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    ものみの塔 1975 | 4月1日
    • 神との良い関係を高く評価する

      18 エホバとの関係ということになると,わたしたちはみなどんな立場にありますか。

      18 神との是認された関係にあるということは,わたしたち人間が当然のことと思ってよいような事柄ではありません。人間は生まれながらそういう関係にあるのではありません。反対に,わたしたちはダビデ王が言ったような立場にあります。彼はこう書きました。「見よ,わたしは,産みの苦しみとともに,咎をもって産み出され,わたしの母は,罪のうちにわたしを宿しました」。(詩 51:5,新)例外は一人もいません。聖書が述べていることは真実です。「すべての者は罪を犯しているので神の栄光に達しない」。(ローマ 3:23。ヨハネ第一 1:8,10もご覧ください)しかしエホバは,わたしたちがエホバの是認を得ることのできる手段を備えてくださいました。

      19,20 わたしたちがエホバと関係を持つことのできる唯一の手段は何ですか。エホバに仕えることはなぜ大きな特権ですか。

      19 わたしたちがちょっと立ち止まって,人間が神に比べてどんなものであるかを考えてみるならば,その備えに感動するはずです。飛行機で旅行したことがある人なら,高度数千メートルのところからでさえ,人間は事実上視界から消え去り,家や車はおもちゃのように見えることを,だれでも知っています。ではエホバが,それよりもはるかに高い所から地を見おろされるときには,人間はいかにも小さい,取るに足りないものに見えるにちがいありません。(イザヤ 40:15)詩篇作者が,「あなたの指の業である天を見,あなたの備えられた月と星とを見て思いますが,死すべき人間が何者なのであなたはこれを思いに留められ,地の人の子が何者なのでこれを顧みられるのですか」― 詩 8:3,4,新。

      20 にもかかわらず,このいと高くいと上なるかた,創造者,宇宙の最高支配者は,わたしたち死すべき人間に,ご自分と関係を持つ機会を差し伸べてくださるのです。そしてそれを可能にするために,ご自身の独り子を地に遣わされ,その命を,罪を贖う犠牲としてささげさせたのです。そのみ子イエス・キリストご自身が次のように説明されました。「神は世を深く愛してご自分の独り子を与え,だれでも彼に信仰を働かせる者が滅ぼされないで,永遠の命を持つようにされたからです」。イエスはまた使徒たちに言われました。「わたしは道であり,真理であり,命です。わたしを通してでなければ,だれひとり父のもとに来ることはありません」。(ヨハネ 3:16; 14:6)死んで復活されたのち,イエスは弟子たちに命令されました。「あなたがたは……エルサレムでも,ユダヤとサマリアの全土でも,また地の最も遠い所にまで,わたしの証人となるでしょう」。(使徒 1:8)このようにして奉仕することが大きな特権であることを認識して,彼らは言われたことを行ないました。

      21 昨年中,世界じゅうの人々は,神との良い関係を高く評価していることをどのように示しましたか。

      21 その結果,世界各地の人々は,唯一の真の神エホバとそのみ子イエス・キリストをよく知るようになりました。昨年は207の土地で人々がそのようにしてエホバのクリスチャン証人の援助を受けました。一部の人々は,聞いたことを心に深く留めました。そして以前の行ないを悔い改め,身を転じて,神のご意志を行なうことに命を用いる必要を悟りました。彼らは罪と死への奴隷の状態から人類を買い戻すために神が行なわれたすばらしいご準備に感謝するようになると直ぐに,喜んで自分を捨て,バプテスマを受けて,エホバのご意志を行なうべくエホバに献身したことを表わしました。(マタイ 16:24; 28:19,20)この重要な段階を踏んだ人は少数ではありませんでした。昨年中は181の土地で人々がバプテスマを受けました。わずか一年の間に,全部で29万7,872人が,エホバの証人によるバプテスマを受けに来ました。その人たちはみな,聖書を勉強して聖書が教えていることを知っており,自分の信仰を人々の前で言い表わすことをためらわない人々です。(ローマ 10:9,10)彼らは神との良い関係を高く評価しているので,バプテスマを受ける資格を得るために真剣に努力しました。あなたもそのような認識をお持ちですか。それを持つ人々のためには,現在も,また将来においても,すばらしい祝福が蓄えられています。

  • 神の事柄を正しく評価する
    ものみの塔 1975 | 4月1日
    • 神の事柄を正しく評価する

      1,2 エルサレムの神殿で,イエスは正しく評価していることを示すどのようなすぐれた模範に弟子たちの注意を引かれましたか。

      ある日のこと,エルサレムの神殿におられたイエスは,神の事柄を正しく評価していることを示すすぐれた模範を弟子たちに指摘されました。イエスは人々が聞いているところで,『長い衣を着て歩き回ることを好み,道でうやうやしくあいさつをされることや,会堂の中の目立つ座席,宴会のときの上座などが非常に好きな律法学者』たちに気をつけるよう,弟子たちに警告されたばかりのところでした。彼らは神の崇拝の家に対する純粋の敬意に欠けていました。反対に彼らは,自分自身に注意を引いて,自分の利益のためにそれを利用しようとしました。神殿の中でイエスは,富んだ人々がささげ物を納金箱に入れるのを見ておられました。またある貧乏なやもめが,ごくわずかな価しかない小さな硬貨二枚を入れるのもご覧になり,それに弟子たちの注意を引いて言われました。「あなたがたに真実をこめて言いますが,このやもめは,貧しいとはいえ,彼ら全部より多く入れました。これらの者はみな自分の余っている中からささげ物を入れましたが,この女はその乏しい中から,自分の持つ暮らしのもとすべてを入れたのです」― ルカ 20:45-47; 21:1-4。

      2 ごくわずかな価値しかない小さな硬貨二枚を入れたその女は,「彼ら全部より多く入れました」とイエスが言われたのは,たいへん興味深い事柄です。イエスはその女が神殿の価値を正しく評価していたことをご存じでした。神殿は手入れを必要とすることを彼女は知っていたので,その維持費にと思って寄付したのです。『十分のものを持たない彼女は,生活費全部をささげた』のです。(新英語聖書)この貧乏なやもめにそのような認識を示させたその神殿はどんな存在だったのでしょうか。

      3 神殿は,このやもめにその価値を認識させたどのような存在でしたか。

      3 ユダヤ人が,真の崇拝に関係した祝祭を祝うために,少なくとも年に三回,イスラエルの各地方から集まったのはこの場所でした。そのやもめが,犠牲を携えてきて,自分の罪の許しを請い,また感謝を示すためにそれをエホバにささげることを,祭司たちに頼むことができたのもここでした。神のことばが読まれ説明されるのを聞くことができたのもここでした。エホバに関し,またエホバの律法が自分の生活にどのように影響するかについての質問の答えを得ることができたのもここでした。この場所で彼女は,神の会衆の年長者たちややはり崇拝のためにここに来る友だちと,楽しい交わりを持つことができました。彼女は神殿の価値に対して深い認識を持っていました。神は必要なものを備えてくださると

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