ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 塔85 6/1 3–5ページ
  • アダムとエバは実在の人物でしたか

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • アダムとエバは実在の人物でしたか
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1985
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 創造に関する記述と科学
  • アダムとエバ ― 実在の人物か,それとも単なる架空の人物か
    目ざめよ! 1983
  • 創世記は実際に何と述べていますか
    目ざめよ! 1988
  • アダムとエバ ― 架空の人物?
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2009
  • アダムとエバ ― 神話か事実か
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1985
もっと見る
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1985
塔85 6/1 3–5ページ

アダムとエバは実在の人物でしたか

「最初の男はアダムで,最初の女はエバでした。二人はわたしたちの最初の親でした」。1947年には,フランスの子供たちにカトリックの信仰を教えるための基本的な教科書,「フランス司教区用公教要理」にこのような見解が載せられていました。

しかし1年後の1948年には,教会公認の百科事典「カトリシスム」に,「魂が神によって創造されたことを考慮に入れていれば,どんな進化論的教理も聖書と対立するものではない」と述べられています。やはり同じ年に,法王庁聖書委員会は創世記の中の創造に関する記述について,「十分に発達していない人類の知能に合った,分かりやすい比喩的な言葉で」描写されている,「人類の起源に関する通俗的な叙述」であると述べました。

1981年に,法王ヨハネ・パウロ2世は法王庁科学アカデミーに対して次のような意見を述べました。「聖書そのものは科学論文としてではなく,人間と宇宙との関係を明示するために,宇宙の起源と構造を述べているのである」。1976年に正式に認定されたフランス語の「典礼用聖書」は,創世記中の創造に関する記述という論題に関する多数のカトリック神学者の意見を要約し,「実際にはそれは歴史的事実でもなければ科学的事実でもない」と述べています。

キリスト教徒をもって任ずる他の諸教会も,進化論を支持する段になると引けをとりません。フランスのモントーバンにあるプロテスタント神学校の宗教史と聖書神学の名誉教授,アレクサンドル・ベストファールは,その著書であるフランス語の「聖書百科事典」の中で次のように述べています。アダムとエバおよび彼らの最初の二人の子供に関する創世記の記述は,「4人の人間の生涯中に実際に生じた出来事の描写と考えるべきではなく,人類と神との関係の始まりを比喩的スタイルと基本的イメージを用いて示す物語とみなすべきである」。(創世記 2:7-4:16)1949年には,英国国教会の首席司教と考えられているカンタベリー大司教が,「キリスト教会は全体として進化論を科学的に確立されたものとして受け入れてきた」とまで述べています。

したがって,フランス語の週刊誌レクスプレスは断定的な口調で,今日,「無知な人間か少数の変わり者を除けば」,人間が動物界に属するということに異議を唱える者は一人もいないと述べています。

創造に関する記述と科学

しかし,何世紀もの間受け入れられてきた創造に関する記述を今一笑に付し,退けてしまってよいものでしょうか。なるほど,創世記には動植物がどのように創造されたかについて専門的な事柄が詳細にわたって述べられてはいませんが,その大要は科学的事実と全く調和しています。

例えば聖書は,人類が共通の起源を有しており,最初の人間夫婦,アダムとエバから出ていることを示しています。パリにある人間博物館の副部長,アンドレ・ランガネーは,フランスの月刊誌「科学と生命」の特集号の中で,人類が共通の始祖を持つことを確証し,次のように説明しています。「生物学的,歴史的事実からすると,人間の共通性は,皮膚の色の違いや Gmシステム[ある人種グループの特徴となる,血液中の種々のグロブリン]における遺伝子のひん度などを超えた,深いところにある」。

創世記は科学者たちの理解の及ばない問題に関する情報も提供しています。パリの週刊誌レクスプレスが提示した,「老化過程の信じ難い矛盾」に関する質問に答えるに当たって,ノーベル賞受賞者のフランソワ・ジャコブは次のことを認めています。「そのメカニズムは分かっていない。確かに,極めて複雑な過程を経て自らを造り出し得た有機体が,自らを良い状態に保ち得ないということは全く矛盾した話である。人間が受精した卵細胞から造り出されるという事実は,地球上で起こり得る最も驚嘆すべき事柄である」。

聖書も,人間が死ぬのはある意味で矛盾していることを示しています。創世記の中の創造に関する記述によると,人間は生きるように,永遠に『自らを良い状態に保つ』ように造られました。しかしそのことは,人間を創造した方との良い関係を保つかどうかにかかっていました。最初の人間は神のご要求に意識的に反逆して罪を犯しました。その罪のために,死ぬという「矛盾」が人類の中に入り込みました。神が警告しておられたとおり,罪が人間の中に『死を生み出した』のです。―ローマ 7:13。創世記 3:16-19。

ですから,聖書にある人間の起源についての記述を信ずることは不合理ではありません。事実,次の記事は,クリスチャンが人間の創造に関するこの記録を退けると,キリスト教の基盤そのもの,すなわちキリストの犠牲の死に対する信仰に必ず重大な影響が及ぶことを示す証拠を提出します。どうぞ続けてお読みください。

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする