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聖書の質問の答を見つけるものみの塔 1965 | 5月15日
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聖書の質問の答を見つける
宝さがしをする人は,金や銀をさがします。宝石をさがす人もあります。またかくれた宝をさがす人もあります。しかしそれ以上に報いのある宝さがしは,神のことばである聖書をしらべて正しい知識を得ることです。それによって人は真の知恵を得ます。ですから箴言 2章4,5節は次のように教えています。「銀のごとくこれを探り,秘れたる宝のごとくこれを尋ねば,汝エホバを畏るることをさとり神を知ることを得べし」。
人に聞こうと思えばいつでも聞けます。しかしそれは,聖書を研究する者が第一に考えるべきことですか。そうではありません。なぜなら神のことばは,「さぐり」なさいというだけでなく,「恥じるところのない錬達した働き人になって,神に自分をささげるように努めはげみなさい」ともさとしているからです。(テモテ後 2:15)人にばかり聞く人はどうですか。答えを見出すための努力をしていない場合が多いでしょう。これは次の事からうかがえます。つまり,ある人はものみの塔協会にたくさんの質問をし,他の人々はめったにしない,ということです。ですから聖書にかんする疑問を解く努力をして下さい。しかし,どうすれば,聖書の中から知識の宝をうまくさがし出すことができますか。
聖書の記録を読み文脈を調べる
答えを見つけるための最も重要な方法が,実際には非常に無視されています。それはつまり,疑問を生み出した聖書の記録を読むということです。文脈,すなわち周囲の状況をよくつかんで,その箇所を入念に調べることが必要なのです。アダムとエバの長男のカインはどこから妻を得たか,という質問はよく聞かれますが,これなども人がもしそれをすれば答えは自然にでてきます。
答を得るためには聖書の記録を読まねばなりません。たださっと読むだけでなく,よく調べることです。創世記の4章と5章を読んで下さい。創世記 4章16節には,カインは「ノドの地に住んだ」とあるだけで,妻をめとるためにそこへ行ったとはしるされていません。次の節はこうなっています。「カインはその妻を知った。彼女はみごもってエノクを産んだ」。そしてなお読み進むと,次のように書かれている創世記 5章4節に達します。「〔アダムは〕ほかに男子と女子を生んだ」。ですからアダムには,エバから生まれた男の子や女の子がいたのです。聖書の記録によると,神がただひとりの男とひとりの女を創造されたことは明白です。したがってカインは,妹たちの中から妻を得たに違いありません。おそらく一番年上の妹と結婚したものと思われます。むろん当時の人間は完全に近い状態にありました。ですからそうした結婚も,今日の場合のように有害な影響はなかったでしょう。のちほど神は,イスラエル人がそのような縁組をすることを禁じておられます。(レビ 18:11)しかし,文脈を検討しながら聖書の記録を読んでいくなら,多くの場合,あなたの質問に対する唯一の答えに達することがおわかりになったでしょう。
それから創世記 18章22節,つまり人間の姿をしてアブラハムにあらわれ,妻のサラがむすこを生むことを告げた,3人の天使にかんする質問があります。「その人々そこより身をかへしてソドムに赴けり,アブラハムはなほエホバの前にあり」。人々,つまり天使たちが立ち去ったのに,アブラハムがなおエホバの前にあった,というのはどういうわけか,という人があるかも知れません。文脈によく注意して読むと,人間の姿をしてあらわれた天使3人が立ち去ったとはしるされていません。むしろ次の章の冒頭に,「そのふたりの天使ゆふぐれにソドムに至る」としるされているのに気づきます。それで,アブラハムの前を去ってソドムに行ったのは二人の天使で,3人ではなかったということになります。そして,ひとりの天使があとに残ってアブラハムの前に立っていたこと,またこの天使がエホバを代表していた,という理くつにあった答えができます。エホバを代表したその天使はまだアブラハムの前から立ち去らずに立っていたので,アブラハムは彼を見ることができたのです。
文脈に注意しながら読むことの必要を示す別の例は,だれがヨセフをエジプトに売りとばしたか,という質問です。ある人は創世記 37章28節を大急ぎで読みます。「時にミデアンびとの商人たちが通りかかったので,彼らはヨセフを穴から引き上げ,銀二十シケルでヨセフをイシマエルびとに売った。彼らはヨセフをエジプトへ連れて行った」。この聖句を読んである人は,実際にヨセフを穴から引きあげたのはミデアンびとの商人たちで,これらの商人がヨセフを別のグループ,すなわちイシマエルびとに売り,イシマエル人がヨセフをエジプトへ連れていったのだ,と言います。けれどもそれは正しいですか。
文脈に注意して読むと,ヨセフをイシマエル人に売ることを決めたのはヨセフの兄弟たちであったことが,この章の27節でわかります。ところで,この章の最後の節を読むとどんな結論が出ますか。ミデアン人は別名イシマエルびととも呼ばれていたか,あるいは,ミデアンびとの商人が,イシマエル人の隊商に混じって旅をしていたかのどちらかです。ヨセフは兄弟たちによって彼らに売られたのです。そしてさらに読んでいくと,創世記 45章4,5節でいっそうの確証を得ます。ここではヨセフ自身が,「わたしはあなたがたの弟ヨセフです。あなたがたがエジプトに売った者です」と言っています。そういうわけで,記録全体を読むならミデアンびとの商人たちがヨセフをさらってイシマエルびとに売ったのではなく,ヨセフの兄弟自身が彼をその商人たちに売った,という正しい見方をもつことができます。イシマエルびととミデアンびとは,彼らの先祖アブラハムをとおして互いに親せき関係にありました。
聖書辞典
聖書辞典をお持ちのかたは,それを使って,さきにあげたヨセフにかんする質問の答えをたしかめることができます。たとえば,多くの聖書辞典は,「ミデアンびと」あるいは「イシマエルびと」の項目の中で,この二つの名称は時々どちらにでも使われたと説明しています。またたとえば,ダグラスの「新聖書辞典」の「ヨセフ」の項を見るなら,次のようになっています。
「だれがヨセフをエジプトに売ったか。……隊商はイシマエルびとであった。この名称にはミデアンびと,あるいはメダンびとが含まれる。この二つの名前は同時に出てくる。この二つの名前がどちらにでも使えることを最もはっきり示しているのは,士師記 8章24節である。この節には,ギデオンに負けたミデアンびとが,『イシマエルびとであったゆえに,金の耳輪を持っていた』と明確にしるされている」。
そういうわけで聖書辞典も役に立ちます。聖書に出てくる人物,聖書の歴史,人々の日常生活,職業などについて学びたい場合はとくに役立ちます。しかし,聖書の教義をとりあげている場合は,とりわけ注意して使う必要があります。
前後参照
助けとしてとくに貴重なのは,聖書の前後参照です。前後参照のある聖書はいくつかありますが,いちばん役立つのは,大きな文字で印刷された「新世界訳聖書」(英文)です。欄外に聖句の章と節がのせられ,多くの参照符によって結びつけられています。a この聖書の24頁の序文には,これらの参照符は,「内容の類似した節,地理的また伝記的な部分,引用句,などの役立つ資料の所在を読者に知らせます」としるされています。
ですからこの版の「新世界訳聖書」の前後参照を利用することによっても役立つ資料が得られます。はやい話が,ヨセフにかんするさきほどの質問にしても,「ミデアンびとの商人たち」という言葉に参照符がついていて,読者は創世記 25章2節を参照するようになっています。そこをみると,ミデアンは,ケトラから生まれたアブラハムのむすこのひとりであったことがわかります。このことは,イシマエルびととミデアンびとが,同じ先祖,つまりアブラハムから出たことを知る助けになります。したがって,両者が親密な関係にあったこと,両者の名前がどちらにでも使われたであろうことを,いっそうよく理解できます。
そのような前後参照を用いると,多くの資料を得られます。ある人は,なぜイエスは死の直前に,「わが神,わが神,どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と言われたのだろう,という疑問をもつかも知れません。(マタイ 27:46)その場合,聖書の前後参照を見るなら,詩篇 22篇1節が参照聖句としてあげられているのに気づくでしょう。そしてその聖句を読むとき,そのことが詩篇の中に預言されていたこと,またイエスが外面上神に捨てられたように見えたときこの言葉を口にされたのは,預言の成就であった,ということもわかるでしょう。
聖書語句索引
聖書の質問の答えを見出すためのもう一つの助けは,聖書語句索引です。これは語句をアルファベット順に配列して,それらの語句が聖書本文のどこにあるかを示す索引です。大きくて詳細なものもあれば,主要な語句しかのっていない小さな索引もあります。この点で非常に役立つのは,1961年版の「新世界訳聖書」にのせられている「重要聖書語句索引」です。
聖書のこの部分の用い方はいろいろあります。たとえば,「信仰」という主題にかんする資料を得たいとします。この主題と関係のある最も重要な聖句を見つけるためには,聖書の巻末を開いて,かぎとなる言葉「信仰」をさがしさえすればよいわけです。その項目には,ヘブル書 11章6節の「信仰がなくては,神に喜ばれることはできない」とか,ヤコブ書 2章26節の「行いのない信仰も死んだものなのである」などの有益な聖句がいくつかのせられています。
あなたは,「剣をとる者はみな,剣で滅びる」というイエスの言葉を記憶しておられると思います。しかしそれは聖書のどこに書かれていますか。こういう時にも語句索引が役立ちます。たとえば,かぎになる言葉「剣」をさがせば,参照聖句が見つかります。それはマタイ伝 26章52節です。1961年版「新世界訳聖書」(英文)の巻末にある「重要聖書語句索引」を利用することによって,あなたはそれを見つけたのです。ですから聖書語句索引を使いましょう。それから受ける益は大きいものがあります。
以上のように,「神を知る」ための方法はたくさんありますから,それらをよく利用しましょう。特定の聖句をめぐる質問が生じたなら,文脈を調べることを忘れないようにしましょう。聖書辞典も助けになります。聖書の前後参照,語句索引も利用しましょう。こうしたものを使えば,他の人に聞く必要はあまりないでしょう。そのうえ,答えがえられるばかりでなく,聖書の質問の答えのさがし方を知っているという満足も得られます。そうなれば霊的にいっそう円熟していきます。そして豊かな知識があなたのものになるでしょう。熟達した研究者になり,知識に富む人になって下さい。
[脚注]
a 日本聖書協会出版の旧新約聖書(1964年,文語体)は,イロハニホヘトなどの参照符を使っている。
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読者からの質問ものみの塔 1965 | 5月15日
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読者からの質問
● 人間の歴史のどの時代にも地上にエホバの証者がいましたか。暗黒時代はどうですか。
この質問に独断的に答えるのは賢明でないようです。しかし神の言葉に加え,道理と歴史的事実によって,人間歴史のどの時代にも地上にエホバの証者がいたと結論することは正しいようです。
洪水前に名前をあげられているエホバの証者が3人に過ぎなくても,他にエホバの証者がいなかったということにはなりません。アベルが忠実な証者であった時に結婚していたということは十分考えられますから,彼が死んでからも彼の妻はエホバの証者として引き続き生存したと思われます。それからレメクがいました。彼は息子のノアについて霊感された預言を述べたのですから,彼もエホバの証者であったに違いありません。―創世 5:29。
洪水の後,忠実なセムが登場しますが彼はアブラハムの時代まで生き残っています。それにイサク,ヤコブ,ヨセフ,ヨブは忠実な証者ではなかったでしょうか。モーセの両親でさえそうであったに違いありません。イスラエルの国民が組織されると,イザヤ書 43章10-12節で示されているように国民全体が証者の国民となったのです。その国民は西暦36年までエホバの証者として存在し続けました。
またキリストの時代から現在までエホバが地上に証者をお持ちになったことは,マタイ伝 13章に記録されている麦と毒麦に関するイエスのたとえ話によっても示されます。その中でイエスは収穫の時に分けられるまで麦と毒麦が一緒に成長し続けると語っています。このたとえは,最初の種がまかれてから収穫の時まで,時には非常に少なかったにしても,「麦」である真のクリスチャンがいくらか存在していたという意味に取ることができます。それで幾世紀にも亘って三位一体の誤りを拒絶した普通「アリウス派」と呼ばれている自称クリスチャンがいました。又,ニサンの月の14日にキリストの死の記念式を祝う理由で「十四教徒<クオートデシマン>」として知られ,初期のキリスト教に忠実に従うという人々がいました。彼らはローマの異教化の傾向に反対の立場をとりました。それから第7世紀以後ポーリシャンと呼ばれるポーロを尊信する人々がいました。彼らの教えは「純粋の使徒的聖書のキリスト教」と称せられて来ました。かれらは「新約聖書」だけに固く従い,大人の洗礼を行い,神は愛によって一人の御使いを地に送り洗礼をうけた時に神の子となったと信じています。彼らは非聖書的な伝説を拒絶し,牧師,平信徒の間の差別をつけず,十字架崇拝を拒絶しました。
それから12世紀以後ワルド教徒がいました。彼らは煉獄とかミサなどの偽りの伝説をみな拒絶し,いわゆる「新約聖書」だけに限定することはありませんでしたが,聖書に固くつき従うという点に於て前に述べたポーリシャンと多くの共通点がありました。かれらが認めたただ二つの祝いは洗礼式と主の夕食でした。かれらは道徳に関しては聖書の原則に固くつき従い,復活祭前の日曜日,復活祭,全聖徒の日などの人気ある宗教的休日を祝いませんでした。次にしるす一殉教者の言葉は典型的なものです。「十字架に祈るべきでなく,むしろ『正しい方』の死の道具として忌むべきである」。
アリウス派,ポーリシャン,ワルド派の多くの人たちは他の人たちと共に聖書に基づいた宗教のために殉死しました。そのこと自体また前述の彼らの信条を考慮しても,彼らがみな神の是認を得ているとはいえません。なぜでしょうか。少なからぬ人がマタイ伝 26章52節を犯してローマカトリックの十字軍に対し防衛するため剣をとりました。
それゆえ前述の事は二つの事を証明すると思われます。(1)アベルの時代から現代までの全世紀を通じて神の証者と見なされ,神の是認を得る程固く神の言葉につき従った人々がいたという事。(2)かれらの数は少なかったに違いないという事。キリストのからだを構成する者の数が限られており,しかもその中の比較的多くの人が種のまかれた時と収穫の時に出現することからそういえます。
訂正: 65年2月1日号「ものみの塔」85頁下段1行目「しかし」から3行目「知れません」まで削除。4月15日号249頁上段21行目「ペテ」は「ヤペテ」に,中段12行目「ニレオン」は「シオン」に訂正。
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