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  • かぎ十字の用途の歴史をたどる
    目ざめよ! 1970 | 10月8日
    • 女神の偶像のからだに,かぎ十字が付されている位置からすれば,それは多産と生命の象徴として用いられていたことがわかります。

      さらに,ギリシア,ミケーネの掘割り式の墓から出土した,高価な金製の装身具類にも,かぎ十字が見られます。また,硬貨にもついています。アテネ出土のつぼに描かれている葬儀の様子を見ると,霊枢車を引く馬の上方に三つのかぎ十字がしるされています。墓から掘り出された,多産の女神像には,のどと乳房にかぎ十字がついています。ある石棺には,のちにアルテミスとして知られるようになった,「生命の女王」が,かぎ十字で囲まれているのが見えます。また,かぎ十字は,はすの花とも関連を持っていたようであり,同時に,古代ギリシアの愛の女神で,ローマ人がビーナスと呼んだ,アフロディーテの衣服の飾りとして用いられたようです。

      したがって,トロイおよびエーゲ海地域では,かぎ十字は多産と生命を表わすものとみなされました。

      かぎ十字の発祥地

      1931年,南アジア,インダス川流域の文明に関する発掘調査の結果が発表されました。モヘンジョ・ダロおよびハラッパでは,西暦前はるか昔に繁栄した,高度の文明の遺物が発掘されました。明らかに宗教的な性格を持つ種々の象徴や,かぎ十字のしるしのついた印章が出土しました。それら印章の出土品は紀元前3世紀のものとされています。

      興味深いのは,インダス川流域で発見された,かぎ十字に関して,考古学者V・ゴードン・チャイルドが語った次のことばです。「印章や飾り板にしばしば見られる,かぎ十字や十字架は,先史時代の最も初期のバビロニアやエラムのそれと同様,宗教的かつ魔術的な象徴であった」― V・ゴードン・チャイルド著,「最古の東洋に関する新しい光」184,185ページ。

      したがって,かぎ十字はメソポタミアにその起源を持つものに違いありません。チグリス河畔のバグダードの北にあるサマラおよび,スサあるいはシュシャン(ネヘミヤ 1:1。エステル 1:2)の古代の居住地層から出土した,かぎ十字は,それが古代メソポタミヤに起源を持つ象徴であることを示しています。確かにかぎ十字は,古代の宗教的な中心地バビロンにさかのぼるものなのです。

      こうして,その起源をたどってみると,かぎ十字は宗教的な性格をもつものであることがわかります。20世紀になって,それが政治的な意味を持つ象徴物となったのは事実です。しかし,それを国家的な象徴として採用した人物は,まず最初に,自分の属していた教会を通して,その紋章を知るようになったのです。そして,その教会は,政権の座についたその人物と政教条約を結び,彼の配下の軍隊が戦争に参加するに及んで,同教会の僧職者は,その軍隊のために戦勝祈願をささげたのです。

  • 感謝に満ちた,宣教者のことば
    目ざめよ! 1970 | 10月8日
    • 感謝に満ちた,宣教者のことば

      ● わたしは,ギレアデ聖書学校の卒業生のため,ニューヨークで開かれた特別な集会の席で,ものみの塔のノア会長の話されたことにお礼を申し上げたいと思います。つまり,宣教者たちは,現在住んでいる各の「外国」の任命地でハルマゲドンを生き残る特権を得,復活が始まった時,その地で死者を迎えることすらあるであろうと言われたことです。わたしは,ハルマゲドン後,物事がどのように始められるかという問題に十分な解答を得たような気がします。確かに,主は,ごく当然な仕方で物事を取りはかることをご存知です。

      ― エホバの証人の1970年度年鑑より

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