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真理のみことばの土地ものみの塔 1968 | 12月15日
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真理のみことばの土地
「エホバはモーセに言われた。『これはわたしがアブラハム,イサク,ヤコブに誓って,「あなたの子孫に与えよう」と言ったその土地である。わたしはあなたに自分の目でこの土地を見させた』」― 申命 34:4,新世訳。
1 地理の勉強はわたしたちにとってどれほど興味深い事柄ですか。
人は自分の住まいに関心をいだいていますから,人間の住むこのすばらしい地上に生を享けたあなたは,地理に対して特別の興味ではなくても,少なくともある程度の興味をお持ちでしょう。確かに地理は,大地とその営みを記述する興味深い学問です。それはおもに地表と,湖沼,海洋といった水域を記述の対象としたり,天然資源はもとより,気象,動植物の分布,人間の生活の地理的情況を研究し,そのほか産業や前述の諸要素の記録およびその相関関係もある程度考慮します。
2 地球上の地理をよく知る二つの方法を述べなさい。
2 地球の地理を考える場合,もちろんさまざまな特色を実際に目で見ることができます。また,かなり精密な地図を用いる方法もあります。それで,地理を知ろうとして地上のあらゆる場所に行く必要はありません。しかし地上の色々な地方を実際に旅行して見学すれば,地理の勉強で学んだ事柄を確認できます。いずれにしても,地理を学ぶのは,有益な勉強であって大地とその特色を自分自身で科学的に研究することになるでしょう。
3 1967年の夏,なぜ多くの人は思いがけない地理の勉強をすることになりましたか。
3 また,最近の出来事にかんするニュース記事からも地上の各地の地理を知ることができます。1967年の夏のこと,世界中の人々の眼は,地中海東部に位置する狭い地域にそそがれました。その年の6月,短時日の激戦が行なわれ,世界中の報道機関はその戦争および戦争の起こった地域に関する詳しいニュースを伝えました。この地域の地勢を知らせる地図・図面・絵・写真・略図などを載せた報告記事を読んだ人々は,地上のその地区の地理を学び,それらの記事が発表される前よりもその地方のことをもっとよく知るようになりました。
4,5 (イ)1967年に生じたイスラエル対アラブの戦争にかんする記録で,戦場となった土地の特徴がどのように示されていますか。(ロ)これはわたしたちにとってなぜきわめて意義深いことですか。
4 1967年6月5日に発生した,イスラエルおよびアラブ間のこの武力衝突に関する記事には,地上の他のどんな場所にも見ることのできない特色が取り上げられ,この地域にのみ限定される顕著な事実が数多く指摘されました。これは非常に意義深いことです。それはこの地が,あなたに影響を及ぼす,きわめて重大な過去の出来事の起こった場所であることを確証しています。種々の報告で指摘されたつぎの幾つかの点に注目してください。
5 エルサレムのことは,「イエスの生涯中の数多くの主要な出来事の生じた場所であるゆえ,クリスチャンの畏敬の的とされるこの歴史的な町」と述べられました。また,「(テル・アビブ)とエルサレム間の聖書時代の古い道路」,「キリスト教の聖地」,オリブ山,カルバリ,ソロモン王の宮の神域についても言及され,ベツレヘムはイエスの生誕の地として述べられ,「ダマスコは……アラムの子ウヅによって建てられ……アブラハムの時代すでに町となっていた……パウロはこの町に向かう途中キリスト教に改宗した」と指摘されました。
6 地上のこの地域の歴史を顕著なものとする他の事実を述べなさい。
6 一報道によればユダヤ人のひとりのラビは,この戦闘の地が歴史の上で重要な土地であることを指摘しながら,興奮して,「2000年来のユダヤ人の夢は今や実現されようとしている! 我々はメシヤの時代にはいった」と述べたとのことです。今回の戦争に関する報告の中で,その地域は「アラブ人はローマ名でパレスチナと呼びユダヤ人はイスラエルと呼ぶカナンの地」として,また,兵士たちは「イサクの子孫およびイシマイルの子孫」として指摘されています。次のようなことばも見られます。「ユダヤ人とアラブ人はいずれもセム族であり,3500年前にさかのぼる歴史的な関係を有する民族である。ユダヤ人はアブラハムの子イサクそして孫ヤコブを介するアブラハムの子孫と称し,アラブ人はアブラハムのもうひとりの子イシマエルによるその子孫であると唱える」。
7,8 (イ)一戦争報告書にのせられた地図にかんしてはどんな地点が注目されていますか。(ロ)現代の出来事の起こった場所で聖書の歴史と直接関連しているところをほかにあげなさい。
7 一戦争報告書に発表された地図についてこう述べられています。「地図を一目見れば……イスラエル側の制圧した地域がわかる。今やイスラエルは戦略上の多数の拠点を確保しており,その国境の守備ははるかに容易になった。それら拠点とは,エルサレム旧市街とユダの丘陵地区,ヨルダンのサマリヤ丘陵地区,シリアのゴラン高地,ガザの平野,チラン海峡を見おろす諸地点,スエズ運河東岸に通ずるシナイ半島上の幾つかの主要連絡地などである」。
8 悲しみの壁,オリブ山,スコパス山,ヨシャパテの谷,テベリヤ湖つまりガリラヤの海,ペテロが漁をしたその湖のシリア側の断崖,パンと魚が奇跡的に備えられた至福の山,ヘルモン山などのことが,その戦争に関する報道の地理上の説明の中で目立っていました。なかでも,「2000年前ナザレの一ユダヤ人が万人の心に訴える平和とあわれみの教義を唱えたのはこの悲惨なしかし愛すべき土地であった」との一文は印象的でした。
9 地上のこの特別な土地について創造者のみことばはなんと述べていますか。
9 あなたにとって重大な意義を持つ多くの出来事が起こったのも,比較的狭い地域である地上のこの特定の土地でしたが,それは地球を造られた創造者エホバの取り計らいによることでした。申命記 34章1-4節(新世訳)で次のように言及されているのはこの土地のことです。「それからモーセはモアブの荒地からネボ山にのぼり,エリコに面するピスガの頂上に達した。そしてエホバはギレアデからダンに至る全地とナフタリの全地,エフライムとマナセの地およびユダの全地を西方の海に至るまで示され,またネゲブとその地域としゅろの町エリコの谷の平地とをゾアルに至るまで示された。そしてエホバは,モーセに言われた。『これはわたしがアブラハム,イサク,ヤコブに誓って,「あなたの子孫に与えよう」と言ったその土地である。わたしはあなたに自分の目でこの土地を見させた。あなたはそこにはいることができないからである』」。
10 (イ)ヨシュア記 1章4節と創世記 15章18-21節に述べられているこの土地にかんする別の説明をもとにして,そこに含まれている地域と境界線を地図の上で指摘しなさい。(ロ)それでエホバが「これは……その土地」であるとモーセに言われたとき,何を意味されたのでしょうか。
10 この地はさらに次のように描写されています。「汝の境界は荒野およびこのレバノンより大河ユフラテ河にいたりてヘテ人の全地を包ね 日の没るかたの大海に及ぶべし」。(ヨシュア 1:4)その地をセーセに示したエホバ神は,アブラハムに対するご自分の約束に言及されましたが,アブラハムに向かってこの地を次のように説明されました。「この日にエホバ,アブラム[アブラハム]と契約をなして言たまひけるは 我この地をエジプトの河よりかの大河すなはちユフラテ河までなんぢの子孫に与ふ すなはちケニ人 ケナズ人 カデモニ人 ヘテ人 ペリジ人 レパイム人 アモリ人 カナン人 ギルガシ人 エブス人の地これなり」。(創世 15:18-21)モーセはその全地に深い関心をいだき,約束の地の北部,レバノンの山地に行くことを心から願いましたが,神はそれを許されませんでした。そこで最後に神はネボ山のピスガの頂上の,見晴らしのきく地点からその地の全ぼうを眺めさせました。(申命 3:23-28)それでおわかりのとおり,これは神がご自分の目的のために選定された,明確に境界の定められた特異な地域です。エホバ神はこのすぐれた土地を契約下の民,イスラエル民族に贈り物として与えられました。このすばらしい約束の地は,神のことば聖書にしるされている数多くの出来事の起こった土地であり,真理のみことばはおもにこの地で書きしるされました。それで,「これは……その土地である」とエホバの述べられた約束の地は,真理のみことばの土地,聖書の土地,今日のクリスチャンの教典となっている本の土地なのです。
11 この土地はみことばをどのように裏づけていますか。
11 真理のみことばの土地は,みことばに頼るのが全く理にかなっていることを明白に示しています。その地はみことばを裏づけています。聖書が言及している場所の存在や,聖書にしるされている出来事が起こったかどうかを疑う人もいます。聖書が存在することは,それが現にあるのですから,疑いをはさむ余地はありません。しかしそのような人々は聖書の正確さを否定します。その地の存在は否定できるでしょうか。それはできません。その地は現に存在するのです!
12 クリスチャンが今日この土地に特に関心をいだいている理由を述べなさい。
12 その地とその地勢は,読者でも,まただれでも見ることができます。約束の地に関する聖書の描写は莫然としているどころか,はっきりした名称や地名が用いられています。それらは真理のみことばの中に含まれているのですから,それらを詳細に知るのはクリスチャンにとって大変興味深いことです。エホバのしもべヨシュアはその別れに際してこう述べました。「みよ今日われは世人の皆ゆく途を行んとす 汝らは一心一念によく知るならん 汝らの神エホバの汝らにつきてのたまひしもろもろの善事はひとつもかくるところなかりき 皆なんぢらに臨みてその中ひとつもかけたるものなきなり」。(ヨシュア 23:14)ヨシュアはその告別の辞の中で,「エホバの汝らに賜ひし……よき地」に言及しました。クリスチャンは真理のことばにより頼みます。またそうする場合,真理のことばの地にかんする知識があれば,心を強められ,助けられます。
13,14 (イ)聖書に述べられている地理上の事柄は,いつも十分に理解されていましたか。(ロ)この点についてマルチン・ルーテルは何と述べましたか。(ハ)聖書の土地に関する正確な地図が出版されたのいつごろですか。(ニ)わたしたちは聖書の土地をどの程度知ることができますか。
13 その地を描写したことばの中に出てくる多くの顕著な名称から,約束の地はどれほどの範囲にわたっていたかがわかります。ユフラテ川,地中海あるいは西方の海,エジプトの川,レバノン山脈その他多くの名称がでてきます。それがどこにあるかご存じですか。約束の地は地中海の東端にあり,その海岸から東方に伸びています。今日ではどんな世界地図でも,この地を指摘できます。
14 聖書に述べられている地理上の事柄は前世紀まではあまりよく理解されていませんでした。1483年から1546年まで生存した聖書学者マルチン・ルーテルはこう語ったとしるされています。「(聖書の)土地がそれぞれどのように位置しているかを知ることができれば,見慣れない奇妙なことばや名称を読むことも苦にはならず,理解に戸惑う必要もなくなりどんなにすばらしいことであろう」。聖書の土地に関して本当の意味で正確な地図が初めて出版されたのは1880年ごろと思われます。今日ではだれでも約束の地を詳細に知ることができます。今日得られる,約束の地に関する知識は,読者が聖書を理解するのに役だつでしょう。真理のみことばにしるされた出来事の背景をなすこの地は実在する土地であって,神話の土地ではありません。それは今日あなたが訪れることのできる土地です。
15 (イ)人間に対するエホバの贈り物には,今もわたしたちとともにあって益をもたらしている二つのどんなものがありますか。(ロ)わたしたちにとってどのように益となりますか。
15 真理のことば聖書は,それ自体ひとりイスラエル民族のみならず関心をいだき信仰を持つ人すべてに対するエホバからのはかり知れない貴重な一つの贈り物です。その土地と神のみことば,これら二つの贈り物は今もわたしたちとともにあり,いずれも抹殺できません。そのみことばはわたしたちをその地に注目させます。昔エホバの崇拝の行なわれたこのパレスチナの地は,クリスチャンにとって他の人以上に意味深い土地です。聖書には特定の場所のことが盛んに指摘されているため,その地とそれぞれの場所はわたしたちにとって大切な意味を持っています。一方,その地の外見上の特徴は幾世紀もの間に変化しましたが,その地は今もそこに存在しており,多くの出来事の起こった場所を的確に指摘できることは,聖書の記述の正しさを明示し,また真理のみことばを現実のものにしています。
16 わたしたちは出来事と場所とをどの程度関係づけますか。
16 聖書中の出来事と,記録に出てくる土地とを関係づけようとするのは,ごく自然な正しいことです。背景となる土地がわかれば,出来事に対する興味は増し加えられ,その意義はより十分に理解できます。その地についてよく知ることが必要な理由は多々あります。それで,エホバがそのしもべモーセに「これは……その土地である」と語って言及された地はどんなところかをできるだけ詳しく学ぶことにしましょう。
重大な出来事の起こった狭い舞台
17 楽園を描写するようなどんなことばがかつてこの土地にあてはまりましたか。
17 「汝の神エホバ汝をして美地にいたらしめたまふ これは谷にも山にも水の流あり泉あり たまりみずある地,小麦 大麦 ぶだう いちじくおよびざくろある地 油かんらんおよび蜜のある地 汝の食ふ食物にかくるところなく汝に何も乏しきところあらざる地なり その地の石はすなはち鉄その山より 銅をほりとるべし 汝は食ひてあき 汝の神エホバにその美地を己にたまひしことを謝すべし」。(申命 8:7-10)聖書はこのように描写して,当時そこはまさに楽園のようであったことを示しています。この昔の地は,キリスト・イエスの治めるエホバの天の御国の統治下の地,つまり楽園の一つのひな型です。
18 746頁にある地図を用いて,約束の地をさらに説明しなさい。
18 昔の約束の地の範囲は,これまですでに掲げたことばや民数紀略 34章1-12節にある説明から確定できます。その聖句はここに掲げませんが,ご自分の聖書を開いて一読されるようにおすすめします。ここに掲げた地図をご覧になれば,狭いながらも重要な出来事の展開される場所となったその地の全容がわかるでしょう。厳密に言えば,それは東西の幅がわずか56キロ余,そして大体南北にわたる長さ約480キロの地域です。しかし人々が住んだのは実際にはそのうち240キロほどの長さの土地ですが,その地は全体として約1万5540平方キロの広さです。以上はソロモンの統治した王国時代の領土で,聖書はこう述べています。「そはソロモン河のこなたをテフサより ガザまでことごとく治めたればなり すなはち河のこなたの諸王をことごとく統御たり彼は四方の臣僕より平安を得たりき ソロモンの一生の間ユダとイスラエルはダンよりベエルシバに至るまで安然におのおのそのぶだうの樹の下といちじくの樹の下に住めり」― 列王上 4:24,25。
19 聖書中の劇的な出来事の舞台となったのはどれほどの広さの土地ですか。
19 そのうえイスラエル人はヨルダン川の東に横たわるかなり広い地域にも定住しました。これは前述のソロモン治下の領土以外のものですから,その地は合計約2万5900平方キロに達します。この広さの土地が劇的な数々の出来事の舞台となりました。
20 748頁の地図を参考にしながら,地中海沿いの地方の一般的な地勢を述べなさい。
20 この地域の地理上の多様さや特異さは容易に心に描くことができ,またそうするのは有益なことです。約束の地には地勢上の一般的な特徴がありますが,それらは容易に覚えられます。実際にユダヤ人が所有した土地は,ここに掲げた地図の北方にあるレバノン山から,南部の荒野ネゲブに至る地です。今日では地中海として知られている西方の海あるいは大海は約束の地の西方の境を成していますが,カイザリヤとシャロンに及びその海岸線に沿って平野が連なっています。
21 その東部には次にどんな地勢が見られますか。
21 その東,つまり海岸部と山岳地の中間にあるのはシェフェラ(“低地”)あるいは丘陵地帯です。地図では南部のネゲブの上方にシェフェラとしるされています。また,地図を見ると,聖書の中で23回言及されている町ラキシがこの丘陵地帯シェフェラに位置していることに気づきます。
22 ここに指摘されている他の場所は地図の上でどこにありますか。
22 シェフェラあるいは丘陵地帯のおおむね東に位置するのは,サマリヤとユダの山岳地です。エルサレムの町の占める地区はこの山地の中にあります。シオンとも呼ばれているエルサレムは,地図を見ると,死海北端の西方にあります。また,オリブ山やベタニヤもあります。その北方にはゲリジム山を含むサマリヤの山岳地が横たわっています。そこにはヤコブの井戸やスカルの村そしてサマリヤの町があります。この地域はイスラエル国家が二つに分裂したのちに,イスラエルの10支族の領土となりました。
23 大渓谷およびここで述べられている互いに関連した場所を地図で指摘しなさい。
23 エルサレムの右北つまり北東の方向にエリコの町があります。エリコは,約束の地の地勢の上で次に重要な地域の西側に位置しています。この地方の地理上の顕著な特色は,北部の山地から南北に縦走し,ヨルダン渓谷,ヨルダン川,ガリラヤの海,塩の海あるいは死海を含み,さらにアラバに下り,紅海につながる大渓谷です。
24 この土地を見渡すためにモーセはどこに立ちましたか。
24 それからヨルダン川および塩の海の東にはモアブの丘陵と台地が横たわっています。地図にはネボ山やピスガも載っています。この高地に立ったモーセは,北から西,それから南と,その地を見渡し,さらに田園地帯のはるか向こうに地中海を望むことができました。そしてその大海を一望に収めたモーセは,「これは……その土地である」と語ったエホバのことばを耳にしたのです。
25 地図を用いて,この土地の一般的な五つの地勢をもう一度述べなさい。
25 これで約束の地の幾つかの大まかな特色がおわかりでしょう。これは,地中海の海岸線に沿う平野丘陵地帯あるいはシェフェラ,サマリヤの山岳地そしてエルサレムの位置するユダの山岳地,エリコを含むヨルダンの大渓谷,それにモアブの山地を含むヨルダン川東部の丘陵と台地などです。
26 聖書に出てくる他の場所を地図で示しなさい。
26 前に掲げた地図や他の地図を見れば,ケデロンの谷,ヒンノムの谷,アラバ,アルノン川,ヨルダン川,オリブ山,エスドラエロン平原,カルメル山,ヘルモン山そしてヤボク川などを含めて,聖書に述べられている数多くの地理上の特色がわかります。
27 (イ)わたしたちにとって大切なのはどんな事実ですか。(ロ)これはなぜ重要な事柄ですか。(ハ)ある種の批評は今どのように敗北をこうむっていますか。
27 わたしたちにとって重要なのは次の点です。つまり,すべてこれらの場所では,真理のことばの中で述べられている土地に関して,聖書を裏づける考古学上の発見が数多く行なわれているということです。これはなぜそれほど大切な事柄なのですか。その理由は,聖書に示されている土地でこれまでの何世紀もの間その存在が知られていたり,その所在が確証されたりした例は多数ありますが,反対に,聖書に述べられてはいても,今だに不明な場所も多数にのぼるという事実にあります。神のみことばを批判する人々は,それらの場所の所在が不明である以上,聖書の記録は真実ではなく,したがって聖書は信頼できないという見解を述べてきました。この点で,考古学上の証拠となる諸事実はきわめて大切なことを証明していると言わねばなりません。つまり神のみことばにしるされている色々の場所は決して存在しなかったと主張する人々の誤りを証明します。聖書の遺跡の所在地が不明であることを理由とする“懐疑主義的な批評”が特に18世紀以来台頭してきました。考古学の一権威者ウイリアム・フォックスウェル・アルブライトのことばを借りれば,「現代の高等批評家は,創世記の族長社会にかんする物語や,最初の五書中の他の本にしるされているモーセの律法に基づく慣行にかんする記述を信用しなかった…モーセを伝説的な人物と見た者もあった」のです。このような批評はかつて行なわれた“酷評”とされており,今では約束の地における近年の発掘調査に基づく多数の事実によって圧倒的な敗北をこうむっています。
28,29 この土地は真理の探求者にとってどのように役だちますか。
28 それで,その土地はわたしたちの前に横たわっており,そこを訪れることもできます。これが現状です。その地の外面的な地理上の特徴はわかりやすく,だれの目にもそれとわかるので,たまたまその地を訪れた人でさえ,そこが神のみことばに出てくる土地であるとわかるほどです。しかし,神のみことばを受け入れず,それを信じがたいものにさせようとする批評家は,聖書そのものによって初めて明らかにされてきた民族や土地を仮空の存在と見なしています。また,その理由で,聖書の記述は伝説にすぎず,信頼に値せず,確かな導きにすべきものではないと論じてきました。
29 しかしそのような聖書批評の誤りは,考古学上の証拠となる諸事実によって明らかにされていることをすでに指摘しました。では聖書の真実さを確証するそれら考古学上の発見の幾つかを知るのは興味深いことではありませんか。次の記事でそれらの事柄を取り上げましょう。
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真理のみことばを裏づける土地と考古学ものみの塔 1968 | 12月15日
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真理のみことばを裏づける土地と考古学
「あなたがたの神エホバがあなたがたに語られたことばはひとつも欠けることなくすべて果たされた。あなたがたはこのことを自分の心と魂のすべてをもって十分に知っている。それらはみなあなたがたに真実となった。ひとことも果たされないものはなかった」― ヨシュア 23:14,新世訳。
1 エホバの贈り物である土地とみことばとは,だれに与えられたものですか。
エホバ神がご自分の民イスラエルに与えられた約束の地は,イスラエル民族のみならずエホバを崇拝する人々すべてに与えられた貴重な贈り物である,神の真理のみことば聖書を裏づけ,確証します。神のみことばはその土地のことを述べ,一方その土地はみことばを裏づけ,とくに考古学上の正当な事実によって,悪質な聖書批評を敗退させています。それで,これらの事実の幾つかおよび考古学の分野の権威者がそれらに関して述べたことばに読者は興味を持たれるでしょう。その一,二の例は次のとおりです。
2,3 悪質な聖書批評が考古学上の成果によって敗退していることを示す権威者の見解を述べなさい。
2 「聖書にしるされている歴史が真実かどうかは疑わしいという考えが19世紀末から今世紀初頭にかけて一般に広められてきたが,この考えを是正するのに,聖書の考古学的研究が多大の貢献をしたのは確かに真実である」。これは,「聖書と考古学」の著者J・A・トムソンのことばです。
3 「聖書でしばしば言及されているパレスチナの土地や町々は,再び日の光に照らされることになった。それらの遺跡は,聖書にしるされているとおりの姿を現わし,また聖書に示されている地点に寸分たがわず横たわっている」。これはウェルナー・ケラーが自著「歴史としての聖書」の序言で述べた見解です。彼はさらにこう続けています。「『やはり聖書は正しい!』 わたしの脳裏にたえずひらめいたのはこのことばだった」。
4 聖書以外に大洪水を裏づける証拠がありますか。
4 大洪水つまりノアの洪水にかんする聖書の記録が疑問視されたのをご存じですか。一部の聖書批評家はそれを嘲笑し,それによって神とキリスト・イエスとを汚し,自分たちの考えをうまく人々に受け入れさせて,人々の心を傷つけました。しかし考古学上の発掘調査の結果は,創世記 7章の大洪水に関する聖書の記録の正しさを確証しています。考古学上の証拠は,「塔の頂を天にいたらしめん」と述べた聖書の記述の正しさを証明しています。―創世 11:3,4。
5 今日確認された遺跡で,ここに列挙されているものを,地図の上で指摘しなさい。
5 創世記 10章および11章に述べられている土地で,その所在が考古学上の報告により確認されたものの中には,カラ,エレク,カルデヤのウル,ハランなどの諸都市があります。また創世記 11章中の人物では,ペレグ,セルグ,ナホル,テラ,ハランなどの名前があります。これらの人名はマリ王宮の遺跡から出土した楔状文字の碑文の中で言及されています。シケムの遺跡やベエルシバの井戸の遺跡も同じように確認されています。
6 エリコにかんして確証された事実を述べなさい。当誌に掲げられた地図の上でその場所を示しなさい。
6 ヨルダンの大渓谷の西側に位置する古代都市エリコの崩壊を述べたヨシュア記 6章20,24節によれば,エリコの城壁は奇跡によってくずれ落ち,ヨシュアの率いるヘブル人の手で町は滅びました。この聖書の記録を確証する考古学上の証拠が得られなかった時期には,この点は盛んに非難されました。しかし今はもはや非難できません。考古学は,その町の崩壊にかんする聖書の記録を確証しているからです。エリコの発掘は1930年に始まりました。発掘者はその町にめぐらされた二重の城壁が地震あるいは何かほかの目に見えない力で倒されたかのように傾斜地に倒壊していることを知りました。二重の城壁の上部をつなぐたる木の上には民家が建てられており,城壁の一部はくずれずに立っていました。聖書に述べられているその大災害の時,ラハブの家は城壁のその部分にあって守られたと考えられます。大火の生じたことを示す証拠も発見されました。町は焼け落ちたのです。それは普通の火災ではありません。というのは灰の層が異常に厚く徹底的に滅ぼすため,燃えるものはことごとく集めて,燃やされたように見えます。そして町は略奪にあわずその後何百年間にわたって実質的な再建も行なわれず,聖書によれば,アハブ王の時代になって初めて再建されました。今日でもその大渓谷の地域を訪れ古代都市エリコの遺跡の発掘現場に足を運び,聖書の記録を確証するこの考古学的な事実を直接見ることができます。
7 注目に値する他の多くの遺跡がここに列挙されています。その各々について説明し,大きな地図を使ってその場所を述べなさい。
7 エリコの遺跡の場合と同様,ヨシュアの率いるイスラエル民族の手に落ちた別の町ハゾルが,ヨシュアによって滅ぼされた証拠も,考古学上の発掘で明らかにされました。イスラエル民族が実際にカナンの地にはいったことを示す証拠としては,聖書の記録以外にネフトアの石碑があります。(ヨシュア 15:9)考古学者の発掘した遺跡には次のようなものがあげられます。ベテルの遺跡(士師 1:22-25),ペリシテ人の諸都市の遺跡(エレミヤ 25:17-20),ギベアの遺跡(サムエル前 10:20-26),ミクマシの遺跡(サムエル前 13:5,23),ダビデがゴリアテと戦って勝利を得た土地(サムエル前 17:2,3),ベテシャンおよびアシタロテの家の遺跡(サムエル前 31:10),エズレルの平地の北方にあるメギドと広大な馬屋の跡(列王上 9:15),エジオンゲベルとその精銅所および造船所跡(列王上 9:26),ゲバルの遺跡(エゼキエル 27:9),ミズパのとりで(列王上 15:16,22)そして象げその他の高価な装飾を施したサマリヤ王宮跡(列王上 22:39)などです。
8 メシャ王にかんする聖書の記録を説明しなさい。
8 真理のみことばの本,聖書は列王紀略下 1章1節でこう述べています。「アハブの死しのちモアブ,イスラエルにそむけり」。このことは同じ列王紀略下 3章4,5節で次のように確証されています。「モアブの王メシアは羊をもつ者にして十万のこひつじと十万の牡羊の毛とをイスラエルの王に納めをりしがアハブの死しのちモブアの王はイスラエルの王にそむけり」。それからこの章は,モアブの王メシャに対してヨラム王が起こした行動を述べていますが,モアブ人は大いに卑しめられ,敗北しました。
9 聖書を裏づけるメシャの記録にかんして考古学はどのように貢献しましたか。
9 考古学上の発掘により,メシャ王がしるした反逆の記録いわゆるモアブ碑石が発見されました。聖書のヘルブ語とほとんど変わらない一方言で書かれたこの碑石は,メシャ王の手で一つにはその反逆を記念して建てられました。この碑石は1868年,死海東岸のなかほど,モアブの領土内の地点で発見されました。モアブの王は自らをケモシ神の崇拝者と述べています。そして,イスラエルの神エホバの名が碑文の中に出ています。偽りの神ケモシはモアブを救い得ませんでした。モアブ碑石に刻まれたメシャの碑文は,モアブに対するエホバの勝利を隠すことはできません。エレミヤは述べました。「ケモシの民は滅びたり」。またゼパニヤはこう預言しました。「必ずモアブはソドムのごとくになりアンモンの子孫はゴモラのごとくにならん」。(エレミヤ 48:46。ゼパニヤ 2:9)そのとおりのことがメシャとその民モアブ人に生じました。モアブ碑石にはテトラグラマトンつまり,まことの神の名前を表わす4文字だけでなく,聖書の中の14の地名がヘブル-フェニキア語でしるされています。この碑石は多年聖書学者の研究に貢献してきました。
10 ソドムとゴモラの廃虚はどこにありますか。どんな権威者がこの点について述べていますか。
10 前述のとおり,「モアブはソドムのごとくになりアンモンの子孫はゴモラのごとくにならん」とゼパニヤは述べました。ソドムとゴモラおよびその平地の町々はどんな運命をたどりましたか。ウェルナー・ケラーはこう語っています。「我々は今日……それら二つの町の消失にかんするなぞが解かれたと確言できる」。腐敗したそれら平地の町々は,死海南端の水中に廃虚として横たわっています。死海の水面はそれらの町が滅ぼされた当時よりも一段と高くなったからです。こうしてなぞは解かれました。確かに,「イスラエル人が……パレスチナに……定着したのちの聖書の物語りは,考古学および碑文学上などさまざまな資料により,ますます明らかにされている」のです。「要約すれば,我々は今や再び聖書全巻を宗教的な歴史の真実の記録として取り扱うことができる」と考古学者アルブライトは述べています。
11 ここに掲げられている「驚くべき遺跡」の名をあげ,当誌上の地図で各々の場所を示しなさい。
11 当時神に敵対した人々は色々な町にたてこもっていました。エホバの預言者はそれらの町に対する滅びの宣告を述べましたが,その成就は,廃虚と化したそれらの町々に見られます。そのような遺跡は神の預言者の宣告の正しさを確証する見事な証拠です。一権威者はそのような「驚くべき遺跡」としてツロ,シドン,ベテル,サマリヤ,エルサレム,バビロンなどの町々,エジプト,エドム,ペリシテ人の地を上げています。考古学上の発掘調査の行なわれた町々の遺跡は,ハゾル,コラジン,ナザレ,カイザリヤ,サマリヤ,シケム,シロ,ベテル,エリコ,ギベオン,ギベア,エルサレム,クムラン,ベテズル,ラキシ,デビル,エジオンゲベルなどです。しかし決してこれが全部ではありません。
12 ラキシとアゼカはどんな町ですか。どこにありますか。それらの町は神のみことばをどのように裏づけますか。
12 この雑誌に掲げた大きな地図を見ると,シェフェラのアゼカの近くにラキシの町があります。これら二つの町の遺跡はいずれも発掘されました。この発掘調査の際,聖書の記録の多数の詳細な点を確証する考古学上の貴重な資料が出土しました。1935年,いわゆる「二重の門楼」の番兵詰所跡から,文字の刻まれた土器の断片が18個発掘されました。そして,それらのかけらは幾つかの手紙であることがわかり,今では「ラキシの手紙」として知られています。それら出土品はエレミヤ記 6章1節にある合図の火にかんする聖書のことばを確証し,また,ラキシがエレミヤ記 34章7節で言及されているアゼカの近隣の町であることを証明しています。そして,ラキシとアゼカが最後に残された要害の町であると述べた聖書のことばを裏づけています。さらに,ユダの人々がエホバの命令を破ってエジプトに下り助けを求めた事実も確証されました。「ラキシの手紙」は,ネブカデネザルに最後まで抵抗したこの前哨地点にかんする記録をのせています。そのうえ,当時のユダヤ人はエホバというお名前を躊躇せずに用いていたことをも示しています。まことの神のお名前であるエホバを表わす四つのヘブル文字テトラグラマトンが「ラキシの手紙」の中にしるされているのです。
13 (イ)今日のサマリヤ地方には聖書を裏づけるどんな場所がありますか。(ロ)旅行者はほかにどんなところを今日でも見ることができますか。それらは地図のどこにありますか。
13 ヨシュア記 8章によれば,ヨシュアはエバル山上でエホバのための祭壇を築きました。そしてイスラエルの人々は年取った人,官吏,さばき人,祭司,レビ人,他国の寄留者,一般の住民など,すべてがエバル山とゲリジム山の前に集まりました。そこでイスラエル人を前にして祝福とのろいのことばが読まれたのです。ゲリジム山やエバル山は今もそこにあり,だれでも訪れることができます。1963年,幾百人ものエホバの証人は地理上のこれらの要所や約束の地の他の史跡を訪れました。サマリヤ地方の南部,ゲリジム山とエバル山の近くで証人の多くは,かつてイエスがなさったように,スカルの村近くのヤコブの井戸で水を飲みました。そこでは今もなおさわやかな冷たい水が地下からわき出ています。ヨルダン川,ガリラヤの海,ベツレヘムやヘブロンの町々,ヒンノムの谷その他数々の地理上の場所は今もあり,あなたも尋ねることができます。それらの場所はだれでも尋ねることができ,今も依然としてそこにあるのですから,真理のみことば聖書を裏づける証拠となります。
14 イエスがオリブ山にすわって眺められた光景は今日どうなっていますか。
14 以上述べた事柄は大変明確な実例ですが,イエスが重大な預言を述べた時の情況を示す聖書の説明の正確さを物語る証拠についても,同じことが言えます。マルコ伝 13章3節によれば,イエスは「オリブ山にて宮のかたに対ひて坐し」ておられました。そのオリブ山は今もそこにあります。そこから西方を見渡すと,ゲッセマネの園のかなた,ケデロンの谷の対岸に現代のエルサレムの町の東側の城壁が見えます。イエス時代,その場所には壮麗な宮が立っていました。そのさまは,ものみの塔協会の1968年のカレンダーに描かれています。かつての宮の敷地に今はイスラム教の寺院,岩のドームが立っています。その場所もその土地も依然としてそこにあり,マルコ伝 13章3節のことばは地理的にも確証されています。オリブ山で腰をおろされたイエスはその地を眺めましたが,宮の場所は今日でもオリブ山から眺められます。
15 聖書以外にポンテオ・ピラトが実在の人物であることを示すどんな証拠がありますか。どこで発見されましたか。
15 イエスの宣教の末期にポンテオ・ピラトという人物が登場します。キリスト・イエスの時代にエルサレムのローマ総督だったこのポンテオ・ピラトにかんしては,海岸地方の平野の町カイザリヤで考古学上の貴重な資料が近年発見されました。ピラトについては聖書中の記録と古代の歴史家とくにヨセハスの著述以外,考古学的な証拠は何も知られていませんでした。ところが1961年,ミラノ大学のイタリア考古学探検隊がカイザリヤの近くで縦58センチ横79センチほどの石板を発見しました。この碑文には,ポンテオ・ピラトとチベリウス(テベリオ)の名前の一部がラテン語でしるされており,その石板はピラトが実在したことを考古学的に立証しています。エホバの証人は,聖書がピラトについて述べているゆえに,彼が実在の人物であることを知っています。聖書を認めない人々は,ポンテオ・ピラトとしるされたこの碑文を前にしてどうするつもりでしょうか。
16 聖書を裏づける考古学上の資料はわたしたちにとってなぜ有益なものですか。
16 真理のみことばを裏づけるこの土地から得られた記録はほかにもたくさんあります。これまで述べたのはその一部にすぎません。では,このような知識はわたしたちにどんな影響をもたらしますか。どんな益がありますか。考古学によりもたらされた,聖書を裏づける資料からどんな益が得られますか。約束の地というエホバのすばらしい賜物は,終わりの時代の今どんな点で役だちますか。聖書とその土地について知り,また考古学やその土地がもたらす,聖書の裏づけとなる証拠を学ぶとき,真理のみことばに対するわたしたちの認識は深められます。古い写本の発見は正真正銘の聖書原典の本文を再現させるのに大きく貢献しました。同様に,発掘された膨大な量の出土品により,聖書の本文にしるされている事柄は,歴史,年代学,地理いずれの面でも詳細な点にいたるまで信頼できるということが確証されました。
17,18 (イ)大英博物館の附属図書館長はどんな見解を公に述べましたか。(ロ)考古学者グルックはなんと述べていますか。
17 こうして聖書の批評家は考古学により困惑させられています。多年,大英博物館の理事と同附属図書館長をつとめる英国のひとりの著名な学者は,聖書についてこう述べました。「考古学上の証拠によりその権威は回復されようとしており,また,その背景にかんするより深い知識が得られたため聖書はいっそう理解しやすくなり,その価値は高めらようとしている。考古学はまだ決定的なことばを述べてはいない。しかしこれまでに得られた結果は信仰の示す事柄,つまり知識の増加は聖書に利するということを確証している」。
18 考古学者ネルソン・グルックは自著,「砂漠に流れる川」の中でこう述べています。(1959年版,31頁): 「しかし実際のところ,聖書に述べられている事柄を論ばくできる考古学上の発見は一つもないと断言できるであろう」。
19 (イ)考古学は何を確証していますか。(ロ)どのようにして約束の地に親しむことができますか。
19 真理と神のみことばに資する考古学上の諸事実の益を幾つか列挙してみましょう。考古学は,族長にかんする物語やサウルとダビデの統治を確証しています。また聖書中の出来事の年代を定める助けとなり,聖書時代の文化や風習にかんする知識を供します。さらに,聖書の歴史的な背景を述べ,また聖書中の色々なことばの意味を理解する助けとなります。真理のみことばの土地はまぎれもなく存在しており,そこに横たわっています。それでは,できるだけその土地について詳しく知るようにしましょう。聖書の記録の中に,あるいは神のみことばを研究する際に,場所や土地のことが出てきたなら,聖書に載せられている地図や他の地図を用いてそれらの場所を調べてみましょう。聖書を読むときそこに書かれている事柄をいっそう深く理解したいと思いますか。確かにそう思います。土地の地理を思い浮かべると,書かれたことばの意味をいっそう深く理解できます。(これはわたしたちの願うべき事柄の一つです)そして,やがて約束の地について詳しく知るようになり,その結果,聖書そのものにいっそう通ずることになるでしょう。
20 エホバの贈り物であるその土地とみことばにどう答え応じるべきですか。
20 その土地は造り主をたたえます。創造者がたたえられることはわたしたちの喜びです。贈り物であるその地は与え主を立証し,わたしたちはエホバの立証されることを喜びます。また神のみことばの贈り物を愛し感謝します。そして,詩篇 119篇130および140節のことばに声を和します。「聖言うちひらくれば光をはなちて 愚かなるものをさとからしむ なんぢの聖言はいときよし このゆえになんぢの僕はこれを愛す」。わたしたちはエホバのしもべです。ゆえにエホバの真理のみことばを愛します!
21 ヨシュア記 23章14節のことばはわたしたちにとってどんな意義を持っていますか。
21 神のみことばの批評者や反ばく者が提供するものは,偽り,疑い,当惑,こじつけ以外の何物でもありません。それらはわたしたちにとって無益なものです。むしろエホバの証人はヨシュアの述べた次のことばの真理を認め,そのことばに和して語ります。『わたしたちの神エホバがわたしたちに語られた良いことばはひとつも欠けることなくすべて果たされた。わたしたちはこのことを自分の心と魂のすべてをもって十分に知っている。それらはみなわたしたちに真実となった。ひとことも果たされないものはなかった』― ヨシュア 23:14,新世訳。
[752ページの地図]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
メソポタミア
シナル
ハラン
ニネベ
カラ
マリ
ユフラテ川
チグリス川
バビロン
エレク
ウル
ペルシア湾
[753ページの図版]
真の神のお名前をしるしたモアブ碑石
[754ページの図版]
「エホバ」に相当する古代ヘブル語の文字のしるされた「ラキシの手紙」の1つ
[755ページの図版]
カイザリヤで発見された碑文で,一部の文字は欠けている。二段目の文字は“〔Pon〕tius Pilatus”
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小さな種子からものみの塔 1968 | 12月15日
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小さな種子から
● 米国カリフォルニア州産の巨木セコイア(アメリカ杉)の,一粒の種子の重さはわずか1ミリグラムにすぎない。しかしそれほど小さな種子から高さ60メートルを優に越す大木に生長する。この種の木のあるものは高さが83メートルあり,根もとの部分の周囲は30メートル以上もある。つまりそれは約17人の男子が腕を広げて根もとの部分を取り巻くほどの長さである。これは神の御手のわざの一例にすぎない。
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