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あなたは車を運転できるほど大人になっていますか目ざめよ! 1979 | 2月22日
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若さに伴う愚かさ
「痴なること子の心の中に繋がる」。聖書の箴言 22章15節のこの言葉を覚えているね。われわれ“大人”の中にも車に乗ると“子供”のようになる人がある。若い人は車の性能を最大限ためしてみたいのだ。また彼らは自分の能力をためしてみたいのだ。しかも自分の行為がどんな結果になるかを見過ごす傾向がある。スリルや興奮を求めることは,それに伴う危険について判断を誤らせる結果になるし,経験の不足から,いっそう大きな注意の必要を見過ごすこともある。
「若い人が陥りやすい落とし穴を避けるうえに役立つ聖書の原則を幾つか考えてみよう。
1. 隣人愛。(マタイ 22:39。コリント第一 16:14)黄金律。(マタイ 7:12)車を運転している時,他の人が何をするかよりも,自分が何をしているかのほうが重要なのはなぜか。自分の運転の仕方は他の人々の生命と幸福,福祉と健康にどう影響するか。
2. 生命の尊厳。(レビ 17:11。民数 35:33。使徒 15:29。詩 55:23)自分はドライブにスリルを求めているだろうか。タイヤが路面にきしる音が好きだろうか。自分のドライブは他の人の生命を危険にしていないだろうか。真のクリスチャンは生命を貴重なもの,エホバに属するものと見る。
3. 「それでは,カエサルのものはカエサルに…返しなさい」。(マタイ 22:21。ローマ 13:1-4)それはカエサルの法律を知っているというだけの事ではない。聖書によれば,我々の態度はこの世の政府に対して尊敬を示すものでなければならない。これもまた態度の問題である。不慣れな道路を高速で走っている最中に,にわかに決定を下すことが自分にはできるとわたしたちは考えるだろうか。つまり路面や道路の状態を研究してから制限速度を決めた人々が間違っていて自分のほうが正しいと考えるだろうか。
「カエサルの法律によれば,お前は車を運転できる年齢に達している。しかし車の運転には重い責任が伴うことを忘れてはいけない。交通事故で毎年,多くの人命が失われているのだよ。全世界では路上の事故で死ぬ人が毎年,およそ25万人もいる。1975年について見ると,米国で5万人,ドイツ連邦共和国およびフランスで1万6,000人,ここオーストラリアで3,689人となっている。
「わたしたちは銃を危険なものと考えたね。火器の事故で命を失う人は比較的に少なく,米国で毎年1,300人,オーストラリアでは1975年に27人だけだった。
「お前はこの責任を担う用意があるかね。もし自分自身と自分の車を常に制御できるならば,車を持つことには楽しみも実用価値もある。お前はどうかな。もしそうなら,お前は車を運転できるほど大人になっていると言えるのだよ」。
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あるべきところに慰めを見いだす目ざめよ! 1979 | 2月22日
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あるべきところに慰めを見いだす
ある家を訪れた二人のエホバの証人は,家の人がうろたえているのを知りました。彼女は高額の小切手を紛失してしまったのです。証人たちは同情を示しました。そして自分たちは「慰めの神」を代表する者なので,聖書を持って来て頂き,その中の言葉を一緒に考えてはどうかと勧めました。証人たちはこの「慰めの神」にはお名前があること,また彼女の聖書の詩篇 83篇18節にそれが記されていると述べました。婦人がその聖句を開いた時,小切手が聖書から落ちたのです。彼女は大喜びし,聖書を学ぶことに同意し,研究は間もなく良い進歩を見せ始めました。
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