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聖書を信じるべき理由がありますかものみの塔 1981 | 1月1日
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聖書を信じるべき理由がありますか
信仰か,疑いか。信頼できるか,できないか。人々は毎日のようにこの選択に迫られています。わたしたちの読んだり聞いたりする事柄の中には,信頼の置けないものが非常に多くなっています。人間の知恵について作家オルダス・ハクスリーは,「十分な根拠もなく人が信じている事柄に対して,他の不十分な根拠を見いだすこと ― 哲学とはそんなものである」と書きました。
科学の分野をみると,大きな国立図書館であればどこでも,過去50年間に時代遅れになってしまった科学に関する学術文献の満ちた書だながあります。人々が自分の読む事柄に関して懐疑的になるのも無理のないことです。
消極的な疑いか,積極的な研究か
欺まんや詐欺に対する盾として懐疑主義がしばしば必要とされる世にあって,人はあらゆる物またあらゆる人に疑いの目を向けるという習慣に容易に陥りかねません。「あつものに懲りて,なますを吹く」ということわざがよく口にされますが,それは理解のできないことではありません。しかし,疑いの世界に住むのは本当に満足のいくことですか。信頼の置ける情報源なしに,確固とした信念を抱くことができますか。
消極的になって疑いを抱いても,行きつく所はありません。一方,誠実な疑問と積極的な研究とは,真理を探究する人にとって有用な道具となります。科学の分野では確かにその通りのことが言えます。フランスの科学者クロード・ベルナールは,その名著「実験医学序説」の中でこう述べています。「自然現象を調べる科学者に求められる最初の要求は,思考の完全な独立を保つことである。……真の科学者は疑いを抱くものである。その人は自分自身また物事に対する自分の解釈に疑いは抱くが,科学に対しては信仰を抱いている」。
ですからこの有名なフランス人の生理学者によると,科学的な研究には疑いと信仰の双方が求められます。科学を研究する人はある特定の分野ですべての事柄が学び尽くされているかどうかに疑いを抱きますが,実験を行なう際には,他の分野で科学的に真理とされている事柄に信仰を置かなければなりません。言い換えれば,科学全体を疑問視しないのです。当人が新しい発見をして科学の進歩に貢献したいという希望を抱いている限り,特定の分野のそうした疑問は建設的です。
宗教の分野でも同じです。人は神の存在に疑いを抱くことはなく,キリスト教を奉ずると称える諸教会の教理の幾つかに,正当な疑いを抱くことができます。誠実な研究は宗教的な誤謬を退けるに至ると同時に,真の崇拝を見いだすことに導く場合があります。しかしどのような根拠に基づいて,そうした研究を進めて行くことができますか。
聖書 ― 信仰の基盤
キリスト教を調べる基盤として普遍的に認められているのは聖書です。興味深いことに,聖書そのものは読者に盲目的な信仰を求めてはいません。聖書は軽信を戒めてこう述べています。「経験の足りない者は,そのすべての言葉に信仰を置くが,明敏な者は,その歩みを思慮する」。(箴 14:15,新)また,「すべてのことを確かめなさい。りっぱな事がらをしっかり守りなさい」とも述べています。(テサロニケ第一 5:21)これは注意深く調査し,取捨選択をし,「理性」を働かせ,その上で真理であるとされたものを固守することを示唆しています。―ローマ 12:1,2。
そのように論理的に考え,自ら証明するなら,確信を得ることになり,その確信は信仰を築きます。聖書に定義されている通り,「信仰とは,望んでいる事がらに対する保証された期待であり,見えない実体についての明白な論証です」。(ヘブライ 11:1)聖書に対する信仰には,「論証」,つまり証拠が求められます。聖書の中で勧められているような信仰を抱くには知識が必要です。人は生来そのような信仰を持っているわけではありません。それは知識や経験と共に育っていくものです。聖書はさらにこう述べています。「信仰は聞く事がらから生じるのです。一方,聞く事がらはキリストについてのことばによるのです」。(ローマ 10:17)そして,「キリストについてのことば」を見いだす唯一の信頼の置ける源は聖書です。
信仰 ― 今日望ましい特質
信仰を築くには,知識とそれを使う能力が求められます。そのような能力を聖書は「知恵」と呼んでいます。そうした知恵を得る手だてがあることは,聖書の次の助言によって裏書きされています。「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら,その人は神に求めつづけなさい。神はすべての者に寛大に,またとがめることなく与えてくださるのです。そのようにすれば,それは与えられます。しかし,信仰のうちに求めつづけるべきであり,疑うようなことがあってはなりません。疑う者は,風に吹かれて揺れ動く海の波のようだからです。……その人は優柔不断であり,そのすべての道において不安定です」― ヤコブ 1:5-8。
疑いに満ち,先行きも不確かな世にあって,また時の試みを経てきた道徳的価値規準を退けた世にあって,人は自らの導きとするための霊的な羅針盤を必要としていることは明らかではありませんか。疑う者はまさに,「風に吹かれて揺れ動く海の波のよう」で,移り気な人間の変わりゆく哲学によって事実上あちこちへ揺り動かされています。そのような人は何にも確信を抱いていません。信念というものがないのです。どんな論議も,たとえそれがいかに論理的であっても,その人を納得させることはできません。その人は自分が信じたくないから信じられないのです。
聖書を試みる
そのような懐疑論者は人生には何の意味もないと考え,自分の寿命だけ生き(それはある種の動物の寿命よりも短い),永遠に生きる希望など持たずに死ぬことで満足しています。人間がわずか70年か80年生きて死んでしまい,自分の蓄えた知識や経験すべてがそれと同時に永遠に消え失せてしまう,と考えるのは道理にあったことではありません。命を求める人は真理を求める人でもありますが,この記事を読む方々もそうした人々の一人であることを望みます。1世紀当時に実在したそのような人々について,聖書はこう述べています。「永遠の命のために正しく整えられた者はみな信者となった」― 使徒 13:48。
聖書が命を与える知識を備える源となり得ることを信じるための一助として,考古学および科学の面から聖書の信ぴょう性を証明する,続く一連の記事をお読みになるようお勧めいたします。
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考古学は聖書の正確さを確証するものみの塔 1981 | 1月1日
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考古学は聖書の正確さを確証する
イエスがメシアであることを決して認めようとはせず,その弟子たちをさげすんでいた高慢な人々に,イエスはこう言われました。「もしこれらの者が黙っているなら,石が叫ぶでしょう」。(ルカ 19:40)幸いなことにイエスには当時も,また今日も,黙っていようとはしない弟子たちがいます。それでもある意味で,聖書中の出来事の物言わぬ証人である石が叫ばされ,聖書は信頼に値するものであるということを証明しています。そのような石に声をあげさせ,聖書を支持することを可能にした科学は考古学と呼ばれています。それは,「過去の遺物の科学的な研究」と定義されます。
ジャック・フィネガンは,その学究的な著作,「古代文化の光」の中で,「現代考古学は1798年に始まったといえよう。その時,100人近くフランス人の学者や芸術家たちがナポレオンのエジプト遠征に随行した」と述べています。1822年に,フランスのエジプト学者シャンポリオンは,ロゼッタ石に刻まれた象形文字を解読することに成功しました。19世紀の終わりにはエジプトやアッシリア,バビロン,パレスチナで考古学的な発掘が組織的に行なわれるようになり,それは現在に至るまで続いています。考古学者のシャベルは,聖書の記録の正しさを確証していますか。
世界と人類の起源
エジプトの墳墓からの一発掘物によって,人類の起源に関する聖書の説明と古代エジプトの「死者の書」にある創造の記録とを比較することが可能になりました。この「死者の書」の一つがパリのルーブル博物館の長いガラスのケースに収められています。権威のある「聖書事典 補遺」(Supplément au Dictionnaire de la Bible)の中で,ベルギーのブリュッセルにあるシンカンテネール博物館の館長ルイ・スペリエールは次のように説明しています。「『死者の書』によると,ある日[太陽神]ラーは天空に輝く自らの神聖な目を置いてきてしまった。シューとテフヌートはラーのもとへその目を持って帰って来た。するとその目は泣き始め,ラーの涙から人間が現われた」。
聖書の記述との興味深い比較を可能にする考古学上の発掘物がもう一つあります。それは,エヌマ・エリシュ,つまりシュメール-バビロニア人の「創造の叙事詩」の含まれる七枚一組の粘土板です。この古代の記録によると,バビロンの市神マルドゥクは太古の海の女神ティヤマートを討ち破り,その女神を二つに切り裂きました。「彼はその半分から天空を形造り,残りの半分から揺るぎない地を造り出した。それを終えてから,彼は世界を整えた。……それから,『神々が一つの世界に住んで自らの心を楽しませるようにと』,マルドゥクは人間を創造した」―「ラルース神話百科事典」。
人間はラーの涙から生じたなどということを信じられますか。高度の文明を有し,高い教育を受けていたエジプト人の多くはそう信じていました。あるいは,女神の体が裂かれて天と地になったという主張を受け入れることができますか。これらは,過去において幾世代にもわたり人々が信じてきた創造神話のわずか二つの例にすぎません。
今日高い教育を受けた人の多くは,宇宙とすべての生命体が自然に発生し,より偉大な生ける存在者の介入などなかったと信じるよう求めます。フランスの科学者ルイ・パスツールが,生命は生命から発生するということを最終的に証明した事実など意に介しません。物質の宇宙は神の「動的勢力[エネルギー]」の表われであると非常に簡潔に述べる聖書の記述を受け入れるほうが,(アインシュタインその他の人々が物質はエネルギーの一形態であることを明らかにしたことからして)道理にかなってはいないでしょうか。すべての生物はその存在を命の偉大な源である神に負っており,人間は「神の像に」造られたということを示す聖書を信じるほうが道理にかなっているのではありませんか。―創世 1:27,新。詩 36:9。イザヤ 40:26-28,新。エレミヤ 10:10-13。
考古学とアブラハム
アブラハムは聖書に登場する主要な人物の一人です。アブラハムは,聖書筆者すべて,およびユダヤ人,それにアラブ人の多くの先祖であるばかりでなく,「信仰を持つ者すべての父」とも呼ばれています。(ローマ 4:11)さらに,すべての国の民はアブラハムに関する聖書の記述が信頼の置けるものかどうかを知ることに関心を抱いて然るべきです。なぜなら,「あなたの胤によって地のすべての国の民は必ず自らを祝福するであろう」と,神が約束されたのはアブラハムに対してだったからです。(創世 22:16-18,新)アブラハムの胤を通して祝福を受ける「信仰を持つ者」の一人に数えられたいなら,アブラハムの生涯とその時代に関する聖書の記述が詳細な点に至るまで正確であることを示す証拠に極めて深い興味を抱くはずです。
アブラハム(当時はアブラムと呼ばれていた)は「カルデア人のウル」で育てられた,と聖書は述べています。(創世 11:27,28,新)これは伝説上の場所でしょうか。考古学者たちのツルハシとシャベルはどんな事を明らかにしましたか。既に1854年に,J・E・テーラーは,ユーフラテス川の西岸からほんの数キロしか離れていないテル・エル・ムカッヤール(「歴青の塚」)がウルの遺跡ではないか,と述べています。1869年に,フランスの東洋学者,ジュール・オペールはパリのコレージュ・ド・フランスで報告をし,テーラーがその地で発見した,楔形文字の刻まれた円筒粘土板をもとにして,そこがウルであることをはっきりと示しました。それよりもずっと後,1922年から1934年にかけて,英国の考古学者レナード・ウーリー卿はこの判断が正しかったことを証明しただけでなく,アブラハムが後にしたウルは隆盛を極め,高度に文明化の進んだ都市であり,快適な家屋や月神ナンナつまりシンの崇拝に捧げられた巨大な神殿塔すなわちジグラットがあったことをも明らかにしました。アブラハムに関連して聖書に登場するウルという都市について,歴史家たちは長い間疑念を表明してきました。しかし,考古学者のシャベルは聖書が正しいことを証明しました。
考古学者たちは,アブラハムに関する聖書の記述の中に言及されている数多くの習慣が正確であることも確証してきました。例えば,ニネベの南東にある古代フルリ人の都市ヌズつまりヌジで粘土板が発掘され,次のような習慣が実際に行なわれていたことが証明されました。主人に子供がいない場合には奴隷がその相続人となる(自分の奴隷エリエゼルに関するアブラハムの言葉を参照 ― 創世 15:1-4),妻は自分が不妊である場合,夫にめかけを与えなければならない(サラ,つまりサライがアブラハムにハガルを与えた ― 創世 16:1,2),都市の門の所で商取引きが行なわれる(ヘブロンに近いマクペラの野とほら穴をアブラハムが購入したことに関する記述を参照 ― 創世 23:1-20)。フランスの学究的な「聖書事典補遺」の中では,ヌジの発掘物が聖書を擁護することを示す例が小さな活字のコラム8欄にわたって記されています。(第6巻,コラム663-672)ブリタニカ百科事典(英文)はこう述べています。「このヌジ文書は,それと同時代のものである創世記の族長たちに関する話の難しい箇所の多くを明確にした」。
固有名詞の正確さが確証される
フランスの考古学者,アンドレ・パロは,ユーフラテス川中流にある古代の王都マリの遺跡を広範にわたって発掘しました。都市国家マリは,バビロンのハンムラビ王によって征服され破壊されるまで,西暦前2000年期の初頭,メソポタミア上流地方の有力な国家の一つでした。その地で発見された巨大な宮殿の廃きょで,フランスの考古学者たちは2万点以上の粘土板を発見しました。楔形文字の刻まれたこれらの粘土板のあるものには,ペレグ,セルグ,ナホル,テラ,ハランなどといった都市の名前が記されています。興味深いことに,これの名称はいずれも,創世記の記述の中でアブラハムの親族の名前として挙げられています。―創世 11:17-26。
初期のこうした固有名詞の類似性に関して,ジョン・ブライトは自著「イスラエル史」の中で次のように注解しています。「このいずれの場合にも……聖書の族長たち自身の名が挙げられているわけではない。しかし同時代の文書にそのような証拠が数多くあることは,後代のどの時代でもなく,2000年期初頭のアモリ人の用語体系にそれらの名前がぴったりと当てはまることをはっきり示している。よって,この点で族長に関する話はかなり信頼の置けるものであると言える」。
最近では1976年に,イタリアとシリアの考古学者たちが,シリア北部で古代の都市国家エブラを見いだしました。マリと同じく,エブラは聖書の中で名を挙げられていませんが,それらの名は族長たちの時代にまでさかのぼる古代文献に現われます。では,この新たな遺跡で発掘者たちのシャベルはどんな事柄を明らかにしたでしょうか。王宮の図書室で,西暦3000年期末から2000年期初頭にかけての粘土板が幾千点も見つかりました。フランスの週刊誌ル・ポワンは,1979年3月19日号でこの発見について報道し,次のように述べています。「固有名詞は[聖書にある固有名詞と]驚くほど似ている。聖書の中には,“アブラハム”という名があるが,エブラの粘土板には“アブラウム”がある。エサウ ― エサウム,ミカエル ― ミキイル,ダビデ ― ダウドゥム,イシマエル ― イシュマイルム,イスラエル ― イシュライルといった具合いである。エブラの記録保管所にはソドムとゴモラの名を記した文書も見られる。これらの都市は聖書の中に出てくるが,学者たちは長い間その史実性を疑問視してきた。……それだけではなく,粘土板は旧約聖書に挙げられているのと全く同じ順序で,すなわちソドム,ゴモラ,アデマ,ゼボイム,ベラという順序でこれらの都市を挙げている[創世 14:2]」。ニューヨーク・タイムズ紙にボイス・レンズバーガーが書いたところによると,「聖書……時代の生活に関する知識の真実性を示し,その知識を増やす点で,[エブラ粘土板]は死海写本に匹敵すると考える聖書学者もいる」とのことです。
習慣と律法
聖書の中でさりげなく言及されている習慣を明らかにし,それによって聖書の記録の正確さを示す上で,考古学は大いに役立ってきました。その一例は創世記 31章の記述で,そこではヤコブの妻ラケルが「自分の父[ラバン]に属するテラピムを盗み出した」ことが述べられています。(19節,新)ラバンがわざわざ自分の娘と婿の後を七日もかけて追いかけて行った理由が述べられており,それは自分の「神」を取り戻すためでした。(23,30節)興味深いことに,メソポタミア北部の古代都市ヌジでの考古学上の発見は,しゅうとが死んだ場合にその財産の権利は家族の神を所有している者の手に渡るという律法が族長時代にあったことを明らかにしています。ラバンがメソポタミア北西部の生まれで,ヤコブを使う際に極めてこうかつであったことを覚えていれば,この律法に関する知識からラケルの奇妙な盗みの行為やその「神」を取り戻そうとしてラバンが躍起になった理由が明らかになります。パリのルーブル博物館には,メソポタミアの様々な都市で発掘されたそのような「家の神」の幾つかが陳列されています。その大きさが小さいこと(10ないし15㌢)も,ラケルがそのテラピムの入った鞍のかごの上に座って,ラバンが捜している時に立ち上がることを拒み,それを隠しおおせたことを説明するものとなります。―34,35節。
ルーブル博物館の収蔵品の中でも特に大切にされている物の一つは,一般に「ハンムラビ法典」として知られる高さ2.25㍍の黒い石板柱です。バビロンのハンムラビ王が太陽神シャマシュから権威を受けている様を描いた浮き彫りの下に,楔形文字で幾欄にもわたって書かれた282条の律法があります。ハンムラビの統治期間は西暦前1728年から1686年までとされるので,一世紀半ほど後にイスラエルの律法を記録したモーセはこのバビロンの王の法典を盗用したにすぎないと主張する聖書批評家もいます。W・J・マーティンはこうした非難に反ばくして,「旧約聖書時代からの文書」という本の中で次のように書いています。
「多くの類似点はあるものの,ヘブライ人がバビロン人から直接借用したとみなす根拠は全くない。この二つの律法が字面の上ではほとんど変わらない場合でも,精神の面では大いに異なっている。例えば,ハンムラビ法典では盗みや盗品を受け取ることに対する処罰は死刑であった(6条および22条)が,イスラエルの律法では償いがその処罰となった。(出エジプト 22:1。レビ 6:1-5)モーセの律法が逃亡奴隷をその主人に引き渡すことを禁じていたのに対し(申命 23:15,16),バビロンの法では逃亡奴隷を迎え入れる者は誰でも死刑に処せられた。―15,16,19条」。
フランスの東洋学者ジョゼフ・プレシスは,「聖書事典補遺」の中で,次のように書いています。「このヘブライ人の立法者がバビロニアやアッシリアの様々な法典を活用したとは思えない。その律法の中で借用されたことが証明できるものは一つもない。興味深い類似点はあるものの,同一の起源を持つ人々の間の似通った習慣を集大成したものであるという観点からいずれも容易に説明できる」。
ハンムラビ法典が報復の精神を反映しているのに対し,モーセの律法はこう述べています。「心の中であなたの兄弟を憎んではならない。……あなたの民の子らに対して復しゅうをしたり,恨みを抱いたりしてはならない。あなたの仲間を自分自身のように愛さなければならない」。(レビ 19:17,18,新)このことはモーセがハンムラビから借用したのではないことを証明していますが,それだけでなく聖書の律法と考古学者たちが発掘した粘土板や石碑に刻まれた律法を比較すると,聖書の律法のほうが他の古代民族の間に施行されていた律法よりはるかに優れていることが明らかになります。
考古学とギリシャ語聖書
一般には「新約聖書」として知られているギリシャ語聖書はどうでしょうか。考古学は聖書のこの重要な部分の正確さを確証していますか。そのような証拠があることを示す目的で書かれた本が幾冊もあります。1890年には,フランスの聖書学者F・ビゴローが,「新約聖書と現代考古学の発見」と題する400ページ余りの本を出版しました。その中でビゴローは,福音書や使徒たちの活動,ギリシャ語聖書中の数々の手紙を支持する証拠を豊富に提出しました。1895年にW・M・ラムジーが出版した「旅行者及びローマ市民としての聖パウロ」という本は今や古典になっていますが,そこにはクリスチャン・ギリシャ語聖書の真実さを示す貴重な資料が数多く含まれています。
近年になって,考古学が聖書全体の真実さをどのように示してきたかに関する本や学術論文が数多く出版されてきました。E・M・ブライクロックは,1970年に初版の発行された自著「新約聖書の考古学」の中で次のように書いています。「聖書の史実性が驚くほど立証されたことから,歴史家たちは旧約および新約双方の権威を尊重することを学んだ。また,その正確さ,真理に対する深い配慮,聖書中の歴史の書を書いた様々な筆者たちの霊感を受けた歴史的洞察力に感銘を受けた」。
確かに,考古学は疑問の余地なく聖書を擁護しています。しかし科学の他の分野はどうでしょうか。
[6ページの地図]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
ハラン
エブラ
マリ
ヌジ
バビロン
ラガシュ
ウル
シュメール
ペルシャ湾
[6ページの図版]
古代カルデアのウルで発掘されたジグラット
[7ページの図版]
家の神(ラガシュ出土)
ハンムラビ法典
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科学は聖書の正確さを証明するものみの塔 1981 | 1月1日
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科学は聖書の正確さを証明する
科学上の発見は聖書と矛盾しますか。それに対して,まず言っておかなければならないのは,聖書は科学書ではないということです。しかし,科学的な問題に触れている場合,聖書は証明されていない人間の推測や仮説の誤りを明らかにします。普遍的な法則の発見は,聖書の正確さと,聖書の詩篇作者が神に関して述べた,「あなたのみ言葉の本質は真理です」という言葉の真実さとを再三確証するものとなってきました。(詩 119:160,新)それでは,天文学・医学・植物学・解剖学・生理学などの分野を調べ,これらの科学が聖書の正確さを本当に確証しているかどうか見てみることにしましょう。
天文学
創世記の冒頭の数章が軽べつの言葉を浴びせられ,特に容赦のない攻撃の的になってきたことは周知の事実です。創世記は詩と伝説を集めたものにすぎないというキリスト教世界の僧職者の多くの主張とは裏腹に,5世紀のカトリックの「教父」また学者であるアウグスティヌスはこう述べています。創世記の「記述は,象徴的な言葉づかいで物事をつづった文学的文体のものではない。……むしろ,創世記は,列王紀略などの歴史書の場合と同様,終始一貫して実際に起きた事実を記している」。(De Genesi ad litteram,VIII,1,2)創世記の 第1章を調べてみると,聖書が当時の諸概念よりもはるかに進んでいたことが明らかになります。
アリストテレス(西暦前384-322年)は,星は釘のように空に打ち付けられていると信じていましたが,それよりもはるか昔に,創世記(1:6-8)は天球を「大空」(新世界訳),あるいは「firmament(天)」(ドウェー訳)と描写していました。この「firmament」という語は,ラテン語のファルメールという語から来ており,それには堅くする,堅固にする,あるいは固体という意味があります。ヒエロニムスはラテン・ウルガタ訳の中でヘブライ語ラキアを訳すのにこの表現を用いましたが,ラキアという語はラテン語のファルメールと異なり,「広げられた表面」,「大空」という意味があります。フランスのブールジュ天文台の元台長T・モローは次のように述べています。「私たちから見て天を成すこの大空を表わすヘブライ語の言葉を,[ギリシャ語]セプトゥアギンタ訳は当時一般化していた宇宙論の影響を受けて,ステレオマ,天,固体の天蓋という語で訳出している。モーセはそのような考えを伝えてはいない。ヘブライ語のラキアは広がる空間,あるいはもっと適切な表現を使えば,大空という概念を伝えているにすぎない」。ですから聖書はわたしたちの上空にある大空,つまり大気について極めて正確に描写していました。
創世記には,地球の上に輝く光体に「光と闇とを区分させた」ことが述べられています。(創世 1:14-18,新)この言葉は西暦前16世紀にモーセによって書かれました。この問題に関しては,当時存在していた奇想天外な概念のうちの一つに注目するだけで十分でしょう。パリ天文台の天文学者ポール・クドゥルクは次のように書いています。「西暦前5世紀に至るまで,人間は昼と夜に関する基本的な問題に関して誤った考えを抱いていた。その時までの人々にとって,光は明るい蒸気であり,闇は黒い蒸気であった。この黒い蒸気は晩になると地面から昇って来るものと考えられていた」。わたしたちの住むこの惑星上に昼と夜とを生じさせている原因として聖書が述べる簡潔ながらも科学的に正確な陳述とはまさに対照的です。
聖書が書かれた当時に生きていた人々は,地球の形やその土台について奇妙な考えを抱いていました。古代エジプトの宇宙論によれば次のようになります。「宇宙は長方形の箱形をしており,エジプトと同じように南北に長く位置している。地球はその底にあり,内側に幾らか湾曲した底面の中心にエジプトがある。……四隅には非常に高い山々があって,天を支えている。空は平面あるいは外へ向かって湾曲している金属の覆いになっており,穴が幾つもあいている。その空から,綱で吊るされたランプのように,星が吊り下がっている」。
幾世紀かすると,そのような子供っぽい説は捨て去られましたか。そうではないのです。ギリシャの天文学者で哲学者でもあるアナクシマンドロス(西暦前6世紀)は次のように述べました。「地は円筒形をしており,その幅は深さの3倍あり,その最上部にだけ人が住んでいる。しかしこの地は空間の中で孤立しており,空は完全な球形をしていて,その中心に何にも支えられることなく我々の円筒,つまり地があり,空のどの点からも等距離の場所に位置している」。1世紀ほどのちのアナクサゴラスは,地も月も平面であると考えていました。
聖書は当時教えられていた科学的概念よりもはるかに進んでいました。西暦前15世紀に聖書は,創造者が「地を無の上に掛けておられる」と述べ,西暦前8世紀には,「地の円」について語っていました。(ヨブ 26:7; イザヤ 40:22,新)宇宙飛行士が月から地球を撮影したさい,あなたの家のテレビ画面に映った地球はまさにそのような形をしていませんでしたか。
医学と植物学
聖書は様々な土地に生育する植物や樹木に言及しています。例えば,幾種類かの常緑樹から得られるバルサムの治癒力のことが正確に記されています。フランスの「聖書百科事典」の中でC・E・マーティンは次のように書いています。「少量の乳香[樹脂]が樹木から自然にしたたり落ちるが,さらに多くを得るために,幹に縦長の切り込みが入れられ,樹脂が沢山流れ出るようにする。……乳香は痛みを抑え,傷を癒すことで名高かった。エレミヤは,傷を癒す力のあることで知られているギレアデのバルサムに象徴的な意味合いで言及している。(8:22; 46:11; 51:8)それは今日でも格言の中に登場する」。プリニウスやシシリーのディオドロスなどローマやギリシャの歴史家たちの多くも,このバルサムに言及しています。
聖書の記録によれば,西暦前9世紀のヘブライ人の預言者ヨナは古代アッシリアの首都であったニネベまで旅をしました。その宣教活動の結果として,「ニネベの人々は神に信仰を置くようになり」ました。(ヨナ 3:5,新)後にヨナは同市の東側に野宿し,ひょうたんの木の下で太陽の炎熱をしのげるよう備えを与えられました。そのひょうたんはヨナの頭上に陰を作るため,ひと晩で生えいでました。(ヨナ 4:6,10,11)ひょうたんの木(Cucurbita lagenaria)がそれほど早く生長するというのは本当ですか。F・ビゴローの監修によるフランスの「聖書事典」は次のように述べています。「暑い国ではひょうたんの木が非常に速く育つこと,またこれが,アメリカヅタ同様,家や住まいの壁を緑で覆い,その大きな葉で炎熱をしのげるようにするため用いられていることは良く知られている。……カタコンベに見いだされるヨナの話に基づく象徴的な絵画に描かれているのは,決まってこの植物である」。ですからこの記述は,熱い太陽光線をヨナがしのげるようにエホバの力により,普通でも生長の速いひょうたんの木が奇跡的にひと晩で生え出たという事実とよく調和します。
神の主権に反対した諸国民の命運について,聖書は彼らが「あらしの前にあるあざみ[ヘブライ語,ガルガル]のうず巻きのように」なる,と述べています。(イザヤ 17:13,新)ユダヤ百科事典はこう述べます。「聖書に登場するガルガルは特異な仕方でその種をまき散らす。夏の終わりにそれは地面から離れ,さながら帆を思わせるそのとげの多い葉が風を受けて飛び,種をまき散らす」。「聖書の生態学」と題する小冊子を著わしたノガ・アルベニは,ガルガルあざみに言及してこう書いています。「この名で呼ばれる植物は3月に急激に生長を始める。……何の害もないように見えたこのガルガルは,数週間するととげの多い怪物と化す。その葉と花は鋭いとげで覆われている。夏になると,この植物は乾燥し始めるが,しっかりと根を張っているように見える上,触るとけがをしそうなので,抜き取るのは不可能なことのように思える。ガルガルが完全に生長しきってしまうと,地中の茎と根の間で奇妙なことが起きる。細胞の分離が茎と根の間で生じ,夏の風がちょっと吹くだけでその植物全体が吹き飛ばされてしまうのである」。ですから,恐ろしそうに見えながらも風に簡単に吹き飛ばされてしまうこのあざみと全く同様,神の主権に反対する者たちも吹き飛ばされてしまいます。『あざみのように』と述べる聖書の比較は正確です。
解剖学と生理学
聖書の起源が人間の創造者にあるとすれば,その中にそれが人間の知恵の所産ではないことを示す確証があるはずです。すでに見た通り,古代の人々は人間の起源について奇想天外な考えを抱いていました。同様に古代エジプトの医学書も,医学の分野におけるはなはだしい無知をあらわにしています。モーセは「エジプト人の知恵をことごとく教授された」にもかかわらず,人間はラーの涙からではなく,「地面の塵で」形造られた,と記しています。(創世 2:7,新。使徒 7:22)人間が地球の土の中にある鉱物元素から形造られたということを,現代医学は確証していますか。
アンドレ・グドーとフランス農業アカデミーのデディエ・ベルトランは,その共著「微量元素」の中で次のようなことを教えています。「研究の対象となった微生物すべての中に,炭素・酸素・水素・窒素・リン・カルシウム・硫黄・塩素・マグネシウム・カリウム・ナトリウムなどに加えて,次の諸元素が存在することは証明された事実とみなし得る。六つの非金属元素,すなわちフッ素・臭素・ヨウ素・ホウ素・ヒ素・ケイ素,一つの遷移元素,すなわちバナジウム,および13の金属,すなわち鉄・亜鉛・マンガン・銅・ニッケル・コバルト・リチウム・ルビジウム・セシウム・アルミニウム・チタン・クロム・モリブデンである。また,スズ・鉛・銀・ガリウム・ストロンチウム・バリウムなども存在すると思われる」。このすべての物質は地球の地殻に存在し,聖書が述べるとおり人間が本当に地面から形造られたことを証明しています。
幾世紀にもわたって,聖書は生物の血がその命,つまり魂を表わしていると述べてきました。『あらゆる肉の魂はその血である』。(レビ 17:14,新)こうした見解は医学的に正確ですか。血液が生命の過程と密接に関係していることは科学的な事実です。その上ごく最近になって,科学は各人の血液が独特のものであり,類例を見ないことを明らかにしました。フランスの人類生物学高等専門学校の教授,レオンヌ・ブールデルは次のように書いています。「生殖のさいの遺伝学上の組み合わせにより,我々の血液は他の人のものと同じではなくなる。それは自分の親の血液とも,子供の血液とも決して同じではない。そして我々は一生の間その同じ血液を造り続けるのである。事実,いく度輸血を受けようとも,献血者の血液を自分のものにすることは決してない。常に自分の血液が優勢を保ち,新たに造り出される血液はいつまでも変わらないのである」。
聖書を信じる理由
先に引用したオルダス・ハクスリーの言葉を言い換えれば,『優れた根拠に基づいて人が信じている事柄に対して,他の優れた根拠を見いだすこと』が,「聖書を信じるべき理由がありますか」という問いに基づくこの論議の目的でした。
最初に,わたしたちは聖書が盲目的な信仰を求めていないことを知りました。聖書は,「理性」を働かせ,「すべてのことを確かめ(る)」ようわたしたちに勧めています。(ローマ 12:1,2。テサロニケ第一 5:21)考古学が聖書の歴史的正確さを裏付けていることが分かりました。さらに,幾つかの例を通して,聖書の記録がその詳細な点に至るまで科学的に正確であることが示されました。
これらは聖書を信じる「優れた根拠」です。しかし,「他の優れた根拠」もあります。事実,より優れた根拠があるとさえ言えます。神への信仰とそのみ言葉に対する信頼が考古学上の発見と科学的な調査だけに基づくものであり得ないことは明白だからです。道徳的導きとしてのその固有の価値に加え,聖書は人類に対する神のご意志とお目的の啓示をわたしたちに与える唯一の書物です。神の霊感によって書かれた書物の中の書物である聖書は,確かに,この地球とその上に住む人類の将来に対して真の希望を与えてくれています。この一連の記事の最後のものは,その点を取り上げています。
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宇宙に関するエジプト人の概念
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“ガルガル”あざみ
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聖書 ― 希望の書ものみの塔 1981 | 1月1日
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聖書 ― 希望の書
「19世紀におけるイギリスのもっとも偉大な政治家」と言われたウィリアム・グラッドストンは,次のように書きました。「科学と調査は,旧約聖書の歴史的信ぴょう性を支持することに大いに貢献した。……旧約聖書中に神の啓示を見ると主張する我々の論議が,これによって一層の重みを加えるに至った。……内容と結果の両方に見られる証拠を理性的に考察するならば,我々はどうしても,父祖たちが拠って立ったところ,すなわち聖書というゆるがぬ岩の上に立つことになる」。
聖書は確かに,動かすことのできない岩のように,時代のあらしに耐えてきました。この岩の上に立つ人は,その高みから遠い過去のみならずはるか未来まで見渡すことができます。では,聖書が信頼できる希望の書であることを示す内的証拠を調べてみましょう。
中心的主題を軸とした内容の調和
66巻の書から成る聖書は,16世紀にわたり,約40人の筆記者によって書かれました。この一文を読むのはいともたやすいことです。しかし考えてみてください。西暦4世紀の終わりごろから書きはじめられて今日に至るまで,何十人もの様々な身分の人により断続的に書きつづられてきた書物が何かあるでしょうか。
そのような本は1冊も存在しません。しかし,仮にあるとして,それがローマ帝国の時代から君主制の時代,そして現代の共和制の時代へと,兵士,王,祭司,漁師,さらには牧夫や医師など,実に様々な人によって書きつづられたものであるならば,その本の各部がすべて同じ基本的姿勢で,また同じ中心的主題に沿って書かれていることを期待できるでしょうか。それはまずできないことです。
ところが聖書は,実際にそれと同じくらいの期間にわたり,種々の政権の下で,先に挙げたような人々やさらにほかの人々により,三つの言語で書かれたのです。それにもかかわらず,聖書には全体的な調和があります。その基本的音信には始めから終わりまで同じ迫力があります。それは驚くべきことではありませんか。
時間を超越した,一致をもたらす霊が筆記者全体の上に働いていなければ,そのような内容の調和を得ることは不可能でしょう。その霊とは神の活動力のことです。使徒ペテロはその事実を証しして,次のように述べています。「聖書の預言はどれも個人的な解釈からは出てい(ません)。預言はどんな時にも人間の意志によってもたらされたものではなく,人が聖霊に導かれつつ,神によって語ったものだからです」― ペテロ第二 1:20,21。
それらの聖書筆記者たちは,神という一人の編集者の下で,ただ一つの中心的主題を発展させていきました。約束の「胤」であるキリストの支配するエホバの王国による,エホバの主権の正当性の立証および神の地に対する目的の最終的成就がすなわちその主題です。(16ページのわくの中を参照してください。)
預言の書
聖書に記されていることは人間の言葉ではなく神の言葉であると信ずる最大の理由は,聖書が驚くべき預言の書であるという事実にあるでしょう。人間は複雑な科学装置を駆使しても,幾百もの出来事を予告することはおろか,いまだに正確な天気予報を定期的に出すことさえできないでいます。ところが聖書には,驚くほど正確であることが証明された預言が文字通り幾百もあります。このことは,その預言の背後に存在する極めて知性的な実在者が,「わたしは比べるもののない神である。わたしのような神はいない。わたしは始めから将来のことを予告し,どのようになるかを前もって予告した」と述べた方であることを示唆していないでしょうか。―イザヤ 46:9,10,エルサレム聖書。
聖書中の最も重要な預言の多くは,神が約束の「胤」の王国を通してご自身の正しさを立証されるというその中心的主題と密接な結びつきを持っています。「胤」を正しく識別する上で少しの疑いも生じないように,神は多くの預言者たちに霊感を与えて,この約束の救出者の誕生,生涯,そして死についての詳細な点を書き記させました。300を超えるこれらの預言はすべてイエス・キリストに成就しました。a
宗教的に自由な思想を持つ人々は,キリストがそれらの預言に合わせて行動し,人為的に預言を成就させたのだ,というような言い方をしてきました。彼らは一般に,物事を論理的に考えると自負しています。しかし,ユダの部族の者(創世 49:10。ルカ 3:23,33)またダビデ王の子孫(イザヤ 9:7。マタイ 1:1)としてベツレヘムで生まれる(ミカ 5:2。マタイ 2:1,5,6)ようにイエスが自分で工作したなどと主張するのは,まともな考えと言えるでしょうか。
さらに,もしイエスが神の子で,以前天に住んでいたのであれば,自分の人間としての誕生がそれらの預言を成就するものとなるように細工をすることができたに違いない,と反論する人もいることでしょう。なるほどそうかもしれません。しかしそのような論法を用いる自由思想家は,自分の目的を自ら覆すことになるでしょう。イエスが普通の人間以外の何者かであることをはっきり否定するのが彼らの目的だからです。
またイエスが死なれた時の状況についてはどうでしょうか。イエスは打たれ,つばを吐きかけられ,刑柱にくぎ付けされ,そして(刑柱にかけられて処刑される人としてはごく例外的なことですが)一本の骨も折られることはありませんでした。(イザヤ 50:6。ミカ 5:1。イザヤ 53:5。詩 34:20。マタイ 27:26,30。ルカ 23:33。ヨハネ 19:33-36)イエスはこうした事柄もすべて工作したのでしょうか。そういうことは不可能でした。ですから,これらの預言は,それが成就を見る700年以上昔に書き記された真の預言でした。聖書の信頼性を裏付ける実に強力な証拠と言うほかはありません。
最も驚くべき預言の一つで,その成就が世俗の歴史家によって十分に確証されているのは,エルサレムの滅びに関するイエスの預言です。この預言は,ローマの支配下でユダヤ人がいらだっているのを見て,政治情勢を予測することに機敏な人ならばだれにでもできるような単なる予告とはわけが違いました。その預言にはどんな未来学者も予見し得ない詳細な点が含まれていました。西暦66年,エルサレムが熟したスモモのように,ローマ軍の司令官ケスチウス・ガルスの手に落ちるばかりになっていた矢先,ヨセフスに言わせると「全く何の理由もなく」,彼が軍を撤退させることなどだれが想像し得たでしょうか。しかしイエスは,個々の人がその包囲された町から逃げ出すことのできるそのような機会が訪れることを予告しておられたのです。(ルカ 21:20-22)したがって,このしるしを見守っていた弟子たちは逃げることができました。それから約4年後の西暦70年に,エルサレムとその神殿は完全に滅びました。このこともイエスが予告しておられた通りでした。―ルカ 19:41-44。マタイ 24:2。
1世紀におけるエルサレムの滅びに関するイエスの預言は,わたしたちにとって最大の関心事です。なぜなら,その預言には邪悪な現体制の終わり,および約束の「胤」に託されている神の王国の樹立に関するイエスの預言が織り込まれているからです。イエスは1世紀のクリスチャンたちに,エルサレムの終わりが近いこと,そして安全な場所に逃げるべきことを知らせるしるしをお与えになりましたが,今日生きているクリスチャンたちにもしるしを与え,それが見られるようになれば,キリストの王国の近いことが分かるようにしてくださいました。
イエスは,国際戦争,大地震,疫病,食糧不足,真のクリスチャンに対する迫害などがあることを述べたあと,「[ユダヤ人だけでなく]諸国民の苦もん」があることについて述べ,人々が「[エルサレムだけでなく]人の住む地に臨もうとする事がらへの恐れと予想から気を失(う)」ようになると予告されました。(ルカ 21:10-19,25,26)この言葉一つをとってみても,西暦70年におけるエルサレムの滅びによってイエスの預言が完全に成就したと断定するのは間違いであることが分かります。イエスの預言は明らかに,ずっと広い範囲に適用されるもので,背教したエルサレムだけでなくすべての偽りの宗教およびサタンの邪悪な事物の体制の他の部分が滅ぼされ,「神の約束によってわたしたちの待ち望んでいる」義の宿る「新しい地」に道を譲る時にまで及びます。―ペテロ第二 3:13。
このことは,イエスの弟子たちがイエスに尋ねた次の質問によって確証されます。「わたしたちにお話しください。そうしたことはいつあるのでしょうか[イエスはエルサレムの滅びについて話されたばかりであった]。そして,あなたの臨在と事物の体制の終結[この世の終わり,フィリップス訳]のしるしには何がありますか」― マタイ 24:3。
さらにイエスは,エルサレムの滅びよりもはるか先のこと,すなわちご自分が権能をもって再び到来し,神の王国が樹立される時に思いを馳せておられたことを示して,次のようにお話しになりました。「そのとき彼らは,人の子が力と大いなる栄光を伴い,雲のうちにあって来るのを見るでしょう。……いちじくの木やほかのすべての木をよく見なさい。それらがすでに芽ぐんでいれば,あなたがたはそれを観察して,もう夏の近いことを自分で知ります。このように,あなたがたはまた,これらの事[戦争,地震,疫病,食糧不足,クリスチャンに対する迫害,諸国民の苦もん]が起きているのを見たなら,神の王国の近いことを知りなさい」― ルカ 21:10-31。
エルサレムの滅びに関するイエスの預言が細部にいたるまで確実に実現したのと同じように,現在の邪悪な事物の体制に関する預言も確実に成就します。1914年以来,わたしたちはマタイ 24,25章,マルコ 13章,ルカ 21章に記されているイエスの預言が成就しつつあることを示す多くの証拠を見ています。「これらすべては苦しみの劇痛のはじまりです」と述べてから,イエスはさらに,「そして,王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」とおっしゃいました。―マタイ 24:8,14。
この「苦しみ」の時代は,輝かしい希望の成就の前兆です。「王国のこの良いたより」は,今日エホバの証人によって,「人の住む全地で」宣べ伝えられています。彼らは最もすばらしい知らせを遠く広くふれ告げています。それは,間もなくエホバ神の主権が立証され,地に対するその目的が成就するという知らせです。それが成就するのは,「胤」であるイエス・キリストの王国が邪悪な者たちを滅ぼし,天におけるように地にも神のご意志がなされるようにするときです。(マタイ 6:9,10)そのとき,義を愛する人々はみな,現体制の滅びを生き残った人々も,復活してきた多数の人々も,パラダイスの地上で永遠に生きる機会を得ます。―ヨハネ 5:28,29。
そういうすばらしい希望が聖書を通して人類に差し伸べられているのです。この世の哲学者や科学者,政治家たちは,そのような希望を与えることができません。ですから,今日存在する唯一の希望の書,聖書を退ける理由がどこにあるでしょうか。エホバの証人は,あなたが聖書についてより深い知識を得られるように,喜んでお手伝い致します。
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