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  • 預言に注意しなさい
    ものみの塔 1965 | 1月1日
    • エレミヤに言葉を与え,神の宮から契約の聖なる箱を永久に除いて,神の宮をシロの幕屋の如くにすると言われました。ユダはエホバの崇拝から余りにも離れ去っていたため,祭司も預言者も民もこの真の預言者を反逆者呼ばわりし,これをとらえて「あなたは死ななければならない」と言いました。しかしユダのつかさたちはエレミヤの弁明を聞いてのち,死刑にする理由が見当らないので,一時彼を釈放しました。―エレミヤ 26:1-24; 7:1-34。

      (イ)紀元前625年,世界的に重要などんな出来事が起きましたか。(ロ)その年にエレミヤはネブカデザルに関連のあるどんな預言をしましたか。

      紀元前625年,ネブカデネザルは第三世界強国バビロンの王となりました。その年ネブカデネザルは,エジプト王パロ・ネコをユフラテ河畔のカルケミシに敗っています。(エレミヤ 46:1,2)エホバのことばと預言者をあなどったエルサレムとユダの地の70年にわたる荒廃を,エレミヤが霊感の下に預言したのはこの年です。エレミヤは次のように警告しました。「この故に万軍のエホバかく云たまふ汝ら我言を聴ざれば 視よ我北のすべての族と我僕なるバビロンの王ネブカデネザルを招きよせ此地とその民とそのまわりの諸国を攻滅さしめて……この地はみなあれちとなりおどろくべき物とならん又その諸国は七十年の間バビロンの王につかふべし」。(エレミヤ 25:1-11,文語)二つの都の間に存在した長年の敵意は,遂に戦火を交えるばかりになっていました。その事はこの連載記事の次回にとりあげます。

      エレミヤの預言の中で,ネブカデネザルは何にたとえられていますか。

      預言の中でネブカデネザル王は,エホバの怒りの杯にたとえられています。エレミヤは告げました,「イスラエルの神エホバかく我に云たまへり我手より比怒の杯をうけて我汝に遣すところの国々の民に飲しめよ 彼らは飲てよろめき狂はんこは我かれらの中に〔ネブカデネザルの〕剣をつかはすによりてなり」― エレミヤ 25:15,16,文語。

      諸国民はエホバの怒りの杯を飲む

      エレミヤはどのように「国々の民に飲ませ」ましたか。どんな国々が杯を受けることになっていましたか。

      この預言をしたエレミヤは象徴的な意味でこの杯を諸国民に渡し,預言の音信を飲ませました。それは諸国民がこの音信の成就を飲みほす前です。「是においてわれエホバの手より杯をうけエホバの我を遣し給ふところの国々の民に飲しめたり 即ちエルサレムとユダのすべての邑とその王等およびその牧伯等に飲せて之をほろぼし,おどろくべき物となし人のわらひとなり詛るる者となせり今日のごとし」。神の怒りの杯を飲むものとしてエルサレムを第一にあげた後,エレミヤはつづいてエジプト,ウズ,ペリシテ,エドム,モアブ,アンモン,ツロ,シドン,デダン,テマ,ブス,アラビヤ,ジムリ,エラム,メデアの国々をあげています。たしかに「凡て地の面にある世の国々」と述べたのも,過言ではありません。―エレミヤ 25:17-26,文語。

      (イ)エレミヤのことばにあるセシャクが,実際にはバビロンを指すと考えられる三つの理由をあげなさい。(ロ)エレミヤ記 25章26節はバビロンにとって何を意味しますか。

      エレミヤは,エホバの手から受けた杯を国々に飲ませると述べた言葉を次のように結んでいます。「セシャク王はこれらの後に飲べし」。(エレミヤ 25:26,文語)ユダヤ人の言伝えによれば,このセシャクという名はヘブライ語の名称バベル(すなわちバビロン)の隠語であり,ヘブライ語のアルファベットの最後の文字(タウ)をアルファベットの最初の文字(アレフ)と入れかえ,最後から2番目の文字(シン)をアルファベットの2番目の文字(ベテ)と入れかえ,終わりから3番目の文字(レシ)をはじめから3番目の文字(ギメル)と入れかえるという方法c で作った隠語であるとされています。そのうえセシャクの名には屈辱の意味も含まれ,それもバビロンにぴったりした名前です。一説によると,セシャクは「銅の門のある」という意味で,これもバビロンにあてはまります。従ってこの預言は,バビロン王がエホバのみ手にある象徴的な杯でなくなる時がくること,また象徴的なぶどう酒の杯が別の王の形をとって現われ,バビロン王自身につきつけられることを意味しています。その場合に次のことが言えます。「セシャクいかにして取れしや全地の人のほむる者いかにして執へられしや国々の中にバビロンいかにしておどろきとなりしや」― エレミヤ 51:41,文語。

      エレミヤは,エホバの怒りがバビロンにもそそがれることを,どのように明白にしていますか。その事は何時起きますか。

      それで神は滅びをもたらす器としてバビロンを用います。しかし神のみ名のおかれた町エルサレムを憎んで終始これに敵対したバビロンに対しても,エホバは荒廃を預言されました。「〔エルサレムとユダの地の上に〕七十年の終った後に,わたしはバビロンの王と,その民と,カルデヤびとの地を,その罪のために罰し,永遠の荒れ地とする。わたしはあの地について,わたしが語ったすべての言葉をその上に臨ませる。これはエレミヤが,万国のことについて預言したものであって,みなこの書にしるされている。多くの国々と偉大な王たちとは,彼ら〔エホバの民〕をさえ奴隷として仕えさせる。わたしは彼らの行いと,その手のわざに従って報いる」― エレミヤ 25:12-14。

      (イ)ここで考慮した出来事はどんな面において預言的な意味を持っていますか。(ロ)どうすれば預言に注意できますか。そうするとき,何を期待できますか。

      クリスチャン使徒パウロによれば,いま検討した出来事は預言的なものであり,更に大きな事柄を示しています。それは神のみ名を負う民でありながら,異邦の民にもまさって神のみ名を汚した国民でした。キリスト教国は神の名と,み子イエス・キリストの名を唱えていますが,異教国にまさって神とキリストの名に非難をもたらしました。また神とその民を憎んだ古代バビロンは,神の敵である偽りの宗教の世界帝国を表わしています。エホバの預言はエルサレムに,そして後にバビロンの上に成就しました。今日においてもエホバのことばは必ず成し遂げられ,そのことばを軽んずる者は滅びを受けます。預言を熱心に学び,その示すところに従って行動する人,すなわち預言に注意を払う人は神の恵みを得ます。エホバは「終りの事を初めから告げ」ます。「耳を傾け,わたしにきて聞け。そうすれば,あなたがたは生きることができる」と,エホバは命じています。ゆえに生きることを望むならば,預言に注意しなければなりません。―イザヤ 46:10; 55:3。

  • 私生子
    ものみの塔 1965 | 1月1日
    • 私生子

      ◇ 最近アメリカで行なわれたある裁判によると,ニューヨーク州では,夫が他の男性の精液による妻の人工受精に承諾しても,生まれてくる子供は嫡出子にならない,という裁定が下されました。この判決について,1963年8月13日の「ユナイテッド・ステーツ・ロー・ウイーク」(アメリカ法律週報)は次のように述べています。「母親の夫でない父から生まれた子が嫡出子と見なされないということは,法律中に深く刻み込まれた歴史的概念である。いずれかの法律がこの定説を改めないかぎり,『そのような子供は私生子であるという歴史的概念はいつまでも効力を失わぬであろう』」。キングス郡にあるニューヨーク州上級裁判所は,次のような意見を述べました。「子供が嫡出子かどうかを論争の焦点として争われた裁判の場合,夫以外の第三者の精液供給による人工受精は,夫の承諾のあるなしにかかわらず父親の姦淫であり,この方法で妊娠したなら,婚姻によって生まれた子供ではないゆえに私生子であるとした判例がある」。

      聖書的に言えば,人工受精に賛成する女性は事実上姦淫を行なうことになり,夫がそれに賛成するなら,夫も姦淫を認めることになります。人工受精は神のおきてに反する行為です。―マタイ 7:17-20。コリント前 6:9-11。

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