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世界展望目ざめよ! 1980 | 5月8日
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可能性がある。1976年当時,同アカデミーは,大気中のフルオロカーボンによって引き起こされるオゾンの減少は最終的に7.5%に達するものと推定していた。ところが新しい手法で調べたところ,「最も楽観的に見積っても」オゾンの最終的な減少レベルは16.5%に達するとのことである。噴霧剤にフルオロカーボンを使用することは米国を初めとする他の幾つかの国で禁止されてはいるものの,世界的に見ると使用量は増えつづけている。これによって,皮膚ガンや異常気象,その他の問題が増えるのではないかと科学者たちは危ぐしている。
カタツムリの食べすぎ
◆ フランス人はカタツムリを珍味としてよく食べることで知られているが,ぬるぬるしたものに目がないフランスの大の美食家がそれがもとで命を落とした。三分そこそこで72匹のカタツムリを飲み込んだ体重167㌔のトラック運転手はその後間もなく病院にかつぎ込まれることになった。この人は後に,消化不良がもとで死亡した。それより数か月前,ナンシー近郊で開催された“愚行オリンピック”では,11分半で144匹のカタツムリを飲み込んだ27歳の男性が優勝した。
雨の神をおびき出す
◆ 昨年の夏,インドの一部が40年来最悪という干ばつに見舞われた際,ウッタルプラデシ州のある農夫たちは雨の神バルナに切実に必要とされている雨を降らせて欲しいと訴えた。自分たちの信仰に基づいて雨の神をなごめる奥の手として,裸の女性に夜,土地を耕させた。しかし,降った雨は,とても少なく,時期も遅すぎたため,収穫の半分以上がだめになった。しかし,国全体の収穫高と備蓄穀物の量を併わせると,飢きんを克服するには十分である,と政府当局は語った。
トップに立つ麻薬の栽培
◆ 米国カリフォルニア州で栽培されている作物のうち最も収益が多いのは食用に供する作物ではない。連邦麻薬統制局によると,不法なマリファナ栽培によって,企業心の旺盛な“農夫たち”は年間10億㌦を超す収益を上げている。次に価値があるのは,6億9,100万㌦の収益を上げた綿花,4億5,700万㌦の収益を上げたレタス,4億1,400万㌦の収益を上げた干し草である。
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聖書理解の助け ― 聖書(その一)目ざめよ! 1980 | 5月8日
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聖書理解の助け ― 聖書(その一)
「知恵は主要なものである。知恵を得よ。自分の得るすべてのものをもって,悟りを得よ」― 箴 4:7,新。
聖書(その一)。その古さや,全発行部数,それが翻訳された言語の数,文学的傑作としてのその並はずれた偉大さのゆえに,また,それが全人類にとって圧倒的重要性を有しているゆえに,あらゆる時代を通じて最大の書物として認められている聖典,霊感を受けたエホバの言葉。それは他のどんな書物にも依存してはいないので,他の何物をもまねたり,模倣したりしてはいません。それはそれ自体の真価によって持ちこたえてきたので,その無比の著者に誉れを帰しています。聖書はまた,多数の敵から憎まれながらも,他のどんな書物が直面したものよりも激烈な論争に耐えて来たという点でも著しい書物です。
名称
「バイブル」(聖書)という英語の言葉は,ビブリアというギリシャ語に由来するラテン語から来たものです。そして,このギリシャ語は,古代の紙の材料として使われた植物,パピルスのしんの部分を表わす言葉です。パピルス紙の製造で有名なフェニキアの都市ゲバルは,ギリシャ人の間では「ビブロス」と呼ばれました。やがて,ビブリアという言葉は様々の文書,巻き物,書物,そしてついには聖書を構成している多数の小さな書物を集めたものを表わすようになりました。ヒエロニムスはこの集大成したものをビブリオセカ・ディビーナ,つまり神の図書と呼びました。
イエスやキリスト教の教典の筆者たちは,この聖なる文書を集めたものを指して「聖書」とか「聖なる書」と言いました。(マタイ 21:42。マルコ 14:49。ルカ 24:32。ヨハネ 5:39。使徒 18:24。ローマ 1:2; 15:4。テモテ第二 3:15,16)これは意志の伝達を図られる神の書き記された表現,つまり神の言葉です。このことは「エホバの口から出るもの」(申命 8:3,新),「エホバの言われたこと」(ヨシュア 24:27,新),「エホバの戒め」(エズラ 7:11,新),「エホバの律法」「エホバの諭し」「エホバの命令」(詩 19:7,8,新),「エホバの言葉」(イザヤ 38:4,新),「エホバのことば」(マタイ 4:4。テサロニケ第一 4:15)などの句の中で認められています。この集められた文書は再三,「神の神聖な宣言」とも言われています。―ローマ 3:2。使徒 7:38。ヘブライ 5:12。ペテロ第一 4:11。
区分
聖書の正典は,創世記から啓示の書までの六十六冊の書でできています。これら特定の書が選ばれ,他の多くの書が退けられたことは,聖なる著者がそれらの文書に霊感を与えただけでなく,それらが聖なる目録の中に収集・保存されるのを注意深く見守って来られたことの証拠です。その六十六冊の書のうち,聖書の内容の四分の三を成している三十九冊の書はヘブライ語聖書として知られています。その幾つかの小部分がアラム語で書かれたほかは,すべて初めにヘブライ語で書かれたからです。(エズラ 4:8-6:18; 7:12-26。エレミヤ 10:11。ダニエル 2:4後半-7:28)ユダヤ人はこれらの書の幾つかを一緒にしたので,合計二十二冊もしくは二十四冊の書しかありませんでした。それでも,それらの書には同じ資料が含まれていました。また,経典を『モーセの律法,預言者,詩篇』のように細分するのがユダヤ人の習慣だったようです。(ルカ 24:44)聖書の終わりの四分の一の部分はクリスチャン・ギリシャ語聖書として知られていますが,このように呼ばれているのは,この部分を構成している二十七冊の書がギリシャ語で書かれているからです。これらの書が記され,聖書正典のうちに収集・配列されたこともまた,エホバが初めから終わりまで監督しておられたことを立証しています。
聖書の文を章節に細分すること(欽定訳には1,189章3万1,173節ある)は,最初の筆者によって行なわれた訳ではありませんが,何世紀も後に付け加えられた大変有益な区分法でした。マソラ学者がヘブライ語聖書を節に分け,それから西暦十三世紀になって章の区分が施されました。最後に,1555年,ローベル・エチエンヌ編のラテン語ウルガタ訳が現今の章節の区分のある最初の全訳聖書として発行されました。
聖書の六十六冊の書はすべて一緒になって,完全な統一体である単一の著作を形造っています。章節の区別は聖書研究を助けるための単なる便宜上の手段にすぎず,統一体としての一致の価値を落とさせる意図があって施されたのではありません。聖書を,今日まで伝わっている写本の主要な言語にしたがって区分することについても同じことが言えます。ですから,わたしたちにはヘブライ語聖書と,聖書のヘブライ語の部分がギリシャ語に訳されたセプトゥアギンタ訳と区別するために「クリスチャン」という言葉を加えたギリシャ語聖書とがあるのです。
原著者
ここに掲げられている一覧表を見ると,約40人の人間の書記官もしくは書記がただひとりの著者に用いられて,霊感を受けたエホバの言葉を書き記しました。「聖書全体は神の霊感を受けたもので」,これには「聖書の残りの部分」と共にクリスチャン・ギリシャ語聖書中の文書も含まれています。(テモテ第二 3:16。ペテロ第二 3:15,16)この「神の霊感を受けた」という表現は,「神が吹き込んだ」という意味のギリシャ語の句セオプニューストスを訳したものです。忠実な人々に『吹き込む』ことによって,神はご自分の霊つまり活動力をそれらの人に働かせ,エホバが記録させたいと考える事を記させるよう活発に導かれました。というのは,「預言はどんな時にも人間の意志によってもたらされたもの
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