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エホバの証人はどのような点で異なっていますかものみの塔 1975 | 1月1日
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の家庭で教えることに携わります。―テモテ第一 3:1-7。
世に対する態度
キリスト教世界の教会員のほとんどは,政治運動や政治活動に携わりますが,エホバの証人はそうしたものにはいっさい関与しません。イエスがご自分の弟子について言われたように,彼らは『世のものではありません』。彼らはこの世の社会機構や政治機構を変えようとしているのではありません。神が『すべてのものを新しくされる』のを信じて待っているのです。(ヨハネ 15:19。啓示 21:5)エホバの証人は,あらゆる戦争や他の政治問題に対して中立です。そして“デモ”とかストライキ,または扇動的な,あるいは破壊的な活動などを支持することは決してありません。彼らは自分が住んでいる国の法律を守ります。(マタイ 22:21)しかし,神の命令にそむかせてクリスチャンの良心を汚させようとする試みがなされるときには,彼らは「自分の支配者として人間より神に従」う道を選びます。―使徒 5:29。
同様の理由でエホバの証人は,信仰合同運動や世界教会運動に参加することも,そうした運動を後援することもしません。キリスト教世界の教会も,非キリスト教世界の宗教も,その教理や行ないによって自らをこの世の一部としていますから,真の弟子についてのイエスの説明に該当するものではありません。(ヨハネ 17:14-16)そのような宗教は,「大いなるバビロン」と呼ばれる一大宗教「帝国」を形成していることを聖書は示しています。(啓示 17:5,18)これらは,神からの裁きとして,世の支配者たちの手により滅びるでしょう。―啓示 17:15-17。
簡単に言えば,エホバの証人は,聖書に忠実に従うところが違っているのです。この世的な哲学やキリスト教世界の伝統を退けます。もしエホバの証人たちがある人々に「奇異」に見えるなら,それはその人たちが,キリスト教世界の宗教の尺度で証人たちを計っているからです。実際にはこれらの組織自体が,昔のユダヤ教の祭司と同じように,人間の哲学をもって神のことばに変えることにより,神の「見知らぬ者」となったのです。イエスは祭司たちに言われました。「あなたがたは,自分たちの伝統のゆえに神のことばを無にしています」― マタイ 15:6。
今日,キリスト教世界は10億の会員を擁しています。意味深いことにイエス・キリストは,ご自分が王国の権を執って臨在されるときに,クリスチャンと称する人々が少数ではなくて多数イエスに向かって,「主よ,主よ,わたしたちはあなたの名において預言し,あなたの名において悪霊たちを追い出し,あなたの名において強力な業を数多く成し遂げなかったでしょうか」と訴えるであろうと預言されました。彼らはイエスの見知らぬ者になります。イエスは,「わたしはいまだあなたがたを知らない,不法を働く者たちよ,わたしから離れ去れ」と言われるでしょう。―マタイ 7:22,23。
エホバの証人は世のものではありませんが,仲間の人間に愛のある関心をいだいています。神はひとりの人の滅びるのも望まれないということを知っていますから,この事物の体制に残されているわずかの時間は,エホバが忍耐しておられる時であると見ています。そのために緊迫感をいだいて人々に語ります。(ペテロ第二 3:9,15。エゼキエル 33:11)彼らが,人々に聖書を勉強し,生活を聖書の原則に一致させることに全力を傾けるよう,しかもそれを先に延ばさないで今すぐに始めるように勧めているのはそのためです。―ゼパニヤ 2:3。
もしあなたがこの問題の多い危険な時にあってご家族のことを心配しておられるなら,ご自分の家でエホバの証人と聖書を勉強なさってください。またエホバの証人の王国会館で行なわれる集会に出席してください。そうするときにあなたは安全のみならず,より幸福でより平和な,そして目的のある生活を今見いだすことができ,それとともに,将来神の王国のもとで永遠の命を得る希望をもつことができます。―テモテ第一 4:8。
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「神の目的」に対する認識を深めるものみの塔 1975 | 1月1日
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「神の目的」に対する認識を深める
今が「疑いと不安の時代」であるとはいかにも適切です。人々は将来に確かな見通しを持てないため,どのように計画し,どのような道を取ったらよいかがわかりません。結果として,人々の生活は往々にして目的のないものであり,よく言われるとおり,『自分の好きな事をして』,その時その時をただ生きている人が多くなっています。
しかし,大きな例外があるのを知れば,あなたはうれしく思われませんか。
米国ニュージャージー州トレントンのサンデー・タイムズ・アドバタイザー紙はこう述べました。「エホバの証人は大いに確信を抱いている。50年代の無関心,60年代の混乱,そして,すでに進行しつつある70年代のこの幻滅のさなかにあって,彼らはきわめて確固たる態度を保ち,聖書に字義通り従う生き方を……広めてきた」― 1974年4月7日。
しかし,彼らの『生き方』は実際にどんな力となってきたのですか。
神の導きを求める人々
昨夏,エホバの証人の「神の目的」地域大会と呼ばれる目ざましい集まりのさいに,そうした生き方の力が特に明瞭に示されました。ユタ州ソルト・レーク・シティーを通りかかった一人の青年は,そこでの大会に出席してみることにしました。その人は自分の見聞きした事に深い感動を覚え,結局すべてのプログラムにやって来ました。最後の日までに,彼は神の目的についてもっと詳しく学ぶことを決意し,それに従って生きたいとの願いを言い表わしました。
オレゴン州ポートランドのある看護婦は,「神の目的」大会が開かれていた市民球場からちょうど道路を隔てた所に住んでいました。そこから聞こえてくるいろいろなことに心を動かされた彼女は,その野球場へ自分もやって来ました。そこでのことはただ驚嘆するばかりでした。大会の最後の二日間に出席した彼女は,「これこそ真理であることがわかりました」と感想を述べました。
それほど多くの訪問者に感銘を与えたのは,本当に全能の神に導きを仰ぐ人々がそこにいた,という点です。カナダのトロントで開かれた大会について,新聞記者ジョナサン・フィアーはこう書いています。「エホバの証人にとって,聖書はその言葉通りに従うべき生活の導きである」。ニュージャージー州カムデンのクーリエ・ポスト紙はこう述べました。「エホバの証人は根っからの聖書研究生である」。
報道関係者がこのように述べたのはそれなりの理由のあることでしたか。ハル・デイビーは,自分がサンジエゴ球場で見聞きした事について次のように述べています。そこには毎日3万人以上の人が集まりました。「講演者はそれぞれ,絶えず聖書の句を引用して自分の言葉を強調した。……観衆全体が静かに聖書を読むようなことは,この球場始まって以来の事であろう」。あなたもそこにいたなら,神の導きを求める人々がそこにいる,という同じ結論に達したことでしょう。
大会の第一日目から,そのプログラムは,人間
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