-
クリスチャンの正しい平衡を保ちなさいものみの塔 1969 | 1月15日
-
-
の教室を背景にし,聖書にかんするエホバの証人の信仰がそこで討議されることにしましょう。生徒の間にはかなりの偏見と愛国主義的な精神が見られ,ひとりの生徒はこう主張します。「エホバの証人は危険人物で,政府に反対しています」。これはイエスが処刑の日に受けた非難と同じものです。(ルカ 23:2)別の生徒はこう非難します。「エホバの証人は投票もしないし,自分の国のために戦うこともしません」。しかしイエス・キリストや初期クリスチャンの一貫してとった道は,諸国家の政治問題にかんする厳正中立の立場でした。(ヨハネ 6:15。15:17-19。ヤコブ 4:4)現代の一教科書はこう述べています。「熱心なクリスチャンが軍隊にはいったり,行政官庁の職についたりすることはなかった」。a しかし生徒や先生は,こうした問題にかんする聖書の教えや,初期クリスチャンの信仰と実践についてはあまり知りません。こうして討論は緊張の度を深めてゆきます。
18 一女生徒はこう主張します。「エホバの証人は,クリスマスさえ祝わないのですから,キリスト教の反対者です!」 エホバの証人に対する反感はいっそうつのってゆきます。生徒たちは,クリスマスが異教の祝いで,聖書の裏づけのない行事であり,初期クリスチャンは祝わなかったことを知らないのです。また,このことを指摘する権威ある参考書のことばをも知りません。この時,他の生徒がこう非難します。「エホバの証人は自分の子供を愛していません。命を救う輸血を施させず,子供を見殺しにするではありませんか!」 エホバの証人はなんというむごい人間だろう! こうした感情が生徒たちを支配しはじめます。血を食べることは聖書できびしく禁じられており,初期クリスチャンは動物あるいは人間の血のいずれを問わず,血を全く避けたことを生徒たちは知りません。b ―レビ 17:10。使行 15:20,29。
19 (イ)そうした事態の下で,年若いクリスチャンはどんな質問に直面するでしょうか。(ロ)こうした可能性を見越して,いつ備えるべきですか。
19 この時,教室内のだれかがあなたに向かってこう尋ねます。「あなたはエホバの証人のひとりではありませんか」。ここであなたは,使徒ペテロが直面したと同様な事態に立たされます。あなたは何と答えますか。その事態にどう対処しますか。クリスチャンの正しい平衡を保ちますか。イエス・キリストがされたように,エホバ神の忠実な証人として仕えますか。(ヨハネ 17:6。黙示 1:5)生じ得るこうした状況に対処するために備えるのは今です。そのような事態の下でイエス・キリストの大胆な手本に従うことをしっかりと心に決めるべき時は今です。そうすれば,平衡を失わずに済むでしょう。
前もって備える
20 クリスチャンの正しい平衡を保つには,何が必要ですか。イエスは,自らこの必要を悟っておられたことを,どのように示されましたか。
20 エホバ神との正しい関係を保ち,クリスチャンの平衡を保つには,祈りが必要です。また,神のみことばを定期的に考慮しなければなりません。イエスはこのことを知っておられ,地上の生涯の最後の重大な幾時間かのときには,特にその必要を感じておられました。ですから,その最後の夜,2階の一室で弟子たちとともに過ごされた時,信仰を強める霊的な事柄について励みのある話をされ,次のような結びのことばを述べられました。「なんぢら世にありては患難あり,されど雄々しかれ。我すでに世に勝てり」。それから最後に弟子たちとともに祈りをささげ,その後,ゲッセマネの園に向かって一緒に出かけました。―ヨハネ 16:33–18:1。
21,22 ゲッセマネの園で,弟子たちはキリストの手本に見習わなかったことを,どう示しましたか。
21 イエスは戸外のその園で,天の父に引き続き祈りをささげ,神の導きと指示を求められました。また,ひとりで祈るため,弟子たちのもとを離れる時,イエスはペテロと他の二人の弟子にこう語りました。「汝らここにとどまりて目を覚しをれ」。弟子たちはそうしましたか。イエスのご命令に従いましたか。聖書には,「(彼)来りて,その眠れるを見」,としるされています。なんと残念なことでしょう! これでは弟子たちは前途の事態に決して備えることができません。そこでイエスはペテロに向かってこう告げました。「シモンよ,なんぢ眠るか,一時も目を覚しをることあたはぬか。なんぢら誘惑に陥らぬやう目を覚し,かつ祈れ。げに心は熱すれども肉体よわきなり」。(マルコ 14:32-38)それは確かに夜ふけで,おそらく真夜中もとうに過ぎていたことでしょう。それにしても弟子たちはイエスの手本にならうべきでした。それは,霊的な事柄に普通以上の注意を払うべき時でした。神の女の約束のすえがまさに砕かれようとしていたのです! なんと重大な時でしょう!―創世 3:15。ガラテヤ 3:16。
22 それでペテロと他の弟子たちは,二度目の今,イエスの緊急な励ましのことばを真剣に考慮するでしょうか。マルコの記録はこう述べています。「再びゆき,同じことばにて祈り給ふ。また来りて彼らの眠れるを見たまふ,これその目,いたく疲れたるなり,彼ら何と答ふべきかを知らざりき」。(マルコ 14:39,40)ペテロとその仲間の者たちは聞いていなかったのです! イエスのご命令に注意を払いませんでした。三度目に祈るため立ち去る前にも,イエスは,目を覚まして祈っていなさいと弟子たちに促したに違いありません。ところがまたもやその勧めは見過ごされました! それで,イエスは「三度来りて言ひたまふ『今は眠りて休め,足れり,時きたれり。みよ,人の子は罪人らの手にわたさるるなり。起て,われら往くべし,みよ,我を売る者ちかづけり』」としるされています。―マルコ 14:41。
23 (イ)弟子たちがイエスを見捨てるに至ったのは,明らかにどんな要因によるものでしたか。ゆえに,どんな点を幾ら強調しても,強調しすぎることはありませんか。(ロ)どんな根拠から,今日サタンがなお一層活発に働いていると考えられますか。
23 預言されていたとおり,そのすぐのちに弟子たちがイエスを捨てて逃げることを余儀なくさせられた一つの要因は,おそらくこうした昏睡状態にあったのではないでしょうか。(マルコ 14:50。マタイ 26:31。ゼカリヤ 13:7)クリスチャンが信仰の試練に首尾よく対処するには,前もって備え,自らを霊的に強めることが肝要です。この点は幾ら強調しても,強調しすぎることがありません。そしてこのことは昔と同様,今日でも真実です。というのは,違う点があるとすれば,それはこの時代がサタンの働きのいっそう活発な時だからです。聖書の預言は,近年この世代になってサタンとその悪霊が天から放逐され,天の声が発表した次のような事態が生じていることを明示しています。「地と海には災いである。悪魔が,自分の時の短いことを知り,大きな怒りをもって,あなたがたのところに下ったからである」。(黙示 12:12,新)今がまさに災いのその短い期間なのです! サタンは全力を尽くして,クリスチャンに平衡を失わせ,神の恵みからふるい落とそうと努めています。
24 平衡を保つために,クリスチャンはすべて何をしなければなりませんか。
24 ゆえに今は,霊的な昏睡状態に決して陥らないようにすべき時です。そして,自らを霊的に奮い立たせ,目前に迫っている信仰の試練に備えねばなりません。自分は久しい年月,活発なクリスチャンとして歩んできたのだから,エホバ神と自分との関係を危うくし,神の恵みを失うような恐れは決してないという態度をとってはなりません。また,会衆の集会を欠かしてもだいじょうぶだとか,霊的な事柄が論じられている時に注意を払わなくてもよいなどと考えないでください。(ヘブル 2:1; 10:24,25)クリスチャンの正しい平衡を保ちたいと願うなら,わたしたちはすべて,神のみことばを自分個人で,また仲間のクリスチャンと定期的に研究し,霊的にいつも油断なく注意していなければなりません。また,祈りをなおざりにすることもできません。神との定期的な連絡によって築かれる密接な関係は,平衡にとって絶対に欠かせない事柄です。キリストの手本にならってください! キリストは,地上で生活した人の中でも霊的に最も強い人だったにもかゝわらず,たゆまず祈られ,人間としての生涯の最後の夜の間は特にそうされました。霊的な平衡を保ちたいと願うなら,わたしたちも同じことを行なわねばなりません。
いつも賞に目をとめなさい
25 イエスが平衡を保つのに役だったのは,どんな事柄でしたか。
25 イエスにとって,霊的な平衡を保つのに役だったのは,天の御父を喜ばせ,神からとこしえの命をいただくという喜びをいつも心の中で大切にすることでした。ゆえに,わたしたちはこう勧められているのです。「信仰の導師またこれを全うする者なるイエスを仰ぎ見るべし。彼はその前に置かれたる歓喜のために,恥をも厭はずして〔刑柱〕をしのび,遂に神の御座の右に坐し給へり」。(ヘブル 12:2,〔新〕)それで平衡を保つには,イエスの模範に従ってください! あなたの創造者に誉れをもたらし,命の賞を創造者から受ける特権にいつも目をとめてください!
26 神の事柄を生活の中で第一にするのは,なぜ必ずしも容易なことではありませんか。
26 しかし,目に見えないエホバ神の事柄をいつも第一にするのは,必ずしも容易なことではありません。人を魅惑するものがあまりにも多い今の世においては特にそう言えます。お金や,お金で買える多くの魅力的な物品はその一例です。多くのクリスチャンは物質的なものに対する欲望をほしいままにして平衡を失いました。(テモテ後 4:10)彼らは,御父の事柄を常に第一にしたイエス・キリストに見習うことをしませんでした。事実,イエスは個人的な楽しみを完全に第二義的なものとしていたので,かつて次のように言われました。「きつねは穴あり,空の鳥はねぐらあり,されど人の子は枕するところなし」― ルカ 9:58。
27 モーセとダビデはどんなすぐれた手本を残しましたか。
27 族長モーセも,神の崇拝を生活の中で常に第一にして,手本を残しています。パロの娘の子として育てられた彼は,古代のその強大な支配者の王宮の栄華を享受したに違いありません。しかしモーセはエジプトのすべての富を退けて,エホバのしもべとして侮べつの的となる道を選んだのです。なぜ? 聖書の記録はこう述べています。「これ見えざる者を見るがごとく耐ふることをすればなり」。(ヘブル 11:23-27)そうです,モーセは,目に見えない神エホバにしっかりと目をとめていました。モーセが霊的な平衡のすぐれた手本を残し得たのは,エホバとの正しい関係を保ったためです。すべてのものはエホバに属しており,人間が神に返し得るものは,崇拝と献身のみであることを彼は悟っていました。後日,詩篇の作者ダビデは,同様の平衡のとれた見方を持ち,こう書きました。「われ常にエホバをわが前におけり」― 詩 16:8。
28 結論としてどんな勧めに真剣にきき従うべきですか。
28 クリスチャンの正しい平衡を保つには,わたしたちもこのような見方を持たねばなりません。物質上の魅力的なものがいたるところにあふれている今日,このことはとくに真実です。そうしたもののいずれにでも重きをおきすぎれば,平衡を失うことになり得るのです。それで,上にある事柄,目に見えないあなたの神にいつも目をとめ,利己的な物質の追求を第一の関心事にしないでください。(コロサイ 3:2)そうです,クリスチャンの平衡を保ち,永遠の命の賞を得るため,イエス・キリストの手本に従ってください。彼は,「あなたがたがその足跡にしっかり従うように模範」を残されたからです。―ペテロ前 2:21,新。
-
-
人間関係において平衡を保つものみの塔 1969 | 1月15日
-
-
人間関係において平衡を保つ
「神を愛する者は,自分の兄弟をも愛しているべきである」― ヨハネ第一 4:21,新。
1 クリスチャンの平衡にとっては,神への愛以外に何が肝要ですか。使徒ヨハネはこのことをどう示していますか。
わたしたちの天の父,エホバ神に専心の献身をささげるのは,クリスチャンの平衡にとって肝要なことです。しかし神へのそうした献身と密接なつながりを持っているのは,仲間の人間,特に,クリスチャンの信仰にあってわたしたちと関係を持つ人々に対する愛です。(ガラテヤ 6:10)つまり,クリスチャンの平衡を保つには,わたしたちのクリスチャン兄弟との正しい関係を持つことも必要なのです。使徒パウロは次のように書いて,このことを明確に指摘しました。「もしだれかが,『わたしは神を愛している』と言いながら,自分の兄弟を憎んでいるなら,その者は偽り者である。というのは,すでに見ている兄弟を愛さない者は,まだ見たことのない神を愛することができないからである。そして,わたしたちはこの戒めを神から受けている。すなわち,神を愛する者は,自分の兄弟をも愛しているべきである」― ヨハネ第一 4:20,21,新。
2 人間関係については,この世的などんな見方がしばしばとられていますか。クリスチャンは自分の仲間にどんな態度をとるべきですか。
2 それにしても仲間のクリスチャンを愛するとは,どういうことですか。クリスチャン相互の正しい関係とは何ですか。クリスチャン会衆内の互いの交わりをどう見るべきですか。多くの場合,この世的な見方は,自分の名声やイメージの高揚を図る下心をいだいて,友だちや仲間を求めることです。この世的な人々は往々にして,自分が他の人間よりもすぐれている,もしくは,より重要であると考えます。そしてしばしば他の人間を利用し,だまし,あるいは傷つけることを,人からされないうちに,いち早く自らします。しかし平衡の取れたクリスチャンの見方はなんと異なっているのでしょう! 神のみことばの,霊感による勧めのことばに注目してください。「何事にまれ,徒党また虚栄のためにすな,おのおの謙遜をもて互に人を己にまされりとせよ。おのおの己が事のみを顧みず,人の事をも顧みよ。汝らキリスト・イエスの心を心とせよ。すなはち彼は神のかたちにて居給ひしが……己をむなしうし僕のかたちをとりて人のごとくなれり」― ピリピ 2:2-7。
3 もしあらゆる人がキリストと同じ態度をとったなら,どんな生活を行なえるでしょうか。
3 もしあらゆる人が聖書のこうした助言に従って生活し,イエス・キリストの手本に見習うなら,生活はどんなに楽しいものでしょう! 他の人の持ち物あるいは能力を利己的にむさぼることはなく,他の人の面目を傷つけて,自分がすぐれていることを誇示する愚行も見られないでしょう。また,他の人を目立たせて,当惑させることも行なわれません。自分を重要視するあまり,自らを目立たせ,ひいでた存在にしようとして,平衡を失い,また不愉快な関係をもたらすのは,この世の人の利己的な態度です。それで次のような使徒の助言にクリスチャンが聞き従うのは,なんと肝要なことでしょう。
4,5 聖書のどんな助言に従うのは肝要なことですか。いつも容易にそうすることができますか。
4 「この世にならふな……心をかへて新にせよ……汝らおのおのに告ぐ,思ふべきところを超えて自己を高しとすな……兄弟の愛をもて互に愛しみ,礼儀をもて相譲り……相互に心を同じうし,高ぶりたる思をなさず,かへって卑きにつけ。なんぢら己をさとしとすな」― ロマ 12:2,3,10,16。
-