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    目ざめよ! 1972 | 9月8日
    • 聖書の知識をためすゲームは人を建て起こす

      エホバのクリスチャン証人は,聖書が非常に健全で有益な影響を人に及ぼすことを知っています。聖書に関係したゲームは興味深いだけでなく教育的でもあります。しかしこの場合にも,客がどんな人たちか,どれほど聖書を知っているかを考慮しなければなりません。神のみことばを研究しはじめたばかりの人がいるところで複雑な聖書ゲームをするなら,その人は,自分は何も知らずに取り残されたと感じて失望してしまうかもしれません。若い人たちが交わっているなら,ゲームを計画するに当たって,その人たちの能力も考慮に入れてあげるべきです。

      一部のエホバの証人たちが友だちと楽しむゲームに,聖書中の顕著な人物について討議するゲームがあります。ひとりが聖書中のある人物の名をあげます。すると客がおのおのその人について知っていることを述べます。伝記に関する興味深い詳細事でもかまいません。その人の出生地,親族,友人,経験,忠実だったか不忠実だったかなど。みんながかなりの事柄を指摘した後,その名を選んだ人は,聖書に記されているこの人の記録は今日のわたしたちにどんな良い益を与えますか,と尋ねます。各人ひとつの点を述べます。この聖書中の人物の生涯は,行状に関する原則に光を当てているとか,預言的な意味があるなどと説明できます。それがすむと,次の人が聖書中の別の名を選び,同じ順序でゲームを続けます。

      このゲームは団体で旅行している時でもできます。競争のゲームではなく,全員が益を受けられます。知識が得られ,考える能力に良い刺激を与えます。それに物事の相関関係が明らかになるので理解力を養うことができます。

      聖書中の人物をアイウエオ順にあげて楽しむゲームも人を引きつけます。ひとりがある字を言うと,各人が順を追ってその字で始まる聖書中の名前を答えます。ア,アロン,イ,イサク,ウ,ウジヤ,エ,エサウ,オ,オバデヤと続きます。別のやり方は,一つの字を出して,各人にその字で始まる聖書中の人物を言ってもらいます。ア,アベル,アサ,アマサ,アブサロム,アロン……。イ,イザヤ,イッサカル,イスラエル,イシマエル,イゼベルというようになるわけです。

      楽しく考えることのできる別のゲームは,だれかが自分はヨで始まる聖書中の人物を考えていると言います。すると,ほかの人たちがその人物がだれかを当てるためにいろいろ質問して答えを探ります。これに似たものに,質問を受ける人に,質問をする人の考えている人物を当ててもらうゲームがあります。例えば,あなたの考えている人はその人をねたんでいる10人の兄弟がありますと聞かれた場合,出題者は「いいえ,ヨセフではありません」と答えます。もしヨセフが正解であったら,あるいは出題者が質問をした人の考えている聖書中の人物を当てることができなかった場合には,今度は質問をした人が自分の考えている名前の最初の字を言います。出題者の番を取られた人は自分の考えていた人がだれかを言う必要はありません。あとでもう一度使いたいかもしれないからです。

      聖書地図を使って興味深い地理のゲームをすることができます。参加する人はそれぞれ,使用される地図のところを開いておきます。ひとりがあるできごとを説明します。だれがその事件の場所を言うことができ,その場所を地図の上で示すことができるかです。各人が順番にでき事を選ぶことができます。しかし,出題者は当然それが起きた場所を知っていなければなりません。

      聖書の朗読も客にとても楽しく有意義な一時を与えます。これを興味深いものにするためには,聖書中のある記述を選んで,その中の人物の会話やことばを各人に読んでもらいます。何人が必要かは,その記述の中の人物の数によって決まります。だれかに説明の部分を読んでもらうことも必要です。別の方法は,各人に聖句をいくつかあるいは数節読んでもらい,それからその内容の価値についてみんなに述べていただきます。ただし読むことの得意でない人を当惑させないように注意しなければなりません。

      ゼスチャーも客の奇抜さを試すゲームです。聖書中の人物を当ててもらうために,ある動作を身ぶりで示すものですが,教育的でおもしろいゲームです。ほかの人たちが,その人物がだれか,何をしているところかを当てます。もちろん,内気で,人の前で身ぶりをするのはきまり悪いと感じる人もいますから,決して強制しないことです。

      こうした事柄には平衡が肝要です。良いことでも何度もやると,すぐ飽きられてしまいます。注意深くて洞察力のある司会者は,ある娯楽が興味を失われつつあるなら,すぐにそれを察知して別のものに変えます。変化は楽しみを増します。

      時には,エホバの証人でない親族や友人が証人の集いに同席して,その模様を見ることがあります。すべてが人を建て起こす方法で運ばれるなら,アメリカのオレゴン州での次の経験が示すように,非常に良い印象を与えます。数年前のことですが,バプテスト派教会の会員であった一組の夫婦が,数人のエホバの証人が聖書ゲームをしている集いに同席していました。それを見ていた妻は,自分が自分の考えているほど聖書を知らないことに気づきました。彼女は夫に,わたしは何年も聖書を勉強しましたが,エホバの証人に比べると何も知らないと言いました。ふたりは深い感銘を受けて,集いが終わったあと,家庭聖書研究を司会してくれるようエホバの証人にたのみました。

      このように,人を建て起こす娯楽は楽しくもあり,すべての人に祝福をもたらします。みんなを有益な仕方で楽しませるような事柄を考えて用意しておくなら,あなたの友人はあなたの計画する集いをほんとうに喜んでくれることでしょう。

  • 柔和な答えは効果的?
    目ざめよ! 1972 | 9月8日
    • 柔和な答えは効果的?

      ● だれかがあなたに腹を立てているとき,あなたのとるべき最善の道は何でしょうか。柔和に答えるのはどうでしょうか。時の試みに耐えた箴言に,「柔和なる答は憤恨をとどめ(る)」というのがあります。―箴言 15:1。

      アメリカのワシントン州に住む一エホバの証人は,二,三年前に,霊感を受けたその箴言の知恵を十分に実証する経験をしました。彼女は次のように語っています。

      「ある金曜日の晩,わたしが王国会館で開かれている集会から帰ると,夫と長女が居間にいました。夫はひどく酔っていて,ピストルのそうじをし終わったところでした。娘を寝室へ行かせると,夫はピストルに弾丸をこめ,わたしの首すじをつかんで,ピストルをわたしの頭に突きつけました。わたしには法律的にも聖書的にも王国会館へ行く権利がありましたが,夫は,わたしが行くのをやめなかったことを理由にわたしを殺すとおどしました」。

      そのような状態の時,どんなことができたでしょうか。酒に酔った,そしてピストルを持った男の怒りを,何がしずめたでしょうか。エホバの証人は理性的に,しかし柔和に答えました。彼女はこう語っています。「わたしはエホバに導きを求め,適切なことばが出るように祈りました。そして,わたしたちふたりの母親のどちらに子どもを育ててもらいたいかを夫に尋ねました。夫は,自分の母親が子どもを引き取る気持ちなど全くないのを知っていました。また,わたしの母親は子どもをエホバのクリスチャン証人に育てることも知っていました。この点について,しばらくのあいだ夫と静かに話し合った後,わたしは夫にピストルを捨てさせることができました。そして,少し休んで,あとからその問題を考えるよう納得させたのです」。

      数年後の今なお,そのクリスチャン婦人は楽しく神に奉仕し,また,神への奉仕の面で,子どもたちの進歩をも見る喜びを得ています。彼女は,「夫はわたしのクリスチャン活動にだんだん反対しなくなりました」と言っています。確かにこの証人は,「柔和なる答は憤恨をとどめ(る)」という,神の導きに知恵があることを経験しました。

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