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彼らは時代の緊急さを感じているものみの塔 1969 | 5月1日
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それは,聖書について知ろうとしている他の子供に証言するためです。級友へのこうした愛の関心の結果として,3人はそれぞれ二つの聖書研究を定期的に司会しています。そして,この子供たちの弟で,8歳になる少年も自分の聖書研究を司会しています。この子供たちの母親は4つ,父親は7つの研究を司会しています。それでこの家族は全部で18の研究を司会しているのです。熱心であり,また喜ばしいことではありませんか。
聖書に関心のある人を尋ね出そうとするこうした愛の決意は,オーストリアのある女の証人の場合にも見られます。この証人はバスの中で関心をもつ婦人に会いました。その人の住所がわからなかった証人は,その婦人が住む村を4度も尋ね,ついにさがしあてて,婦人と聖書の研究を始めたのです。メキシコにおいては工場の掃除夫として働く人が聖書について語っています。彼は工場の技師に近づいて,聖書の真理について話しました。今その技師はエホバの証人となっています。ドイツにいる,ある熱心なエホバの証人のことを想像してごらんなさい。その人は腰から下が麻ひしており,車いすにすわったままです。でも,道ばたに車いすを止め,立ち止まって聞く人すべてに話します。彼は聖書の真理を説明する手紙を書き,自分の家で人々と聖書を研究しています。鉄のカーテンの背後でも同じです。ここでは幾千人ものエホバの証人が公園,バスの停留所,医院の待合室,その他あらゆる場所で伝道しています。至る所で神への賛美が歌われており,多くの人がその歌声に加わっているのです。
「エホバの証人の1969年度年鑑」には証人たちの経験がたくさん出ています。a それを読むならば,さらに多くのことをしたいという精神が,神の組織全体にかつてないほどみなぎっていることがわかるでしょう。エホバの証人たちは,今日行なわれている伝道のわざが二度とくり返されないものであること,そしてそれに加わる機会が今しかないことを認識しているのです。彼らは目前の将来に驚くべき事柄が控えていることを意識しています。そうです,彼らは今の「終わりの日」に関する預言の残りの部分が眼前に成就するのを見るのです。エホバは長年にわたりご自分の組織を整えてこられました。そしてエホバの組織は,いま組織内にはいって来る大ぜいの人々を世話することできるのです。エホバはご自分の組織を強め,人々の霊的な必要に答えさせておられます。あなたもこのクリスチャン奉仕者の社会に加わり,偉大な伝道のわざのために働きたいと思いますか。どうか,それらクリスチャン奉仕者たちを尋ね出してください。―ガラテヤ 6:10。
今日,神の霊の働きに答え応ずる人は,将来大きな喜びを刈り取り,決して後悔することがないでしょう。そうした人々にとって,他の人が神の新秩序でとこしえの命を得るのを助けたという喜びは言いしれぬものとなるでしょう。そうです,今の時代の緊急さを知り,それに応じて行動する人は,すばらしい祝福をもって報われるのです。
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聖句に手を加えるものみの塔 1969 | 5月1日
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聖句に手を加える
★ 西暦3世紀ごろからヘブル語聖書のギリシア語七十人訳の原本に手が加えられ,聖なる神の御名が取り除かれるようになったことを「ものみの塔」誌は,以前に記載したことがあります。1947年から1953年にかけて発見された死海写本により,神の御名はそれより前の時代に変えられたことを示す証拠がさらに得られています。これら死海写本はキリストの時代よりも古いもので,イザヤ写本を調べると,写本家は当時でさえ,エホバの名(YHWH,ヘブル語でיהוה)を他のことばで置き換えていたことがわかります。一例として,ダグラス著「新聖書辞典」の1256ページで説明されているとおり,写本家たちはイザヤ書 3章16-20節の「アドナイ」を「YHWH」に,「YHWH」を「アドナイ」に換えています。明らかにその聖句はその当時すでに手を加えられていたのであり,写本家は神の御名をどの位置に入れるべきか迷っていたと思われます。エホバの御名はそれら二つの場所のいずれにも表われるべきであり,古代写本から得られる大量の証拠はそのことを裏づけています。
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