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昔の異邦人の宮の塔ものみの塔 1961 | 5月15日
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祭司が住んでいました。特別の部屋で犠牲がささげられました。町のこの部分は全体が要塞となっており,町のほかの部分とは壁でしきられていました。宮の区域よりも低い場所に建てられたこの区域の中心部にはほかの神々をまつった宮があり,これらの神々は町の守護神と協力して町とその住民を守ると言われていました。
塔と宮の目的
バビロン人の宗教儀式は神秘的なもので,占星学と占いにもとづいていました。それゆえ聖所は塔のてっぺんにあり,町の神の住居となったばかりでなく,天文学や占星学の研究に適当な観測所ともなったのです。塔のある区域にはまた一種の銀行のようなものもありました。ここには町中の富がほとんど集まっていました。祭司は神々の代表者と考えられていましたから彼らがお金の管理人になったのは当然です。彼らは野心家だったので,時には2割から3割の利子で人々にお金を貸し,あくどい儲け方をしました。このように欲ばった結果祭司は非常に金持となり影響力も強くなりました。彼らはまたまじない師でもあり,やまいをいやしたり,将来のことを予告する超自然的な力を持つ魔術師だとも考えられていました。それで宮のある区域はいわば原始的な病院でもあったのです。
シナルからニムロデとセミラミスの崇拝が始まり,他の地方に広がってゆきました。そしてセミラミスには41の異なった名前や称号がつけられて,崇拝されるようになりました。この崇拝は性を対象にしたもので非常に悪く,下劣なものでした。
今日の宮の塔
興味深いのはバビロンにあるマルダックの大きな宮です。これはネブカデネザルによって再建されたものでこの宮の北にありエテメンアンキと古代呼ばれた大きな塔が立っています。この塔の跡に,ニムロデによって最初建てられた塔があったのだと考えている人は今日たくさんいます。その塔はもはや立っていませんが,かつては約92メートル平方の場所を占めていました。ボシッパの塔(今でも一部分が立っている)がバベルの塔の残がいだと考えている人もいます。これはバビロンの中心部から約16キロの所にあります。
今日,塔が建てられる目的はニムロデと彼の妻かつ母親であったセミラミスのそれとは違います。しかし塔は近代化された形で今でも存在し続けています。有名な歴史家であり作家でもあるジェイムス・ブレステッドは,その著「古代,初期の世界歴史」の中で,回教寺院の尖塔と,いわゆる「クリスチャン」の教会の尖塔を,メソポタミアにおける塔と比較しています。
クリスチャンは人が作った宗教的な塔に信頼をおいたり,それらを特別に聖なる場所としてたよったりいたしません。むしろエホバ神を信頼します。「ヱホバの名はかたきやぐらのごとし,ただしきものはこれに走りいりて救を得」。―箴言 18:10。
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共産主義者は証者の心を変えるのに失敗ものみの塔 1961 | 5月15日
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共産主義者は証者の心を変えるのに失敗
「エホバの証者は,共産主義者から徹底的な妨害を受けている。この宗派は,長い間東欧に信者をもっていた。だから国外追放者の多いいくつかの地方ではよく知られている。証者たちはまた,ナチの憎しみの的でもあった。ダカウや他の収容所では何百人という証者が死んでいる。ポーランドでは,特に好意をもって扱われていたが,1950年中,共産主義者は,東ドイツでこの派を,アメリカの「スパイ組織」の一部という理由で非合法化した。そして年末までには,800人に近い証者たちが,監獄や強制労働収容所に入れられ,13人の指導者級の信者は終身刑を科されていた……。
「エホバの証者は,彼らの聖書の解釈に基づいて,世の終りが急速に近づいていると信じているので,この世が罪とその過失のために滅びるという預言を楽しんでいる。……共産主義者も予言を信ずる。……しかし,神の御言葉を賜わったと確信している彼らの考えを変えることは不可能である。彼らの中から『愛国主義者』や『民主主義者』が出たという記録はない」。―「鉄のカーテンの背後の宗教」,シャスター。
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