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生命を与える知恵の本の真価を認めるものみの塔 1966 | 7月1日
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の五書において確立された真の崇拝の基本的な原則と調和しているはずです。そして聖書をくわしく調べると,そのとおりであることがわかります。あとにつづくそれぞれの本は(モーセの五書と同じく)それ自体の中に霊感の証拠をとどめているだけでなく,それが同じひとりの神によって成ったものである証拠を示しています。すなわちそれぞれの書が前に書かれた部分と一致調和していることは,その全体が神の霊感による書の集大成である証拠です。
18 霊感によって聖書の各書を書きしるさせたほかに,聖霊は聖書の成立にどんな働きをしましたか。
18 聖書の正典と同時代に書かれた他の書物もありますが,たとえ歴史的に正確でも,霊感の証拠を示すものはそのうちになく,また一部のものを除けば,霊感を主張しているものはありません。エホバ神がみたまによって,霊感の書物の成立を導かれたことは確かです。それぞれの本に神の霊感の証拠つまり神が著者であることの証拠が見られるのと同様に,それぞれの本を集めた全体を見ても,神の霊感と導きを証拠だてるものがあるはずです。そして確かにそのとおりです。全体の内面的調和を破るものが,一部の本の中にあるはずはありません。異なった筆者の手になる書を集めた聖書は,この点において特異な本です。このような本はほかにありません。神のみこころとお目的また神と人類の交渉を漸進的に啓示した本として,まちがいのない証拠を示しているのは聖書だけです。
19 (イ)エズラおよび大会堂の人々はヘブル語聖書の正典を確立するに際して,何を考慮したに違いありませんか。(ロ)この正典はおそらくいつまでに完成されましたか。それは何から成り立っていましたか。
19 祭司エズラおよびその後の大会堂の人々がヘブル語聖書正典の目録を作成したのは,これらの事実を考慮し,また神の見えない力に導かれてのことであったに違いありません。ユダヤ人の伝統的な見解に示されているように,ヘブル語聖書の正典は紀元前5世紀の終わり頃までに確定されたようです。この正典は一部の聖書に編入されている経外書を含まず,今日一般に受け入れられ,また現代の聖書の大多数に採用されている39冊の本だけをしるしています。それはイエスや初期キリスト教会が受入れていた正典であり,イエスと弟子たちは,権威ある神のことばとしてこの正典から引用しました。d ―ヨハネ 17:17。
20 成長しつつあった聖書の正典はどのように内面の調和を示し,その著者がひとりであることを証拠だてましたか。
20 聖書の正典は成長しましたが,神と,人間に対する神の目的について創世記に記録された事柄に矛盾が生じたということはありません。むしろそれはのちの筆者によって確認され,明白にされ,またおしひろめられたのです。すべての筆者は,創造者なる神が唯一であり,エホバという名を持たれることを異口同音にあかししています。偽ることのあり得ない神は,アダムとエバに対する宣告の中で初めに表明されたまことの正義の標準をまげるようなことをされません。しかしその後の啓示は,不完全な人間を親として生まれたアダムとエバの不幸な子孫に対する神の過分の恵みを明らかにしています。しかも神のみこころに関するのちの啓示は,聖書の最初の本にしるされている預言を礎石として,その上にかたく建てられているのです。こうして創世紀 3章15節にしるされたすえの約束からは,つらねた宝石のように聖書全巻をつらぬく,すばらしいひとつづきの預言的な啓示が始まっています。同時にそれは,感動させる聖書の他の主題とともに聖書全巻をまとめており,聖書がひとりの同一の著者から出たことを証明しています。
21 (イ)互いに関連のない出来事または無関係な叙述を集めたものとしてではなく,どのように聖書を見るべきですか。(ロ)聖書は人を何に導きますか。
21 それぞれの書が書かれるにつれて,心をおどらせる神の目的が明らかにされていますが,それは互いに無関係な挿話あるいは関連のない預言を集めたものではありません。聖書に啓示された神の目的は,精巧なつづれ織りのように各部分から成るひとつの絵であり,各部分は互いに関連しています。それぞれの事件,聖書にしるされた歴史的な出来事は,全体を理解するのにそれぞれ資するところがあるのです。それぞれの考え,教え,出来事,啓示,預言は全体の中で適所に配置されており,矛盾や衝突をきたしません。それはエホバ神のひとつの大きな目的を理解するのに役だちます。なによりも,このすばらしい本,聖書は,人が神を知るための助けです。この知識は永遠の生命につながっています。―ヨハネ 17:3。
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「神を知る正確な知識を増し加える」ものみの塔 1966 | 7月1日
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「神を知る正確な知識を増し加える」
1,2 (イ)学ぶことについて言えば,パウロは「終りの時」にどんな状態が見られることを預言しましたか。その状態の原因はなんですか。(ロ)正確な知識を増し加えることには,ほかにどんな要素が影響しますか。
「苦難の時代」である「終りの時」について書いた時,使徒パウロは「常に学んではいるが,いつになっても真理の〔正確な〕知識に達することができない」人々のことを述べました。このような学び方は無益であり,少しも真の益になっていません。この理由で同じ使徒は,コロサイ人へあてた手紙の中で,仲間を知るクリスチャンが「あらゆる良いわざを行って実を結び,神を知る〔正確な〕知識をいよいよ増し加えるに至ること」を祈りました。―テモテ第二 3:1,7。コロサイ 1:10,〔新世〕。
2 「常に学んではいるが,いつになっても真理の〔正確な〕知識に達することができない」人がいるのは,なぜですか。もちろん,このことばの前後の関係からわかるように,神をほんとうに愛することなく,生活の中で神を第一にしていない人は,真理の正確な知識を得ることができません。罪にふけり,悪い欲望のとりこになっていることが,理解を得るために不可欠な神の霊の働きを妨げてしまうのです。(コリント第一 2:10-14)しかしわたしたちが知識を積みかさねる方法も,理解の程度に影響します。
3 どのように知識の正確さをためすことができますか。どんなたとえでそれを示すことができますか。
3 たとえば,人が家を建てるとします。その人は必要な材料一切を建築の現場に運び,れんが,セメントの袋,窓や戸の枠,屋根がわらその他を積み上げます。しかし設計図に従ってそれらを組み立てるのでなければ,一切
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