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  • 世界のベストセラー ― 生き延びるためのその闘い
    目ざめよ! 1980 | 1月8日
    • 永遠に保つ能力を持っておられますか。そうであれば,それは大きな障害を克服することを意味します。自然の妨げに加えて,信者の間で生きた力として働く聖書を,最終的に消滅させかけるような攻撃が前途に控えていました。

      聖書がどのようにこの反対すべてを克服したかということには,興味しんしんたるものがあります。幾世紀にもわたって,人々はそれを焼いたり,葬り去ったりしようとしてきました。強大な王や皇帝たちは,聖書を向こうに回して帝国全体の力を傾けてきました。それにもかかわらず,聖書は今日に至るまで滅びることなく残っています。

      人は,『聖書を保存するために一体どうしてそれほどの努力が払われたのか。単に聖書が私の生活に良い影響を及ぼすようにとの意図をもって保存されたのか。それよりも深い,深遠な理由があるだろうか』と不思議に思うかもしれません。そうです,過去において,そして現在において,すべての人が聖書を持ち,それを読めるように多大の努力が払われているのはなぜですか。

      続く資料は,そのような質問に対する非常に喜ばしい答えを与えています。同時にそれは,今日に至るまで聖書が保存されてきたことに対する感謝の念をいよいよ深めるものとなるでしょう。

  • 聖書は自然の障害にもめげず存続する
    目ざめよ! 1980 | 1月8日
    • 聖書は自然の障害にもめげず存続する

      エジプトのアレクサンドリアにあった堂々たる図書館は,疑いもなく,これまでに存在した最大の文庫です。その古代の書架は,50万部を超す公文書で膨れ上がったこともありました。

      西暦前3世紀に建てられてから350年そこそこで,その蔵書の一部は焼失してしまいました。その後間もなく,それら貴重な文献のうち残されたものも,略奪され,破棄されました。歴史家エドワード・ギボンは,これら「古代の天才の書いた書物は,焼滅し尽してしまった」と述べました。

      大部分がパピルス(エジプトに豊富に産するパピルス草の繊維から作った紙に似た材料)に書かれていたこの膨大な文庫は,本の存続を妨げる自然の障害,すなわち,火や人間による略奪によって破壊されました。その本が消滅しやすいパピルスではなく,石板や粘土板に書かれていたとしたら,もっと長持ちしたかもしれません。

      しかし,クリスチャン・ギリシャ語聖書の一部は,西暦1世紀に,その同じ消滅しやすい材料,パピルスに書かれたと考えられています。聖書を書く際に主に用いられたのは,羊皮紙やベラム(動物の皮から作った書写材料[テモテ第二 4:13])です。これもまた可燃性の材料で,やがて朽ちてしまいます。その極めて貴重な音信を後代に伝える写しが残されないうちに聖書の手書きの原本が消滅してしまう可能性が,多分にありました。しかし,多くの写しが作られ,流布されたので,消滅しやすい材料に書かれてはいたものの,その音信が失われることはありませんでした。

      それを託された少数者たち

      聖書は当初,人々から嫌われた少数民族に託されました。ですからその存続が脅かされるのは自然でした。使徒パウロはその点を認めて,「ユダヤ人は神の書物を託された」と述べています。(ローマ 3:2,モファット訳)千年以上にわたって数多くのユダヤ人が神に用いられ,そのみ言葉を書き記し,その国民はそれら聖なる書物を守り抜こうと努力しました。

      しかし,考えてもみてください。聖書が書き始められた当時,この国民は,「すべての民のうちで最も数が少ない」民とされていました。その弱小さは,ヒッタイト人,アモリ人など,より強大な近隣の諸国民と著しい対照をなしていました。では,それらのより強大な隣国の文献はどうなったでしょうか。それらは死んだものとなっています。その残骸は地に埋もれているか,博物館に眠っているかのいずれかです。―申命 7:1,7,新。

      クリスチャン・ギリシャ語聖書(新約聖書)の筆者や擁護者たちもまた,激しい憎しみの的となった,身を守るすべのない小さなグループでした。当時の人々は,このグループについて,「いたるところで反対が唱えられている」と述べています。―使徒 28:22。

      幾千年も経た今日,この憎しみの的となった少数者たちの書き記した書物は全世界を覆い尽しています。自然の状況の示唆するところとは正反対の結果です! より高次の力が擁護者として働いていたように思えませんか。

      大衆からは忘れ去られた言語で書かれる

      古代ヘブライ語をお読みになることができますか。ほとんどの人は読めません。ところが,聖書は最初にその言語で書かれたのです。今日でもその同じ言語でしか入手できないとすれば,それは死んだ本になってしまいます。

      しかし,その文字が用いられていた当時には,聖書を活用した人々だけでなく,周囲の国々に住む人の多くも,その文字を使ったこの書物を読んで,理解することができました。真の神の崇拝者たちは,幾世紀もの間,古代ヘブライ文字を理解することができました。

      そして,重大な局面を迎えた西暦前7世紀に,エルサレムにあったユダヤ人の首都の滅亡に伴って,ユダヤ人は異なった言語の話される国々へと散らされました。国際語となったのはギリシャ語です。エルサレムに再び定住したごく少数のユダヤ人がかろうじてヘブライ語を生きた言語として保ってはいたものの,やがて「ギリシャ人の間に離散している」ユダヤ人の多くはヘブライ語の聖書を読めなくなりました。―ヨハネ 7:35。

      聖書の音信は,それらの人々の生活にあって,「生きた力」ではなくなってしまうでしょうか。また,ユダヤ人ではない,ギリシャ語を話す幾百幾千万もの人々はどうなるのでしょうか。神のみ言葉の知識は,そのような人々からは隠されたままにされるのですか。

      最初の翻訳

      西暦前300年ごろ,古代ギリシャ世界の文化の中心であった,エジプトのアレクサンドリアには,ギリシャ語を話すユダヤ人が約100万人住んでいました。その人たちの努力に加えて,プトレマイオス愛姉王の協力もあったと思われますが,とうとう聖書のヘブライ語からギリシャ語への翻訳が成し遂げられました。

      これは実にすばらしい恵みでした! その結果として,ヘブライ語聖書を読むことから得られる益は,もはや少数の人々だけのものではなくなりました。それどころか,1世紀のユダヤ人の哲学者フィロンの述べるとおり,『人類全体が我々の賢明で,神聖な,優れた律法に近付くことから得られる益を刈り取る可能性が開けてきた』のです。

      アレクサンドリアは“書物の生産”にかけては長い歴史を有していたので,「セプトゥアギンタ」と呼ばれるこの翻訳の写しは時を経ずして再写本され,ギリシャ語を話すユダヤ人たちのために世界各地へ発送されました。それは,まさに,「民衆の聖書」でした。一般大衆の言語で書かれており,アレクサンドリアの出版技術のおかげで価格が安かったため,多くの崇拝者たちは個人用の写本を所蔵できるようになったからです。

      初期のクリスチャンは聖書を生きたものにする

      ヘブライ語聖書が用いられていたことは,使徒パウロの次の行動から察しがつきます。「[パウロは]彼ら[テサロニケの会堂にいたユダヤ人]と聖書から論じ,キリストが苦しみを受け,そして死人の中からよみがえることが必要であったことを説明したり,関連した事がらを挙げて証明したりし(た)」。(使徒 17:2-4)『関連した事がらを挙げて証明する』ため,パウロはヘブライ語聖書の様々な節を用いて,キリスト教の真の土台を固めました。

      初期クリスチャンが,新たに書かれたクリスチャン・ギリシャ語聖書を含め,聖書を活用したことは,本の生産業に一大変革をもたらす動きへと発展してゆきました。その時まで本は,巻き物の形をしていました。悠長な読者にはそれも差し支えありません。しかし,クリスチャンは自分たちの宗教の根拠を『関連した事がらを挙げて証明する』ため,聖書を用いて宣べ伝える業に携わっていました。11㍍もの長さに達することのある巻き物から,関連する聖句を次から次へと見いだすのはいかに不便かご想像いただけるでしょう。

      その当時より一世紀近くも昔に,ローマ人は厚い皮をめくる新しい形の本を試みに作っていました。このかさの張る新しい形の本は全く人気を博することがありませんでした。しかし,ある人がこのアイデアを活用し,薄いパピルスを用紙として使いました。この冊子本<コデックス>は,関連した箇所をすぐに探せる理想的な本でした。それは今日の本のデザインの原型となりました。この歴史的意義を持つ発明の功労者はだれだったのでしょうか。権威ある,「聖書の歴史ケンブリッジ版」はこう述べています。

      「だれかしらが,羊皮紙ではなく,パピルスで冊子本を作ることを考案した。このアイデアがどこで,まただれによって最初に試みられたかは分かっていない。しかし,この新しい形態はキリスト教の最も初期の時代と直接結び付いていることは分かっている。しかも,その発明者は実際にクリスチャンだったかもしれない」。

      ですから今日,巻き物に取って代わった本を開くとき,自分たちの書物の形態として冊子本を採用したクリスチャンたちの,熱心な証言活動に思いをはせることができるでしょう。そういうわけで,西暦の最初の数世紀間,聖書に収められていた音信は本当に生きており,多くの崇拝者の心の中で,確かに「働いて」いました。しかし,そのような穏やかな状況は長続きしませんでした。そのことについて調べてみることにしましょう。

      [5ページの図版]

      聖書は消滅しやすい材料に書かれた。これは大英博物館に収められている最古の聖書写本

      [6ページの図版]

      ヘブライ語からギリシャ語に翻訳されたおかげで,聖書は一般大衆にとって生きたものとして保たれた

      [6ページの図版]

      冊子本により,聖書は熱心なクリスチャンが他の人々を教える上で,使いやすいものとなった

  • 聖書 ― 猛攻撃を加えられた本
    目ざめよ! 1980 | 1月8日
    • 聖書 ― 猛攻撃を加えられた本

      本を抹殺するにはどうしたらよいでしょうか。それには幾つかの方法があります。例を取って考えてみましょう。グラス一杯の真水を損なうにはどうしたらよいでしょうか。考えられる方法は,(1)石でそのグラスを壊す,あるいは(2)ただ泥や他の不純物をその水に加えて,中味を変えてしまう,の二つです。

      聖書も同様の両面攻撃によって致命的な攻撃を加えられる危機に面しました。この書物そのものに対する激しい攻撃と同時に,聖書の音信を変え,その内容に手を加える試みがなされたのです。どちらの試みも,もし成功すれば,この本を役に立たないものにし,ご自分のみ言葉を保存する能力が神にはないことを示す結果になります。

      でもなぜ?

      聖書がそれほど激しい反対に遭うとは実に奇妙なことだと思われるかもしれません。聖書は高い道徳や愛を教えているのに,どうしてそれを抹殺したいと思うのでしょうか。また,聖書に対して最も激しい怒りを爆発させるのが,それを大切にすると主張する人々である場合も少なくありません。あたかも,人間よりも高次の,何らかの力によって操られていたかのようにです。

      このことは聖書の示すところとぴったり一致します。邪悪な霊の被造物は聖書の中で,神のみ言葉が感謝の念の厚い人々の心に達するのを妨げるためなら何をも辞さない者であるとされています。疑いもなく,聖書を抑圧するたくらみの黒幕となっていたのは,神に敵対するこの者,すなわちサタン悪魔です。―コリント第二 4:4。

      もちろん,読者の中にはそのような結論に異議を唱える人がいることでしょう。しかし,一般大衆が聖書を用い,自分の生活においてそれを生きた力にしようとするのを妨げ,思いとどまらせるために,幾世紀にもわたって絶えることなく続けられてきた戦いを,ほかにどう説明したらよいのでしょうか。歴史上,これほど長期間,猛攻撃に遭った本はほかにありません。

      ローマ帝国での野蛮な攻撃

      クリスチャンは多年にわたってローマによって迫害されてきましたが,その聖なる書物に対する最初の攻撃は西暦303年に生じました。その年に,ディオクレティアヌス帝は,キリスト教関係の書物すべてを引き渡し,焼却するようにとの布告を出しました。それを拒めば,死刑になったのです。残念なことに,数多くの貴重な聖書

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