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  • エホバはそのみ名を高くあげる
    ものみの塔 1964 | 10月15日
    • てイスラエルを救い,圧制者の国民を裁いたからです。これによってエホバのみ名はかつてないほどに高められました。しかしエホバはこれ以上のことを行なおうとされていました。エホバがイスラエルを強大な国民とし,この国民が何世紀もつづいてアブラハムとの契約の最終的な成就に導く踏み石となったいきさつは,この雑誌の後の号にとりあげます。その最終的な大成就において,エホバのみ名は栄光に輝き,それとくらべれば出エジプトも小さな出来事に見えるに違いありません。

  • さゝやかな出発から霊的に繁栄
    ものみの塔 1964 | 10月15日
    • さゝやかな出発から霊的に繁栄

      ロイド・バーチ

      私はアメリカ中西部の,かえでや,かしの木や,松の木の間をはだしでかけまわりながら成長しました。しかし私が住んだその古い丸太の家や丸太の納屋,井戸につるされたかしの木のバケツは,もうとっくの昔になくなりました。数年農業を営んだのち私たちは,ミシガン州のグランド・ラピッズに移住し,母はそこで亡くなりました。私はさらに南ダコタ州に移って兄と一緒に住みました。南ダコタ州の牧場で働いていたとき,ある農業新聞でパスター・ラッセルの説教を読みました。主題はたしか,「ハルマゲドンと世の終り」だったように記憶しています。この説教から私は深い興味をおぼえ,聖書をもっとくわしく知りたいと考えるようになりました。それは1912年のことでした。翌年私はオレゴン州の酪農場で働いていました。そこにいたとき,ポートランドから若い男がきて,農場の家族に,神のみことばの真理について話しました。私は注意を集中してその話を聞き,彼の話していることが真理であることを直ぐに確信しました。それから間もなく私は,神への奉仕に献身し,水のバプテスマによって献身を表わしました。その時の喜びはたとえようがありませんでした。

      私の神への奉仕の最初の経験は,聖書を説明したいろいろな主題の小冊子を家から家に配布することでした。友だちと私は,「聖書研究生月刑」というパンフレットを使いました。朝早く出かけていって,そうした聖書関係の印刷物を,人々の家のポーチに投げ込むのです。午前6時にはじめると,3時間後には終わりました。これが,毎日曜日の,神に対する私たちの定期的な奉仕でした。当時の宣教は,一部このような方法で行なわれまし

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