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  • 世界のベストセラー ― 生き延びるためのその闘い
    目ざめよ! 1980 | 1月8日
    • 世界のベストセラー ― 生き延びるためのその闘い

      世に出る新刊書千冊のうち,七年以上にわたって広く用いられる本はせいぜい50冊どまりです。人々の関心は程なくしてさめてしまうので,本の寿命はそれほど長くありません。

      では,3,000年以上にもわたって広く用いられてきた書物があるとしたら,どう思われますか。その上,この書物は歴史上いかなる書物も直面しなかったような極めて厳しい反対にもめげずに存続してきたのです。専制君主,王候,そうです,帝国全体までが,こぞってこの本を抹殺しようとして躍起になってきました。ところが今日,その書物は世界のベストセラーになっているのです。

      聖書は必ず消滅すると反対者たちの目に映った時もありました。強大な支配者たちはそれを焼却する勅令や禁令を出しましたが,その弔鐘も功を奏しませんでした。その本は消滅しなかったのです。幾世紀にもわたる相次ぐ攻撃の波をこの書物が乗り越えてきたことは,「歴史の奇跡」と呼ばれてきました。

      考えてもみてください。聖書ほど古く,これほどの反対に遭った本が,空前のベストセラーになるとは実に不思議なことではありませんか。ある意味で,書物は人間に似ています。それには始まりがあり,人気の出る場合もありますが,通例,古くなって死んでしまいます。図書館は,大抵の場合に,死んだ本の墓場と化しています。

      ところが,35世紀も昔に書き始められた聖書は,まだまだ生きており,各国語に訳されて,地球の住民の97%までが読めるようになっています。聖書は驚くほど広く頒布されているので,“ベストセラー”という語が作り出される前からでさえ,世界で最も需要の多い書物でした。

      聖書自体の存続よりも必要とされるもの

      聖書は,神の霊によって直接霊感を受けて記述されたという意味で,神の言葉を収めている,と述べています。(テモテ第二 3:16。ペテロ第二 1:20,21)神はそのみ言葉について,『草はかれ花はしぼむ 然どわれらの神のことばは永遠にたたん』と述べておられます。(イザヤ 40:8)しかし,聖書が『永遠に立つ』といっても,神の言葉が本として長い間残るというだけのことではありません。

      実際のところ,今日,書かれた形としては聖書よりも古く見える“書物”が存在しています。例えば,モーセが聖書の編集に着手した西暦前1513年より幾世紀も前に書かれたと考えられる,バビロニア人やエジプト人の粘土板や他の著作が現存しています。しかし,これら古代の文書は,死語と化した言語で書かれ,現代の一般大衆にはほとんど関心のない事柄について論じています。実用的な目的について言えば,これらの“書物”は死んでいます。

      それとは対照的に,神の言葉は,「信ずる者の中で働(き)」続ける,と聖書は述べています。(テサロニケ第一 2:13)その音信の力は,それを用いる人々の生活に影響を及ぼすのです。エルサレム聖書は,その同じ節を訳出するに当たり,「神の音信」について,「それは,それを信じるあなたがたの間で,依然として生きた力となっているのです」と述べています。

      途方もない挑戦

      神は,ご自分の言葉を,「生きた力」のあるものとして永遠に保つ能力を持っておられますか。そうであれば,それは大きな障害を克服することを意味します。自然の妨げに加えて,信者の間で生きた力として働く聖書を,最終的に消滅させかけるような攻撃が前途に控えていました。

      聖書がどのようにこの反対すべてを克服したかということには,興味しんしんたるものがあります。幾世紀にもわたって,人々はそれを焼いたり,葬り去ったりしようとしてきました。強大な王や皇帝たちは,聖書を向こうに回して帝国全体の力を傾けてきました。それにもかかわらず,聖書は今日に至るまで滅びることなく残っています。

      人は,『聖書を保存するために一体どうしてそれほどの努力が払われたのか。単に聖書が私の生活に良い影響を及ぼすようにとの意図をもって保存されたのか。それよりも深い,深遠な理由があるだろうか』と不思議に思うかもしれません。そうです,過去において,そして現在において,すべての人が聖書を持ち,それを読めるように多大の努力が払われているのはなぜですか。

      続く資料は,そのような質問に対する非常に喜ばしい答えを与えています。同時にそれは,今日に至るまで聖書が保存されてきたことに対する感謝の念をいよいよ深めるものとなるでしょう。

  • 聖書は自然の障害にもめげず存続する
    目ざめよ! 1980 | 1月8日
    • 聖書は自然の障害にもめげず存続する

      エジプトのアレクサンドリアにあった堂々たる図書館は,疑いもなく,これまでに存在した最大の文庫です。その古代の書架は,50万部を超す公文書で膨れ上がったこともありました。

      西暦前3世紀に建てられてから350年そこそこで,その蔵書の一部は焼失してしまいました。その後間もなく,それら貴重な文献のうち残されたものも,略奪され,破棄されました。歴史家エドワード・ギボンは,これら「古代の天才の書いた書物は,焼滅し尽してしまった」と述べました。

      大部分がパピルス(エジプトに豊富に産するパピルス草の繊維から作った紙に似た材料)に書かれていたこの膨大な文庫は,本の存続を妨げる自然の障害,すなわち,火や人間による略奪によって破壊されました。その本が消滅しやすいパピルスではなく,石板や粘土板に書かれていたとしたら,もっと長持ちしたかもしれません。

      しかし,クリスチャン・ギリシャ語聖書の一部は,西暦1世紀に,その同じ消滅しやすい材料,パピルスに書かれたと考えられています。聖書を書く際に主に用いられたのは,羊皮紙やベラム(動物の皮から作った書写材料[テモテ第二 4:13])です。これもまた可燃性の材料で,やがて朽ちてしまいます。その極めて貴重な音信を後代に伝える写しが残されないうちに聖書の手書きの原本が消滅してしまう可能性が,多分にありました。しかし,多くの写しが作られ,流布されたので,消滅しやすい材料に書かれてはいたものの,その音信が失われることはありませんでした。

      それを託された少数者たち

      聖書は当初,人々から嫌われた少数民族に託されました。ですからその存続が脅かされるのは自然でした。使徒パウロはその点を認めて,「ユダヤ人は神の書物を託された」と述べています。(ローマ 3:2,モファット訳)千年以上にわたって数多くのユダヤ人が神に用いられ,そのみ言葉を書き記し,その国民はそれら聖なる書物を守り抜こうと努力しました。

      しかし,考えてもみてください。聖書が書き始められた当時,この国民は,「すべての民のうちで最も数が少ない」民とされていました。その弱小さは,ヒッタイト人,アモリ人など,より強大な近隣の諸国民と著しい対照をなしていました。では,それらのより強大な隣国の文献はどうなったでしょうか。それらは死んだものとなっています。その残骸は地に埋もれているか,博物館に眠っているかのいずれかです。―申命 7:1,7,新。

      クリスチャン・ギリシャ語聖書(新約聖書)の筆者や擁護者たちもまた,激しい憎しみの的となった,身を守るすべのない小さなグループでした。当時の人々は,このグループについて,「いたるところで反対が唱えられている」と述べています。―使徒 28:22。

      幾千年も経た今日,この憎しみの的となった少数者たちの書き記した書物は全世界を覆い尽しています。自然の状況の示唆するところとは正反対の結果です! より高次の力が擁護者として働いていたように思えませんか。

      大衆からは忘れ去られた言語で書かれる

      古代ヘブライ語をお読みになることができますか。ほとんどの人は読めません。ところが,聖書は最初にその言語で書かれたのです。今日でもその同じ言語でしか入手できないとすれば,それは死んだ本になってしまいます。

      しかし,その文字が用いられていた当時には,聖書を活用した人々だけでなく,周囲の国々に住む人の多くも,その文字を使ったこの書物を読んで,理解することができました。真の神の崇拝者たちは,幾世紀もの間,古代ヘブライ文字を理解することができました。

      そして,重大な局面を迎えた西暦前7世紀に,エルサレムにあったユダヤ人の首都の滅亡に伴って,ユダヤ人は異なった言語の話される国々へと散らされました。国際語となったのはギリシャ語です。エルサレムに再び定住したごく少数のユダヤ人がかろうじてヘブライ語を生きた言語として保ってはいたものの,やがて「ギリシャ人の間に離散している」ユダヤ人の多くはヘブライ語の聖書を読めなくなりました。―ヨハネ 7:35。

      聖書の音信は,それらの人々の生活にあって,「生きた力」ではなくなってしまうでしょうか。また,ユダヤ人ではない,ギリシャ語を話す幾百幾千万もの人々はどうなるのでしょうか。神のみ言葉の知識は,そのような人々からは隠されたままにされるのですか。

      最初の翻訳

      西暦前300年ごろ,古代ギリシャ世界の文化の中心であった,エジプトのアレクサンドリアには,ギリシャ語を話すユダヤ人が約100万人住んでいました。その人たちの努力に加えて,プトレマイオス愛姉王の協力もあったと思われますが,とうとう聖書のヘブライ語からギリシャ語への翻訳が成し遂げられました。

      これは実にすばらしい恵みでした! その結果として,ヘブライ語聖書を読むことから得られる益は,もはや少数の人々だけのものではなくなりました。それどころか,1世紀のユダヤ人の哲学者フィロンの述べるとおり,『人類全体が我々の賢明で,神聖な,優れた律法に近付くことから得られる益を刈り取る可能性が開けてきた』のです。

      アレクサンドリアは“書物の生産”にかけては長い歴史を有していたので,「セプトゥアギンタ」と呼ばれるこの翻訳の写しは時を経ずして再写本され,ギリシャ語を話すユダヤ人たちのために世界各地へ発送されました。それは,まさに,「民衆の聖書」でした。一般大衆の言語で書かれており,アレクサンドリアの出版技術のおかげで価格が安かったため,多くの崇拝者たちは個人用の写本を所蔵できるようになったからです。

      初期のクリスチャンは聖書を生きたものにする

      ヘブライ語聖書が用いられていたことは,使徒パウロの次の行動から察しがつきます。「[パウロは]彼ら[テサロニケの会堂にいたユダヤ人]と聖書から論じ,キリストが苦しみを受け,そして死人の中からよみがえることが必要であったことを説明したり,関連した事がらを挙げて証明したりし(た)」。(使徒 17:2-4)『関連した事がらを挙げて証明する』ため,パウロはヘブライ語聖書の様々な節を用いて,キリスト教の真の土台を固めました。

      初期クリスチャンが,新たに書かれたクリスチャン・ギリシャ語聖書を含め,聖書を活用したことは,本の生産業に一大変革をもたらす動きへと発展してゆきました。その時まで本は,巻き物の形をしていました。悠長な読者にはそれも差し支えありません。しかし,クリスチャンは自分たちの宗教の根拠を『関連した事がらを挙げて証明する』ため,聖書を用いて宣べ伝える業に携わっていました。11㍍もの長さに達することのある巻き物から,関連する聖句を次から次へと見いだすのはいかに不便かご想像いただけるでしょう。

      その当時より一世紀近くも昔に,ローマ人は厚い皮をめくる新しい形の本を試みに作っていました。このかさの張る新しい形の本は全く人気を博することがありませんでした。しかし,ある人がこのアイデアを活用し,薄いパピルスを用紙として使いました。この冊子本<コデックス>は,関連した箇所をすぐに探せる理想的な本でした。それは今日の本のデザインの原型となりました。この歴史的意義を持つ発明の功労者はだれだったのでしょうか。権威ある,「聖書の歴史ケンブリッジ版」はこう述べています。

      「だれかしらが,羊皮紙ではなく,パピルスで冊子本を作ることを考案した。このアイデアがどこで,まただれによって最初に試みられたかは分かっていない。しかし,この新しい形態はキリスト教の最も初期の時代と直接結び付いていることは分かっている。しかも,その発明者は実際にクリスチャンだったかもしれない」。

      ですから今日,巻き物に取って代わった本を開くとき,自分たちの書物の形態として冊子本を採用したクリスチャンたちの,熱心な証言活動に思いをはせることができるでしょう。そういうわけで,西暦の最初の数世紀間,聖書に収められていた音信は本当に生きており,多くの崇拝者の心の中で,確かに「働いて」いました。しかし,そのような穏やかな状況は長続きしませんでした。そのことについて調べてみることにしましょう。

      [5ページの図版]

      聖書は消滅しやすい材料に書かれた。これは大英博物館に収められている最古の聖書写本

      [6ページの図版]

      ヘブライ語からギリシャ語に翻訳されたおかげで,聖書は一般大衆にとって生きたものとして保たれた

      [6ページの図版]

      冊子本により,聖書は熱心なクリスチャンが他の人々を教える上で,使いやすいものとなった

  • 聖書 ― 猛攻撃を加えられた本
    目ざめよ! 1980 | 1月8日
    • 聖書 ― 猛攻撃を加えられた本

      本を抹殺するにはどうしたらよいでしょうか。それには幾つかの方法があります。例を取って考えてみましょう。グラス一杯の真水を損なうにはどうしたらよいでしょうか。考えられる方法は,(1)石でそのグラスを壊す,あるいは(2)ただ泥や他の不純物をその水に加えて,中味を変えてしまう,の二つです。

      聖書も同様の両面攻撃によって致命的な攻撃を加えられる危機に面しました。この書物そのものに対する激しい攻撃と同時に,聖書の音信を変え,その内容に手を加える試みがなされたのです。どちらの試みも,もし成功すれば,この本を役に立たないものにし,ご自分のみ言葉を保存する能力が神にはないことを示す結果になります。

      でもなぜ?

      聖書がそれほど激しい反対に遭うとは実に奇妙なことだと思われるかもしれません。聖書は高い道徳や愛を教えているのに,どうしてそれを抹殺したいと思うのでしょうか。また,聖書に対して最も激しい怒りを爆発させるのが,それを大切にすると主張する人々である場合も少なくありません。あたかも,人間よりも高次の,何らかの力によって操られていたかのようにです。

      このことは聖書の示すところとぴったり一致します。邪悪な霊の被造物は聖書の中で,神のみ言葉が感謝の念の厚い人々の心に達するのを妨げるためなら何をも辞さない者であるとされています。疑いもなく,聖書を抑圧するたくらみの黒幕となっていたのは,神に敵対するこの者,すなわちサタン悪魔です。―コリント第二 4:4。

      もちろん,読者の中にはそのような結論に異議を唱える人がいることでしょう。しかし,一般大衆が聖書を用い,自分の生活においてそれを生きた力にしようとするのを妨げ,思いとどまらせるために,幾世紀にもわたって絶えることなく続けられてきた戦いを,ほかにどう説明したらよいのでしょうか。歴史上,これほど長期間,猛攻撃に遭った本はほかにありません。

      ローマ帝国での野蛮な攻撃

      クリスチャンは多年にわたってローマによって迫害されてきましたが,その聖なる書物に対する最初の攻撃は西暦303年に生じました。その年に,ディオクレティアヌス帝は,キリスト教関係の書物すべてを引き渡し,焼却するようにとの布告を出しました。それを拒めば,死刑になったのです。残念なことに,数多くの貴重な聖書写本が道端で焼かれました。しかし,中には,(アフリカの)ティアバラのフェリクスのように,聖書を引き渡そうとしなかった人もいます。フェリクスは,『聖なる書物が焼かれるくらいなら,自分が焼かれたほうがましだ』と述べました。フェリクスは自分の命を代償として支払わされました。

      ほぼ十年間というものは,聖書に対してこの蛮行の刃が向けられました。しかし,ローマ帝国は,全力を尽くしながらも,この本を抹殺することはできませんでした。数々の写本が,迫害のやむまで注意深く隠し置かれました。しかし,これは,前兆にすぎなかったのです。

      最初のクリスチャンの間で生きた本となる

      初期クリスチャンたちは,その宗教的な集会や家庭で聖書を広く用いて,それを生きたものとして保ちました。後日クリスチャンになったあるユダヤ人たちは,「日ごとに聖書を注意深く調べた」として賞賛されました。2世紀になっても,イレナエウスは,すべての人に,「聖書を勤勉に読む」ようにと強く勧めました。アレクサンドリアのクレメンスも,「食事の前に聖書の朗読をする」ようすべての人に提案しています。―使徒 17:11。テモテ第一 4:13。テモテ第二 3:15。

      すべての人は,自分用の写本を入手するよう勧められました。比較的裕福なクリスチャンは,聖書を他の人に贈ることさえありました。パンフィラスという人もそうしましたが,エウセビウスはその人について次のように語っています。

      「彼はまた,常に聖書の写しを分かち与える備えをしていた。それも,ただ読むためだけでなく,個人用として所蔵するためのものである。相手がそれを読むことに関心があると見れば,男性にだけでなく,女性にもそうした。それで,彼は贈り物にするために,たくさんの写しを用意していた」。

      ところが,時たつうちに,聖書に信仰を持つととなえる人々の生活に聖書の及ぼす影響は,有害な働きかけを受けるようになりました。

      聖書は背教のために危うく消滅しかける

      使徒パウロは,真のキリスト教からの堕落,すなわち「背教」と,自らを大いに高める,宗教的な「不法の人」の登場について予告しました。(テサロニケ第二 2:3,4)パウロは,この「不法の人」が,長老たち,つまり監督たち(「司教たち」,アメリカ標準訳)の中のある者たちから起きることを示しました。その者たちについては,「弟子たちを引き離して自分につかせようとして曲がった事がらを言う者が起こる」と,言われています。―使徒 20:28-30。

      預言の通り,イエスの忠実な使徒たちの死後,偽の擬似クリスチャン,すなわち「雑草」が姿を現わしました。(マタイ 13:24-30,36-43)中には分派を組織した者もおり,その者たちは聖書の意味を曲解しました。(ペテロ第二 3:16)その結果生じた事柄を,ある人々は取るに足りない策略とみなすかもしれませんが,それこそ破壊的な影響を及ぼしたものだったのです。

      「我々に信仰を起こさせ,知識の先駆となっている聖書そのものは,正しく理解しない限り何の役にも立たない」と語ったのは,4世紀の教会の指導者,アウグスティヌスです。オリゲネスは,その著作,「原理論」の中で,次のように述べています。

      「教会の教えは使徒たちから秩序正しく連綿と受け継がれてきており,諸教会には今日に至るまでその跡が残っているので,それだけが真理として受け入れられて然るべきである。それはいかなる点においても,教会および使徒の伝承と異なってはいない」。

      異端や宗教上の誤りと思われる教えを未然に防ぐという目的で,「教会の教え」や「教会および使徒の伝承」が聖書と同じレベルに置かれたのです。

      同時に,教会の儀式や典礼が重視されるようになりました。「聖書の深み」を探らせて混乱させるよりは,儀式に重きを置くほうが会員にとって有益だとされたのです。壁に聖書にちなんだ彫刻を刻み,聖書中の人物の像を収めた壮麗な教会堂は,“無知な者のための本”とみなされました。

      それでもなお,4世紀のクリュソストモスのように,万人が個人的に聖書を読むことを擁護する宗教指導者もいるにはいました。しかし,すでにさいは投げられていました。ほとんどの人は,もはや個人的に聖書を読んだり,学んだりすることの重要性を認めなくなっていました。ある人はクリュソストモスに次のように語って反論しました。

      「我々は僧侶ではない。公の業務の方に注意を向けなければならない。私は商売をしているのだ。妻子や召し使いを養わねばならない。端的に言えば,私は俗界の人間なのだ。聖書を読むなど,私の知ったことではない。それは,世を捨てて,山の上で寂しい生活をするために身を捧げた者のすべき事柄だ」。

      こうして,聖書を読んだり,研究したりすることは,僧職者と高い教育を受けた知識人にしかできないという考えが徐々に広まって行きました。

      聖遺物?

      やがて,聖書は当時の一般大衆の言語であったラテン語に翻訳されました。教会当局者は,ラテン語を神聖な言語とみなすことに決めました。聖書はラテン語で保存されることになりました。ところが,後日,徐々に変化が生じ,一般の人でラテン語を読める人はほとんどいなくなってしまいました。もはや聖書を理解するために努力を払う意欲を失った多くの人々は,その書物そのものをあがめるほうが手っ取り早いと感じるようになりました。聖書は,魔力のあるお守りとして用いられました。重大な,あるいは危険な何らかの企てに携わろうとしている場合,人は聖書を開き,自分の目に入った最初の節を神のお告げと解釈しました。紫色の羊皮紙に金銀の文字で書かれた,豪華な装丁の写本が作られました。残念なことに,そうした本は単に飾っておくだけのものとなり,ほとんど読まれなくなってしまいました。そうです,聖書は生きた本,有意義な本であるというより,徐々に“聖遺物”になりつつあったのです。

      聖書が危地にあったことは,容易に認められるでしょう。司祭や僧職者の中にさえ,ラテン語の聖書をもはや読めない者がいました。古代ローマの「聖なる」書物の幾つかに起きた事柄は,聖書にも臨みかねない出来事を如実に物語っています。「新カトリック百科事典」はこう説明しています。

      「異教のローマは,僧侶たちももはや理解できなくなった,特定の古い聖典を保持していた」。(下線は本誌)

      だれもそれらの書物を読めなくなってしまいました。神聖視され,高く評価されてはいましたが,死んでしまっていたのです。聖書にも同じ運命が臨むでしょうか。

      一般大衆の言語への翻訳

      ローマ・カトリック教会は,幾世紀もの間,日常語への翻訳を手掛けてきましたが,それは大衆を対象にしたものではありませんでした。中世の教会当局の態度について,「ロラード聖書」という本は次のように述べています。

      「この翻訳が王や高貴な人物のために作成されるか,あるいは世捨て人の研究者の手によって作られ,しかも聖なるものとされながら,王室や修道院の図書館に事実上使われることのない本として残されているのであれば,そのような翻訳に対する反対の声は上がらなかった。ところが,その翻訳が平信徒[一般大衆]の間に聖書の知識を広めるために使われるなら,すぐさま禁令が敷かれた」。

      そのような翻訳は12世紀になるまで作られませんでした。そして,それが登場したとき,火花が飛び散ったのです。

      フランスのワルド派

      フランス南部の美しい渓谷に,ワルド派と呼ばれる宗派の人々が住んでいました。1180年になろうとしているころ,このグループの主立った人物,ピーター・ワルドが,二人の司祭に報酬を払って聖書の一部を日常語に訳してもらった,と言われています。それを読んだ人々は,自分たちの生活を真に変化させました。その宗派に対して最大の敵意を示した者たちの中にさえ,その派の人々の振る舞いと一般の人々の振る舞いの間に著しい対比が見られることを認めた人がいます。その人はこう述べています。

      『この異端者たち[ワルド派]は,その礼儀作法や言葉遣いによって知られている。礼儀作法や振る舞いの点で,秩序正しく,慎み深いからである。偽りや欺きは彼らとは無縁であり,貞潔で,節度があり,まじめで,怒ることのない者たちである』。

      聖書を個人的に読んで熱意に満たされたこの人たちは,二人一組になってフランスの田園地帯を行き巡り,他の人々に聖書を読み聞かせ,その内容を教えました。その熱意の程は,「夜間であろうと,冬期であろうと,[ある人の]もとへ行って,その人を教えるため,川を泳いで渡った」者がいた,と伝えられていることにもうかがえます。聖書の中に見いだされた事柄は,その人たちにとって,「生きた力」となったのです。

      熱意に満たされたワルド派の人々は,法王アレクサンデル三世から自分たちの聖書を用いて他の人々を教えることに対する公式の認可を得るために,イタリアのローマまで旅をしました。ところが,申請は却下されたのです。この第三回ラテラノ公会議に出席していた高位僧職者の一人,ウォルター・マップはこう叫びました。

      「ゆえに,無学な者たちにみ言葉を与えることは,豚に真珠を与えるようなことになるではないか!」

      考えてもみてください。一般大衆に理解できるような言語で聖書を読めるようにすることは,『豚に真珠を投げる』に等しいとみなされたのです。

      法王インノケンチウス三世は,この異端者を「撲滅」するための聖戦を組織しました。その聖戦の先頭に立った者たちの報告によると,幾百人もの男女子供が残忍にも虐殺され,その人たちの聖書の写本は焼かれました。その理由については,当時の一宗教裁判官,つまり異端審問官が次のように述べています。

      「あの者たちは旧約および新約聖書を日常語[一般人の言語]に翻訳し,かくしてそれを教え,また学ぶようになった。私は,ある無知な田舎者がヨブ記を一語一語暗誦するのを聞いたことや,新約聖書全体を知り尽くしている者を大勢目にしたことがある」。

      聖書は一般大衆の言語で広まる

      ワルド派の人々は,火や剣に追われて,他の国々へ逃亡することを余儀なくされました。その後間もなく,一般の人々にも読める聖書の翻訳が,スペイン,イタリア,ドイツなどの国々でも世に出ました。それらの翻訳が世に出ると,どこでも,それを追いかけるようにして禁令が出され,激しい迫害が起こりました。聖書に対する幾つかの公式の禁令が,前ページに示されています。これら宗教界および俗界の法を犯すと,大抵の場合,火あぶりの刑に処されることになりました。

      英国では,1382年前後に,ジョン・ウィクリフとその仲間たちが,英語の聖書全巻を初めて完成させました。しかし,一般大衆の多くは文盲でした。そこで,ウィクリフはロラードと呼ばれる人々のグループを組織し,出掛けて行って,人々に聖書を読み聞かせるよう取り決めました。

      衝撃的な迫害

      “聖書の人”と呼ばれることのあったこの人たちは,かなりの騒ぎを引き起こしました。英国の教会当局は,信じ難いような迫害をもってそれに対処しました。1401年,英国の議会は,一般大衆の言語で書かれた聖書を所有している者は「公衆の面前の高い所で火あぶりにされ[ねばならない]。そのような刑罰によって,他の人々の心に恐れの気持ちを抱かせるためである」と,定めました。

      そして,それは案の定恐れを引き起こしました。英語の聖書を所有していた一人の人は,そのために罪に定められるのを恐れ,「自分の本を燃やしてしまうほうが,自分の本のために火あぶりにされるよりはましだ」と述べました。しかし,それほどやすやすとは,神の言葉を読むことをやめなかった人も少なくありません。裁判所の記録の示すとおり,「英語で書かれた聖書の一部分を所有していた」というだけの理由で,生きながら火あぶりにされた人々は幾百人となくいます。大抵の場合,そうした人々は,「自分たちの教えの書[聖書]をくくりつけられて」火あぶりにされました。

      こうした迫害は猛威をふるい,国から国へと広まってゆきました。国によっては,人々が日常語で書かれた聖書を読むことに固執したため,村人全員が皆殺しに遭ったようなところもありました。隣人や従業員,あるいは我が子にさえ気を許すことはできませんでした。すべての人は,自国語で聖書を読んでいる者を見掛けたら通報するよう厳しく申し渡されており,さもなくばひどい報復を被るおそれがありました。言うまでもなく,多くの人は人目を忍んで深夜に聖書を読みました。

      そのような状況の下に置かれた場合,あなたならどうしますか。命がけで聖書を読むほどに,聖書の音信を高く評価しますか。

      それでも,日常語で書かれた聖書は,作成されるよりも早い勢いで破棄されてゆきました。聖書は手書きで写されねばならなかったからです。この仕事の難しさも手伝って,聖書は非常に高価なものになってしまいました。確かに,裕福な人以外の手には届かないものでした。ドイツ語の聖書全巻は,70フィレンツェ・グルデンもしました。当時,グルデン金貨一枚か二枚で,肥えた雄牛を買えましたから,一冊の聖書は一群の牛に相当するほどの価値があったのです。歴史家,ジョン・フォックスによれば,貧しい人の中には『英語のヤコブ書やパウロの著作の数章と引き換えに,干し草一山を与える」者もいました。

      一般の人々に生きた力を及ぼす本としての聖書は,徐々に死へ向かっているように見えました。しかし,この暗黒時代のただ中で,事態をがらりと変えてしまうものが発明されました。

      活版を用いた印刷機

      印刷機のおかげで,聖書は破棄されるよりも早い勢いで生産されるようになりました。最初に印刷された書物は,ラテン語の聖書だったと言われています。しかし,ほどなくして,一般大衆の言語で書かれた聖書が印刷されるようになりました。

      こうして聖書の大量生産が可能になったため,聖書一冊の価格は,普通の人が一冊個人用に持てるほど安くなりました。単にラテン語からではなく,原語から聖書を翻訳したマルティン・ルターとウィリアム・ティンダルは,聖書を一層読みやすくしました。ティンダルは,『すきを引く牛馬を駆る若者』にも理解できるような言葉を使いました。ティンダルは,「慈善」の代わりに「愛」を,「教会」の代わりに「会衆」を,「悔悛」の代わりに「悔い改め」という語を用いました。これは,聖書を『普通の人』にとって生きたものにするのに役立ちました。

      しかし,聖書に対するそのような戦いは終わったなどとはとても言えませんでした。1456年に印刷機を用いて最初の聖書が作られるようになってから数十年を経た後にも,日常語で書かれた聖書を破棄するための文字通りの戦いが行なわれていたのです。ロンドンの司教は,ティンダル訳聖書を没収すると,すぐにそれを焼き捨てました。この僧職者はティンダル訳聖書を破棄するのに没頭するあまり,焼却する目的でそれを買い集めたほどだったと言われています。ある時,ティンダルは,友人を通してこの司教に失敗作を幾冊か売って,その代金を使って改訂版を完成させたことがありました。その結果,さらに多くのティンダル版の聖書が英国へ流れ込みました。

      幾年もの間,ティンダルは追い回され,最後には裏切られて捕らわれました。ティンダルは杭につけられて絞め殺され,焼かれたので,その努力のために一命をささげたことになりました。

      翻訳が反対された理由

      どうして教会当局者の多くが,聖書を一般大衆の言語に翻訳することに反対したのか,理解し難く思われますか。これらの人すべてが直接,聖書そのものに敵対していたのではありません。中には聖書に対して深い敬意を抱いていた者もいます。それらの人々は,権限を与えられていない者が訳すと誤った翻訳をするおそれがあり,神の言葉を侮辱しかねない,という誤った恐れを抱いていました。新興の日常諸言語へのぞんざいな翻訳によって「冒涜」されないよう聖書を守るための方法として,そうした人々は聖書を威厳のある,安定したラテン語のままにしておこうとしたのです。

      では,どうして「権威のある」翻訳を作らなかったのでしょうか。時たつうちにそのような翻訳ができました。1527年ごろにはエムゼルによるドイツ語訳が出版され,1582年には英語のレーンス新約聖書が発行されました。カイゼルズベルク(ドイツ)のローマ・カトリック教会の当局者,ガイラーは,1500年前後に,翻訳が遅々として進まない理由を次のように言い表わしました。

      「子供の手に包丁を渡して,自分でパンを切らせるのは危険なことだ。子供は自分を切ってしまいかねないからだ。神からのパンを内に収めた聖書の場合も,すでに知識と経験の点で大いに進歩し,疑問の余地なく意味を付すことのできるような人が読んだり,説明したりすべきものである。経験のない者は,その読書から容易に害を被る。……ゆえに,聖書を読みたいと思うなら,誤りに陥らないよう注意するがよい」。

      しかし,教養のない読者が『誤りに陥る』かもしれないというだけの理由で,聖書を読むことを勧めなかったのでしょうか。そうではありません。カトリックの著名な学者エラスムスは,他の人々に率直な言葉でこう述べているからです。

      「聖なる書物に読みふける婦人は家事をないがしろにし,……兵士は戦いへ出かけてゆくのをためらうことになるだろう。それは大変危険なことになる。……聖なる書物は多くの箇所で,聖職者や君主たちの悪徳を戒めている。それで,人々がそれを読むならば,自分たちの上に立てられた者たちに対して不平を言うようになるであろう」。

      理由は何であれ,その結果として,聖書は一般大衆の生活における生きた力を失いかけていました。そのような態度が行き渡るなら,たとえそれがどれほど善意によるものであったにしても,聖書は確かに“聖遺物”となっていたことでしょう。

      幾人かの非常に献身的な人々の努力と印刷機の使用により,聖書が生きた言語で出版され,一般大衆がそれを用いられるようになったことにわたしたちは深く感謝できるでしょう。しかも,大多数の人が求めることのできる価格で提供されているのです。確かに,聖書は極めて残忍な攻撃にもよく耐えてきました。

      しかし,二番目の攻撃方法,すなわちその内容に手を加えようとする試みのほうはどうでしたか。グラス一杯の真水に泥を入れれば,その水は損なわれてしまいます。聖書はこの巧妙な攻撃に面してどうなりましたか。

      [8ページの拡大文]

      一般大衆が聖書を所有するのを妨げるために,幾世紀にもわたって絶えることなく続けられてきた闘いを,どう説明したらよいのでしょうか

      [13ページの拡大文]

      聖書を読むという理由で自分の命が脅かされた場合,あなたならどうしたと思いますか

      [13ページの拡大文]

      『経験のない者は,聖書を読むことから容易に害を被る』と,一教会当局者は説明しました。しかし,学者エラスムスは率直にこう述べています。「聖なる書物は多くの箇所で,聖職者や君主たちの悪徳を戒めている。それで,人々がそれを読むならば,自分たちの上に立てられた者たちに対して不平を言うようになるであろう」。

      [10ページの囲み記事]

      聖書に対する禁書令

      「だれもロマンス語[一般人の言語]の旧約あるいは新約聖書を所有することがあってはならない」。―アラゴン(スペイン)王,ジェームズ一世,西暦1223年

      「平信徒[一般大衆]は聖典中の書物を持っていてはならない。……さらに,平信徒に対して旧約あるいは新約聖書中の書物を持つことを許可することを禁ずる」。―トゥールーズ(フランス)の宗教会議,西暦1229年

      『ここに,朕は,諸々の大司教,司教,並びに聖職者すべて,諸々の君主,諸候等に厳しく申し渡す。前記の審問官を助け,いかなる者からも俗語で書かれたそのような本を没収するように。そして,このすべてはすべての者,俗界の者,主に平信徒[一般大衆]から取り上げられるべきである(なかでも特に平信徒からは取り上げねばならない。教会法によれば,性別を問わず平信徒が俗語で書かれた聖書のどこかを読むことは不法とされるからである)』。―ドイツ皇帝,カール四世,西暦1369年

      [8ページの図版]

      ローマ皇帝は,聖書を押収し,焼却するようにとの布告を出す

      [9ページの図版]

      豪華で,高価な聖書が作られたが,あたかも“聖遺物”であるかのように扱われた

      [9ページの図版]

      聖書を読むのは僧職者だけのする事柄とみなされるようになった

      [12ページの図版]

      当局者は,一般大衆の言語で書かれた聖書を所有する者はだれであれ火あぶりにするよう布告した

  • 聖書本文の純粋さが脅かされる
    目ざめよ! 1980 | 1月8日
    • 聖書本文の純粋さが脅かされる

      「兄弟たちの要請に応じて,私は手紙を書いた。ところが,悪魔の使徒たちが,多くの事柄を取り除き,他の事柄を付け加え,それらの手紙を害毒で満たしてしまった。そのような者たちには必ず災いが来る。ある者たちは主の聖なる書物にさえ臆面もなく手を加えてきたのだから,それほど重要でない文書に対して攻撃を加えたとしても驚くには当たらない」。これは,自分の著述に対してなされた事柄を嘆いた,コリントのディオニュシオスの言葉です。この人は2世紀にクリスチャンの監督を自任していました。

      この言葉は,当時,「聖なる書物」すなわち聖書「にさえ臆面もなく手を加える」者がいたことを示しています。事実,それと同じ年代のマルキオンについて,テルツリアヌスはこう述べています。「[マルキオンは]ペンではなく,ナイフを公然と使った。自分の論議に合うよう,聖書の一部を削除してしまったからである」。「彼は自分の意見に反するものはすべて消し去ってしまった」。

      聖書の本文をいじくり回そうとする試みがなされたと聞いて驚かれるかもしれません。そのような試みは結局のところ成功せず,聖書の音信の意味は変わっていないと確信することができますか。また,聖書は幾世紀もの間,手書きで写本されねばなりませんでした。写字生の誤りによって,その純粋さが損なわれることはありませんでしたか。これらの質問に対する答えを知れば,聖書の生きた音信を取り返しのつかないほどに損なうのは何の造作もなかったことが分かります。しかし,幾つかの極めて例外的な状況のおかげで,聖書の本文は損なわれずに保存されてきました。

      これほどの注意を払って写本された本はない

      西暦紀元よりも幾世紀も昔から,ヘブライ語聖書の写本が,献身的な書士たちにより細心の注意を払って作られました。これらの書士たちはソフェリムと呼ばれました。この呼び名は,「数える」を意味するヘブライ語の動詞に由来すると思われます。なぜでしょうか。タルムードには,『初期の学者たちはソフリムと呼ばれた。律法の文字すべてを数えたからである』とあります。

      新しくできた写本の文字は注意深く数えられ,その数は原本と一致していなければなりませんでした。実に細かい注意が払われたではありませんか。文字という文字を数えるのに,どれほどの苦労があったか,少し考えてみるとよいでしょう。ソフェリムの計算によれば聖書中には,81万5,140字のヘブライ文字があると伝えられています。本文の原形を損なうことがないように,ありとあらゆる注意が払われました。

      しかし,写本に当たって間違いが全く起こらないようにするには,書士が筆記用具を取り上げるたびに神が奇跡を起こさねばなりません。そのようなことは全く起こりませんでした。誤りはありました。では,そうした誤りは聖書の意味するところを損なってしまうほど重大なものだったでしょうか。それとも,幾千年間も再写本されてきながら,ヘブライ語本文はほぼ同一であるという証拠があるでしょうか。そのような質問は長年の間,答えられぬままになってきました。ヘブライ語の最古の写本といっても,せいぜい西暦900年前後のものでしかなかったからです。

      「全く信じ難いような発見!」

      1947年の初頭,パレスチナの死海を見下ろす小さな洞穴の中で,15歳の少年が薄暗い光の中に立ちつくし,亜麻布に包まれた皮の塊を不思議そうに見つめていました。その不格好な束は,高さ60㌢ほどの大きなつぼの中に入っていました。少年は拍子ぬけがしました。つぼの中には宝物が隠されていると期待していたのです。

      しかし,この少年は,それ以降,「現代における写本の発見としては最大のもの……全く信じ難いような発見」と呼ばれるようになったものを手にしていたのです。西暦前2世紀,すなわち,その当時入手できた最古の写本より1,000年以上も昔の聖書の断片がそこにあったのです。それらの断片をより現代に近い写本と比べてみると,何が分かりますか。幾年にもわたってこの巻き物に取り組んできたミラー・バーロウズは,その内容を注意深く分析し,次のような結論を出しています。

      「聖マルコのイザヤの巻き物とマソラ本文[9世紀の聖書写本]の間に見られる相違の多くは,写本の際の誤りとして説明できる。それらの点を別にすれば,全体として,中世の写本に見られる本文との間に著しい調和がある。かくまで古い写本に見られるそのような調和は,伝統的な本文の全般にわたる正確さを再保証する証拠となっている」。

      「一千年もの年月がたっていながら,本文がこれほどわずかばかりの改変しか経なかったというのは,驚くべきことである」―「死海文書」,109,303,304ページ。

      一つの巻き物には,イザヤ書のほぼ全体が含まれていました。英語の聖書のイザヤ書にある1,292節のうち,この巻き物の字句に基づいて改訂標準訳の翻訳者たちが調整を加えたものはわずか13節にすぎませんでした。これは変化している箇所がほかになかったという意味ではありません。しかしほかの変化の大半は,綴りや文法の変化にすぎませんでした。これらのヘブライ語の巻き物が書かれた年代は1,000年間も隔っていたということを忘れてはなりません。

      クリスチャン・ギリシャ語聖書のほうはどうか

      正確に伝わってきたかどうかの問題は,クリスチャン・ギリシャ語聖書に関して特に激しい論争を呼んでいます。前述のとおり,それに手を加えようとする試みがなされたからです。ギリシャ語本文の純正さに対する疑念は,幾世紀もの間,暗雲のようにたれこめていました。なぜなら,17世紀当時でさえ,原語のギリシャ語で書かれた「新約聖書」の権威ある最古の写本は,たかだか10世紀のものでしかなかったからです。それは原本が書き著わされてから900年以上も後代のものだったのです。加筆や書士の不注意な筆運びによってキリスト教の音信がゆがめられなかったと証明できる人は一人もいませんでした。

      人里離れた修道院に隠されていた「真珠」

      1844年,コンスタンティン・フォン・ティッシェンドルフは,古代写本を探して,パレスチナの南,シナイ山麓の修道院の図書館へ入りました。ばらばらになった本の入った大きなかごがこの学者の目に留まりました。それをさらによく見て,ティッシェンドルフは我と我が目を疑いました。

      自分がこれまでに見たことのある写本よりもはるかに古い,ギリシャ語の聖書の写本の数葉がそこにあったのです。自らを抑え切れず,この学者はその写本について尋ねました。が,意気消沈してしまいました。それはたきつけに使われていたのです。二山がすでに焼かれていました。修道士たちはティッシェンドルフに43葉を与えましたが,それ以上協力することを拒みました。

      彼はその修道院を再度訪れましたが,何の成果もありませんでした。三度目に訪れたときも,すべては失われてしまったように見えました。ティッシェンドルフはその探索に見込みがないと考えて,帰る手はずを整えました。出発の三日前,修道院の執事つまり管理人と話していたところ,執事はティッシェンドルフを小さな部屋へ招き入れました。執事は聖書の古い写本を読んだことがあると述べ,やぶから棒に,赤い布に包んだばらばらになりかけた紙葉の山を引きずり下ろしました。

      その包みを開けてみると,何と,そこにはティッシェンドルフが15年来探し求めてきた「真珠」ともいえるものがあったのです。今ではシナイ写本と呼ばれているこの聖書写本には,「新約聖書」全巻が含まれていました。この写本は,西暦350年前後に書かれたものと思われますが,発見された当時の権威ある写本より6世紀以上も古いものでした。この写本は,聖書本文に手が加えられたことを明らかにしましたか。

      加筆部分が発見され,訂正される

      ティッシェンドルフの発見した写本が,今日の聖書の基礎となったものと基本的に同一であることは当初から明らかでした。しかしその写本は,聖書に手が加えられたことを明らかにしました。

      その一例は,ヨハネ 8章1-11節(欽定訳)にある,なじみ深い記述です。それは石打ちに遭いそうになった,姦淫を犯した女に関する記述で,イエスが『罪なき者まず石を投げ打て』と言われたと伝えるものです。この初期の写本にはその記述はありませんでした。ですからこの写本の発見後に翻訳された聖書は,その箇所を削除するか,脚注に入れるかして,聖書本文を純化しています。加筆部分はほかにも見付かり,削除されました。―マタイ 17:21; 18:11。使徒 8:37。

      より重大な事例としては,偽りの教えを支持するため本文に手が加えられた箇所があります。テモテ第一 3章16節はその例です。欽定訳は,「彼は肉において現われた」(アメリカ標準訳)とする代わりに,「神は肉にて現われ給えり」と,訳出しています。かなりの相違です。どちらが正しいのでしょうか。もし欽定訳が正しいとすれば,イエスが神であるように思われ,イエスは神の子であると述べた聖句と矛盾します。―マルコ 13:32。

      古い写本において,英語の“God”(神)と“Who”(男性形の関係代名詞)に当たる語は似通っています([アートワーク ― ギリシャ文字]-“Who”,男性形の関係代名詞)([アートワーク ― ギリシャ文字]-神)。比較的新しい写本は,大抵,[アートワーク ― ギリシャ文字]か,それに相当する形を載せていました。しかし,ティッシェンドルフの発見した写本では,[アートワーク ― ギリシャ文字],つまり神ではなく,イエスを指す関係代名詞になっていました。ある書士がその語句を改変し,「神」と読ませるようにしたのです。5世紀のアレクサンドリア写本を見ると,それが悪意のない誤りだったのかどうか疑わしく思えます。ちょっと見ると,それは[アートワーク ― ギリシャ文字]に見えますが,顕微鏡を使って調べてみたところ,元々[アートワーク ― ギリシャ文字]だったものが,『ずっと後代の人の手で』その意味を変えるために線が書き加えられたことが分かりました。最近の翻訳は本文を純化し,「彼は肉において現われた」という正しい解釈をしています。(「ネッスル,希英行間新約聖書」および「エンファティック・ダイアグロット」の行間逐語訳の読み方をご覧ください。)

      手を加えたはなはだしい例は,ヨハネ第一 5章7節にも見られます。そこには,「天には,父と言葉と聖霊(がある)。そして,この三つは一つである」(欽定訳)という句が付け加えられています。この言葉はシナイ写本にないだけでなく,16世紀以前のどのギリシャ語写本にもありません。証拠の示すところによると,現在ダブリンのトリニティ(三位一体)大学に見られる写本は,その偽造した節を挿入するために,1520年ごろ意図的に書かれたものなのです。基本的に言って,現代版の聖書は,例外なくこの加筆部分を削除しています。

      大勢の証人たち

      西暦4世紀の写本よりも,さらに時代をさかのぼる写本が出て来ようとしていました。エジプトではパピルスに書かれた聖書の写しが発見されました。その中にはミイラを包んでいたものさえあります。これらの写本は細心の注意をもって復元されました。その作成年代は3世紀にまでさかのぼります。ヨハネによる書の断片の一つは,西暦125年もの昔に作成されたものでした。それらの写本を,4世紀の写本,そして今日のわたしたちの聖書と比較した結果はどうでしょうか。一言半句の違いもないというわけではありませんでしたが,その音信に変わりはありません。どこであれ手が加えられた箇所は,すぐに明らかにされます。その音信は,はっきりと響き渡っています。

      5,000を超すギリシャ語写本のおかげで,原本の本文を実際に復元する上で,手づるに事欠くことはありません。これら古代写本の研究にほとんど一生を費やしたフレデリック・ケンヨンは次のような結論を出しています。

      「これら幾千部もの写本すべての起源をたどってゆくと,地球上の非常に多くの異なった土地や,非常な相違の見られる環境に到達する。ところが本文の変異は,全く末梢的な問題に関するものにすぎず,実質的なものではない。これはまさに,本質的に正しい方法で伝承が行なわれてきたことを示す驚くべき証拠である。

      「また,これらの発見すべて,およびこの研究すべての全般的な結果が聖書の真正さの証拠となっていることを,最終的に見いだせたのは心強い限りである。そして,わたしたちは,実質的には損なわれていない,まがうことのない神の言葉を手にしていると確信しているのである」―「聖書の話」,136,144ページ。

      聖書は二重の勝利者になります。聖書は本として生き続けるだけでなく,本文の高い純度を保っています。しかし,正確な本文が保たれてきたのは単なる偶然だ,という考えは道理にかなっていますか。二千年近くも前に完成され,激しい攻撃に直面した本が,幾千部もの古代写本という形で,依然として存在しているのは単なる偶然によると言えますか。しかもその古代写本の中には,原本ができてから25年以内に作成されたと思われるものもあるのです。これは,『われらの神のことばは永遠にたたん』と言われている方の力を示す豊かな証拠ではありませんか。―イザヤ 40:8。

      聖書の生き延びるための闘いに関するこの記録には,まだ最後の章が残っています。東洋で「生まれた」この本は,どのようにして地の隅々まで生きた言語で配布されるようになったのでしょうか。また,神はなぜ,ご自分のみ言葉があらゆる土地の人々の手に入るよう見守られたのでしょうか。その理由は非常に重要です。

      [14ページの図版]

      非常に古い死海文書は,聖書翻訳に用いられている本文が基本的に正確であることを確証した

      [16ページの図版]

      写字生たちが本文に手を加えたが,聖カタリナ修道院でシナイ写本を見いだしたティッシェンドルフのような人の発見によってそれは暴露された

  • 生きた本は地の果てにまで達する
    目ざめよ! 1980 | 1月8日
    • 生きた本は地の果てにまで達する

      その人はヨーロッパを制覇し,何者をも恐れませんでした。あたかも向かう所敵なしといった観を呈していました。ところが,聖書の歴史を調べた後,その人,ナポレオンは次の事を認めました。「聖書はただの書物ではない。それに敵するものすべてを征服する力を持つ生きた被造物である」。

      確かに,聖書は不滅であることを証明してきた書物です。人を動かすその影響力を受けたのは,その発祥の地だけではありません。中東で生まれはしましたが,聖書は世界各地へ歩を進め,人類の心そのものに向かって,幾百もの言語で“語りかけることを覚え”ました。しかし,深刻な問題が生じなかったわけではありません。

      世界の諸言語に訳される

      15世紀末から19世紀末にかけて,聖書の“語りかける”

日本語出版物(1954-2026)
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