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聖書は現実的な本目ざめよ! 1976 | 1月8日
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僧職者などの口にする約束よりもずっと現実的です。聖書は,世の諸問題が存在する理由,そして前途には実際に何があるかを示しています。しかし,聖書は日常の生活に関して,実際的で今すぐ役立つ助言を与えることができますか。その点について次に調べてみましょう。
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良い結果をもたらす実際的な導き目ざめよ! 1976 | 1月8日
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良い結果をもたらす実際的な導き
自分の持つ様々な問題を処理するのに他からの助けが必要なことを認める誠実な人は今日少なくありません。米国フロリダ州に住む,精神科医でもある著名な医師は次のように語りました。「かなり多くの人は現代的な生活用式の結果,感情面での障害を抱えている。彼らは,麻薬や乱れた性生活,身分不相応な生活から来る圧力,変化する道徳的価値観,家庭生活の崩壊などの問題に対処できると考えている。だが,実際にはそれができない」。それでは,人々は,自分たちが大いに必要としている導きをどこに見いだせるでしょうか。
米国の政治家バーナード・バルークは,聖書の実践的価値を指摘し,かつてこう語りました。「十戒と山上の垂訓は,今でも,われわれの最良の導きである」。バルークはなぜこう語ったのでしょうか。有名な山上の垂訓の中で語られた幾つかの原則を,ここで簡単に考慮してみましょう。人間の必要物について,イエスはこう言われました。「思い煩って,『わたしたちは何を食べるのか』,『何を飲むのか』,『何を身に着けるのか』などと言ってはなりません。……あなたがたの天の父は,あなたがたがこれらのものをすべて必要としていることを知っておられるのです。……それで,次の日のことを決して思い煩ってはなりません。次の日には次の日の思い煩いがあるのです。一日ごとの悪はその日にとってじゅうぶんです」。また後日,次のようにも言われました。『満ちあふれるほどに豊かであっても,人の命はその所有している物からは生じない』。―マタイ 6:31-34。ルカ 12:15。
ここでは,人間の必要とする衣食住に対する普通の関心に重きが置かれています。しかし,物質主義の世界は,多くの場合,人間の必要物よりも欲望を強調します。商業主義は,人々が持っている物で決して満足できないよう,ぜいたく品に対する欲望を次々にかき立てます。それゆえ,満足感は,富んでいる人にではなく,欲望の少ない人にもたらされることがわかります。人は,自分が実際に何を必要としているかについて正しい見方を持ち,それら必要物を得るのに求められる実際的な導きを認識しなければなりません。
聖書の導きは今日でも実際的
聖書は幾十世紀も前に書かれましたが,そこに記されている導きは,今日でも実際的です。時の経過とともに多くの事柄は変化しましたが,人間性そのものは変化していません。人間は,やはり昔の人たちが抱えていたのと同じ問題に直面しています。ただ異なっているのは,今日では問題の規模がはるかに大きく,影響がより広範囲に及ぶという点です。ワールドブック百科事典はこう述べています。「科学技術の進歩にもかかわらず,人間は,人類の諸問題に対処する点であまり成功していない」。それら諸問題に対する信頼できる唯一の解決策は,聖書の中に見いだされます。「すべて賢い者はこれらの事に心をよせ,[エホバ,文]のいつくしみをさとるようにせよ」― 詩 107:43,口。
簡素な生活は望ましいもの
神は簡素な生活を次のように勧めておられます。
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