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    ものみの塔 1959 | 11月15日
    • 14 人が伝道するとき,なぜたくさんの言葉は重要でありませんか。

      14 ヱホバを全くよろこばせるために,クリスチャンたちは良いたよりを伝道するだけでなく,実を結ばねばなりません。正しい種類の言葉を自由に語らねばなりませんが,むやみやたらに言葉を多くしやべるということがあつてはなりません。言葉をたくさん話すことは必要ではないのです。あなたの信仰と希望について良い弁明を述べる言葉が必要です。人々はあなたの言葉を理解しますか。使徒パウロの告げるところによると。理解できる5つの言葉を話して他の人がその言葉から教えをうける方が,誰も理解することのできない1万の言葉を語るよりも更に良いのです。―コリント前 14:19。

      15 誰を満足せしめるため奉仕者は質問に答えねばなりませんか。なぜ? 何が必要ですか。

      15 クリスチャンはパウロの助言に注意を払い,理解の言葉でもつて他の人々を教えねばなりません。彼らの心は,ヱホバ神,御子キリスト・イエス,神の御国,宇宙と人類についての神の目的,神の律法と原則についての正確な知識で満ちなければなりません。そのとき,クリスチャンは自分の信仰と希望を正しく弁明することができます。次のことを尋ねてみましよう,あなたはこの知識を取り入れましたか。あなた自身が満足するだけでなく,質問をした人をも満足させるように答えることができますか。あなたは研究に心の全部を打ちこみましたか。そして,一道にすぐれた者として神の御言葉を効果的に取りあつかい,そして反対者を反論できないため恥をかく,などということがないようにしていますか。パウロは,クリスチャンにこうさとしています。「あなたは真理の言葉を正しく教え,恥じるところのない錬達した働き人になつて,神に自分をささげるように努めはげみなさい。」― テモテ後 2:15,新口。

      16 (イ)両親は子供たちに何を期待しますか。(ロ)ヱホバは御自分の僕たちから何を期待しますか。

      16 良いたよりを伝道して弁明するとき,そしてあなたの希望についての理由を述べるよう命ぜられるとき,いつでも他の人に依存して,他の人の方が良くできるなどと考えてはなりません。ヱホバは,あなたが聖書にもとずく希望を,独力でかため得る,と期待しています。あなたは「常に学んではいるが,いつになつても真理の知識に達することができない」,そして自分の希望を自分ひとりで弁明することのできない者に属したい,とは決してのぞまれないでしよう。(テモテ後 3:7,新口)両親は子供が成長して一人立ちするようにと期待しています。母親が小さな男の子の手を引いて,道を無事に渡らせるならよろこびを感ずることでしよう。しかし,20歳にもなつた息子が「お母さん,僕の手を引いて渡らせて下さい,」と言うなら母親はきつと失望するでしよう。法律を研究する者も,いつの日かひとりで法廷に立ち,自分の訴訟事件を弁論しなければなりません。それで,ヱホバもクリスチャンが成長し,その御言葉である聖書の基礎的な真理について,いつの時でもすべての人に申し開きすることができるよう期待しておられます。―コリント前 13:11。

      17 なぜ毎日の聖書研究はいちばん重要ですか。

      17 もしあなたが産出の多いそのようなクリスチャン奉仕者になりたいと欲するなら,毎日研究することが必要です。あなたはすべての種類の人にたいして何を弁明したいかを,十分良く知らねばなりません。それですから神の言葉を研究するために時間を取つておきなさい。自分は若すぎるとか,または年を取り過ぎていると考えてはなりません。あなたの世俗の教育は良くない,などと考えてもいけません。あなたがたが若くても年を取つていても,受けた教育が高いものでも低いものでも,あなた方はみな聖書を知るために学ぶことができます。聖書を毎日用いなさい。僅かな15分でも又は30分でも,毎日読んで考えをめぐらしなさい。そのとき年齢や教育にかかわりなく,あなたは神の言葉をたくみに用いる人に必ずなります。私たちは毎日していることに遂には習熱します。真の信仰と希望を効果的に伝道して弁明する能力を発展させる際に,毎日の研究は最重要な要素のひとつです。クリスチャンはそれを学ばねばなりません。「私たちの仲間も,さし迫つた必要に備えて,努めて良いわざを励み,実を結ばぬ者とならないように,心がけるべきである。」(テトス 3:14,新口)あなたは研究によつて「ひとりびとりに対してどう答えるべきか,わかる」準備をします。―コロサイ 4:6,新口。

      聖書によつてあなたの希望を守る

      18 あなたの希望を伝道して守る際に,なぜ聖書を用いねばなりませんか。

      18 あなたの希望を伝道して守る際に最も成功を収める方法は,聖書を使用することです。あなたの希望は聖書から来ます。聖書でもつてあなたの希望を弁明しなさい。善意者にあなたの希望の正しさを確信せしめることは,神の言葉なる聖書によるのであつて,あなたによるものであつてはなりません。あなたが自分の信仰を実際に守り,あなたの希望について弁明を与えるのは,伝道するときだけでなく,聖書を効果的に用いる時です。できるだけ多くあなたの聖書を用いなさい。あなたが語るのでなく,聖書が語るようにしなさい。あなたは,新しい地をどのように描写しますか。ただ語ることだけですか。それはあなたの御国の希望を弁明する弱い仕方です。あなたは聖句でもつて伝道を裏づけていますか。新しい地のすばらしい状態を説明するのに,すくなくとも10の聖句を記憶していますか。そのときあなたの希望について弁明する用意がいつでもととのつていることになります。聖書に頼ることによつてのみ,人々はあなたの希望が聖書に基ずいて一致しており,信頼することができると知ります。人々のところを去つてのち,人々は「あの人は聖書からそれを示した」と言わざるを得ないでしよう。

      19,20 (イ)なぜクリスチャンは,容易に理解できる仕方で聖書の真理を説明することができねばなりませんか。(ロ)一例を述べなさい。(ハ)各クリスチャンは何をするべきですか。

      19 クリスチャンは又,容易に理解できる仕方で聖書の真理を正しく,かつ確信をもつて説明することができなければなりません。これは準備を意味します。たとえば,あなたは地的な復活を説明することができますか。カトリック信徒は,その「使徒信条」の中で,「肉体の復活」を信ずるように教えられています。その肉体とは,墓の中に横たえられたのと同じ肉体なのです。あなたはそのことを知つていましたか。多数のカトリック信徒が,復活について奇妙な考えを持ち,あなたが復活という言葉を口にするときしばしば微笑をうかべるのも当然です。彼らは偽りの宗教的な教えの影響をうけているため,墓地の重い墓石が取りのぞかれて,おそらく腕が1本または足が1本ない状態で,以前と同じ肉体が墓から出てくると想像するのです。

      20 聖書がそのようなことを教えていない,とあなたは知つています。しかし,聖書は同じ個性を持つ者の復活を教えます。それは当然に肉体を持つでしよう。「記憶の墓にいる者すべて」に復活が行われるのです。(ヨハネ 5:28)慰めを与えるこのすばらしい聖書の教理を,人々にどのように説明して確信させることができますか。偽りの宗教の悪い迷信的な考えから,人々をどのように自由に解き放つことができますか。毎日,神の言葉であなたの心を満たすことによつてのみ,そうすることができます。肉体の復活ではなく,死人の復活についてのあなたの希望を支持する良い聖句や論議を探し求めなさい。ヱホバの証者の他の奉仕者と共に語り合いなさい。死人に対する希望について,彼らがどのように説明し,弁明するかを聞きなさい。後日に用いるための主要な論議と聖句に注意を払いなさい。ここに一つの例があります。ヱホバは,最初の人間アダムのための体をどこから取りましたか。創世記 2章7節は,次のように述べています,「ヱホバ神土の塵をもて人をつくり」また,創世記 3章19節は,人が死んだときにその体がどこに行くかこう告げています,「なんじは塵なれば塵に帰るべきなり」。事実はこのことの真実なることを証明しています。墓の内に横たわる死体はみな塵に戻り,地の要素に戻ります。これらの死体は復活を受けることができません。それ塵に戻るのです。しかしヱホバは地の塵からアダムの体をつくられたと同じく,復活された人にも地の塵から体をつくるでしよう。それで,アダムの場合のごとく,ヱホバはふたたび「生命のいきをそのその鼻にふき入れ,人は生ける者になる」でしよう。もつと多くの論議を探し求めなさい。復活はすばらしい聖書教理の一つです。さらに多くのすばらしい聖書教理が他にもあります。毎週に新しい教理を一つ,または毎月に新しい教理を一つ学びなさい。そうして行くとき,間もなくして週の経つごとに,あなたは聖書の真理を効果的に,簡明に,そして確信させる仕方で説明するのに一層たくみになるでしよう。

      21,22 (イ)奉仕者は反対をどのように見なすべきですか。良い反駁の例を述べなさい。(ロ)私たちは,何をするよう助言されていますか。

      21 クリスチャン信仰と希望を正しく弁明する人は,反対を反駁することができなければなりません。御国のたよりを伝道しているときヱホバの証者は同じ反対を何度も聞きます。良心的な奉仕者として,あなたはこれらの反対を無視しないでしよう。反対の表をつくりなさい。それらについて深く考えなさい。これらの反対を反駁して,あなたの信仰を守るため要をつく論議や適切な聖句を再び探しなさい。

      22 あなたが新しい地の平和と正義に満ちる状態を述べると,しばしば人々は反対します。そして,楽園は天にあるのであつて,そのような状態はこの地に決して来ない,と言います。楽園の地というあなたの希望は,正しい聖書の教えであることを人々にどのように確信せしめることができますか。例えば,イザヤ書 65章21,22節を用いてそれを説明することができます。その聖句によると,新しい地では人々は家を建ててそこに住み,ぶどう園をつくつてその実を食べます。イザヤは,天で建てたりつくつたりすることについて語つていないことはたしかです。彼はこの地上における平和と正義の状態について述べているのです。更に25節は,次のように述べています,「おおかみとこひつじと食物を共にし,ししは牛のごとく藁をくらう」。この預言は地だけに適用することができます。いつの日か天でししが藁を食う,などと主張する人はひとりもいないでしよう。確信せしめるそのような論議をもつと多く探しなさい。そして,神の言葉を正しく取りあつかうことにより,あなたの希望を弁明しなさい。毎週に一つの反対,または毎月に一つの反対を十分に反駁するなら,あなたの信仰を守るのにいつそう効果を挙げ,あらゆる種類の人々に,あなたの希望についての弁明を強くすることができます。

      23 「ものみの塔」誌は,協会の他の出版物と共に,あなたの希望を弁明するためどのようにあなたを助けますか。いくつかの例を述べなさい。

      23 上手な弁明者として「ものみの塔」誌や協会の他の出版物の中で良い点を見つけるように気をつけていなさい。聖書の教えを説明したり反対を反駁する際にそれを良く用いることができるようにします。各号の「ものみの塔」の内で良い点をすくなくとも一つ見つけるように努めなさい。それを書き記しなさい。それを,準備した答えと反論の中につけ加えなさい。このようにして,あなたは生き生きとした状態を保ち,いつでも最新の知識を持つことになります。

      24 なぜクリスチャンの希望は,たくみに弁明されねばなりませんか。

      24 あなたの希望を上手に守るため,その希望についての知識を持つだけでなく,巧みさを持たねばなりません。ペテロは次のように語りました「しかし,やさしく,慎み深く,……弁明しなさい。」たとえば,カトリック信徒が,この地上に平和は決してないと告げるなら,あなたは自分の信仰を,どのように巧みに弁明しますか。カトリック訳の聖書から,イエスの誕生のときに御使たちが述べた預言を示すこともできます。それはルカ伝 2章14節に「……そして地上には善意者に平和あれ」と記録されています。(ドーエイ訳)この預言がまだ成就されていないことについて,そのカトリック信徒は同意するでしよう。すると,御使は正しく預言しなかつたか,または平和はいつの時かこの地上に来るにちがいない,ということになります。その人にこのように話しなさい,すなわちヱホバの証者はカトリック聖書訳に述べられていることを信じ,御使の預言が真実であると信じています。それですから,平和はこの地上にかたく立てられ,善意者だけがこの平和を楽しむでしよう。そして,自分はそのような人々を探し求めており,それらの人々を援助して,この平和に満ちる地についてさらに学ぶようにしている,と告げなさい。そのように巧みに,また親切な仕方の中に,あなたは人々の注意を神の御言葉に向けさせています。神の御言葉でもつてあなたの希望を巧みに弁明するとき,言い争うということもありません。そして,善意者が良い印象を受けると希望することができます。「主の僕たる者は争つてはならない,だれに対しても親切であつて,よく教え,……反対する者を柔和な心で教え導くべきである。おそらく神は,彼らに悔改めの心を与えて,真理を知らせるであろう。」― テモテ後 2:24,25,新口。

      25 すべてのクリスチャンに対する神のみこころは何ですか。

      25 それですから,神の言葉と原則を弁明するクリスチャンは,若い者も老いている者も,「真理の言葉を正しく教え,恥じるところのない錬達した働き人になり」なさい。「あなた方のうちにある望みについて説明を求める人には,いつでも弁明のできる用意をしていなさい。しかし,やさしく,慎み深く,明らかな良心をもつて弁明しなさい」。これはあなたに対する神のみこころです。そして,このようにあなたのクリスチャン奉仕を達成することにより,あなたは御自分の希望の成就を確信することができます。

  • 「完全なる正確さ」
    ものみの塔 1959 | 11月15日
    • 「完全なる正確さ」

      エイ・ランドル・ショートは,「現代発見と聖書」という本の中で,使徒行伝について次のように書いています,「ローマの習慣によると,遠方の国々は安全と考えられている限りは,その地方の人によつて支配させる方針であつた。その結果,それぞれの場所の権威者たちは,いろいろのちがつた名前を持つていた。観察眼のするどい旅行家か,または記録を丹念に調べる人でないかぎり,それらの支配者たち全部に正確な名称をつけることはできない。ルカの歴史的な感覚さはすばらしいものである。彼はいつの時でも完全な正確さを示しているのである。ある場合には,貨幣とか,彫りつけられた文字などによつて,我々はルカの記録を調査することが必要であつた,著名なローマの歴史家たちは,そのような難しいところに敢えて足を踏み入れようとしない」

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