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  • トルコの法廷はエホバの証人の信教の自由を擁護する
    目ざめよ! 1981 | 9月8日
    • ました。聖書教育課程協会も同様の容疑で訴えられていましたが,別の裁判で無罪になりました。

      ところが,地方検事はそれを不服として両方の件を控訴し,最高裁判所で審理がなされることになりました。しかし,最高裁判所は,1979年5月7日と6月8日に,下級審の判決を支持して,いずれも無罪を言い渡しました。今度は検事総長が控訴し,再び最高上訴裁判所で審理が行なわれることになりました。どんな判決が下りましたか。1980年3月24日,同法廷は拘束力のある最終評決を下しました。無罪という判決が下ったのです。

      判決の中で同法廷は次のように言明しました。「被告人たちの信じるような事柄がいつの日か起こり,神の支配がこの世界に打ち立てられるなら,それを信じているという理由で被告人たちを処罰したところで,そうした出来事を阻止することにはならない。一方,被告人たちの期待が単なる幻想にすぎず,空虚な信念であるとすれば,被告人たちの信念はこの国の世俗主義の秩序に対して何ら害を及ぼすことはない」。これは,聖書の使徒 5章34-39節に記録されている第1世紀のある法廷の賢明な一構成員が語った見解と非常によく似ています。

      1980年9月12日に軍事政権が樹立され,すべての政治活動と聖書教育課程協会を含めた法人団体の活動は停止させられていますが,エホバの証人は崇拝のために引き続き集まり合っています。エホバの証人は,自分たちの法人組織に対する制限が速やかに撤回されるよう希望しています。

      予期せぬ評決

      エホバの証人が政府の転覆を企てているというけん疑は完全に晴らされ,エホバの証人は宗教団体として認められてきましたが,アンカラの一法廷は全く予期せぬ判決を下しました。

      裁判が係争中であるとの理由で長年にわたってパスポートの発給を認められていなかったあるエホバの証人が再度パスポートを申請したところ,その申請が却下されたのです。この人は,そうした制限が撤回されることを求め,市の旅券局を相手取って訴えを起こしました。ところが,1980年11月11日,第12行政訴訟裁判所は,その人が「トルコでは活動を禁じられているエホバの証人の集会に出席し,彼らのために働いた」という理由でその訴えを却下したのです。

      幾例もの無罪判決があり,エホバの証人がトルコで公然と崇拝を行なっているという事実があるのに,同法廷がこのような結論を下したことには理解し難いものがあります。前述の諸事実を単に見過ごしていたのでしょうか。それとも,根拠に欠けるだれかの意見に影響されたのでしょうか。自由を愛する人々の思いにこうした点を含む様々な疑問が沸き上がっています。

      この件は上訴されており,上級裁判所がこうした法律上の誤りを正すことが望まれています。そして,エホバの証人のために再び公正な裁きがなされ,他の多くの国々におけると同様,エホバの証人が法律を遵守する市民として憲法で保障されている諸権利を享受できるようになってほしいものです。

  • 反対を克服して勝利を収める
    目ざめよ! 1981 | 9月8日
    • 反対を克服して勝利を収める

      ● 聖書学者ウィリアム・ティンダルは,16世紀の初頭に,聖書の大半をヘブライ語とギリシャ語からその当時使われていた英語に翻訳しました。しかし,ティンダルの翻訳作業には僧職者の大きな反対がありました。そこで,ティンダル訳のクリスチャン・ギリシャ語聖書(最初の印刷された英訳聖書)の写しを,樽や箱,衣料品の梱や小麦粉の袋などに忍ばせてヨーロッパ大陸から英国へ運び込まなければなりませんでした。僧職者たちは,ロンドンのセントポール大聖堂前の交差点にこの聖書の写しを幾千部も積み上げて,「全能の神を大いに喜ばせる燔祭」であるとして焼いてしまいました。

      ● しかし,反対者たちも印刷機にはとてもかないませんでした。聖書は,生き残る闘いに勝利を収めたのです。

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