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    生命 ― どのようにして存在するようになったか 進化か,それとも創造か
    • 第17章

      聖書は信頼できる本ですか

      1 (イ)聖書そのものがはっきり述べている事柄とは異なり,多くの人は聖書についてどんな見方をしていますか。(ロ)どんな疑問が提出されますか。

      聖書は過去の時代の賢い人が書いた書物にすぎない,とみなしている人々が多くいます。大学の教授であるジェラルド・A・ラルーはこのように断言しました。「聖書中に言い表わされているその筆者たちの見方は,その時代に一般的に見られた観念,当時の考え方や概念を反映しており,その時代の限られた知識による制約を受けている」。1 しかし,聖書は神の霊感のもとに記された書物であることが,はっきりと述べられています。(テモテ第二 3:16)これが真実であるなら,聖書は,その個々の部分が書かれた時代に広く見られた誤った考え方などを含んではいないはずです。聖書は現在の知識に照らした批判的な検討に耐えることのできる本ですか。

      2 科学的な問題に関する人間の文書は新しい情報によってしばしばどのように影響されますか。

      2 この問題について考える際,人間は知識の進歩に伴い,新しい情報や発見に合わせて終始自分の見方を調整してゆかねばならない,ということを思い起こしてください。サイエンティフィック・マンスリー誌はかつてこのように述べました。「ある場合には,[ほんの]5年前に書かれた論文でさえ,科学のその分野における最新の考えを代表するものとして受け入れられることを期待するのは無理である」。2 しかし,聖書は,およそ1,600年の期間をかけて記録と編さんがなされ,今から2,000年近く前に完成されました。今日,その正確さについてどのように言うことができるでしょうか。

      聖書と科学

      3 地球を支えているものに関して古代の人々はどんな見方をしていましたか。しかし,聖書はどのように述べていましたか。

      3 聖書が書き記されていたころ,地球が宇宙内でどのように支えられているかに関して一般に憶測がなされていました。例えば,ある人々は,地球は大きなウミガメの上に立つ4頭のゾウによって支えられている,と信じていました。しかし,聖書は,それが書かれた時代の空想的で非科学的な見方を反映するどころか,ただ簡明にこう述べていました。「神は北をむなしい所の上に張り伸ばし,地を無の上に掛けておられる」。(ヨブ 26:7)そうです,今から3,000年以上前に,聖書は,地球には何ら見えるかたちでの支えはないこと,すなわち,比較的近年になって理解されるようになった,引力や運動の法則と一致した事柄を正確に述べていました。「ヨブがこの真理をどうして知っていたのかという点は,聖書が霊感によるものであることを否定する人々にはなかなか解けない疑問である」と,一宗教学者は述べました。3

      4,5 (イ)かつて人々は地球の形についてどんなことを信じていましたか。そのためにどんな恐れを抱いていましたか。(ロ)聖書は地球の形状について何と述べていますか。

      4 地球の形について,アメリカーナ百科事典はこう述べています。「人間が地球に関して抱いた観念として知られている最古のものによれば,地球は,宇宙の中心に固定された,平らな台のようなものであった。……地球を球体と見る概念は,ルネッサンスになってようやく広く受け入れられるようになった」。4 初期の航海者たちの中には,船が平らな地球の端から落ちてしまうことを恐れた人もいたほどでした。しかし,その後,羅針盤その他の改良された器具が導入されて,長い航海ができるようになりました。これら「発見時代の航海は,この世界が丸く,たいていの人々がそれまで信じていたような平らな所ではないことを明らかにした」と,別の百科事典は説明しています。5

      5 しかし,そのような航海よりずっと前,事実,2,700年も前に,聖書はこう述べていました。「地の円の上に住む方がおられ,地に住む者たちは,ばったのようである」。(イザヤ 40:22)ここで「円」と訳されているヘブライ語「フーグ」には,デイビッドソンの「ヘブライ語,カルデア語分析辞典」などの参考書も示すとおり,「球体」という意味もあります。そのため,他の翻訳はその部分を,「地の球」(ドウェー訳),また,「丸い地」(モファット訳)とも訳しています。このように聖書は,それが書かれた時代に広く見られた,地球は平らであるという誤った見方に影響されてはいませんでした。それは正確でした。

      6 古代には一般的に理解されていなかったどんな驚嘆すべき循環について聖書は描写していますか。

      6 人は昔から,河川が流れ込んでも海や大洋の深さが変わらないことに気づいてきました。地球が球体であることが知られるようになるまで,これは,流れ込むのと同じ量の水が地の端からこぼれ出ているためである,と信じた人もいました。その後,太陽が毎秒数十億リットルもの水を水蒸気のかたちで海から“汲み上げている”ことが知られるようになりました。この仕組みによって雲が作り出され,それが風によって陸地の上空に運ばれ,そこで水分が雨や雪となって地上に降ります。次いでその水は川に流れ込み,再び海に注ぎ込まれます。この驚嘆すべき循環について,古代には一般的に知られていなかったにもかかわらず,聖書の中でははっきりと述べられていました。「川はすべて海に注ぐが,海はいまだ満ちてはいない。水は川が始まった所に戻り,再びそれを繰り返す」― 伝道の書 1:7,新英訳聖書。

      7,8 (イ)宇宙の起源に関して聖書の述べている事柄の正しさはどのように証明されましたか。(ロ)この新しい情報に対してある天文学者たちはどのような反応をしましたか。なぜ?

      7 宇宙の起源に関して,聖書はこう述べています。「初めに神は天と地を創造された」。(創世記 1:1)しかし,かつて多くの科学者たちは,この陳述を非科学的なものとみなし,宇宙に始まりはなかった,と唱えていました。しかしながら,より新しい情報に注意を促しつつ,天文学者のロバート・ジャストローはこう説明しています。「奇妙な展開の要旨を述べれば,宇宙には,ある意味で初めがあったということである。すなわち,宇宙は時の流れのある瞬間に始まったのである」。ジャストローはここで,今日一般に受け入れられている説,すなわちこの本の第9章で取り上げた,宇宙爆発起源説について述べています。そして,さらにこう述べています。「いま我々には,天文学上の証拠が,世界の起源に関する聖書の見方と一致しているのが分かる。細かな点は異なるにしても,天文学上の説明と聖書の創世記にある記述との本質的な要素は同一である」。6

      8 そのような発見にはどんな反応がありましたか。ジャストローはこう書いています。「天文学者たちは奇妙なほど動揺した。彼らの反応は,科学そのものによって明らかにされた証拠と我々の専門職における信条とが相入れない場合に,きわめて客観的とされている科学者の知性がどのように反応するかの興味深い例証となっている。自分の信念が実際の証拠と相入れない場合,科学者といえども,他の我々と同じ振る舞いをすることが明らかになる。我々はいら立ち,そのような対立は存在しないかのように装い,あるいは無意味な言い回しでそれを覆ってしまおうとする」。7 『科学によって明らかにされた証拠』は,科学者たちが宇宙の起源に関して長年信じてきた事柄を否定しましたが,それによって,幾千年も前に聖書の中に記されていた事柄の真実さが確証されたという事実は変わりません。

      9,10 (イ)大洪水について聖書は何と述べていますか。(ロ)今日,どんな証拠は聖書の述べている事柄の真実さを裏付けていますか。

      9 聖書は,ノアの時代に大洪水が起きて地上のいちばん高い山々をも覆い,ノアの建造した巨大な箱船の外にいたすべての人がそれによって滅びたことを記しています。(創世記 7:1-24)多くの人々がこの記述を嘲笑してきました。しかし,高い山の上に貝殻が発見されています。また,途方もなく規模の大きな洪水がそれほど遠くない昔に起きた別の証拠として,大量の化石や動物の遺がいが,氷に閉ざされた堆積物の中に保存されています。サタデー・イブニング・ポスト紙はこのように述べました。「これらの動物の多くはまだ完全にみずみずしく,無傷であり,しかもまだ直立か,少なくともひざをついた姿勢になっていた。……我々のこれまでの考えからすれば,これは実に衝撃的な光景である。よく肥えた巨大な動物の大群,しかも特に極寒の地で生きるように設計されてはいない動物たちが,日の当たる草地で静かに草をはんでいた。……ところが突然に,これらの動物すべてが,表面的には何の外傷も受けず,しかも口に入れた食べ物をのみ込むひまさえなく殺され,そののち急速に凍結したのである。凍結はあまりに急激であったため,それらの動物の体の細胞は今日までことごとく完全に保存されていた」。8

      10 この状況は,大洪水の際に起きた事柄と適合します。聖書はそれを次のような言葉で描写しています。「広大な水の深みのすべての泉が破られ,天の水門が開かれた」。その豪雨は『地に大いにみなぎり[地を圧倒し,英文新世界訳字義]』ましたが,それには,特に極地地方で,凍りつくような風が伴っていたにちがいありません。(創世記 1:6-8;7:11,19)温度の変化はその地域で最も激しく,急速であったことでしょう。さまざまな種類の生物がそれにのみ込まれ,凍りついたごみの中に保存されました。このページの写真にあるのは,シベリアの発掘者たちによって発見されたマンモスですが,これもそのような動物の一つであったのではないかと思われます。緑の植物がまだその口と胃の中にあり,その肉は解凍すればまだ食べることもできました。

      11 知識が増し加わることによって確証された聖書の記述としてほかにどんな点がありますか。ある科学者たちはどんな結論を下すようになりましたか。

      11 聖書を細かに調べれば調べるほど,その驚くほどの正確さが明らかになってきます。この本の36,37ページで述べたとおり,聖書は,創造の各段階を,科学が今日確認したとおりの順序で記述しています。これは,聖書が単に人間に由来するものであったなら,説明することの難しい事実です。これも,増し加わった知識によって聖書の詳細な記述の真実さが裏付けられた多くの例の一つです。全時代を通じて最大の科学者の一人とされるアイザック・ニュートンが,「どんな学問にしても,聖書の宗教ほどに実証されたものはない」と述べたことには,それなりの理由があるのです。9

      聖書と保健衛生

      12 ある医師は,保健衛生に関する一般的な迷信と聖書の記述とを比較してどのように述べましたか。

      12 過去の幾世紀もの間,保健衛生の問題に関しては非常な無知がはびこっていました。ある医師はこのようにも述べています。「いろいろな迷信がいまだに多くの人々によって信じられている。例えば,ポケットの中にトチノキの実を入れておけばリューマチにかからないとか,ヒキガエルに触るといぼができるとか,赤いフラノの布切れを首に巻いておくとのどの痛みは治るなどである」。その医師はさらにこう述べています。「しかし,聖書の中にそのような記述は見いだされない。このこと自体注目すべき点である」。10

      13 古代のエジプト人は危険の多いどんな治療法を指示していましたか。

      13 過去に用いられた,危険の多い治療法と,聖書の述べている事柄とを比べてみると,ほかにも注目すべき点がいろいろあります。例えば,古代エジプト人の医学文書であるエベルス・パピルスは,種々の病状の治療に糞便の使用を処方していました。その書物は,かさぶたが取れたあとに残る傷のための湿布剤として,人糞にしぼりたてのミルクを混ぜたものを用いるように指示していました。また,太いとげなどを抜き取る療法として,こう記しています。「ミミズの血,熱して,油とよく混ぜる;モグラ,殺して熱し,油の中にその液をたらす;ロバの糞,しぼりたてのミルクと混ぜる。傷口にそれを塗る」。11 そのような処置をすれば,重い伝染病にかかりかねないことが今日知られています。

      14 聖書は排せつ物の処理について何と述べていましたか。これはどんな点で保護となってきましたか。

      14 聖書は糞便について何と述べていたでしょうか。こう指示していました。「外でかがむ時には[掘る道具]で穴を掘り,向き直って自分の糞便を覆うようにしなければならない」。(申命記 23:13)ですから聖書は,治療に糞便を処方するようなことは決してせず,むしろ排せつ物の安全な処理を指示していました。今世紀になるまで,糞便にハエがとまるままにしておくことの危険はあまり知られていませんでした。そのことが,ハエによって伝染する重い病気の流行,また多くの人の死をもたらしてもいました。しかし,それを防止するための簡単な解決法が常に聖書の中に記録されていたのであり,イスラエル人は3,000年以上前からそれに従っていました。

      15 死体に触れることに関する聖書の忠告に従っていたなら,多くの人の死を招いたどんな医療上の習慣を避けることができましたか。

      15 前世紀の間,医療に携わる人々は,解剖室で死体を扱ったのち,そのまま産科病室へ行き,手も洗わずに検査を行なうことがよくありました。そのために,死体から伝染病がうつって死んだ人も少なくありません。手を洗うことの価値が証明されたのちにも,医療に従事する多くの人は,そのような衛生のための処置を取ろうとしませんでした。自分では気づいていなかったにちがいありませんが,それらの人々は聖書の中の知恵を退けていました。イスラエル人に対するエホバの律法は,だれにせよ,死人に触れた人は汚れた者とみなされ,体と衣服とを洗うべきことを定めていたからです。―民数記 19:11-22。

      16 割礼を八日目に施すようにという指示の中に,人間の知識を超えた知恵が示されていたと言えるのはなぜですか。

      16 アブラハムとの契約のしるしとして,エホバ神はこう言われました。「あなた方のうちの男子はみな生後八日目に割礼を受けなければならない」。後に,この要求はイスラエル国民に対して再び語られました。(創世記 17:12。レビ記 12:2,3)なぜ八日目が特に指定されたかについては説明されませんでしたが,今わたしたちはその理由を理解できます。医学的な研究が明らかにしたところによると,血液を凝固させる要素であるビタミンKはようやくそのころに十分な量に達します。そして,もう一つの肝要な凝血要素であるプロトロムビンは,生後八日目に,子供の生涯の他のどんな時期よりも高い数値に達するようです。このような証拠に基づいて,S・I・マクミレン博士はこう結論しています。「割礼を行なうために完ぺきな日は八日目である」。12 これは単なる偶然の一致ですか。決してそうではありません。それは,そのことを知っておられた神から伝えられた知識でした。

      17 聖書の真実さを裏付ける科学の発見としてほかにどんなことがありますか。

      17 現代科学による別の発見は,精神態度と感情が健康に与える影響です。一百科事典はこう説明しています。「1940年以来いよいよ明らかになってきたことであるが,人体諸器官の生理学的機能,また器官系統そのものは,各人の精神状態と密接に結び付いており,それによって影響を受けた器官には,組織の変化さえ生じうる」。13 しかしながら,精神態度と身体の健康との間のこの密接な関係については,聖書の中でずっと以前に言及されていました。例えば,聖書は,「穏やかな心は身体の命であり,ねたみは骨の腐れである」と述べています。―箴言 14:30;17:22。

      18 聖書は害となる感情を離れるようどのように人を導き,またどのように愛を強調していますか。

      18 ですから聖書は,害となる感情や態度から離れるようにと人を導いています。聖書は,「闘争やねたみのうちを歩むのではなく……正しく歩みましょう」と促し,またこう勧めています。「すべて悪意のある苦々しさ,怒り,憤り,わめき,ののしりのことばを,あらゆる悪と共にあなた方から除き去りなさい。そして,互いに親切にし,優しい同情心を示し(なさい)」。(ローマ 13:13。エフェソス 4:31,32)聖書はとりわけ愛を強調しています。「これらすべてに加えて,愛を身に着けなさい」と述べており,また,愛の最大の推進者としてイエスは自分の弟子たちにこう話されました。「わたしはあなた方に新しいおきてを与えます。それは,あなた方が互いに愛し合うことです。つまり,わたしがあなた方を愛したとおりに,あなた方も互いを愛することです」。山上の垂訓の中で,イエスは,『あなた方の敵を愛しつづけなさい』とも言われました。(コロサイ 3:12-15。ヨハネ 13:34。マタイ 5:44)多くの人は,このような態度をむしろ弱いことのようにみなして,あざ笑うかもしれませんが,実際にはその代価を払う結果になっています。科学はいま,愛の欠如が,多くの精神障害その他の難問の主要な原因となっていることを見いだしています。

      19 現代科学は愛についてどんなことを発見しましたか。

      19 英国の医学雑誌「ランセット」はかつてこう述べました。「精神科学の最も意義ある発見として際立っているのは,愛の持つ,精神を保護し,それを回復させる力である」。14 同じように,ストレスの研究者として名高いハンス・セリエ博士もこう述べました。「かいようや高血圧や心臓病になるのは,憎しみを受けている人や,欲求不満<フラストレーション>を生じさせるボスではない。それは,憎しみを抱き,あるいは欲求不満<フラストレーション>が自分に生じるのを許すその人自身である。『なんじの敵を愛せ』とは,かつて与えられた医学上の忠告として最も賢明な言葉の一つである」。15

      20 ある医師は,山上の垂訓の中のキリストの教えと精神病医の助言とを比較してどのように述べましたか。

      20 事実,聖書の知恵は現代の発見よりはるかに先んじていました。ジェームズ・T・フィッシャー博士はかつてこう書きました。「最高の資格を持つ心理学者と精神病医がこれまでに書いた,精神衛生に関する権威ある論文すべてを集め,それを組み合わせて洗練し,無用な語句を削り取り,実質的に価値のある部分すべてを取って,価値の少ない部分が入らないようにし,こうして得た,混ざりけのない,純粋に科学的な知識を,当代随一の詩人に簡潔に表現させたとしても,それは,山上の垂訓の不器用で不完全な要約でしかないであろう」。16

      聖書と歴史

      21 今から百年ほど前,批判者たちは聖書の歴史的な価値についてどのような見方をしていましたか。

      21 ダーウィンによる進化論の発表以後,聖書の歴史的な記録は各方面から攻撃の的とされるようになりました。考古学者のレナード・ウーリーはこう説明しています。「19世紀の終わりごろには,旧約聖書の初めのほうの書の中で述べられているほとんどすべての事柄の歴史的根拠を否定しようとする,極端に批判的な学派も登場した」。17 事実,批判者の中には,文字を書くことはソロモンの時代あるいはそれ以後になるまで一般に普及していなかったから,聖書の初めのほうの叙述は,その出来事が起きてから何世紀ものちに書かれたものであり,それゆえに信頼できない,と唱える人さえいました。このような説の唱道者の一人は,1892年にこう述べました。「モーセ以前の叙述が扱っているその時代は,それらの叙述が伝説的な性格のものであるという十分な証拠となる。それは文字で書くことが全く知られていなかった時代なのである」。18

      22 古代の人々の,文字を書く能力についてどんなことが知られるようになりましたか。

      22 しかし,近年になって,文字がモーセの時代よりずっと前から普及していたことを示す,非常に多くの考古学上の証拠が蓄積されました。考古学者のウィリアム・フォックスウェル・アルブライトはこう説明しています。「我々はここで再び強調しなければならない。すなわち,ヘブライ語をアルファベット文字で書くことは,カナンおよびその近隣地域で,族長たちの時代以来行なわれていたのであり,文字の形状の変化が急速であることは,それが明らかに一般化していたことの証拠である」。19 そして,別の指導的な歴史家また発掘者である人はこう述べています。「モーセが文字の書き方を知っていたかどうかが問題とされたこと自体,今日の我々にはばかげたことに思える」。20

      23 サルゴン王に関するどんなものが発見され,聖書に対する見方はどのように修正されましたか。

      23 新しい情報が明らかにされるにつれて,聖書の歴史的な記録は繰り返しその真実性を確証されてきました。一例として,アッシリアの王サルゴンについては,長い間,聖書のイザヤ 20章1節の記述の中でしか知られていませんでした。事実,19世紀の初めごろ,サルゴンに関する聖書のこの言及は歴史的に価値のないものと,批判者たちからみなされていました。その後,考古学的な発掘によって,コルサバードにあったサルゴンの壮麗な王宮の跡が発見され,サルゴンの治世に関する多くの碑文も見いだされました。その結果,サルゴンは,今ではアッシリアの王たちの中でも特によく知られた人物となっています。イスラエルの歴史家モシェ・パールマンはこう書いています。「旧約聖書の歴史的な部分の信ぴょう性をさえ疑っていた懐疑主義者たちは,にわかに自分たちの見方を修正しはじめた」。21

      24 サマリアの征服に関するアッシリア側のサルゴンの記述と聖書の記述とはどのように一致していますか。

      24 サルゴンの碑文の一つは,それまで聖書による以外には知られていなかったある事件について伝えていました。それはこう記していました。「わたしはサマリアを攻め囲んでこれを征服し,そこの住民2万7,290人を獲物として連れ去った」。22 この出来事に関する聖書の記述は列王第二 17章6節にあって,こう記されています。「ホシェアの第九年に,アッシリアの王はサマリアを攻め取り,イスラエルをアッシリアに流刑に処し(た)」。これら二つの記述のはっきりした類似性について,パールマンはこう述べています。「ここに,征服者および敗北者それぞれの年代記からの二つの報告があり,それらはほとんど鏡で映し合うような関係にある」。23

      25 聖書の記録と一般の記録とがすべての点で一致していると期待すべきでないのはなぜですか。

      25 では,わたしたちは,聖書と一般の記録とがすべての細かな点に関して一致していると期待すべきですか。そうではありません。その点についてパールマンはこう述べています。「このように双方からの『戦争報告』が一致しているというのは,古代の中東の歴史においては異例の事である。(現代でもしばしば状況は同じである。)このような事は,ぶつかり合う国がイスラエルとその近隣国家で,イスラエルが敗北した場合にのみ見られる。イスラエルが勝利を得た場合,敵側の年代誌にその失敗が記録されることはない」。24(下線追加)したがって,サルゴンの子セナケリブがイスラエルに軍事遠征を行なったことに関するアッシリア側の記述に大きな省略があるとしても不思議はありません。それはどんな事でしょうか。

      26 イスラエルに対するセナケリブの軍事遠征に関するアッシリア側の記述と聖書の記述とを比べるとどんなことが言えますか。

      26 セナケリブ王のイスラエル遠征の模様を伝える浮き彫りがセナケリブの宮殿の壁から発見されました。また,その遠征の様子を伝える文書も発見されています。ある粘土製の角柱<プリズム>にはこう記されています。「ユダヤ人ヒゼキヤはわたしのくびきに服さなかったので,わたしは彼の強固な都市46を攻囲した。……彼をわたしはその王都エルサレムに閉じ込めて,かごの中の鳥のようにした。……わたしは彼の国を小さくしたが,大君主としてのわたしに対する貢ぎとカトルー進物(賦課金)とはなおも増額させた」。25 ですから,アッシリアの勝利に関する限り,セナケリブ側の記録は聖書と一致しています。しかし,当然予想されることながら,セナケリブは,自分がエルサレムを征服できなかったこと,また,自分の兵士18万5,000人が一晩に殺されたためにやむなく帰国せざるをえなかったことについては言及を省いています。―列王第二 18:13-19:36。イザヤ 36:1-37:37。

      27 セナケリブの暗殺に関する聖書の記述と,その事件に関して古代の一般の文書が述べている事柄とを比べるとどんなことが言えますか。

      27 セナケリブの暗殺と,最近の発見が明らかにした事柄とについて考えてください。聖書は二人の息子,アドラメレクとシャルエツェルがセナケリブを死に処したことを述べています。(列王第二 19:36,37)しかし,バビロニアの王ナボニドスおよび西暦前3世紀のバビロニアの祭司ベロッソスに帰せられている二つの記述は共に,この殺害に関与した息子としてただ一人だけを挙げています。どちらが正しかったのですか。セナケリブの王位を継いだ別の息子エサル・ハドンの角柱<プリズム>の断片が最近に発見され,それに関する注解として,歴史家フィリップ・ビバーフェルドはこう書いています。「聖書の記述だけが正しかった。それは,エサル・ハドンの碑文によって,こまごました点にいたるまでその真実さを裏付けられ,バビロニア・アッシリア史上のこの出来事に関して,バビロニアの資料そのものより正確であったことが証明された。これは,聖書的伝承と相入れない,聖書と同時代の資料を評価するうえで,きわめて重要な事実である」。26

      28 聖書がベルシャザルに関して述べていた事柄の正しさはどのように立証されましたか。

      28 また,ベルシャザルに関しても,それまでに知られていた古代のすべての資料が聖書とは異なっていた時代もありました。聖書は,ベルシャザルを,バビロンが倒れた時のバビロンの王としています。(ダニエル 5:1-31)しかしながら,一般の文書は,ベルシャザルには一言も触れず,その時にはナボニドスが王であったとしていました。そのため,批判者たちは,ベルシャザルは存在しなかった,と唱えていました。しかしながら,近年になって,ベルシャザルがナボニドスの息子であり,バビロンで自分の父と共同統治者となっていたことを明らかにする文書が見いだされました。明らかにこのような理由で,聖書は,ベルシャザルが,ダニエルを「その王国の第三の支配者」とすることを申し出た,と記しているのでしょう。ベルシャザル自身が第二の地位にあったからです。(ダニエル 5:16,29)このため,エール大学のR・P・ドウアティー教授は,聖書のダニエル書と他の古代の文書とを比較して,このように述べました。「ベルシャザルの名を用いていること,ベルシャザルに王権を付していること,また王国で二重の支配がなされていたことを示している点で,聖書の記述のほうが優れていると解釈してよいであろう」。27

      29 聖書がポンテオ・ピラトについて述べていた事柄の正しさを確証するどんなものが発見されましたか。

      29 聖書に出て来る人物の史実性を確証した別の発見の例については,1979年にイスラエルのカエサレア調査隊と共に働いたミカエル・J・ハウアドによって次のように報告されています。「1,900年の間,ピラトは,福音書の記録と,ローマ人やユダヤ人の歴史家のおぼろげな回想の中にのみ存在していた。彼の生涯についてはほとんど知られていなかった。彼の実在性を否定する人さえいた。しかし,1961年,イタリアの考古調査隊は,カエサレアにある古代ローマの劇場の遺跡で作業を行なっていた。ひとりの作業員は,階段として使用されていた石の一つを裏返しにした。その裏側には,半ば判読できなくなった,次のようなラテン語の碑文があった。『カエサリエンシブス ティベリウム ポンティウス ピーラートゥス プラエフェクトゥス イウダエアエ』(カエサレアの民へ ティベリウスに ユダヤの地方総督ポンテオ・ピラト)。これは,ピラトの実在性に対する疑念にとって致命的な打撃であった。……キリストのはりつけを命じた人物の生涯に関する,その人物と同じ時代の碑文による証拠が,ここに初めて見いだされたのである」。28 ― ヨハネ 19:13-16。使徒 4:27。

      30 ラクダの使用についてどんなことが発見されて,聖書の記録の真実性が確証されましたか。

      30 現代の発見は,古代に書かれた聖書の記述のごく細かな点に関しても,その真実性を確証しています。一例として,1964年に,ウェルネル・ケラーは聖書の記述に反ばくし,古い時代にラクダはまだ家畜化されていなかったと述べ,「我々が初めてリベカに,その生まれ育ったナホルの町で出会う場面では,そこでの情景を変えなければならないであろう。リベカがそこの井戸で水を与えた,自分の将来のしゅうとアブラハムに属する『ラクダ』とは,実はロバだったのである」と書いています。29 (創世記 24:10)しかしながら,1978年,イスラエルの軍人であり,考古学者でもあるモシェ・ダヤンは,その古い時代にラクダが「輸送の手段として役立っていた」こと,それゆえに聖書の記述は正確であった,という証拠を指摘しました。「フェニキアのビブロスで発見された西暦前18世紀の浮き彫りはひざまずいたラクダを描いている。また,最近メソポタミアで発見された円筒印章で,族長たちの時代に属するものには,ラクダに乗る人々が描き出されている」と,ダヤンは説明しています。30

      31 聖書の記録が歴史的に見て正確であることを示すどんな証拠がほかにありますか。

      31 聖書の記録が歴史的に見て正確であるという証拠は,反ばくの余地のないほど増し加わっています。エジプト側の,紅海における軍勢の崩壊その他の敗北に関する一般の記録が見いだされていないのは確かですが,自分たちの敗北について記録しないのが支配者たちの習慣でしたから,これは不思議なことではありません。しかし,エジプトのカルナックにある神殿の壁に発見されたのは,ユダを侵略したファラオ・シシャクの成功の記録です。それは,ソロモンの子レハベアムの治世中のことでしたが,聖書は列王第一 14章25,26節でそのことを述べています。さらに,モアブ人の王メシャがイスラエルに反抗したことに関する,メシャの側の説明も発見されており,いわゆるモアブ碑石として知られています。その事に関する記述は,聖書の中では,列王第二 3章4節から27節で読むことができます。

      32 今日,各地の博物館を訪ねる人は,聖書の記録の真実さを確証するどんなものを見ることができますか。

      32 各地の博物館を訪ねるならば,聖書の記述の真実さを確証する,浮き彫り,碑文,彫像などを見ることができます。ヒゼキヤ,マナセ,オムリ,アハブ,ペカ,メナヘム,ホシェアなど,ユダやイスラエルの王たちの名は,アッシリアの支配者たちの,くさび形文字の記録の中に出て来ます。シャルマネセルの黒オベリスクには,エヒウ王もしくはその使者の一人が貢ぎ物をささげているさまが描かれています。モルデカイやエステルなどの聖書中の人物も知っていた,ペルシャのシュシャンの王宮に用いられていた室内装飾は,今日復元されて,観察できるようになっています。ローマ帝国の初期の皇帝<カエサル>で,聖書の記述にも出て来る,アウグスツス,ティベリウス,クラウディウスなどの彫像も博物館で見ることができます。(ルカ 2:1;3:1。使徒 11:28;18:2)また,ティベリウス・カエサルの像を刻んだデナリ銀貨も発見されています。それは,イエスが,税金の問題を論じた際に求めた銀貨です。―マタイ 22:19-21。

      33 イスラエルの地と,その地の特色とは,聖書の記録が正確であることをどのように示していますか。

      33 聖書に親しむ人が今日イスラエルの地を訪ねるならば,聖書がその地とその地の特色とを非常に正確に描写していたことに感動を覚えるでしょう。シナイ半島地理調査隊の指揮者であったゼエブ・シュレマー博士はかつてこのように語りました。「もちろん我々は自分の地図と地理測量図とを携えているが,聖書と地図とが食い違っている場合には,聖書のほうを取ることにしている」。31 聖書に記されている歴史の真実さを体験的に確かめられる例を挙げましょう。今日のエルサレムでは,今から2,700年前に固い岩盤の中に掘り抜かれた,全長533㍍のトンネルを歩いて通り抜けることができます。それは,その都市の城壁の外の隠されたギホンの泉から,市内のシロアムの溜め池まで水を引いて,エルサレム市への水の供給源を守るために掘られたものでした。聖書は,ヒゼキヤが,セナケリブによる攻囲を予期し,市内に水を供給するために,このトンネル水路を造らせたことを伝えています。―列王第二 20:20。歴代第二 32:30。

      34 尊敬されている,幾人かの学者たちは聖書の正確さについて何と述べましたか。

      34 これらは,聖書の正確さを見くびることがいかに賢明でないかを示すためのほんの二,三の例にすぎません。このような例はほかにも数多くあります。ですから,もしも聖書の信頼性に対する疑いがあるとすれば,それは普通,聖書が述べている事柄や確かな証拠に基づいているのではなく,むしろ誤った情報や無知に基づいているのです。大英博物館の理事であったフレデリック・ケニヨンはこう書いています。「考古学はいまだ結論を出してはいない。しかし,これまでに得られた成果は,信仰によって示唆される事柄,すなわち,聖書は知識の増大と共にいっそうその真実さを深めてゆく,ということを裏付けている」。32 また,著名な考古学者ネルソン・グリュックはこう語りました。「考古学上の発見で聖書の論述に対する反証となったものはない,と断言してよいであろう。聖書中の歴史的な陳述について,そのはっきりした輪郭を,また厳密な細部を確証する考古学上の発見が幾十となくなされている」。33

      正直さと調和

      35,36 (イ)聖書の筆者たちは自分たちの短所をどのように認めていますか。(ロ)こうした正直さが,聖書は神からのものであるという筆者たちの主張に重みを与えていると言えるのはなぜですか。

      35 聖書が神によるものであることを明らかにしている別の点は,その筆者たちの正直さです。過ちや失敗を認めること,とりわけそれを書面で認めることは,不完全な人間の性向に添うことではありません。古代の文書を残した人々は,たいてい自分たちの成功や徳行についてのみ伝えています。しかし,モーセは,自分が「忠順に背く行動をした」こと,そのためにイスラエルを約束の土地に導き入れる資格を失ったことについて記しています。(申命記 32:50-52。民数記 20:1-13)ヨナは,自分の不従順さについて述べています。(ヨナ 1:1-3;4:1)パウロは自分の過去の悪行について認めています。(使徒 22:19,20。テトス 3:3)また,キリストの使徒の一人であったマタイは,使徒たちがときに信仰に欠けていたこと,目立つ地位を得ようとしたこと,イエスが捕縛された際に,それを見捨てて逃げたことについて伝えています。―マタイ 17:18-20;18:1-6;20:20-28;26:56。

      36 聖書の筆者たちが何かを偽り伝えようとしていたのであれば,自分たちに不利な情報に関してそのような事を行なったのではないでしょうか。自分たちの短所について明らかにし,他の事柄に関して虚偽の主張をするというのは,考えにくいことではないでしょうか。ですから,こうした正直さは,神がその筆記を導かれたという,聖書筆者たちの主張に重みを与えるものなのです。―テモテ第二 3:16。

      37 どうして,聖書の内面の調和は,聖書が神の霊感によるものであることの強力な証拠であると言えますか。

      37 主題を中心にした内面の調和も,聖書が神の著作であることの証しとなっています。聖書の66冊の本が16世紀以上をかけ,およそ40人の筆者によって書かれたと言うのは簡単なことですが,それがどれほど注目すべき事なのかを考えてください。例えばそれは,ローマ帝国の時代に書き始められた本が,中世の君主制の時代に,そしてさらに現代の共和国の時代にまでも書き続けられたのと同じであり,しかも,その筆者としては,兵士,王,祭司,漁師などさまざまな人がおり,牧夫や医師もいるのです。そのような本のすべての部分が厳密に同じ主題に沿っていることを期待できるでしょうか。しかし聖書は,それと同じほどの期間をかけ,さまざまな政治体制のもとで,ここに挙げたようなあらゆる人々によって書かれました。しかも,その全体は調和しているのです。その基本的な音信は始めから終わりまでずっと貫かれています。このことは,これらの「人が聖霊に導かれつつ,神によって語った」と述べる,聖書の主張の確かさを示すものではないでしょうか。―ペテロ第二 1:20,21。

      38 聖書が信頼できるものであることを知るためにはどんなことが必要ですか。

      38 聖書は信頼できる本ですか。聖書の述べている事柄を実際に調べ,聖書が述べていると,ある人々の言う事柄をうのみにしないのであれば,それが信頼できるものであるという理由を知ることができるでしょう。しかし,聖書が確かに神の霊感によるものである,さらに強力な証拠が存在しています。次の章でそれを取り上げましょう。

  • 聖書 ― それは本当に神の霊感によるものですか
    生命 ― どのようにして存在するようになったか 進化か,それとも創造か
    • 第18章

      聖書 ― それは本当に神の霊感によるものですか

      1 創造者は人間にないどんな能力を持っておられますか。

      人間はだれも,将来の事柄を細かな点まで正確に予告することはできません。それは人間の能力の及ばない事柄です。しかしながら,宇宙の創造者は,必要なすべての事実に精通しておられ,事態を制御することさえおできになります。だからこそ,創造者は『終わりのことを初めから,まだ行なわれていなかったことを昔から告げる方』である,と言うことができます。―イザヤ 46:10;41:22,23。

      2 どんな証拠は,聖書が神の霊感を受けたものであることを雄弁に語っていますか。

      2 聖書の中には幾百もの預言が含まれています。それらはこれまでに正確に成就してきましたか。もしそうであれば,それは,聖書が「神の霊感を受けた」ものであることの,雄弁な証しとなるでしょう。(テモテ第二 3:16,17)またそれは,これから将来の事柄に関する預言に確信を抱かせるものともなるでしょう。ですから,すでに成就した預言の幾つかをここで振り返ってみるのは有益です。

      ティルスの滅亡

      3 ティルスに関してどんなことが予告されていましたか。

      3 ティルスはフェニキアの重要な海港都市でしたが,その南に隣接し,エホバを崇拝していた古代のイスラエルに対して不信実な振る舞いをしていました。エホバは,エゼキエルという名の預言者によって,ティルスの完全な滅びを,それが起きるより250年以上も前に予告されました。エホバはこう宣言しておられました。「わたしは多くの国々の民を起こしてあなたを攻めさせる。そして,彼らはティルスの城壁を必ず滅びに陥れ,その塔を打ち壊すであろう。わたしは彼女からその塵をこそげて,これを大岩の輝く,むき出しの表面とする。彼女は海の中で引き網の干し場となる」。エゼキエルは,ティルスを最初に攻囲する国家とその指導者の名をもあらかじめ挙げていました。『いまわたしは……バビロンの王ネブカドレザルを連れて来て,ティルスを攻めさせる』― エゼキエル 26:3-5,7。

      4 (イ)バビロンがティルスを征服することに関する預言はどのように成就しましたか。(ロ)なぜバビロニア人は戦利品を手に入れることができませんでしたか。

      4 この予告のとおり,幾年かのちに,確かにネブカドレザル[ネブカドネザル]は,本土側のティルスを覆しました。ブリタニカ百科事典は,「ネブカドレザルによる……13年の攻囲」について記しています。1 しかし,その攻囲ののちにも彼が戦利品を何も手に入れなかったことが報告されています。『報酬はというと……彼のためにティルスからは何もなかった』。(エゼキエル 29:18)これはなぜでしたか。なぜなら,ティルス市の一部は,狭い海峡を隔てた対岸の島に造られていたからです。2 ティルスの財宝の多くは,本土から島に移されていて,都市の島の部分は滅ぼされなかったのです。

      5,6 アレクサンドロス大王はどのようにしてティルス市の島の部分を滅ぼし,預言の詳細な点を成就しましたか。

      5 また,ネブカドレザルによる征服は,エゼキエルが予告していたとおりに「[ティルス]からその塵をこそげて,これを大岩の輝く,むき出しの表面とする」ほどのものとはなりませんでした。ティルスは「海の中に」投げ込まれるであろうという,ゼカリヤの預言もまだ成就していませんでした。(ゼカリヤ 9:4)これらの預言は正確ではなかったのでしょうか。決してそうではありません。エゼキエルが預言してから250年以上のち,そしてゼカリヤの預言からほとんど200年後の,西暦前332年に,ティルスは,アレクサンドロス大王の率いるギリシャ軍によって徹底的に破壊されました。アメリカーナ百科事典はこう説明しています。「彼は332年に,その都市の本土側の部分の残がいを用いて巨大な[土手道]を構築して,島と本土とをつないだ。7か月にわたる攻囲ののち……彼はティルスを攻め落として,これを滅ぼした」。3

      6 こうして,エゼキエルとゼカリヤによって予言されたとおりに,ティルスの塵と残がいは,最後には海の中に投げ込まれました。その場所を訪れたある人も述べたとおり,ティルスはただの大岩,「網を広げる場所」として残っているにすぎません。4 ですから,200年も前に語られた預言が,まさに詳細な点までそのとおりになったのです。

      キュロスと,バビロンの滅亡

      7 聖書はユダヤ人とバビロンについてどんなことを予告していましたか。

      7 同じように目ざましいのは,ユダヤ人とバビロンに関する預言です。歴史は,バビロンがユダヤ人を捕囚にしたことを記録しています。しかし,その出来事が起きるより40年ほど前に,エレミヤはその事について予告していました。イザヤは,それが起きるよりおよそ150年前にその事を予言しました。イザヤはさらに,ユダヤ人が捕囚から帰還することも予告していました。エレミヤもそれについて予言し,ユダヤ人は70年後に自分たちの土地に復帰するであろう,と述べていました。―イザヤ 39:6,7;44:26。エレミヤ 25:8-12;29:10。

      8,9 (イ)だれが,どのようにしてバビロンを征服しましたか。(ロ)歴史はバビロンに関する預言の真実性をどのように確証していますか。

      8 この予告された帰還は,西暦前539年に,メディア人とペルシャ人がバビロンを倒したことによって果たされるようになりました。それは,イザヤによってほとんど200年前に,またエレミヤによっておよそ50年前に予告されていたのです。エレミヤは,バビロンの兵士たちが何ら抗戦しないであろう,と述べていました。そして,バビロンの守りの用水であるユーフラテス川が「必ず干上がる」ことを,イザヤもエレミヤも共に予告していました。イザヤはさらに,そこを征服するペルシャの将軍キュロスの名をさえ挙げて,彼の前に「[バビロンの]門が閉じられないようにする」と述べていました。―エレミヤ 50:38;51:11,30。イザヤ 13:17-19;44:27;45:1。

      9 ギリシャの歴史家ヘロドトスの説明によると,キュロスはまさしくユーフラテス川の水の流れを変えさせ,「川の水位は下がって,自然の川床を歩いて渡れるほどに」なりました。5 こうして,兵士たちは,夜の間に川床を進軍し,不注意にも開け放たれていた門を通って市内に入りました。ヘロドトスはこう続けています。「キュロスの行なおうとしていた事について気づいていたなら,バビロニア人たちは,川に面するすべての市街の門の守りを固めていたであろう。……だが,実際のところ,ペルシャ人は不意に彼らに襲いかかって,その都市を攻略したのである」。6 まさに,聖書が説明しているとおり,バビロニア人たちは飲み騒ぎにふけっていたのであり,ヘロドトスはそのことを確証しています。7 (ダニエル 5:1-4,30)イザヤもエレミヤも共に,バビロンがやがて,人の住まない廃虚となることを予告していました。そして,まさしくそのとおりになりました。今日,バビロンは荒廃してただの荒れ塚となっています。―イザヤ 13:20-22。エレミヤ 51:37,41-43。

      10 どんな証拠が,キュロスによるユダヤ人の解放を裏付けていますか。

      10 キュロスはまた,ユダヤ人をその故国に復帰させました。それより2世紀以上前,エホバはキュロスについて,「彼は……わたしの喜ぶことをすべて完全に成し遂げるであろう」と予告しておられました。(イザヤ 44:28)その預言のとおり,捕らわれから70年後の西暦前537年,キュロスは捕囚となっていた人々を故国に戻らせました。(エズラ 1:1-4)古代ペルシャの碑文で,キュロスの円筒印章と呼ばれるものが発見されていますが,それには,捕囚民をそれぞれの故国に戻らせたキュロスの政策のことが述べられています。キュロスは「バビロンの住民については,わたしは(また)それら[諸都市]の(以前の)住民すべてを集めて,(彼らに)その居住地を返した」と語った,と記録されています。8

      メディア-ペルシャとギリシャ

      11 聖書は,メディア-ペルシャの興隆,およびギリシャによるその滅亡をどのように予告していましたか。

      11 バビロンがまだ世界強国であった時代に,聖書は,バビロンが,「メディアとペルシャの王」を表わす二本の角を持った象徴的な雄羊によって征服されることを予告していました。(ダニエル 8:20)その予告のとおり,メディア-ペルシャは,西暦前539年にバビロンを征服して,次の世界強国となりました。しかしやがて,ギリシャを表わす「一頭の雄のやぎ」が,「[雄羊]を打ち倒して,その二本の角を折(り)」ました。(ダニエル 8:1-7)これは,西暦前332年,ギリシャがメディア-ペルシャを撃ち破って,新しい世界強国となった時に起きました。

      12 ギリシャの支配権について聖書は何と述べていましたか。

      12 その後にどんな事が起きると予告されていたかに注意してください。「そして,その雄のやぎは甚だしく高ぶった。しかし,それが強大になるや,その大いなる角は折れ,その代わりに際立った四つの角が生え(出た)」。(ダニエル 8:8)これはどういう意味ですか。聖書はこう説明しています。「毛深い雄やぎはギリシャの王を表わしている。その目の間にあった大いなる角,それはその第一の王である。また,それが折れて,その代わりについに四本の角が立ち上がったが,彼の国から四つの王国が立つことになる。しかし,彼ほどの力はない」― ダニエル 8:21,22。

      13 ギリシャに関する預言は,記録されてから200年以上後にどのように成就しましたか。

      13 歴史は,この「ギリシャの王」がアレクサンドロス大王であったことを示しています。しかし,西暦前323年のアレクサンドロスの死後,その帝国は分裂し,やがて,セレウコス・ニカトール,カッサンドロス,プトレマイオス・ラゴス,リュシマコスの4人の将軍の間で分割されました。聖書が予告していたとおり,「代わりについに四本の角が立ち上が(り)」ました。しかし,同じく予告されていたとおり,これら4人のだれもアレクサンドロスほどの力を持つことはありませんでした。こうして,この預言は,記録されてから200年以上後に成就しはじめたのです。これも,聖書が霊感によるものであることの目ざましい証拠です。

      メシアに関する予告

      14 イエス・キリストに成就した多くの預言について,ある学者は何と述べましたか。

      14 とりわけ注目に値するのは,イエス・キリストに関する聖書の幾十もの預言です。J・P・フリー教授は,こう述べました。「これらのすべての預言が一人の人物に成就する確率はすこぶるわずかであるから,それが単なる人間の明敏な推測などでないことははっきりと論証される」。9

      15 キリストに成就した預言で,キリスト自身は制御できなかったものとしてどんな例がありますか。

      15 それらの預言の多くは,イエスが物事を制御して成就させることなど全くできないものでした。例えば,イエスは,自分がユダの部族から,またダビデの子孫として生まれるように取り決めることなどできませんでした。(創世記 49:10。イザヤ 9:6,7;11:1,10。マタイ 1:2-16)また,一連の出来事を操作して,自分がベツレヘムで誕生するようにすることもできませんでした。(ミカ 5:2。ルカ 2:1-7)さらに,銀30枚で売り渡されるようにすることも(ゼカリヤ 11:12。マタイ 26:15),敵対者たちからつばを吐きかけられるようにすることも(イザヤ 50:6。マタイ 26:67),刑柱上の自分がののしりの言葉を浴びせられるようにすることも(詩編 22:7,8。マタイ 27:39-43),槍で突き通されるが,体の骨は一本も折られないようにすることも(ゼカリヤ 12:10。詩編 34:20。ヨハネ 19:33-37),兵士たちがイエスの衣に関してくじを引くようにすることも(詩編 22:18。マタイ 27:35),イエスが自分で取り決めた事ではないはずです。これらは,人間イエスに成就した多くの預言の中のわずかな例にすぎません。

      エルサレムの滅び

      16 イエスはエルサレムに関してどんなことを預言しましたか。

      16 イエスは,エホバの預言者のうち最大の方でした。まず,エルサレムにどんな事が起きると言われたかに注意してください。「あなたの敵が,先のとがった杭でまわりに城塞を築き,取り巻いて四方からあなたを攻めたてる日が来るからであり,彼らは,あなたとあなたの中にいるあなたの子らを地面にたたきつけ,あなたの中で石を石の上に残したままにはしておかないでしょう。あなたが自分の検分されている時を見分けなかったからです」。(ルカ 19:43,44)イエスはさらにこう言われました。「エルサレムが野営を張った軍隊に囲まれるのを見たなら,その時,その荒廃が近づいたことを知りなさい。その時,ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい」― ルカ 21:20,21。

      17 エルサレムを包囲する軍隊に関するイエスの預言はどのように成就しましたか。人々はどのようにしてその都市から逃げることができましたか。

      17 この預言のとおり,ケスチウス・ガルスの率いるローマ軍が,西暦66年にエルサレムに攻めて来ました。しかしながら,不思議なことに,彼はエルサレムに対する攻囲を最後まで押し進めず,1世紀の歴史家フラビウス・ヨセフスが伝えているとおり,「全く何の理由もなくその都市から撤退した」のです。10 予期しなかった方法で攻囲が解かれた時,エルサレムから逃げるようにという,イエスの諭しに従う機会が開けました。歴史家エウセビオスは,クリスチャンたちがそのとおり逃げたことを伝えています。11

      18 (イ)ローマ軍がエルサレムから撤退して4年もたたない西暦70年にどんな事が起きましたか。(ロ)エルサレムの滅びはどれほど徹底的でしたか。

      18 それから4年もたたない西暦70年,ティツス将軍の率いるローマ軍が戻って来て,再びエルサレムを囲みました。彼らは周囲数キロにわたって樹木を切り倒して,その都市を囲む壁を,つまり「先のとがった杭でまわりに城塞を」築きました。その結果,ヨセフスの述べるとおり「ユダヤ人が逃れ出る望みはいまやすべて絶たれ」ました。12 ヨセフスが記すところによると,約5か月の攻囲の結果,三つの塔と城壁の一部とを除き,そこに残されていたものは「徹底的に打ち崩されて平らにされ……そこにかつて人が住んでいたことを,訪れる人々に信じさせるものは何も残らないまでに」なりました。13

      19 (イ)エルサレムに臨んだ苦難はどれほど厳しいものでしたか。(ロ)ティツスの凱旋門はどんなことを無言のうちに思い出させていますか。

      19 その攻囲の間に約110万人が死に,また9万7,000人が捕虜にされました。14 今日でも,イエスの預言が成就したという証しをローマに見ることができます。そこにはティツスの凱旋門がありますが,エルサレム攻略の成功を記念して,西暦81年にローマの人々によって建てられたものです。その凱旋門は,聖書の預言の中の警告に注意を払わなければ災厄に陥るということを,無言のうちに思い出させています。

      今日成就しつつある預言

      20 どんな質問に答えて,イエスは,世界の大きな変化が近いことをわたしたちが知るための「しるし」について語られましたか。

      20 聖書によると,驚くほどの世界の変化が近づいています。イエスは,1世紀の人々が差し迫ったエルサレムの滅びについて知るための手がかりとなる出来事を予告されましたが,同じように,今日の人々が世界の変化の近いことを知るための出来事についても予告しておられます。イエスがその「しるし」について語られたのは,「あなたの臨在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」という,弟子たちの質問に答えた時でした。―マタイ 24:3。

      21 (イ)キリストの「臨在」はどのようになされますか。「事物の体制の終結」とは何ですか。(ロ)イエスの語られたしるしについてどこで読むことができますか。

      21 聖書によると,キリストのこの「臨在」は人間のかたちを取ってなされるのではありません。キリストは,天にあって強大な統治者となり,抑圧された人類を救い出すのです。(ダニエル 7:13,14)その「臨在」は,イエスが「事物の体制の終結」と呼ばれた期間中になされるはずです。では,イエスが目に見えないかたちで支配者として臨在しておられ,この事物の体制の終わりが近づいていることを示すしるしとして,イエスはいったいどんな事柄を挙げましたか。聖書の,マタイ 24章,マルコ 13章,ルカ 21章の中で,同時代に起きることによってそのしるしを構成する一連の出来事について読むことができます。その中の主だったものを幾つか挙げると,次のとおりです。

      22 1914年以来の戦争はどのようにしるしの一部となってきましたか。それらはどれほど破壊的でしたか。

      22 大きな戦争: 『国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がる』。(マタイ 24:7)1914年以来,この預言は圧倒的なかたちで成就してきました。1914年に始まった第一次世界大戦は,機関銃,戦車,潜水艦,戦闘機,また毒ガスなどの大々的な使用を開始させました。1918年にその大戦が終わるまでに,およそ1,400万人の兵士や一般市民が殺されていました。「第一次世界大戦は最初の『全面戦争』であった」と,一歴史家は述べています。15 1939年から1945年にまで及んだ第二次世界大戦はさらにいっそう破壊的なものとなり,将兵と一般市民を合わせた死者の数は5,500万人に上りました。しかもそれは,全く新たな恐怖となった原子爆弾をもたらしたのです。それ以後にも,幾十もの大小の戦争によってさらに3,000万人以上の人が死んできました。ドイツのニュース雑誌「シュピーゲル」は,「1945年以来,世界が真に平和であった日は一日もない」と述べました。16

      23 食糧不足は1914年以降の世界をどれほど苦しめてきましたか。

      23 食糧不足: 『食糧不足がある』。(マタイ 24:7)第一次世界大戦のあとには,広範囲に及ぶ飢きんが続きました。第二次世界大戦の後には,さらにひどい飢きんがありました。そして,今日はどうでしょうか。「今日の飢えは全く新たな規模のものである。……4億もの人々が常に餓死の危機にさらされている」と,ロンドンのタイムズ紙は述べています。17 トロントのグローブ・アンド・メール紙は,「8億以上の人が食物の不十分な状態にある」と伝えています。18 そして,世界保健機関は,栄養不良のために,「毎年,1,200万人もの幼児が,満1年目の誕生日を迎える前に死んでいる」と報告しています。19

      24 1914年以来,地震はどのように増大していますか。

      24 地震: 『大きな地震がある』。(ルカ 21:11)耐震工学の専門家ジョージ・W・ハウスナーは,数十万人の命を奪った,1976年の,中国,唐山<タンシャン>の地震を,「人類史上最大の地震災害」と呼びました。20 イタリアの雑誌「イル・ピッコロ」は,「統計的にも示されるとおり,我々の世代は,地震活動の活発な危険な時代に生きている」と伝えています。21 平均すると,1914年以降の地震による毎年の死者の数は,それまでの幾世紀もの時代と比べて約10倍にも達しています。

      25 1914年以来,どんな痛ましい流行病が生じて,しるしの一面を成就してきましたか。

      25 疾病: 『そこからここへと疫病がある』。(ルカ 21:11)サイエンス・ダイジェスト誌はこのように述べています。「1918年に流行したスペイン風邪は,非常な速さで地上全域に広がり,2,100万人の命を奪った」。同誌はさらにこう述べました。「全歴史を通じてこれほど厳しく,これほど足早な死の訪れはなかった。……その流行病の加速の割合がそのまま続いていたなら,人類はほんの数か月で全滅していたであろう」。22 その後にも,心臓病,がん,性病,その他多くの苦しい病気が,幾億もの人々の体を損ない,命を奪ってきました。

      26 1914年以来,不法はどのように増し加わってきましたか。

      26 犯罪: 「不法が増す」。(マタイ 24:12)殺人,強盗,強姦,テロ,不正 ― この種の多くの言葉をわたしたちはよく耳にしています。人々が自分の住む市街地を歩くことに不安を感じる土地さえ少なくありません。1914年以後のこの不法の傾向を認めて,テロ問題の一権威者はこう述べました。「最初の大戦までの時代は,概してもっと人道的であった」。23

      27 恐れの気持ちに関する預言は今日どのように成就していますか。

      27 恐れ: 『恐ろしい光景がある』。(ルカ 21:11)ハンブルクのディ・ウェルト紙は,わたしたちの時代を「恐怖の世紀」と呼びました。24 人類に対する全く新たな脅威が,かつてないほどの恐れの気持ちを抱かせています。歴史上初めて,核による絶滅と汚染という問題が『地の破滅』の脅威をかもし出しています。(啓示 11:18)増大してゆく犯罪,インフレ,核兵器,飢餓,その他種々の苦しい状況が,安全と生存そのものに関して人々の抱く恐れの気持ちを高まらせてきました。

      それを異ならせているものは何か

      28 今日見られるこうしたしるしのさまざまな特色は,今が「事物の体制の終結」の時であることをどのように示していますか。

      28 しかし,こうした事柄の多くは過去の時代にも起きた,と言われる方もおられるでしょう。では,今日起きている事柄をこれまでと異ならせているものは何でしょうか。第一に,しるしを構成するすべての出来事が一つの世代によって観察されてきました。それは,1914年当時に生きていた世代であり,その世代の幾百万もの人々が今なお生きています。イエスは,『すべての事が起こるまで,この世代は決して過ぎ去らない』とはっきり言われました。(ルカ 21:32)第二に,このしるしの影響は,「そこからここへと」全世界に及んでいます。(マタイ 24:3,7,9;25:32)第三に,この期間全体を通じて状況は徐々に悪化してきました。「これらすべては苦しみの劇痛の始まり」であり,「邪悪な者とかたりを働く者とはいよいよ悪に進(む)」と記されています。(マタイ 24:8。テモテ第二 3:13)そして第四に,このすべてには,『大半の者の愛が冷えるであろう』というイエスの警告の言葉のとおりに,人々の態度と行動の変化が伴っています。―マタイ 24:12。

      29 「この世界の終わりの時代」に関する聖書の描写は,今日の人々の道徳的な状態とどのように一致していますか。

      29 そうです,わたしたちが今,予告されていた,終わりの重大な時に生きているという強力な証拠の一つは,人々の道徳の低下に見られるのです。今日の世界で観察される事柄を,今の時代に関して述べられていた次の預言の言葉と比べてみてください。「あなたはこの事を知っておかなければなりません。この世界の終わりの時代は苦難の時となります。人々はただ金銭と自分だけを愛するようになります。人々は尊大になり,誇りたかぶり,ののしりの言葉を吐くようになるでしょう。親に敬意を持たず,感謝を抱かず,敬神の念がなく,自然の愛情がありません。人々は憎しみを抱いて容易に和解せず,陰口を好み,節度がなく,荒々しく,あらゆる善に対してよそ者で,背信の者,向こう見ずな者,うぬぼれを抱いて威張る者となるでしょう。それらの人々は,快楽を神の位置に置く者,宗教の外面を保ちながら,その真実さを常に否定する者となるでしょう」― テモテ第二 3:1-5,新英訳聖書。

      1914年 ― 歴史の転換点

      30,31 (イ)1914年より前の人々は世界の状態についてどんな見方をしていましたか。将来はどうなると彼らは考えていましたか。(ロ)しるしのほかに,聖書は,わたしたちが「終わりの日」にいることを示す他のどんなものを提出していますか。

      30 人間の観点からするとき,聖書の中に予告されていた,世界の苦難と全地球的な規模の戦争とは,1914年より前の世界では全く想像もしない事柄でした。ドイツの政治家コンラート・アデナウアーはこう語りました。「さまざまな回想と情景が思いに浮かぶ。……1914年以前の時代の回想である。その時代,この地上には真の平和と静けさと安全とがあった。それは,恐れというものを知らない時代であった。……1914年以来,安全と静けさは人々の生活から失われた」。25 1914年以前の人々は,将来は「ますます良い方向に向かう」と考えていたと,英国の政治家ハロルド・マクミランは記しています。26 「1913年: 二つの世界にはさまれたアメリカ」と題する本はこう書いています。「国務長官ブライアンは[1913年に],『世界の平和を約束する状況が今日ほど有望なものになったことはない』と述べていた」。27

      31 ですから,第一次世界大戦の間際まで,世界の指導者たちは,社会的進歩と啓発の時代を予測していました。しかし,聖書はその逆の事,すなわち,1914年から1918年の,前例のない戦争が「終わりの日」の始まりを明示するものとなることを予告していました。(テモテ第二 3:1)聖書はまた,1914年が神の天の王国の誕生の年となり,それ以後に前例のない世界の苦難が続くことに関する年代的な証拠をも示していました。28 しかし,その当時に生きていた人で,1914年がそのような歴史の転換点となることに気づいていた人がいたでしょうか。

      32 (イ)聖書中の年代記述に通じていた人々は,1914年の何十年も前から,その年について何と述べていましたか。(ロ)ここにある表によると,他の人々は1914年について何と述べましたか。

      32 その年より何十年も前から,1914年の重大性について知らせていた人々の組織がありました。ニューヨークのザ・ワールド紙は,1914年8月30日付の紙上でこう説明していました。「欧州における恐るべき戦争の勃発は,異例な預言の成就となった。過去四半世紀の間……『国際聖書研究者[エホバの証人]』は,伝道者や出版物を通して,聖書に預言された憤りの日は1914年に明けるであろう,とふれ告げてきた。『1914年に注意せよ!』というのが……福音宣明者たちの叫びであった」。29

      預言を成就する人々

      33 しるしのさらにどんな面をエホバの証人は成就していますか。

      33 聖書はまた,「末の日に」,あらゆる国から来た人々が,比ゆ的な意味で「エホバの山に」行き,神はそこで「ご自分の道について[彼ら]に教え諭(す)」とも予告していました。その預言は,そのような教えの結果の一つについてこう述べています。「彼らはその剣をすきの刃に,その槍を刈り込みばさみに打ち変えなければならなくなる。……彼らはもはや戦いを学ばない」。(イザヤ 2:2-4)戦争に関する,エホバの証人の広く知られた記録は,この預言の明瞭な成就となっています。

      34 エホバの証人たちが『剣をすきの刃に打ち変えた』ことについてどんな証拠がありますか。

      34 第二次世界大戦前後のドイツにおけるプロテスタントの指導者の一人であったマルティン・ニーメラーは,エホバの証人たちについて述べ,彼らは「聖書のまじめな学者であり,戦争のために奉仕することを拒み,仲間の人間に向かって発砲することに応じなかったために,幾百,幾千人もが強制収容所に入り,またそのために死んだ」と書きました。そして,それとは対照的に,「キリスト教の諸教会は,幾時代にもわたって,戦争と軍隊と武器を祝福することに常に同意してきた。また……きわめて非クリスチャン的な態度で,自分たちの敵の絶滅を祈り求めてきた」とも書いています。30 では,イエスが真のクリスチャンを見分けるためのしるしとして語られた事柄にかなっているのはだれでしょうか。イエスはこう言われました。「あなた方の間に愛があれば,それによってすべての人は,あなた方がわたしの弟子であることを知るのです」。(ヨハネ 13:35)ヨハネ第一 3章10-12節がはっきり述べているとおり,神の僕たちは殺し合うようなことをしません。そのようなことを行なうのはサタンの子供たちです。

      35 (イ)エホバの証人を一致させているものは何ですか。(ロ)彼らが神の王国に忠誠を尽くすのは聖書的に見て正しいことですか。

      35 エホバの証人を一致させて全世界的な兄弟関係を築かせているのは,神の王国に対する共通の忠誠と,聖書の原則を堅く守ろうとする忠実さです。彼らは,聖書が教えている事柄を全面的に受け入れています。その王国が法律と権威とを持つ現実の政府であり,まもなくそれが全地を統治するということを信じています。その王国にはすでに地上の数百万の臣民がいて,その数は増大しており,これから来る文明のための土台として形造られつつあります。その王国に関して,預言者ダニエルは霊感のもとにこう書きました。「天の神は決して滅びることのないひとつの王国を立てられます。……それは[今存在する]これらのすべての王国を打ち砕いて終わらせ,それ自体は定めのない時に至るまで続きます」。(ダニエル 2:44)イエスはこの王国を最重要なものとして,弟子たちにこう教えました。「あなた方はこのように祈らなければなりません。『天におられるわたしたちの父よ,……あなたの王国が来ますように』」― マタイ 6:9,10。

      36 (イ)神はどんなことを広く知らせるように望んでおられますか。(ロ)それを行なっているのはだれですか。

      36 1914年以来聖書預言の成就として起きた多くの出来事は,神の天の王国が『他のすべての政府を打ち砕いて終わらせる』時が非常に近いことを示しています。そのため神は,その事実が広く知らされることを望んでおられます。そのことは,しるしの重要な部分として語られた次の言葉の中にも示されています。「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」。(マタイ 24:14)全世界的な兄弟関係を保ち,数百万を数えるエホバの証人は,現在この預言を成就しています。

      37 この事物の体制がハルマゲドンで終わることはなぜ良いたよりになりますか。

      37 神の望まれる程度までその王国のたよりが伝えられたとき,この世界は,イエスの言われたとおり,「世の初めから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難」を見ることになります。これは,最終的にハルマゲドンの戦いとなり,それをもってサタンからのよこしまな働きかけは終わります。それは全地から邪悪な国家と人間とを除き去り,『義の宿る』楽園<パラダイス>の到来のための道を開きます。―マタイ 24:21。ペテロ第二 3:13。啓示 16:14-16;12:7-12。コリント第二 4:4。

      38 (イ)聖書に記録されている預言が成就したことによって何が実証されましたか。(ロ)それらの預言はこれから将来に関してどんな意味を持ちますか。

      38 すでに数多くの預言が成就して信頼性が示されてきた聖書は,まさしく「神の霊感を受けた」書物であることが実証されています。(テモテ第二 3:16)ですから,それを,「人間の言葉としてではなく,事実どおり神の言葉として」受け入れてください。(テサロニケ第一 2:13)その著者であるエホバ神は,『終わりのことを初めから告げる方』でもあられますから,あなたは,これから将来に成就する預言に対しても強固な確信を持つことができます。(イザヤ 46:10)そして,これから来る事柄にはまさに驚嘆すべきものがあります。次の章の中でそれについて読むとき,あなたは胸の躍るものを感じることでしょう。

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