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クリスチャンとしての円熟性 ― 命を得るために必要なものものみの塔 1974 | 6月1日
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の者に寛大に,またとがめることなく与えてくださるのです。そのようにすれば,それは与えられます」。(ヤコブ 1:5)また,エホバのクリスチャン証人の会衆内にいる長老たちの援助も受けてください。神のことばについての深い理解を持つ人と話せば,その人の客観的な注解があなたの疑念を除き去るのに役だち,神への奉仕に再び真の喜びを見いだせるようになる場合も多いでしょう。
20 円熟したクリスチャンおよび円熟過程にあるクリスチャンは,永遠の命を望み見るがゆえに何を行なうべきですか。
20 ですから,まだクリスチャンとしての円熟に達していない人がいるなら,その人はそれを目ざして『進み』,この世の不健全な影響に対して警戒しなければなりません。すでに円熟したクリスチャンとなっているのであれば,「その同じしかたで整然と歩んでゆき」,他の力に負けて堕落してしまうことのないようにしましょう。自分の得た円熟性を活用し,「雄々しくあり,力強い者となり」,クリスチャンとしての円熟性という目標にこれから達する他の人々を助けましょう。それは,わたしたちすべてが最終的な目標,すなわち,神の是認とそれによって得るとこしえの命に達するためです。―フィリピ 3:12,14-16。ガラテア 6:1,2。コリント第一 16:13,14。
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「あなたの進歩がすべての人に明らかになるようにしなさい」ものみの塔 1974 | 6月1日
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「あなたの進歩がすべての人に明らかになるようにしなさい」
1 霊的に円熟したクリスチャンがさらに進歩できるかどうかについて,テモテにあてた使徒パウロのことばは何を示していますか。
エホバ神の献身したしもべの場合,クリスチャンとして円熟に達することはその人の進歩の終わりではありません。使徒パウロは円熟したクリスチャンであったテモテにあてて次のように書きました。「公の朗読と説き勧めることと教えることにもっぱら励みなさい。……これらのことをよく考えなさい。それに打ち込んで,あなたの進歩がすべての人に明らかになるようにしなさい」― テモテ第一 4:13-15。
2 人の普通の生活は円熟が進歩の終わりでないことをどのように示していますか。
2 円熟が進歩の終わりでないことは,人の普通の生活にも明らかに見ることができます。結婚して自分自身の家族を持つ人は円熟したおとなとみなされるのではありませんか。それでも,成人としての責任を果たしてゆく過程でその人は引き続き知恵を増し加えてゆくのではありませんか。自分の過ち,また人の成功や失敗を通していろいろなことを学ぶのではありませんか。まさにそのとおりです。そして,自分の父親や他の年長の人々の経験や知恵を認め,そうした人々に助言や導きを求める場合さえあるでしょう。
3 円熟したクリスチャンはどのように進歩を続けることができますか。
3 円熟したクリスチャンについても同じことが言えます。神のことばを学びそれを当てはめてゆくことによって,クリスチャンは,知識や認識や分別の面での成長を続けてゆくことができます。また,家族の中にりっぱな精神を築き上げたり,他の人々に良い感化を与えたりする点でさらに進歩することもできます。円熟したクリスチャンは互いどうしからも多くのことを学べます。同じクリスチャンでも霊的な資格の表われという面ではそれぞれに異なるからです。ある人は知識の点できわだっています。親切さやしんぼう強さの点で特に目だつ人もいます。さらにまた,難しい問題のさいの判断や分別の点で特に優れている人もいます。また,寛大で人をよくもてなす面でぬきんでた人もいます。さらには,指導力の面で特別のものを持つ人もいるでしょう。
4 円熟したクリスチャンも進歩を続けることができますから,自分の進歩に関しどんな三つの分野にわたって考えてみるのがよいですか。
4 クリスチャンの生活にもいろいろな面で改善の余地がありますから,エホバ神の円熟したしもべは,自分が進歩を続けているかどうかを時間を取って考えてみるのがよいでしょう。わたしたちが考慮できる三つの分野があります。(1)知識と理解と知恵を増し加える,(2)神の霊の実をより豊かに生み出す,(3)家族の一員として責任を果たす。
知識と理解と知恵を増し加える
5 知識や理解や知恵を増し加えているかどうかについて自分をどのように吟味できますか。
5 次の点を自問してください。聖書を読んで勉強する楽しみは自分にとって年とともに大きくなっているだろうか。聖書の教えは自分にとってしだいに明瞭に,また意味の深いものとなっているだろうか。聖書の訓戒を自分の生活にいよいよ当てはめているだろうか。これらの問いに,はいと答えることができるなら,あなたは確かに知識と理解と知恵を増し加えています。しかし,それほど進歩が認められないのであれば,どうしたらよいでしょうか。
6 神のことばから読み取る事がらが自分の心を動かし,感謝をいだいてそれに応じるようになるために何を行なうことができますか。
6 あなたは,自分の思いと心を神のことばに含まれる知恵で満たすことにもっぱら励みたいと思われるでしょう。わたしたちのこれまでの進歩がどれほどのものであるにしても,聖書や聖書研究手引きをただ読むだけであれば,たとえそれが定期的になされる場合でも,それだけでは進歩を続けるために十分でありません。聖書の助言は心に達しなければなりません。つまり,心が動かされ,感謝をいだいてそれに応じるようにならなければなりません。そうしてはじめて,わたしたちは賢明に行動するための推進力を持つことになります。(詩 119:11)したがって,熟慮黙考すること,読みかつ学んだ事がらが自分の生活となぜまたどのようなつながりを持つかを考えることが必要です。読んで学ぶさい次の点を熟考できるでしょう。ここに書いてある事がらはエホバ神について自分にどんなことを悟らせるだろうか。自分はここで読んだ聖書の章句に啓示されているエホバの性格,方法,行動に倣おうと努力しているだろうか。この聖書の記述は自分のなんらかの弱さを指摘しているだろうか。そうした弱さを改めるために何を行なえるだろうか。
7 クリスチャンの集会は「愛とりっぱな業」をどのように鼓舞しますか。
7 集会に出席して注意深く聴くことも,わたしたちの知識の蓄えを増し,理解を深め,知恵によって行動するための助けとなります。クリスチャンの集会は「愛とりっぱな業」を鼓舞します。(ヘブライ 10:24,25)そこでなされる話や注解は,わたしたちの心を動かし,みことばにいっそう従う者となって神への愛を表わしつづけることを促します。そこで聞く事がらは,仲間の信者や家族や人類世界の他の人々に対する自己犠牲的な愛を十分に表現する点で自分をさらに改善しようとする決意を強めさせます。また,そこで聞く事がらから,自分のある分野での業が真に「りっぱ」なものではないことに気づく場合もあります。(マタイ 5:16。テトス 3:8)それによってわたしたちは,銘記した点を自分に当てはめて賢明に行動すべき立場に身を置くことになります。
8 集会の準備をすることは,進歩を遂げ,他の人の励みのもととなる点でどのように役だちますか。
8 さらに,集会に備えて個人的に行なう事がらも進歩のための助けとなります。聖書に基づく資料の内容を前もってよく考え,それが集会で反復されるのを聞くことにより,その内容はより深く心と思いに銘記されます。前もって準備しておけば,細かな点に留意しやすく,自分で考えたさいに論点を理解していたかどうか調べやすくなります。前もって準備することによってわたしたちの注解はいっそう意味深いものとなります。また,自分のことばで考えを述べることもでき,その意味を心をこめて考えずにただ印刷物から要点を読む
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