-
神のみ名はどうなりましたかものみの塔 1978 | 8月1日
-
-
ありません。ですから,証拠の示すところによると,聖書時代のほとんどの時期に,通常のヘブライ人は宗教活動においても,また敬意を払いつつ日常生活においても,神のみ名を確かに用いました。
例えば,1961年に,エルサレム市の南西ほぼ32㌔の地点で,古代の埋葬用の洞窟が発掘されました。その洞窟は,ヒゼキヤ王の時代(西暦前745-716年)にまでさかのぼるものと思われます。その洞窟の壁には,「エホバは全地の神なり」というような,テトラグラマトンを用いた碑文が見られました。そして1966年には,イスラエル南部のアラドで発見された,文字の書かれた陶器の破片に関する報告書が出版されました。その破片の一つはここに掲げられていますが,それは部下からエリアシブに宛てて,ヘブライ語で書かれた個人的な手紙でした。その手紙の書き出しは次のようなものです。「我が主,エリアシブへ。ヤハウェがあなた様に平安を賜わりますように。さて……」― イスラエル探検ジャーナル,第13巻,No.2,74-92ページ; 第16巻,No.1,1-7ページ。
専ら宗教的とはいえない背景でも神のみ名を用いた古代ヘブライ人は少なくないという事実を考え,迷信に基づいて神のみ名を避けるようになったのはいつごろのことなのかといぶかしく思う人もいるでしょう。実際のところ,確かな答えを与えられる人は今日一人もいません。中には,ユダヤ教のラビによる文献に基づいて,イエスが地上におられた一世紀当時には神のみ名は使われていなかった,と唱える人もいます。しかし,その時までに,迷信に基づいて神のみ名が使われなくなっていたとしても,それは神の固有のみ名が決して用いられなかったという意味ではありません。この点に関して,M・レイゼル博士はこう書いています。「テトラグラマトンは,西暦70年に二番目の神殿が破壊されるまで,大祭司によって口に出して唱えられていたに違いない」。
しかし,イエスとその使徒たちはどうしていたのだろうかと疑問に思われるかもしれません。彼らは,書いたり,話したり,聖句を読んだりする際に,神のみ名を使いましたか。例えば,イエスがナザレの会堂で立ち上がり,イザヤ 61章1節を読んだときどうしたのでしょうか。「主,ヤハウェの霊が私に与えられた……」(エルサレム聖書)という言葉で始まるヘブライ語本文にはテトラグラマトンが現われます。たとえ迷信深い,あるユダヤ人たちが神のみ名を口に出して唱えようとしなかったとしても,イエスが神のみ名を意識的に使おうとしない,などと考えられますか。イエスが,「わたしは,あなたが世から与えてくださった人びとにみ名を明らかに示しました」と言っておられることを忘れてはなりません。―ヨハネ 17:6。
イザヤ 61章1節を読んだ際にイエスの言われた事柄はルカ 4章18節と19節に記録されています。新世界訳聖書以外の,広く頒布されている英語版の聖書でこの節を調べても,神の固有の名を見いだすことはできません。むしろ,イエスが,「主の御霊がわたしに宿っている。……」と読まれた,とされている点にお気づきでしょう。―口語訳。
イエスはそのように言われたと思われますか。大抵の聖書は,なぜここで神の固有の名を用いずに,「主」という語を用いているのでしょうか。その答えは,推理小説に匹敵するほど興味深い最近の一調査と関係しています。
-
-
驚くべき新しい証拠が明るみに出るものみの塔 1978 | 8月1日
-
-
驚くべき新しい証拠が明るみに出る
恐怖の洞窟として知られるようになった所へ向かって断崖絶壁を下りてゆく一行の命は,文字通り,各自の手に懸かっていました。一行は,あなたの聖書にかかわる重要な手がかりががい骨のただ中で見いだされるなど思ってもみませんでした。
その場の情景を把握するため,9ページに示されている不毛の荒野,死海西側の山地に自分がいると想像してみてください。
1961年の初頭,専門家の一団は,人を寄せつけないような,ナハル・ヘベルにある洞窟を探険するために出かけてゆきました。彼らは地雷探知機,防塵マスク,ロープ,およびパラシュートの背負い革などを装備していました。恐怖の洞窟と命名された,八番洞くつの入口まで80㍍下りるのは危険なことでした。一歩踏み外せば,何百㍍も下にある岩場へたたきつけられてしまうでしょう。
恐怖の洞窟という身の毛もよだつような名は,調査員たちがその中で発見したもの,すなわち40体余りの男女子供のがい骨に由来します。白骨化したこの人々は,西暦132年にローマに対する戦いの指導者となったユダヤ人の闘士,バル・コフバの追随者でした。これらの人たちは,がけの上に陣取ったローマ軍のために洞窟の中に閉じ込められ,飢えと渇きのために死んだものと考えられています。
しかしこのすべては,イエスとその使徒たちが神の固有の名を使ったかどうか,そしてひいては,そのみ名が聖書の中に現われるべきかどうか,またそのみ名を口に出して唱えるべきかどうか,という事とどんな関係があるのかいぶかしく思われるでしょう。そのつながりは,恐怖の洞窟で発掘され,ギリシャ文字の書かれた,九つの小さな羊皮紙の断片にあります。
学者たちが注意深くこれらの断片を調べたところ,それらは12預言書(ホセア書からマラキ書まで)の古い皮の巻き物の一部であることが分かりました。それは,西暦前50年から西暦50年ごろのものと思われる,ギリシャ語版の聖書でした。さて,その巻き物が見つかった場所は分かっていました。それはユダの荒野にある恐怖の洞窟です。初めはこの事の重要性がお分かりにならないかもしれませんが,これは神のみ名があなたの聖書の中に現われるべきかどうかを定める主要な手がかりなのです。
この手がかりがあなたにとって本当に意味のあるものとなるためには,西暦一世紀当時,イエスとその使徒たちがどんな巻き物を入手できたかを調べてみなければなりません。
神の言葉のギリシャ語訳
創世記からマラキ書までの聖書の各書は,ごく一部アラミヤ語で書かれた部分を除けば,元々ヘブライ語で書かれました。しかし,ユダヤ人が古代世界に散らされると,彼らは国際語であるギリシャ語を使うようになりました。そのため,西暦前280年ごろ,ヘブライ語聖書がギリシャ語に翻訳され始め,ギリシャ語セプトゥアギンタ訳(LXX)として知られる聖書が完成しました。
イエスがその宣教を開始された当時,ギリシャ
-