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    ものみの塔 1965 | 7月1日
    • 世界を変えた四つの文字

      (イ)どんな四つの言葉が,はかり知れないほど重要なことばとなりましたか。(ロ)その言葉はどんな事柄を生じさせましたか。

      メネ,メネ,テケル,ウパルシン ― この四つの小さな文字が世界帝国の王を仰天させ,帝国を崩壊させて王と共同支配者を位から追い,別の王を位につけ,世界支配をセム人種からアーリアン人種の手に移し,一国民の祭司の偽りと彼らの神々の無力を暴露し,偉大な至上者であるエホバを崇めたのです。これのほどの大変事をひきおこした言葉はありません。またバビロンに捕われていたユダヤ人の一人は,この言葉のためになみなみならぬ勇気を出す必要に迫られました。しかしこの言葉は彼の崇拝が生ける真の神の崇拝であることを示す結果となりました。

      これらの言葉の意義を理解するため,何を知ることが必要ですか。

      この言葉がそんなにも多くのことを意味した理由を理解するには,背景となる事情を知らなければなりません。前号までの「ものみの塔」誌上で,エルサレムがバビロンに捕われたこと,バビロンは喜び,ユダヤ人とその神をあざけったこと,また捕われ人には解放の望みのなかったことを述べました。しかしそれだけではありません。これらの言葉が現われたその夜,イスラエル人の神エホバに対する更に甚しいぼうとくが行なわれていました。それでこれらの言葉はきわめて適切な時に現われたと言えます。

      歴史を作った夜

      (イ)紀元前539年7月(チスリ)16日,ダニエルをはじめバビロンにとらわれていた他の年老いたユダヤ人は何を考えたに違いありませんか。(ロ)なぜ,そして何時,ベルシャザル王は酒宴を設けましたか。

      記録をたどってみると,それは紀元前539年,ユダヤの暦で陰暦7月,チスリの月の16日の事でした。a イスラエル人が故国にいるならば,これはエルサレムの宮で仮庵の祭り(収穫の祭り)をする,神の定めの時でした。(レビ 23:33-36)それはイスラエル人にとって,一年中で最も喜びにみちた祭りでした。しかしバビロンにとらわれていた過去68年のあいだ,イスラエル人はこの祭りをすることができなかったのです。しかしこの晩,他の者たちによって別の祝いが行なわれていました。それはバビロニア人の行事でした。ベルシャザル王は大臣1000人を宮殿に招き,盛んな酒宴を設けました。宮殿の中にかぎらず,バビロンの都はお祭り気分にみちていました。クロスの軍隊が町に迫っているのに,浮かれていたのはどうしたことですか。クロスは,ベルシャザルの父で帝国第一の支配者ナボニドスの軍隊をすでに破り,バビロニアの重要な都市の一つボーシッパにナボニドスを敗走させていました。それにもかかわらずバビロニア人は,城壁に囲まれ,強大なユフラテ河とその堀を頼みとする町の中にいて安心しきっていました。ユダヤ人の神はこの晩何事かを行なって,とらわれのユダヤ人に喜びを与えますか。

      この晩の出来事によってだれが一躍注目をあびましたか。なぜですか。

      神のしもべ,預言者ダニエルは,紀元前617年,ネブカデネザル王の手によって他のユダヤ人と共にとらわれてバビロンに移されたとき,まだ少年でした。そしていま年老いたとはいえ,エホバに対する信仰を保ち,エホバのことばを学びつづけると共に奉仕をつづけてきたダニエルの心は,少しもおとろえていませんでした。この晩の出来事によって,ダニエルは一躍注目を集めました。ダニエルは次のように述べています。

      酒宴の最中にベルシャザル王は,エルサレムの家にあった器物をどのように濫用しましたか。王はどの神をけがし,どの神をほめましたか。

      「ベルシャザル王は,その大臣一千人のために,盛んな酒宴を設け,その一千人の前で酒を飲んでいた。酒が進んだとき,ベルシャザルは,その〔祖〕父ネブカデネザルがエルサレムの神殿から取ってきた金銀の器を持ってこいと命じた……王とその大臣たち,および王の妻とそばめらは,これをもって飲んだ。すなわち彼らは酒を飲んで,金,銀,青銅,鉄,木,石などの神々をほめたたえた」― ダニエル 5:1-4。

      ベルシャザルの行いには,飲騒ぎ以外に何が含まれていますか。

      この晩の酒宴は,バビロニア人の何時もの飲み騒ぎではありません。エホバとその民に対してバビロニア人の抱いた長年の憎しみがおのずから表わされました。明らかな意図をもってエホバをあなどり,バビロンの神々を崇めることが行なわれました。イスラエルはすでに68年間もとらわれていました。それはバビロニア人の神々がまさることの証拠であり,たとえイザヤとエレミヤによってバビロンの崩壊を預言したにしても,エホバはその民を解放することができないと,バビロニア人は考えていました。しかし燭台の光に照らし出された壁の一部分を見てごらんなさい! ベルシャザルは自分の目が信じられなかったに違いありません。ダニエルはベルシャザルの見たものを告げています。

      どんな文字が奇跡的に書かれましたか。それを見た王はどうなりましたか。

      「すると突然人の手があらわれて,燭台と相対する王の宮殿の塗り壁に物を書いた。王はその物を書いた手の先を見た。そのために王の顔色は変り,その心は思い悩んで乱れ,その腰のつがいはゆるみ,ひざは震えて互に打ちあった」― ダニエル 5:5,6。

      (イ)手が現われて壁に文字を書いたとき,酒宴はどうなりましたか。(ロ)ベルシャザルはだれに助けを求めましたか。どんな報いを約束しましたか。

      ベルシャザル,誇り高ぶった酔いどれの大臣たち ― そうする元気があるなら,金,銀,青銅,鉄,木,石の神々をなおほめたたえなさい。しかしあるのは沈黙のみです。不思議な手が壁の上に書いた文字を見て,酒宴の席にいた人々の酔いは一度にさめ,目は壁に釘づけになりました。ようやく我に返って王は助けを求めます。王は大声に呼ばわってバビロニアの神々を代表するカルデヤ人,法術士占い師を召し集めました。それらは,助けを求める王が考えつくことのできた人々です。王はふるえる手で壁の不吉な四文字を指し,「この文字を読み,その解き明かしをわたしに示す者(を) ……国の第三のつかさとしよう」と告げます。―ダニエル 5:7。

      (イ)バビロンの第一の支配者はだれですか。しかしこの者はその時どこにいましたか。(ロ)バビロンの宗教を司る者たちにとって,これはんどな機会でしたか。

      ベルシャザルは帝国の第二の支配者であり,第一の支配者でいまボーシッパにある父のナボニドスと共同で統治していました。ベルシャザルには当然に位を継ぐ息子があるにもかかわらず,彼は息子からこの権利をとりあげ,この恐るべき文字を解き明かす者にそれを与えようとしたのです。バビロンの神々にとっては,他よりすぐれているはずの自分の知恵を示し,権威を高める時ではありませんか。バビロンの宗教の指導者が自分を高め,また自分の神を今までになく高く崇める良い機会ではありませんか。彼らの心には,さまざまの感慨が湧いたことでしょう。これらの賢人は王に答えられますか。

      バビロンの賢人は,なぜベルシャザルの驚きをしずめることができませんでしたか。

      「王の知者たちは皆はいってきた。しかしその文字を読むことができず,またその解き明かしを王に示すことができなかったので,ベルシャザル王は大いに思い悩んで,その顔色は変り,王の大臣たちも当惑した」― ダニエル 5:8,9。

      ベルシャザルの神々は,どんな問題を解けませんでしたか。

      しかしこれは天からのお告げです。それで王にとってきわめて重要な意味の事を伝えているに違いありません。ベルシャザルの神々は頼みにならないことが判明しました。賢人,法術士,占い師,高官たちも呆然としているだけです。これを解く者がどこかにいますか。

      大胆なエホバの証人の登場

      (イ)王妃はベルシャザルにどんな提案をしましたか。(ロ)王妃はダニエルを召すことをすすめて,何と述べましたか。

      どこに解き明かしを求めるかにつき,王に助言できる者が国に一人います。それは王妃です。これはベルシャザルの母ニクトリスに違いありません。ニクトリスは,ネブカデネザルがやはり同じ名の妻によって得た娘でした。b ベルシャザルと異なり,王妃は歴史から教訓を得ていました。「時に王妃は王と大臣たちの言葉を聞いて,その宴会場にはいってきた。そして王妃は言った,『王よ……あなたの国には,聖なる神の霊のやどっているひとりの人がおります。あなたの父〔ネブカデネザル〕の代に,彼は,明知,分別および神のような知恵のあることを表わしました……彼は,王がベルテシャザルという名を与えたダニエルという者ですが,このダニエルには,すぐれた霊,知識,分別があって,夢を解き,なぞを解き,難問を解くことができます。ゆえにダニエルを召しなさい。彼はその解き明かしを示すでしょう」― ダニエル 5:10-12。

      ダニエルを召すことは,バビロンの王,貴人,賢人にとり,どうして屈辱ですか。

      ベルシャザル,大臣たち,そしてとくに祭司と占い師にとって,彼らが酒宴の席でさげすんでいたユダヤ人の神エホバのしもべをやむなく呼び入れることは,大きな屈辱です。しかしベルシャザルは窮していました。ダニエルは王の前に召されます。王はこう述べました。

      ベルシャザルはダニエルに対し,バビロンの賢人について何を認めなければなりませんか。ベルシャザルはダニエルに何を約束しましたか。

      「あなたは,わが父の王が,ユダからひきつれてきたユダの捕囚のひとりなのか。聞くところによると,あなたのうちには,聖なる神の霊がやどっていて,明知,分別および非凡な知恵があるそうだ。わたしは,知者,法術士らを,わが前に召しよせて,この文字を読ませ,その解き明かしを示させようとしたが,彼らは,この事の解き明かしを示すことができなかった。しかしまた聞くところによると,あなたは解き明かしをなし,かつ難問を解くこことができるそうだ。それで,あなたがもし,この文字を読み,その解き明かしをわたしに示すことができたなら,あなたに紫の衣を着せ,金の鎖を首にかけさせて,この国の第三のつかさとしよう」― ダニエル 5:13-16。

      ダニエルはこの言葉を解く

      (イ)ダニエルはベルシャザルの申し出をどのように見なしましたか。なぜですか。(ロ)ダニエルは文字を解くことに,なぜ同意しましたか。

      法術士と祭司は大きな屈辱をこうむりました。壁の文字を解き明かせない彼らは,ねたみとまた幾分は恐怖の目でダニエルを見たに違いありません。ダニエルはベルシャザルの報酬に心を動かされますか。ダニエルはそれには目もくれませんでした。ダニエルは,エレミヤの預言から,70年のとらわれがあと2年を残すに過ぎないことを知っていたのです。それでたとえこの高い地位を得ても,それは長つづきしないでしょう。ダニエルにとって貴重なのは神の証人となる機会であり,この最後の時にエホバの証者となることです。そこでダニエルは王に答えます。

      ダニエルはその序論において,ベルシャザルのよく知るどんな歴史的事実を回顧していますか。

      「あなたの賜物は,あなたご自身にとっておき,あなたの賜り物は,他人にお与えください。それでも,わたしは王のためにその文字を読み,その解き明かしをお知らせいたしましょう。王よ,いと高き神はあなたの父ネブカデネザルに国と権勢と,光栄と尊厳とを賜いました。彼に権勢を賜わったことによって,諸民,諸族,諸国語の者はみな,彼の前におののき恐れました……しかし彼は心に高ぶり,かたくなになり,ごうまんにふるまったので,王位からしりぞけられ,その光栄は奪われ,追われて世の人と離れ,その思いは獣のようになり,そのすまいは野ろばと共にあり,牛のように草を食い,その身は天からくだる露にぬれ,こうしてついに彼は,いと高き神が人間の国を治めて,自分の意のままに人を立てられるということを,知るようになりました。

      ベルシャザルはそれから教訓を得なかったことを,どのように示しましたか。それで何が起きましたか。

      「ベルシャザルよ,あなたは彼の子であって,この事をことごとく知っていながら,なお心を低くせず,かえって天の主にむかって,みずから高ぶり,その宮の器物をあなたの前に持ってこさせ,あなたとあなたの大臣たちと,あなたの妻とそばめたちは,それをもって酒を飲み,そしてあなたは見ることも,聞くことも,物を知ることもできない金,銀,青銅,鉄,木,石の神々をほめたたえたが,あなたの命をその手ににぎり,あなたのすべての道をつかさどられる神をあがめようとはしなかった。それゆえ,彼の前からこの手が出てきて,この文字が書きしるされたのです。そのしるされた文字はこうです。メネ,メネ,テケル,ウパルシン。

      (三つの節)壁に書かれた文字は何と読めましたか。ダニエルはそれぞれの文字をどのように解釈しましたか。

      「その事の解き明かしはこうです。メネは神があなたの治世を数えて,これをその終りに至らせたことをいうのです。

      「テケルは,あなたがはかりで量られて,その量の足りないことがあらわれたことをいうのです。

      「ペレスは,あなたの国が分かたれて,メデアとペルシャの人々に与えられることをいうのです」― ダニエル 5:17-28。

      (イ)このときダニエルには何が必要でしたか。(ロ)ダニエルは大胆に語る勇気をどこから得ましたか。

      第三世界強国の王,そのすべての貴人たち,この世界帝国の宗教を司る者たちの前に出たダニエルには,大きな勇気が必要でした。ダニエルは憎まれたユダヤ人の一人で奴隷であり,バビロニア人がいままでさげすんでいた神エホバのしもべだからです。しかしダニエルは,からだを殺しても魂を殺すことのできない者を恐れません。彼はその神エホバの真実の証人として語ります。

      ダニエルの言葉から,ベルシャザルは何を理解できますか。

      ダニエルの言葉にはベルシャザルを考えさせる多くのものがあります。帝国の建設者でバビロニア王朝最強の王ネブカデネザルを王位からひきおろし,彼が正気にもどるまでの7年間,纂奪者の手から王位を守ったエホバ神は,ベルシャザルに対しても全く容易に同じことをできるはずです。エホバは何時でも意のままにベルシャザルとナボニドスを王位からひきおろして,メデア人とペルシャ人に国を与えることができ,しかもベルシャザルに対しては,祖父ネブカデネザルの場合と異なって王位に復帰させないこともできます。いまやエホバはこの事をされます。バビロンを倒す神の時が到来し,またユダヤ人を解放する時が近づいたからです。ベルシャザルの国が神の前に量られて目方不足とされたのは,ダニエルの告げた言葉からも,ベルシャザルにとって確かなことです。神はその国をわけてメデア人とペルシャ人の共同支配の下におくこともでき,あるいはまずメデア人,ついでペルシャ人に支配させることもできます。

      勇気の手本

      ダニエルはベルシャザルの約束した報いをなぜ受けますか。

      ダニエルの勇気は報われます。ベルシャザルは,滅びを告げる音信を解明したダニエルを殺そうとはせず,約束通りにダニエルを国の第三の支配者に任じました。(ダニエル 5:29)ダニエルは自分の地位を強化するためや,自分のほまれのためではなく,バビロンの宗教指導者の偽りを証明すると共にご自身の至上権を宣言した神のほまれのために,この地位を受けます。

      宴会の場所を出たダニエルは,何を感じたに違いありませんか。

      宴会の場所からダニエルが去ると,残されたベルシャザルと貴人たちは呆然としたことでしょう。四つの言葉はバビロンの滅びを告げていました。それは何時のことですか。その晩にさえ起きないとは限りません。彼らの懸念はそこにあったと言えるでしょう。生きてその出来事を見,また神のさばきを表明するために用いられたダニエルは,神の恵みとあわれみに感謝したに違いありません。ダニエルは,2年以内にユダヤ人が解放され,エルサレムに真の崇拝の復興されることを待ち望みました。その晩にバビロンは倒れたのです。その詳細は次号の「ものみの塔」にとりあげられます。

      (イ)私たちはこのすべてから,どのように力を得ますか。(ロ)それはどんなわざに私たちを励ますものですか。

      このすべての事から私たちは力を得ます。エホバが忠実な民に対する約束を必ず守ることを,私たちは確信できます。またダニエルの手本から勇気を得,地位の上下を問わずあらゆる人の前で,御国の音信を大胆に告げることができます。神の刑罰の日を告げるのは,御国の音信を告げることの一部です。神はご自身のしもべをささえ,立証し,大いなるバビロンの偽りの宗教指導者のどんな反対に対しても勝利を得させます。いまは大いなるクロス,キリスト・イエスが王として治める時です。大いなるバビロンはあらゆる面において目方の足りないことがあらわれ,その日は数えられました。大いなるバビロンはすでに倒れ,とらわれの人々はその中から出て来つつあります。これらは厳然とした事実です。ゆえに私たちはなお多くの人が大いなるバビロンから離れ去るのを援助するために,力をつくさねばなりません。いまや倒れた大いなるバビロンが間もなく完全に滅びることは確かだからです。―黙示 18:2,4,8; 17:16,18。

      [脚注]

      a この日付はR・P・ダグハーティ著「ナボニドスとベルシャザル170,171頁によりました。この本は,バビロンの倒壊を記録した有名なナボニドス年代記によっています。J・C・ウイットコウム著「メデア人ダリヨス」70頁4節,22頁上段,17頁1-4節によれば,チスリ(エタニム)の16日の晩は,ユリウス暦で10月11-12日の晩,いま使れているグレゴリー暦では10月5-6日の晩にあたります。またパーカーダバーステイン著「紀元前626年から西暦75年のバビロニア年代記」14頁1節「クロス」の項参照。

      b ジョン・C・ウイットコウム2世著「メデア人ダリヨス」73頁注。

  • 幼い時の訓練
    ものみの塔 1965 | 7月1日
    • 幼い時の訓練

      ◆ 10人の子供と不信者の夫を持つブラジルのあるエホバの証者は,子供を教える努力が祝福された事を次のように報告しました。「ある子供は熱心で定期的な伝道者ですが,他の子はまだとても幼いのです。でも私は食事の時に祝福を祈り求め,一緒に聖句を討議します。また私は子供たちと一緒に毎週勉強しています。エホバからの大きな祝福により子供たちは真理を理解しています。ある日,主人はカボの町の露天市場へ一人の女の子を連れて行きました。お昼になったので主人は血のはいったハギス(羊の臓物料理)をごちそうする事にしました。ところがその子は利口でハギスが血の入った料理である事を知っていました。どうなったと思いますか。主人がハギス一皿を与えると,その子は『お父さん,この食物には血が入っているのよ。エホバは血を食べる人が嫌いだから,私食べない』といったのです。その子はわずか4歳です」。たしかにこの母親は子供を「その行くべき道に従って」訓練しています。―箴言 22:6。使行 15:20,28,29。

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