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    ものみの塔 1961 | 3月1日
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      「今こそ拡大の時なのです!」 これはものみの塔聖書冊子協会の会長,エヌ・エッチ・ノアが1960年10月10日の月曜日の夜,ニューヨーク,ブルックリンの新しいベテルの建物の献堂式にあたって述べた言葉です。「この新しい12階の建物は,エホバの祝福がこの制度の上に注がれていることの表われです」とノア兄弟は言いました。

      新しい建物の美しい御国会館に集まったのは,ブルックリンのベテルの家族と,それからその新しい建物の建築を手伝った兄弟たちで,合計630人でした。「この建物の美しさは皆さんの手になるものです」,とノア兄弟が言いました。なぜなら,やとった建築会社がその多くの仕事にあたりましたが,清掃,ペンキ塗り,タイルをはる事その他の仕事をして建物を本当に美しいものにしたのはこれらの兄弟たちでした。そうです,たしかにこの兄弟たちは,その仕事によくあずかって,かなりの費用を削減すると共に,質の面でも良い仕事をするようによく援助しました。

      「この制度は発展しています」,とノア兄弟は力強く言いました。それで新しい建物は本当に必要になりました。1950年にベテルの家族の人員は355名だけでした。1955年には455名になり,1960年の現在では607名が本部の家族となり,収容しきれぬほど一杯になってしまいました。

      建物の特徴

      新しい建物に関する諸点をいくつか語った時に,ノア兄弟は敷地の建物の取りこわしが1958年の12月8日に始まり,1959年の4月8日にはそれが終ったと述べました。1959年5月21日に,はじめてコンクリート ― 1万2658トンが使われた ― が流しこまれ,472トンの鉄筋が使われ,建物の外側には23万個のれんがが使用されました。この建物のちょっと変った点はコロンビアハイツ124番地のベテルの家とトンネルで連結されていることです。新しい建物はL型をしており,Lの字の長い方にあたる部分は,コロンビアハイツの方からオレンジ街とウイロー街をしめています。Lの字の短い方はウイロー街にそっています。下の1,2階外側は代理石とガラスがはめられてあり,この部分が,オフィスと学校に使われます。

      新しい建物の特徴を説明した時に,ノア兄弟は庭の事にもふれました。コロンビアハイツに面し2つの練鉄の門の側面に,れんがでできた2つのへいがあり,外側の練鉄の柵をささえています。建物にはいるには入口のへいの所を通り青い敷石へと歩いてゆきます。縦が38メートル,横が13メートルある庭の中央には,青い陶製のタイルでできた池があります。「この庭は美しい庭園になり小さな森のようになるでしょう」とノア兄弟が言いました。数多くの花床のほかに,たくさんの種類の木も植えられるでしょう。たとえば白樺,ハリモミ,サトウカエデや朝鮮ザクラなどです。

      学校の設備

      ものみの塔聖書学校のギレアデがベテルのその新しい建物の中に移されるとノア兄弟が説明しました。新しい建物の2階に,ウイロー街に沿って4つの美しい教室があります。同じ2階に,庭に面して広々とした講堂があり,そこでは全部の生徒が集まることができます。3階のちょうどこの上にあたる所には6つの部分と1つの休憩室<ロビー>からなる学校の図書室があります。3階,4階,5階には学生の部屋があります。

      10月17日から,アメリカ合衆国とカナダの巡回の僕,地域の僕がブルックリンのこの学校に呼ばれて,サウス・ランシンの御国学校で会衆の僕が受けている御国学校の課程を習得することになっていると,協会の会長は説明しました。それから1961年の1月頃に地のすみずみから生徒がやってきて,毎年100人ぐらいが,ギレアデのものみの塔聖書学校の新しい課程を習得することになります。彼らはベテルに1年間くらい滞在しますが,実際のギレアデ学校の課程は10ヵ月です。ここで訓練を受けるとだれでも,協会の支部でどんな仕事を与えられようがすぐできるというように教育されます。教室の通例の授業のほかに,協会のオフィス,工場,家における実際的な訓練も受けます。このように急速にふえていく家族がどこで食べるかという事はベテルの家族の話題になっていました。なぜなら現在の食堂がもう満員だからです。ノア兄弟の説明によりコロンビアハイツ116番地にある御国会館がもう一つの食堂になるという事がわかりました。

      新しい建物と拡大していく新しい世の社会についてのノア兄弟の話は,出席者一同を非常にはげましまた。協会の会長は「この建物を与えて下さったエホバ神に感謝します」と言って話を結び,それからエホバ神に祈って,エホバがその日に注いだ祝福と,新しい建物に対して感謝しました。ベテルの家族は協会がとりきめた,献堂式のプログラムに特に感謝しました。そのプログラムには,工場と新しい家の見学,またベテルで働いている人のための特別な食事もありました。

      兄弟たちの話

      ノア兄弟の献堂式の話の前に,ベテルの家族の中から3人が話しました。歌と祈りの後で最初に壇に上ったのは,1900年以来協会と交じわってきたエイ・エッチ・マックミランでした。マックミラン兄弟は話を進め,今から51年前に協会はペンシルバニアのアレゲニーからブルックリンに移ってきたと語りました。その時本部の家族はたった30人でした。今とは何というひらきなのでしょう! マックミラン兄弟は,エホバ神が御自身の民に与えている訓練ということを強調して話しました。新しい建物は,訓練の仕事のために作られ,その訓練は新しい世にいっても続くものだと言いました。長い年月を通して協会の特別な代表者であるマックミラン兄弟は,その特権を心から認めてこう述べました,「私の60年間の奉仕をもう一度くり返す事ができたら,私はもっと一生懸命に,もっと勤勉に働くことでしょう」。

      協会の会計 ― 秘書であるグラント・スーターはマックミラン兄弟についで話しました。スーター兄弟はすぐる年月の間,協会の建物の資金をどのようにしてきたかという事を話しまた。彼は次の事実を強調しました。つまり協会の建物は常に新世社会内の資金でまかなわれてきたという事です。この世の銀行や機関は協会にお金を借すと申しでましたが,この方面からの貸付金を利用した事は一度もなくそのわけは兄弟たちが喜んで寄付したり貸付したりしたからですと彼は説明しました。協会の建物の資金はいつもエホバの証者でまかなわれてきました。

      次に協会の副会長,F・M・フランズが話しました。「これは珍らしい対照ではありませんか」という言葉で話しを始めました。「私たちはこのウイロー<やなぎ>街で,今シオンの歌の一つをうたいました。しかし,今私たちがバビロンの川のほとりにすわり,そのやなぎに琴をかけなかった事に対して神に感謝致します! 私たちはウイロー<やなぎ>街にいます。しかし,自由の民としてシオンの歌をうたいました。これはエホバ神の愛ある御親切を証明するものです」。―詩 137:1-4,欽定訳。

      エホバの制度の拡大に言及して,フランズ兄弟はこう言いました,「この場所は全世界に展開する状況のシンボルであり」,拡大と栄光のシンボルです。フランズ兄弟は新しい建物が「美しく,栄光に満ちている」と述べて,エホバの宮にいるものがこぞってエホバの栄光を語ると言った詩篇記者の言葉を思いおこさせました。750人を収容できる新しい御国会館のふんいきは明るく,新世社会にふさわしいものです。会館はぐるりとくるみの化粧板がはりめぐらされ,北側には半円形の壇があってその2ヵ所には植物を飾るようになっています。

      ベテルの二つの建物につきフランズ兄弟は言いました,「これは単なる寮ではありません。これは教育の目的のためにささげられ活動している建物で,最もすばらしい教育施設です」。

      協会の会長はこのあとで献堂式の話をしました。全部で2時間半のプログラムでした。ノア兄弟の話が終ってから,10分の休憩があり,午後10時25分に,いつもの月曜日の「ものみの塔」研究を行ない御国会館の使用の皮切りとしました。これはブルックリンの家族にとって非常によろこばしい日でした。

  • エホバの証者の年鑑からの抜萃
    ものみの塔 1961 | 3月1日
    • エホバの証者の年鑑からの抜萃

      日本

      人口: 93,540,000人

      最高伝道者数: 1,658

      比率: 56,417人に1人

      人口密度が非常に高いこの日本の国では,まだまだ大きな仕事がエホバの証者の手によってなされねばなりません。世界中で良いおとずれを伝えている神の奉仕者が本当に少なかった初期クリスチャンの活動がしのばれます。日本もちょうどそれと同じです。少ないですが,ここでもすばらしいわざをしている奉仕者がおります。彼らは「異邦人たちの改宗の模様をくわしく説明し,すべての兄弟たちを大いに喜ばせ」たいと思っています。(使行 15:3,新口)最近日本で改宗する人は多く,このことは,既に新世社会に入っている人々にとって大きな喜びとなっています。なぜなら人々が偽りの神々から離れ,全宇宙の真の神を崇拝するようになるのを見るからです。真理に入って新世社会の一部になった者の間に真の一致が見られます。そして共に御国の良いおとずれを熱心に伝道しています。この1年も日本においては増加のすばらしい年でした。数の面ではそんなに多くありませんが,円熟性と理解の面でたしかに進歩がみられました。前年度にくらべてエホバの証者の数は22%増加し,同じ支部の僕の報告によると沖縄でも神の御国の良いたよりを宣べ伝えている者の数は31%増加しました。次に日本と沖縄からの報告を載せましょう。

      野外における奉仕者の数の増加を見守ることはすばらしいことでした。毎月伝道者の最高数が得られ,17ヵ月も最高数が続いて,7月には1658名の伝道者が野外にでて,これは30%以上の増加でした。しかし伝道者数の増加にもまして大きな喜びをもたらすものは,クリスチャンとしての円熟性を増すということです。

      この年の大きな出来事はヘンシェル兄弟の訪問と,そのとき同時に行なわれた地域大会でした。私たちは東京の美しい近代的な会館で大会をひらきました。最初のプログラムの時から1000名近くの人がエホバの食卓に集まり,これは以前の公開講演会出席者数の最高と同じくらいでした。ヘンシェル兄弟の話は非常に興味深いものでした。「預言に注意せよ」という公開講演をきいてから,一人の善意者はこう言いました,「このように将来のことを知ることができるのは本当にエホバだけですね!」。公開講演に1717名が出席したのを見て私たちの心はおどりました。

      大会の時に,開拓者やそのほかの人々が野外からの楽しい経験を述べました。小さいサムエルをしのばせるような5歳の奉仕者は,マイクロホンに向っておじけずに話しました。そして家から家に行く時人々にどう話すかを実演してみせました,「この雑誌はどのようにすれば新しい世で永遠に生きられるかが書いてあります」。この簡単な証言を使い,この坊やはその前の月に80冊の雑誌を配布しました。大きくなった時何になりたいかときかれて,こう答えました,「お父さん

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