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  • エホバが神であることをバビロン的な敵意の中で擁護する
    ものみの塔 1966 | 12月1日
    • ありませんでした。(エペソ 1:18)自分の苦難について理解できないことが多くあったにもかかわらず,ヨブは信仰を堅く保ち,どこまでもエホバの至上権を忠実に擁護しました。もう一つ打撃が加えられました。最も身近で,最も愛する自分の妻の信仰が弱くなったのです。妻はヨブに言います。「『あなたはなおも堅く保って,自分を全うするのですか。神をのろって死になさい』。h しかしヨブは彼女に言った,『あなたの語ることは愚かな女の語るのと同じだ。われわれは神から幸を受けるのだから,災をも,うけるべきではないか』。すべてこの事においてヨブはそのくちびるをもって罪を犯さなかった」― ヨブ 2:9,10。

      バビロン化した3人の友

      14 (イ)ヨブを試みるため,サタンは次にだれを使いますか。(ロ)ヨブの3人の友だちにはどんなバビロン的な背景がうかがえますか。

      14 紀元前17世紀までに,パレスチナ内外の諸民族はいずれもバビロンの宗教思想の影響を受けていました。ヨブの見せかけの友人たちもバビロン的な考え方にそまっていたことが明らかにうかがわれます。そうした偽りの友人たちはヨブを苦しめるためのサタンの手だてとしてすぐに利用されます。ヨブを悩ませてさらにその心を苦しめるため,サタンはバビロン化したこれら3人の手先を巧みにあやつり,哲学的な知恵によってヨブを精神的に疲れさせ,エホバに対する忠節を破らせようとしました。このような偽りの慰め手が3人いたことは,サタンがこのこうかつな策略に総力を上げていたことのしるしです。最初の偽り者はテマンびとエリパズです。テマンびとであるということは,この者が背信の孫エサウによるアブラハムの子孫であることを示しています。(創世 36:2,10,11)テマンびとはアブラハムのまことの宗教を守らなかったために,その背教的な知恵で知られるようになりました。(エレミヤ 49:7)第2の偽りの友はシュヒびとビルダデです。この者もアブラハムの2番目の妻ケトラが生んだ6番目のむすこシュワの血をひく者であり,アブラハムの子孫です。(創世 25:2)ビルダデもアブラハムのまことの宗教からの背教者でした。ビルダデという名は「争いの子」もしくは「ベルが愛した」という意味です。後者であるとするなら,この者はバビロン的な環境が強い中で育てられたに違いありません。ベルはバビロニア人の主神マルズクの称号であるからです。(エレミヤ 50:2)i 人を悩ませるこの3人の『慰め手』の最後の者はナアマびとゾパルです。その会語にうかがえるとおり,この者もアブラハムのまことの宗教からの背教者です。「七十人訳」はこの者を「ミナエびとの王ソパル」と呼んでいます。ミナエびとはアラビア人の一種族であり,アラビア人は一般にアブラハムの子孫とされています。

      15 7日間の沈黙は何を示すと考えられますか。なぜ?

      15 ヨブのもとに着いた3人の「友」は,自分たちの『慰めの計画』を始め,ヨブの前にすわって7日7夜を過ごしました。この間3人はひと言も語りませんでした。(ヨブ 2:13)ヤコブを葬ったアブラハムの子孫たちが大いに嘆きながら7日の間喪に服したことは事実ですが(創世 50:10),イスラエル人に7日の間沈黙する風習があったという形跡はありません。それゆえ,7日間の沈黙はあらわれた状態に関する暗示を,サタンと悪霊の見えない力に求めたバビロンの習慣に習ったものと思われます。j 既に7日の終わりまでに,これら3人はエホバ神の至上権に対するヨブの態度を弱めるサタンの企てに組する者であることを自ら明らかにしました。

      至上権に関連した称号

      16 ヘブル語の神という語の使い方を説明しなさい。(イ)異教徒について。(ロ)エホバの真の崇拝者について。

      16 ヨブの3人の偽りの慰め手は,まことの宗教のシボレテつまり清い知恵でヨブを慰めるかわりに,背教のセボレテつまりバビロン的な知恵を語っていました。この点をさらに調べましょう。(士師 12:6)言いかえれば,彼らのバビロン的な知恵は魅惑的に聞こえ,神の知恵によく似ていましたが,それに純粋なひびきは全くありませんでした。神の至上権ということが基本的な問題になっていましたから,3人はいずれも一神論者つまり唯一神の信者を自任しています。正道からそれたこれら3人のアブラハムの子孫は,先祖アブラハムやヨブと同じように,「全能者」(シャダイ)および「神」(単数形のエールまたはエローア,および卓越の複数形としてエローヒーム)という語を使っています。(創世 17:1。ヨブ 4:17; 6:4; 8:3; 11:7)しかし,ここにその真実さをためすものがあります。偶像崇拝の始まったエノスの日以来,人々は自分たちの偶像を神(エールまたはエローヒーム)と呼ぶようになりました。「パレスチナのタルガム」は創世記 4章26節についてこう注解しています。「人々が誤った道に進んだのはこの時代であり,人々は自らを偶像とし,偶像を主のことばの名で呼ぶようになった」。k ノアの大洪水の後には,バビロン化した異教徒が自分たちの背教の神を,神という語の卓越の複数形を使ってエローヒームと呼び,同じことをしています。(神ダゴンについてこの点を調べるために士師 16:23,24をごらんください。また神ケモシと神ミルコムについて列王上 11:33を,神バアル・ゼブブについて列王下 1:2,3,16をごらんください)偶像崇拝が行なわれるようになってから後のエノクの時代について記録するノアの歴史の中で,真の崇拝者が「エイル」または「エローヒーム」の前に定冠詞「ハ」を置いていることが多いのに注目してください。これは同じようにエールもしくはエローヒームと呼ばれた偽りの神々と「唯一まことの神」エホバとを明確に区別するためでした。偽りの神々が「ハ・エール」もしくは「ハ・エローヒーム」と呼ばれることはありませんでした。l ―創世 5:22。列王下 1:6,9。

      17,18 (イ)アブラハムとヨブ,(ロ)3人の友は神に相当することばおよびエホバの名をそれぞれどのように使いましたか。このことは神の至上権の論争にどのように作用しますか。

      17 アブラハムはエノクの時代に始まるこの習慣に従い,他と区別する,微妙な「ハ・エローヒーム」という語形でエホバ神を呼んでいます。(たとえば創世 17:18; 20:6,17; 22:9)「新世訳」は識別力のある聖書研究者のために,ヘブル語原本にある「ハ・エール」および「ハ・エローヒーム」という表現のすべてを「〔まことの〕神」と訳出して,原文の意味を伝えています。ヨブは話をする時アブラハムの習慣にならい,時おり「ハ・エール」および「ハ・エローヒーム」の語形を使ってエホバ神を異教の神々と区別し,その至上権を擁護しています。(ヨブ 2:10; 13:8; 21:14; 31:28参照)しかし,ビルダデとゾパルはバビロンの宗教家の習慣に従い,普通の形である「エール」もしくは「エローヒーム」を使って神を表わしています。正統派を自任するエリパズでさえ(ヨブ 15:10),「ハ・エール」,「まことの神」という形はヨブ記 22章17節に1回しか使っておらず,しかもそこではエホバを真の神とする人々に対する多少の侮蔑をこめて語っているのです。―ヨブ 22:15。

      18 3人の偽りの慰め手は神の固有の名を隠すバビロンの習慣にも従い,多くの話をしながら,神の名「エホバ」を一度も使っていません。他方,ヨブは「エホバ」の名を5回使っています。(ヨブ 1:21; 12:9; 28:28)彼らの先祖アブラハムの記述創世記 12章から24章の中に,「エホバ」の名は全部で70回ほど出ています。また,敬けんな気持ちからエホバを「聖なる者」と呼んでいるのもヨブひとりです。―ヨブ 6:10。

      心霊的な経験

      19 エリパズの心霊的な経験は何を示していますか。

      19 もう一つバビロンの宗教との関係を裏づけるものは,霊者つまり悪霊との交渉です。その種の霊者すなわち悪霊は,アブラハムにみことばを伝えた忠実な天使のように肉体となって現われることはできません。(創世 18:1-8)そのため,悪霊は占い,託宣などの間接的な手段に頼らねばなりませんでした。「自然占い,もしくは霊感占いにおいて,媒介者はある霊ないしは神の直接の支配下に置かれ,その力によって将来を見,それを託宣として語ると唱えられている……実際の証拠からもうかがえることであるが,古代バビロニア人およびエジプト人は一般に,託宣およびあらゆる前兆を神々からのものとし,神々の心を表現するものとみなした」。a エリパズが最初の話の中で,バビロンの心霊的な経験をあげて自分の論議を展開していることに注意してください。(ヨブ 4:15-17)アブラハムやヨブがこの種の悪霊的な経験によって,自分を直接に導くエホバが真の神であることを否定したことはありません。

      人間は死ぬべきもの ― その望みは復活

      20 人間についてヨブが正確な知識をもっていたことを示しなさい。ヨブは将来に対する希望をどのように言い表わしていますか。

      20 ヨブは相手に対する反論の中で「死ぬべき人間」(ヘブル語,エノシュ)という表現を何度も使っています。ヨブは人間が生きた魂であることを理解していたのです。彼は,人間に不滅の霊魂があるとするバビロンの考えを退けました。ヨブは人間が死ぬべきものであり,死とともに完全に死滅するものであることを知っていました。(ヨブ 7:1,17; 9:2; 10:4,5; 13:9; 14:1,2; 28:13,新世訳)ヨブは死と同時に人の息が絶えることをも示しています。(ヨブ 10:18; 14:10; 27:5; 29:18)ヨブはこの基本的な点において正しい見解をもっていたために,復活すなわち人間として再び地上に生きるという希望をもつことができました。(ヨブ 14:13,14)3人の偽りの友人が復活について沈黙していることも注目に価します。

      バビロン的な考えかた

      21 ヨブに対する3人の偽りの友の敵意について説明しなさい。

      21 宗教的に相異のある3人の「友」は,栄えるのはただ賢人だけであり,罪人は災いにあうというバビロンの物質主義的な考えを述べます。(ヨブ 4:7,8)彼らは,エホバは『ご自分のしもべを頼みとしない』と唱えますが,これは偽りです。(ヨブ 4:18)また彼らは先代からの言い伝えを尊重する正統派的な主張をします。(ヨブ 8:8,9)彼らは宗教を単純なものにとどめ,神のことをあまり深くきわめないようにと唱えます。(ヨブ 11:7)ヨブ(エホバの証人のひとり)が昔の聖人より知っているかのような言いかたをするとも非難します。(ヨブ 15:9,10)真の神に対するヨブの不動の忠実さについて,ヨブの「友」たちは自分が汚れたものにみなされるとして憤ります。(ヨブ 18:3)彼らはこう言います。『ヨブよ,おまえは神の前で正しい立場を保とうとして,宗教のことをまじめに考えすぎている』。(ヨブ 22:2-4)外に現われたことから言うなら,ヨブは「悪人」であり,そのゆえに神からのさばきを受けているに違いない。(ヨブ 22:5-10)最後に,これらバビロン化した賢者たちは,自らを「死ぬべき人」(ヨブ 7:1,17,新世訳)と呼ぶヨブが神の前で,清く,正しい立場を得ることはできないと,無骨に決めつけます。―ヨブ 25:4。

      ヨブは内省する

      22 ヨブはどうして自分自身に目を向けるようになりましたか。ヨブはどんなことを言いましたか。

      22 この不敬けんな3人組は,こうした物質主義的な論議を長々と三巡させ,ヨブをして自己弁護に追いやり,至上権の問題を扱われるまことの神の正しさを賞揚するかわりに,自分のたましいの正しさを主張させます。ヨブの心の内面で次のような問答をくり返し,ヨブは自分の心を調べます。「人を監視される者よ,わたしが罪を犯したとて,あなたに何をなしえようか。なにゆえ,わたしをあなたの的とし,わたしをあなたの重荷とされるのか」。(ヨブ 7:20)「わたしは知る,わたしをあがなう者は生きておられる」(ヨブ 19:25)「ああ,わたしに聞いてくれる者があればよいのだが,わたしのかきはんがここにある。どうか,全能者がわたしに答えられるように」。(ヨブ 31:35)こうして,地上の手先をとおして働く,許されたサタンの手のもとに置かれたこの長い果たし合いによって,ヨブはその心の奥底を試みられました。しかしヨブの心はどこまでも真実であり,汚れなく,神を信頼して望みに満ちていました。

      エリフの評価

      23 (イ)長い宗教的な議論をエリフはどう評価しましたか。(ロ)エホバはどのように介入されましたか。ヨブはどんな態度をとりましたか。

      23 最後に,中立の傍観者としてその場にいたエリフがことばを出し,議論を終えた両者の知恵の真偽を正しく評価します。「ヨブが神よりも自分の正しいことを主張するので,彼はヨブに向かって怒りを起こした。またヨブの三人の友が〔神〕を罪ありとしながら,答える言葉がなかったので,エリフは彼らにむかっても怒りを起した」。(ヨブ 32:2,3,〔新世訳〕)それゆえ,神の至上権の論争に関して,3人の偽りの慰め手は全く敗北しました。またヨブはまことの神への誠実な態度を保ちながらも,自分の正しさを主張しすぎて脱線しました。この後,このドラマの終わりとして,神がつむじ風の中からヨブに語られ,まことの神の壮大な知恵を示されます。ここでエホバは,創造の驚異と,死ぬべき人間の知恵をはるかに越える,すばらしい自然とについて語り,ご自分が至上の神権者であることを立証されました。(ヨブ 38-41章)こうして雨のような天の知恵をあびた,ヨブの清い心はすぐそれに応じます。「わたしは知ります,あなたはすべての事をなすことができ,またいかなるおぼしめしでも,あなたにできないことはないことを。それでわたしはみずから恨み,ちり灰の中で悔います」― ヨブ 42:2,6。

      24,25 (イ)神に関する論争の両側をエホバはどう裁かれましたか。(ロ)ヨブのドラマはどんなかたちで終わりますか。(ハ)どんな疑問が起きますか。その問題はどのように扱われますか,

      24 ついでエホバは3人の偽りの友をとがめたエリフを正しいとされます。「わたしの怒りはあなた〔エリパズ〕とあなたのふたりの友に向かって燃える。あなたがたが,わたしのしもべヨブのように正しい事をわたしについて述べなかったからである。それで今,あなたがたは雄牛七頭,雄羊七頭を取って,わたしのしもべヨブの所に行き,あなたがたのために燔祭をささげよ。わたしのしもべヨブはあなたがたのために祈るであろう。わたしは彼の祈を受けいれるによって,あなたがたの愚かを罰することをしない。あなたがたはわたしのしもべヨブのように正しい事をわたしについて述べなかったからである」。(ヨブ 42:7,8)こうして,バビロン化した賢人の背教的な宗教は,二度も『正しくない』と言われたエホバ神ご自身によって暴露されました。彼らが知恵としていたものは愚かな考えであるにすぎませんでした。自ら挑戦したサタンは哀れにもその論争に敗れたのです。3人の「友」たちは身を低くして自らを改め,真の宗教を受け入れてヨブに命ごいの祭司となってもらわねばなりませんでした。ヨブについて言えば,エホバは「ヨブの繁栄をもとにかえし」,初めに失った資産の2倍をヨブに与えました。そして家族について言えば,妻も年が進んでいたにもかかわらず,ヨブは7人のむすこと,3人の美しい娘を持つようになりました。―ヨブ 42:10-15。

      25 確かに,エホバはご自分の至上権を擁護する忠実な証人を地上に選び出され,まことの神としての力を立証されました。そしてヨブはその時代の擁護者として正しさを認められる者となりました。このドラマになにか預言的な意味がありますか。それは後の時代の真の知恵を持つ者にとって関心となるところです。次の記事の中ではこの問題に関する肯定的な証拠が提出されています。

  • 「敵意の的」イエスはエホバが神であることを擁護する
    ものみの塔 1966 | 12月1日
    • 「敵意の的」イエスはエホバが神であることを擁護する

      「罪人らのこのような反抗を耐え忍んだかたのことを,思いみるべきである」― ヘブル 12:3。

      1 イエスは大いなるヨブであると言えるのはなぜですか。

      ヨブの名には「敵意の的」という意味があります。a 試練を経験した時のヨブはいかにも敵意の的であったではありませんか。ヨブはサタンおよびバビロン化した友人たちの敵意を浴びました。さて,このできごとのすべてはちみつな預言劇であり,一次的には大いなるヨブであるイエス・キリストに成就しています。しかし,このことの教訓的な証拠を検討する前に,イエス以前の5世紀間における,パレスチナおよび周辺の異教世界の宗教事情について調べることが必要でしょう。その500年の間に,サタンはきわめてこうかつな宗教上の諸勢力と混乱的な教義とを生み出しました。それは,約束の「すえ」が地上にいつ現われても,その者を極度の試練に会わせるためでした。(創世 3:15)これから先に見るとおり,完全な人間イエスは大いなるヨブ,すなわち大いなる「敵意の的」以上のものになることができました。エホバ神が至上の神であることを立証するために,イエスは罪人の反抗を耐え忍ばれました。―ヘブル 12:3。

      イエスの到来にそなえて宗教事情をととのえる

      2,3 (イ)パレスチナとバビロンの2ヵ所にユダヤ人の中心地ができたのはなぜですか。(ロ)ユダヤ人の宗教はどのように広がりましたか。それは何を中心にしていましたか。

      2 聖書および一般の歴史から見て明らかなごとく,紀元前607年から537年にバビロンに流刑になったユダヤ人のうち,紀元前537年あるいはそれ以後にエルサレムに帰還し,ゼルバベルの指揮のもとに真の崇拝の再興と宮の再建に加わった者はごく少数です。(エズラ 2:1,2)何年かのち,ネヘミヤはエルサレムの城壁を再建し(ネヘミヤ 7:1),エズラは再建された宮で日毎に仕える祭司を配置して,それぞれエルサレムの再興に加わりました。(エズラ 7:1-7)エズラはまた神聖なヘブル語聖書の信頼できる写本を整え,流布に備える大きな仕事を率先して行ないました。しかしながら,流刑の身にあったユダヤ人の大部分はバビロニアにとどまることを選びました。そのユダヤ人たちは国の各地に分散させられてはいましたが,物質的には安定した地位を得ていました。b バビロンに残留したこれらのユダヤ人はアブラハム,モーセ,また預言者などのまことの宗教をあるかたちで保存しました。これはヘブライズムとも呼ばれます。

      3 紀元前5世紀以後,バビロニアやパレスチナのユダヤ人の中には貿易や商業に携わる者が多くいました。そうしたユダヤ人は家族や親族を連れてメソポタミヤ,エジプト,ギリシヤ,ローマ,そしてやがては地中海全域に移住し,異邦の大都市にある外国人居留地に住みました。すなわち,ユダヤ人社会は,今日におけると同じく,当時の文明世界全域に拡大したのです。こうしたユダヤ人が携えて行ったものは,儀式や犠牲のためではなく,祈りと研究のために集まり合う習慣,つまりヘブライ流の宗教でした。その宗教生活の中心となったのは簡素な会堂です。当初,この種の会堂は「ベス ハ・ケネセット」(祈りの家),もしくは「ベス ハ・ミドラシュ」(研究の家)と呼ばれていましたが,c 後年にはギリシヤの影響を受け,ギリシヤ語でシナゴグと呼ばれるようになりました。d

      4 イエスの宣教に先だってユダヤ人の舞台はどれほど広げられていましたか。

      4 こうしてユダヤ人は拡大する異邦世界に自分たちの宗教を「輸出」していたのです。やがてパレスチナ外部の「植民地」に居留するユダヤ人は人口において本土のユダヤ人を大幅に上まわり,四散したユダヤ人(ダイアスポラ)として知られるようになりました。これがすなわち「離散している」ユダヤ人です。(ヤコブ 1:1)これは結局は数世紀をかけた大宣教活動となり,ユダヤ人は自分の宗教を異邦人に伝えることになりました。「シナゴグは数十万の帰依者を集め」て改宗者を作ったと,ヨセハスは書いています。e (マタイ 23:15)3年に一度ずつユダヤ人と改宗者の男子はエルサレムに巡礼し,そこでの祭りに臨みました。f ヨセハスの記録によるとある年の過越には270万以上の男子が集まりました。g ギリシヤ化したユダヤ人フィロはこのできごとについて記述する中で,エルサレムを「一国民ではなく万国民の」都としています。h こうした事情を考慮するなら,「敵意の的」となるイエスのために舞台が世界に広げられていたことを理解できます。

      ヘレニズムの内的な影響

      5,6 (イ)ヘレニズムとは何ですか。(ロ)それはどのようにパレスチナに「輸出」されましたか。(ハ)ユダヤ人はどんな肉欲的な影響を受けていましたか。ユダヤ人の宗教は影響を受けましたか。

      5 次に,こうしたクリスチャン時代以前のユダヤ人の宗教が,東洋のバビロン的宗教思想に染まったいきさつを調べましょう。これは一つにはユダヤ人のバビロン捕囚が直接の原因でしたが,東洋化したギリシヤ人の微妙な影響も見のがせません。往時のギリシヤ人はヘレヌスと呼ばれました。それゆえ,ギリシヤ人の文化および宗教はヘレニズムと呼ばれるようになりました。昔のギリシャの哲人の多くは事実上,ヘレニズムの「預言者」であり,各派の思想は異教ヘレニズムの諸教派をなすものでした。ヘレニズムには幾つもの教派がありましたが,その特徴は美術,音楽,舞踏,からだの鍛練,競技,官能的な生活,肉体に幸福を求めること,物質主義,霊魂の不滅,万神の崇拝など,「肉の欲」(ヨハネ第一 2:16)に訴える事柄でした。ギリシヤ化したアレキサンダー大王が当時の世界を征服した時,「ギリシヤ人はそれまでの東方征服者と異なり,被征服民を居住地から追い立てるかわりに,自分の国そのものを征服地に移した」。i それで,ユダヤ人と同じようにギリシヤ人も自分のヘレニズム文明を諸国に輸出したのです。たとえば,アレキサンダーおよびその後継者のこうした政策にしたがって,ユダヤ地方にもデカポリス(10の町)と総称されるギリシヤ人の都市,10が建設されました。(マタイ 4:25。マルコ 5:20; 7:31)これはユダヤ人の結束を破ることを目的にしており,ヘレニズムの誘惑的な雰囲気もしくはこの世の霊をかもし出しました。(コリント第一 2:12)運動競技,美的感覚,洗練された優美さ,形の美しさなどを売り物にするこれらの都市は,ユダヤ人の若者にとってあこがれのまとでした。j こうしてギリシヤの作法,ギリシヤのことば,ギリシヤ風の考え方などがパレスチナにはんらんしました。

      6 しかし,こうしたヘレニズム風の文化および宗教は,すでにアレキサンダーのペルシャ征服以来,東洋ないしはバビロニアの影響を受けていました。k 「東洋の思想と混交した〔ヘレニズム〕は官能主義と理性主義の不純な成長という姿になりさがった」。l パレスチナのユダヤ人および離散したユダヤ人の双方に言えることですが,「ユダヤ人は徐々に,しかし着実に,周囲の宗教思想を同化するようになり,そうした思想を加味して聖書を解釈するようになった」。a こうしてヘブライズムは背教の度合をいっそう強くしたユダヤ教となり,非聖書的な規定や伝統を多く集めるようになりました。(ガラテヤ 1:13。マルコ 7:13)ついでわたしたちは,ユダヤ教がバビロン化した証拠,および,それがイエスの時代までに幾つもの教派に分裂したことについて調べましょう。

      ユダヤ人はバビロン思想をとり入れる

      7 バビロニア人は自分たちの神をどんなことばで呼ぶようになりましたか。

      7 まず,バビロンの神々の中でマルズク(メロダク)が「神々の長者,最古参者」,つまりバビロンの主神とされていたことに注意してください。(エレミヤ 50:2)b マルズクの由来はニムロデにまでさかのぼります。「ニムロデ……に最も結びつくのはバビロンの主神マルズクである。ニムロデはおそらくバビロンの建設者であったのであろう。アッシリアの神アッシュールが……アッシリア帝国の建設者と目されるのに似ている」。c 紀元前8世紀のイザヤの時代よりずっと前に(イザヤ 46:1),バビロンでは主神マルズク(メロダク)を単に「主」もしくはバールという一般的な称号で呼ぶ習慣が発展していました。これは古代の異教徒カナン人の習慣に似ています。(士師 2:11-13)「マルズク……はバビロン市の守護神であり,マルズクの神殿はエサジラと呼ばれた……マルズクの名は後年に総称的なベル,『主』という称号に置きかえられ,やがてベルと言えば一般にマルズクをさすようになった」d ― エレミヤ 51:44。

      8 ユダヤ人は神を称号で呼ぶこのバビロニア人の習慣から影響を受けましたか。

      8 バビロン捕囚後のユダヤ人がこの習慣にならい,自分の神を呼ぶのに固有の名エホバを使わず,単に「主」(アドナイ)と呼ぶようになったことは周知の事実です。そして,ユダヤ教のソヘリムはイエス以前のバビロン化時代に,ヘブル語聖書原本中の神の名「エホバ」(יהוה)を134カ所にわたって「主」(אדני)という語に置きかえ,この背教的な,セボレテ的な習慣をさらに進めました。e こうしてユダヤ教下のユダヤ人がサタンに巧みに動かされて,神を単に称号で呼ぶバビロニアの習慣のセボレテに従い,まことの神の御名を隠すにいたったいきさつを知ることができます。神をエホバと呼ばず,主という一般的な称号を使うことによって,まことの神との暖かく,親しみのある関係は失われました。

      9,10 (イ)エホバのまことの崇拝者がエホバをさして主ということばを使う場合にはどんな敬けんな方法に従いましたか。(ロ)エホバ神の至上権を認めたネブカデネザルのことばについて注目すべきことは何ですか。

      9 アブラハムの時代から預言者の日に至るまで,昔の,真のエホバの崇拝者が神を主(アドナイ)と呼ぶ場合には,いつでも同じ文脈の中に神の御名を用いました。f 「エホバ」の語なしに主(アドナイまたはアドン)ということばだけを使った場合もありますが,それは異教の名目的な神々や主に対するエホバの至上性を示す場合(申命 10:17。ヨシュア 3:11,13)か,あるいはエホバ神だけが「ハ・アドン」すなわち唯一まことの主として示されている場合です。g イザヤはシボレテつまり正しい言いかたでこう述べています。「エホバわれらの神よなんぢにあらぬ他の主ども〔アドニム〕さきにわれらを治めたり〔バアルヌ〕,されどわれらはただなんぢによりてなんぢの名をかたりつげん」― イザヤ 26:13,文語。

      10 さらに,ヘブル人の真のエホバの崇拝者は「ハ・エローヒーム」すなわち「唯一まことの神」という表現を使いましたが,バビロニア人は他の異教徒と同じく,自分たちの主神をさしてこのような専一的な表現は使いませんでした。ネブカデネザルはヘブル人の神エホバが真実の神であることをやむなく認めましたが,その時にも「ハ・エローヒーム」というヘブル語の表現を用いず,単にアラミヤ語の神,「エラハ」(限定詞)ということばを使っています。―ダニエル 3:28,29。

      11 ユダヤ人がバビロン的な宗教思想を受け入れていたことの証拠をさらにあげなさい。

      11 バビロニアの「三神一体の概念」はエジプトの勢力をとおしてユダヤ人に伝わりました。h 「霊魂の不滅」に対する信仰はバビロンとギリシヤからユダヤ教にはいりました。「アレキサンドリアのユダヤ人だけでなく,パレスチナのユダヤ人も,〔紀元前〕2世紀には霊魂不滅の教義を受け入れた」。i これはさらに,2世紀までに,「からだの復活」という信仰に導かれました。これは霊魂が住む場所を常に得るためのものと考えられました。j 例をあげて説明すれば,イエスの到来以前に一ユダヤ人が書いた外典「ソロモンの知恵の書」は,たましいと肉体との分離に関する,ギリシャの哲人プラトンの思想を提出しています。(1:4; 9:15)また肉体以前に存在するたましいが肉体にはいるという,ギリシヤの予定説も提出されています。(8:19,20)人の将来の命はメシヤによってではなく,知恵によってもたらされます。(8:13)また「知恵の書」にしたがえば,人間は不滅不朽のものとして創造されました。(2:23; 6:19; 12:1)ヘーデスは不義のたましいが苦しむ所であり(1:

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