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いつでも弁明する用意をしておきなさいものみの塔 1959 | 11月15日
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取りあつかうことにより,あなたの希望を弁明しなさい。毎週に一つの反対,または毎月に一つの反対を十分に反駁するなら,あなたの信仰を守るのにいつそう効果を挙げ,あらゆる種類の人々に,あなたの希望についての弁明を強くすることができます。
23 「ものみの塔」誌は,協会の他の出版物と共に,あなたの希望を弁明するためどのようにあなたを助けますか。いくつかの例を述べなさい。
23 上手な弁明者として「ものみの塔」誌や協会の他の出版物の中で良い点を見つけるように気をつけていなさい。聖書の教えを説明したり反対を反駁する際にそれを良く用いることができるようにします。各号の「ものみの塔」の内で良い点をすくなくとも一つ見つけるように努めなさい。それを書き記しなさい。それを,準備した答えと反論の中につけ加えなさい。このようにして,あなたは生き生きとした状態を保ち,いつでも最新の知識を持つことになります。
24 なぜクリスチャンの希望は,たくみに弁明されねばなりませんか。
24 あなたの希望を上手に守るため,その希望についての知識を持つだけでなく,巧みさを持たねばなりません。ペテロは次のように語りました「しかし,やさしく,慎み深く,……弁明しなさい。」たとえば,カトリック信徒が,この地上に平和は決してないと告げるなら,あなたは自分の信仰を,どのように巧みに弁明しますか。カトリック訳の聖書から,イエスの誕生のときに御使たちが述べた預言を示すこともできます。それはルカ伝 2章14節に「……そして地上には善意者に平和あれ」と記録されています。(ドーエイ訳)この預言がまだ成就されていないことについて,そのカトリック信徒は同意するでしよう。すると,御使は正しく預言しなかつたか,または平和はいつの時かこの地上に来るにちがいない,ということになります。その人にこのように話しなさい,すなわちヱホバの証者はカトリック聖書訳に述べられていることを信じ,御使の預言が真実であると信じています。それですから,平和はこの地上にかたく立てられ,善意者だけがこの平和を楽しむでしよう。そして,自分はそのような人々を探し求めており,それらの人々を援助して,この平和に満ちる地についてさらに学ぶようにしている,と告げなさい。そのように巧みに,また親切な仕方の中に,あなたは人々の注意を神の御言葉に向けさせています。神の御言葉でもつてあなたの希望を巧みに弁明するとき,言い争うということもありません。そして,善意者が良い印象を受けると希望することができます。「主の僕たる者は争つてはならない,だれに対しても親切であつて,よく教え,……反対する者を柔和な心で教え導くべきである。おそらく神は,彼らに悔改めの心を与えて,真理を知らせるであろう。」― テモテ後 2:24,25,新口。
25 すべてのクリスチャンに対する神のみこころは何ですか。
25 それですから,神の言葉と原則を弁明するクリスチャンは,若い者も老いている者も,「真理の言葉を正しく教え,恥じるところのない錬達した働き人になり」なさい。「あなた方のうちにある望みについて説明を求める人には,いつでも弁明のできる用意をしていなさい。しかし,やさしく,慎み深く,明らかな良心をもつて弁明しなさい」。これはあなたに対する神のみこころです。そして,このようにあなたのクリスチャン奉仕を達成することにより,あなたは御自分の希望の成就を確信することができます。
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「完全なる正確さ」ものみの塔 1959 | 11月15日
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「完全なる正確さ」
エイ・ランドル・ショートは,「現代発見と聖書」という本の中で,使徒行伝について次のように書いています,「ローマの習慣によると,遠方の国々は安全と考えられている限りは,その地方の人によつて支配させる方針であつた。その結果,それぞれの場所の権威者たちは,いろいろのちがつた名前を持つていた。観察眼のするどい旅行家か,または記録を丹念に調べる人でないかぎり,それらの支配者たち全部に正確な名称をつけることはできない。ルカの歴史的な感覚さはすばらしいものである。彼はいつの時でも完全な正確さを示しているのである。ある場合には,貨幣とか,彫りつけられた文字などによつて,我々はルカの記録を調査することが必要であつた,著名なローマの歴史家たちは,そのような難しいところに敢えて足を踏み入れようとしない」
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