ざめていて,霊的に生きており活動していることを日ごとに示すようにしましょう。そうすればわたしたちは,起きることが定まっているこれらすべての事を首尾よく逃れることができるでしょう。真理の神であられるエホバ神は,わたしたちに厳粛な「ことば」を賜いました。「彼に信仰をおく者はだれも失望させられない」のです。(ローマ 10:11)どうかエホバとみ子があなたを豊かに祝福されますように。そしてあなたが今,また将来永久に,忠実な奉仕を続けられますように。

  • 『忠実で思慮深い奴隷とはだれですか』
    ものみの塔 1976 | 10月15日
    • 『忠実で思慮深い奴隷とはだれですか』

      ◆ イエス・キリストは,ご自分の死をわずか三日後に控えて,ご自分の死と復活の後,この世の邪悪な事物の体制の終結までに起こる事柄に関して,使徒たちに一つの預言を与えました。イエスの言葉は,この長い期間中,神の家の者に「時に応じて……食物を」与える,「忠実で思慮深い奴隷」がいることを明らかにしています。―マタイ 24:45。

      わたしたちは,この「奴隷」がだれであるかをどのようにして知ることができますか。それを知るには,神がご自分の古代の民イスラエルに語られた次の言葉を思い起こすことが必要です。「あなたがたはわが証人,わたしが選んだわがしもべである」。(イザヤ 43:10,口)それでここでは,一国民としてのイスラエルが神の「しもべ」,つまり『奴隷』と呼ばれています。

      しかし使徒パウロは,生来のイスラエルがその時にはもはや神の「しもべ」を構成していなかったことを指摘しています。それはなぜですか。その国民はキリストを拒絶し,ユダヤ人の残りの者だけがキリストに対する信仰を働かせたからです。パウロは次のように書きました。「外面のユダヤ人がユダヤ人ではなく,また,外面の肉の上での割礼が割礼でもないのです。内面のユダヤ人がユダヤ人なのであり,その人の割礼は霊による心の割礼で,書かれた法典によるものではありません」― ローマ 2:28,29。

      それゆえ,イエスの予告した『しもべ』,つまり「奴隷」は,地上にいる霊的イスラエルの成員であるに違いありません。それは一個人ではなく,一団の人々です。それで「奴隷」たちとは,地に対する千年統治の間天の王国でキリストと共に王として支配する,霊によって生み出された,イエス・キリストの共同相続者のことです。(啓示 5:9,10; 20:4-6)地上にいる間の彼らの務めは,神の家の者たちに霊的食物を与えること,とりわけ家の者たちがしばしば直面する問題に対処できるような霊的備えが彼らにあるかどうかを見届けることです。

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