ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 火に耐える材料で建てる
    ものみの塔 1984 | 8月1日
    • 火に耐える材料で建てる

      「土台を築くときに金や銀や宝石を使う人もいれば,木や草やわらを使う人もいます」― コリント第一 3:12,今日の英語聖書。

      1,2 (イ)自分の家が灰じんに帰するのを見るよりもつらいのは何ですか。(ロ)時々クリスチャンの奉仕者たちはそれに似たどんな落胆の気持ちを味わいますか。

      美しい家が灰じんに帰するのは,まさに見るも無残な光景です。それが自分の建てた家であれば,その悲しみはいかばかりでしょう。費やした時間と払った努力のすべてが煙と化してゆくのを見るのは本当につらいことでしょう。しかし,このつらさも,世の事柄のために真理を捨ててしまう息子や娘を持つクリスチャンの親の心痛とは比べものになりません。このような霊的な破滅に子供が陥るのを見ることほどつらい経験はまずありません。

      2 こうした親の心情には,あなたがクリスチャンの奉仕者として経験したような落胆の気持ちと相通ずるものがあるかもしれません。たぶん,ある人と聖書研究が始まり,その後数か月,あるいは数年をかけてその人が真理の知識に至るように助けたことがあるでしょう。その人は集会に出席し,野外宣教に参加するようにさえなりました。ところが何の前ぶれもなく,その人は霊的に弱くなり,不活発になってしまいます。以前の悪い慣行に戻ってしまうことさえあるかもしれません。どんなにかがっかりさせられることでしょう。

      3 こうした状況に直面した場合,当然どんな質問が生じますか。その答えは何に依存していますか。

      3 残念ながら,こうしたことが時折生じます。ですから,至極当然なこととして,なぜこうしたことが生ずるのだろうか,これについてわたしたちにできることがあるだろうか,という質問が生じます。個々の人々の心の状態が一つの要因になっているとはいえ,これらの質問に対する答えは,自分は他の人を教える際,火に耐える材料を用い,正しい土台の上に建てているだろうか,という別の質問に対する答えにある程度依存しています。その質問が何を意味し,どのようにそうするかを明確に理解することは,わたしたちが教える相手の人々,つまり聖書研究生や子供たちが真理において堅く立つよう助けるための鍵です。

      だれが建てるのか

      4 コリント第一 3章10,11節で,パウロはクリスチャンの奉仕者を何になぞらえていますか。どのようにですか。

      4 それに答えるため,コリント人への第一の手紙の第3章に目を向けてみましょう。そこでパウロは,クリスチャンの奉仕者を建築者になぞらえています。このように記されています。「わたしは,自分に与えられた神の過分のご親切のもとに,賢い作業監督として土台を据えましたが,ほかの人がその上に建てています。しかし各人は,自分がその上にどのように建てているかをいつも見守っているべきです。据えられているもの,それはイエス・キリストですが,それ以外の土台を据えることはだれもできないからです」― 10,11節。

      5 (イ)文脈によれば,パウロはどんな種類の建てる業のことを論じていますか。(ロ)クリスチャンの奉仕者はどんな意味で『人々を建て』ますか。

      5 パウロはどんな種類の建てる業について語っていたのでしょうか。「あなた方は……神の建物です」,『あなた方は神の神殿です』と述べる文脈に注目してください。(コリント第一 3:9,16)ですからそれは,人々に関係した比喩的な建てる業です。言ってみればクリスチャンの奉仕者は,関心ある人々のうちにクリスチャンの人格を築くように努力し,それらの人々を弟子にするという意味において『人々を建てる』のです。―マタイ 28:19,20。

      6,7 (イ)コリント第一 3章9-15節のパウロの言葉は,だれの責任に焦点を当てていますか。(ロ)にもかかわらず,どのように共同の建てる業が関係していますか。(ハ)パウロの言葉をさらに考慮することにより,何を理解するよう助けられますか。

      6 では,クリスチャンの教え手だけが研究生の進歩に対する全責任を負っているという意味でしょうか。決してそうではありません。まず第一に,わたしたちは,「神と共に働く者」です。コリント第一 3章9節から15節のパウロの言葉が,建てる者,つまり教える者の責任に焦点を合わせているとはいえ,事実上それは研究生も関係した共同の建てる業なのです。そのことは,戦闘の準備をする兵士に例えられるかもしれません。他の人から訓練され,準備を助けてもらうとしても,いったん戦場に出たなら,兵士は自分の学んだ事柄を用いて戦わなければなりません。命そのものがその点に懸かっているのです! 同様に,教える者は,真のクリスチャン,つまりこの体制の種々の圧力や誘惑に抵抗できるクリスチャンを築き上げるために努力します。しかし,同時に研究生にも責任があります。研究生は学んだ事柄を自分の生活に適用しなければならないのです。―マタイ 7:24-27。フィリピ 2:12,13。

      7 とはいえ,教える者に重い責任が伴うという事実が消えてしまうわけではありません。パウロの言葉をさらに考慮すると,わたしたちの天の父に対する認識を他の人のうちに築き上げるため神の言葉を効果的に教えることの重要性が分かってきます。

      正しい土台を据えなさい

      8 この比喩的な建てる業において,土台となるのは何ですか。

      8 建物を建てる前に,まず土台を据えなければなりません。では弟子を作るという建てる業の場合,土台とは何でしょうか。パウロは,『据えられているもの,それはイエス・キリストですが,それ以外の土台を据えることはできません』と答えています。(コリント第一 3:11)そうです,わたしたちが建てるときの正しい土台とすべきなのはイエス・キリストです。―エフェソス 2:20-22およびペテロ第一 2:4-6と比較してください。

      9 (イ)他の人々を教える際,キリストを土台として据えることには何が関係していますか。(ロ)わたしたちの聖書研究生にとって,イエスに関する真理の全体を理解するのはなぜ重要ですか。

      9 他の人を教えるときにどうすればキリストを土台として据えることができるでしょうか。まず最初に,イエスに関する真理を教え,その真理を中心として生活を築き上げるよう他の人を助けなければなりません。その中には,助け手としてのイエスに対し,またエホバがイエスを通して贖いを備えておられることに対して信仰を置くよう助けることが含まれます。(マタイ 20:28。ヨハネ第一 2:1,2)しかしそれがすべてではありません。イエス・キリストはクリスチャン会衆の任命された頭であられます。(コロサイ 1:18)イエス・キリストは地の正当な王でもあられ,その資格で間もなくハルマゲドンにおいて「征服を完了」されます。(啓示 6:1,2)ですから明らかに,キリストを土台として据えるとは,キリストに関する真理の全体を教え,神の目的が遂行される際のイエスの役割を理解するよう他の人々を助けることです。なぜこれがそれほど重要なのでしょうか。研究生が,神から任命された統治する王としてのイエスに信仰を置いていれば,世界情勢や日常生活の問題ですぐに落胆することはないでしょう。―イザヤ 28:16。ペテロ第一 2:6-8。

      10 (イ)エフェソス 3章17-19節によれば,キリストを土台として据えることにはほかに何が関係していますか。(ロ)どのようにわたしたちは,キリストを『わたしたちの心の中に住ま』わせますか。

      10 しかし,キリストを土台として据えることにはそれ以上のことが関係しています。使徒パウロが持っていたのと同じ目標を持たなければならないのです。パウロはエフェソス人のために次のようなことを祈りました。『あなた方の信仰により,あなた方の心の中に,愛をもってキリストが住んでくださるように。これは,あなた方がしっかり根ざして土台の上に堅く立つため,そうしてあなた方が,すべての聖なる者たちと共に,幅と長さと高さと深さがどれほどであるかを悟ることも,知識を超越したキリストの愛を知ることも十分できるようになり,こうしてあなた方が神の与えてくださる満ち満ちたさまに余すところなく満たされるためなのです』。(エフェソス 3:17-19)「しっかり根ざして土台の上に堅く立つ」ということが,キリストを『わたしたちの心の中に住まわせる』ことと関係している点に注目してください。これは何を意味しますか。わたしたちの感情と行動にイエスの模範と教えの影響を反映させるとき,キリストは『わたしたちの心の中に住んで』くださいます。

      11,12 (イ)他の人がキリストを『自分の心の中に住ま』わせるため,わたしたちはどのように助けになれますか。(ロ)イエスについて学ぶことのほかに,何が関係していますか。

      11 どうすれば,キリストを『自分の心の中に住ま』わせるようわたしたちの教えている人々を助けることができますか。知識を分け与えることは重要です。研究生は神の言葉の真理,それも特にイエス・キリストの生活と教えに関係した真理の「幅と長さと高さと深さ」を『悟ら』なければならないからです。研究生には,感情を持つ生きた人間としてのイエスを十分に知るため,「キリストの思い」を得て欲しいと思います。(コリント第一 2:16)これは研究生の心を動かします。

      12 しかしパウロが,「知識を超越したキリストの愛を知る[ギリシャ語でグノーナイ,「事実上,経験を通して」知る]」とも述べたことに注目してください。わたしたちは,イエスの生涯について,またイエスの他の人に対する接し方について聖書が述べていることを学ぶことによって,キリストの「愛」を知ることができます。しかし,イエスのひととなりに倣わなければ,本当の意味でイエスの感情を認識することはできません。このようにして,経験により,わたしたちは「知識を超越したキリストの愛」を知るようになります。

      13,14 (イ)研究生がイエスの特質を見倣うよう,どのように助けることができますか。(ロ)研究生がイエスに似た者になろうと努力することが,エホバとの良い関係を培うための助けになるのはなぜですか。(ハ)正しい土台に加え,わたしたちは何にも注意を向けなければなりませんか。

      13 したがって,土台を据える際には,イエスのさまざまな特質に注意を向けることです。愛(ヨハネ 15:13,14),温かさと思いやり(マタイ 11:28-30),謙遜さ(ヨハネ 13:1-15),そして同情心(マルコ 6:30-34)などがその一部です。自分の生活の仕方においてこれらの特質に見倣うよう,研究生を励ますとよいでしょう。そうすれば,他の重要な特質を築き上げるための立派な土台が得られます。イエスに関する聖書の記述を討議するときには,時々時間を割いて,『ここでイエスはどんな特質を示しておられると思いますか。どのように生活の中でこの特質を一層十分に示すことができますか』と,尋ねる必要があるかもしれません。イエスの人格に倣うなら,聖書研究生がエホバとの親しい強力な関係を培う助けが得られることを説明してください。なぜそう言えるでしょうか。イエスはみ父の性格を完全に反映しておられたので,わたしたちはイエスに倣おうとするとき,実際にはエホバご自身に倣っているからです。―ヨハネ 14:9。

      14 正しい土台を持つことは重要ですが,それがすべてでしょうか。「しかし各人は,自分がその上にどのように建てているかをいつも見守っているべきです」と,パウロは答えています。そうです,土台の上の構造物を建てる際に用いる材料に関してはどうですか。

      火に耐える材料

      15,16 (イ)コリント第一 3章12節で,パウロはどんな対照を用いていると考えられますか。(ロ)パウロの例えを適用すると,どんな質問が生じますか。

      15 ここで,パウロが種々の建築の材料のことを論じているコリント第一 3章12節を見てみましょう。「さて,この土台の上に,金,銀,宝石,木材,干し草,刈りわらで建てるなら」と記されています。実にさまざまな,対照的な材料があります。パウロは,これらの材料の各々を少しずつ用いて研究生のうちに建てることを示唆しているのでしょうか。そうではないようです。他の翻訳がどのようにその部分を訳出しているかに注目してください。「土台を築くときに金や銀や宝石を使う人もいれば,木や草やわらを使う人もいます」。(今日の英語聖書)「この土台の上に,金,銀,そして宝石で,あるいは木やわらで建てることができます」。(エルサレム聖書)ですからパウロは,2種類の建物を対照させていたものと思われます。一方にはいわば,金,銀,宝石で飾られた美しい宮殿があり,それとは対照的に,泥と干し草を混ぜた壁を支える木材や杭でできた草ぶき屋根の小屋があります。

      16 パウロの例えを適用すると,他の人々を教える際,自分は「宮殿」を建てているだろうか,それとも「小屋」を建てているだろうかという質問が生じます。すべての人が同じ材料で建てられているのではないということが,一部の若い人々や比較的新しい人々が離れ落ちる理由となっているのかもしれません。どこが異なっているのでしょうか。古代のコリント会衆の状況は,火に耐える材料で建てることと燃えやすい材料で建てることとの相違をよく示しています。

      17,18 (イ)古代のコリント会衆にはどんな重大な問題がありましたか。パウロはどのように問題を正しましたか。(ロ)したがって,わたしたちが「金」で建てているか,それとも「干し草」で建てているかを決定する鍵となる要素は何ですか。

      17 パウロは正しい土台を据える面で自分の分を果たしましたが,コリントの一部の人々はその上に『木,干し草,刈りわら』など,耐久性のない特質を表わすもろい材料でその上に建てていたようです。(コリント第一 3:12)そのためパウロは,同会衆の兄弟たちに次のように書かねばなりませんでした。『あなた方の間には争論があります。あなた方がそれぞれ,「わたしはパウロに属する」,「いや,わたしはアポロに」,「わたしはケファに」,「わたしはキリストに」と言い合っていること,そのことをわたしは言うのです。キリストが分裂してしまっています』。(コリント第一 1:11-13)したがって会衆の成員は幾つかの派に分かれていました。なぜそうなったのでしょうか。彼らが特定の人間に重きを置きすぎたからです。パウロは彼らを正し,こう説明しました。「では,アポロは何者ですか。そうです,パウロは何者ですか。奉仕者であり,あなた方はその人々を通して信者となりました。……わたしは植え,アポロは水を注ぎました。しかし,神がそれをずっと成長させてくださったのです」― コリント第一 3:5-7。

      18 要するに問題はこういうことでした。彼らは人間に従うことに重きを置きすぎたために,コリント会衆の一部の成員はエホバ神との強力な親しい関係を得ていなかったのです。これは,わたしたちが「金」で建てるか「干し草」で建てるか,言ってみれば「宮殿」を建てるか,「小屋」を建てるかを決定する重要な要素となります。

      19 (イ)教える人はうかつにも,どのように自分や他の人間に注意を向けすぎてしまうことがありますか。(ロ)「金,銀,宝石」で建てたいのであれば,わたしたちは何を行なう努力を払わなければなりませんか。

      19 そのことから貴重な教訓を学ぶことができます。ある人は,『でも私は,だれにせよ人間に従うよう他の人を教えていません』と言うかもしれません。しかし,そのつもりはなくてもそうしたことが容易に生じ得るのです。例えば,研究生から質問をされて,『何々兄弟(あるいは姉妹)はこう言っています』と繰り返し述べるなら,わたしたちはうかつにも,不完全な人間に注意を向けすぎているのではないでしょうか。あるいは,質問が生じたときに,『そうですね,よく分かりませんが,私の意見はこうです』と言う人は,気づかないうちに自分自身に注意を向けすぎているのではないでしょうか。研究生は自分を教えてくれる人の意見を高める傾向が非常に強いということを忘れてはなりません。(使徒 10:25,26および啓示 19:10と比較してください。)「宮殿」を建てたいのなら,人間に追随する人を建てないように警戒する必要があります。むしろ,研究生がエホバとの親しい関係を培うように助けなければなりません。その目的のため,わたしたちは「金,銀,宝石」で建てなければなりません。これらは何を表わしていますか。

      20 「金,銀,宝石」は何を表わしていますか。(箴言 3:13-15)

      20 詩編 19編7節から11節,箴言 2章1節から6節,ペテロ第一 1章6,7節などの聖句を比較すると,金,銀,宝石が,強い信仰,敬虔な知恵,霊的識別力,忠節,エホバとその律法に対する愛ある認識などの特質を比喩的に表わすために用いられる場合のあることが分かります。このような特質は,エホバ神との強力な親しい関係を持つために重要なものです。これらの特質が組み合わさって,わたしたちが教える人々のうちに築き上げるよう努力しなければならない人格の構造が出来上がります。あなたはこのようにして建てていますか。

      彼らは「火」に耐えますか

      21 (イ)わたしたちの教える人々のうちに耐久性のある特質を築き上げることが非常に重要なのはなぜですか。(ロ)「火」は何を表わしていますか。

      21 わたしたちの教える人々がこうした耐久性のある特質を自分のうちに築き上げるよう助けるのが非常に重要なのはなぜですか。使徒パウロはさらに次のように説明しています。「各人の業は明らかになります。その日がそれを示すのです。それは火によって表わし示されるからです。まさにその火が,各人の業がどんなものかを証明するのです」。(コリント第一 3:13)ですから,「火」は,わたしたちがどんな方法で建てているかを「証明する」のです。この「火」は何を表わしていますか。身体に加えられる暴力的な迫害でしょうか。そうではないようです。「各人の業」が「火」にさらされるという点に注目してください。すべてのクリスチャンが暴力的な迫害を受けるわけではありません。ですから「火」とは,人の霊性を破壊し得る何らかの圧力や誘惑を表わしています。

      22 ある人が経験するかもしれない火のような試みにはどんなものがありますか。

      22 「火」は中立の問題という形をとってある人々を襲うかもしれません。例えば,政治活動に加わるよう圧力を受けたり,投獄に直面したりする人がいるかもしれません。(ヨハネ 15:19)時に「火」はより巧妙なものとなるかもしれません。性と暴力を売り物にした映画やテレビ番組を見させようとする誘惑がそれに相当することもあるでしょう。クリスチャンの若者にとって,「火」は,性的な挑発,麻薬を使わせようとする誘い,世の堕落した娯楽に携わらせようとする圧力にさらされる形で来るかもしれません。他の人に受け入れられたいという自然な欲求のため,他の人に同調させようとする大きな圧力がクリスチャンの若者に加えられることがあります。―ヨハネ第一 2:16。

      23 (イ)このような試みに直面することに関し,どんな質問が生じますか。その答えは何に依存していますか。(ロ)次の記事ではどんな点が扱われますか。

      23 真のクリスチャンの大半は,こうした火のような試みに首尾よく耐えてきました。しかし残念ながら,そうしなかった人たちもいます。ですから,次のように自問する必要があります。わたしたちの教えてきた人が「火」に直面する場合,彼らはどのように行動するでしょうか。彼らは火に耐える金や銀や宝石で飾られた美しい宮殿に似て堅く立つでしょうか。あるいは木や干し草や切り株で作られた小屋に似て燃え尽きてしまうでしょうか。もちろん多くのことが研究生自身に依存しています。とはいえ同時に,教え手としてのわたしたちに,つまりわたしたち自身がどのように建ててきたかということにも多くが依存しています。したがって,自分の教える人々のうちにどのようにこうした耐久性のある特質を築き上げるかという質問が残っています。この点については次の記事で扱われます。

      説明できますか

      □ 他の人を教える際にはどのように共同の建てる業が関係していますか

      □ あなたはどのようにキリストを「土台」として据えますか

      □ 古代のコリント会衆に生じたことから何を学ぶことができますか

      □ 「火」とは何ですか。これは他の人のうちに耐久性のある特質を築き上げることの重要性をどのように強調していますか

  • 教えるときには心を動かしなさい
    ものみの塔 1984 | 8月1日
    • 教えるときには心を動かしなさい

      1,2 (イ)他の人々のうちにエホバとその規準に対する深い認識を築き上げるためには何が必要ですか。(ロ)頭の知識以上のものが必要なのはなぜですか。

      小さな小屋は短い時間でできますが,宮殿は決して一晩では建造できません。同じことが弟子を作ることにも当てはまります。他の人々のうちにエホバとその規準に対する深い認識を築き上げるのは容易な業ではありません。そのような「宮殿」を作り出すためにはかなりの時間と技術が必要です。

      2 それを成し遂げるためには,知識を分け与える以上のことが関係しています。箴言 3章1節が述べるとおりです。「我が子よ,わたしの律法を忘れてはならない。あなたの心がわたしのおきてを守り行なうように」。研究生には聖書の述べる事柄を教えなければなりませんが,それ以上に,聖書の真理をその人々の心に印象づけなければなりません。わたしたちの教える人々のうちに火に耐える特質を築き上げ,エホバ神との強力な関係を培うように彼らを助けたいのであれば,心を動かさなければなりません。

      3 (イ)心を動かすかどうかという点が「教えの術」と深い関係を持っているのはなぜですか。(ロ)幾つかの実際的な提案を考慮する際に,わたしたちはだれのことを念頭に置くべきですか。

      3 明らかにこれは,言うはやすく行なうは難し,の問題です。心を動かすには,正しい建築材料を持っているだけではなく,「教える術」をも取り入れなければなりません。(テモテ第二 4:2)研究生に真理を告げるだけでは万全ではありません。むしろ,「教えの術」には,学ぶ事柄について考え,推論するように研究生を助けることが関係しています。わたしたちの側の創意や方法が霊的な成長をもたらすのではなく,大切なのは神の祝福です。(コリント第一 3:5,6)それでもやはり,他の人の心を動かす助けとなる幾らかの提案があります。これらの点を考慮するに当たって,あなたが教えている人々,聖書研究生や子供たちのことを念頭に置いてください。

      正しい模範を示しなさい

      4 (イ)イエスが他の人を動かす面で効果的であられた理由の一つは何ですか。(ロ)他の人々を教える際に正しい模範を示すのが重要なのはなぜですか。

      4 他の人の心を動かす仕方について,イエス・キリストご自身以上に良い模範を示した人がいるでしょうか。なぜイエスは,人々の心を動かす点で非常な効果を上げられたのでしょうか。一つには,イエスがご自分で宣べ伝えたことを実践し,ご自分の追随者たちに見倣うべき立派な模範を備えられたからです。(ヨハネ 13:15。ペテロ第一 2:21)ですから1番目の提案は,正しい模範を示すことです。他の人々のうちに築き上げたいと願っているクリスチャンのその耐久性のある特質をわたしたちも持っていなければならない,というのは筋の通ったことではないでしょうか。イエスはその点について,「よく訓練された生徒はすべて,その教え手のようになる」と言われました。―ルカ 6:40,新バークレー訳。

      5 聖書は,正しい模範を示すことと他の人の心を動かすこととの関係をどのように示していますか。

      5 聖書は,正しい模範を示すことと他の人の心を動かすこととの関連について繰り返し述べています。例えば,申命記 6章4節から6節は,エホバへの愛を子供たちの心の中に植えつけるためには,それを『あなたの[親の]心に置か』ねばならないことを示しています。(箴言 20:7)それとは対照的に,イエスはご自分と同時代の偽善的なパリサイ人を非難されました。彼らは『言いはするが,実行しなかった』からです。人々の心に「受け入れる力がなく」なったとしても何の不思議があるでしょうか。―マタイ 23:3; 13:13-15。

      6 自分の教えと調和して生きるのは,なぜあなたにとって重要なことですか。(ローマ 2:21-23)

      6 ですから,あなたが教える事柄は実際に行なう事柄と調和していなければなりません。例えば,研究生や子供たちにエホバへの愛やエホバを喜ばせたいという願いを築き上げたいのなら,それらの研究生や子供たちはあなたの祈りや話や行動の中に,あなたがそうした愛や願いを持っていることを示す証拠を見ることができなければならないのではありませんか。聖書の原則に対する強い専心の思いを植え込みたいのであれば,それらの研究生や子供たちはまずあなたの言動の中に,それらの原則を回避しないという態度を見るべきではありませんか。わたしたちが教える人々,とりわけ子供たちは,多くの場合わたしたちの言うことよりも行なうことに注意を払います。わたしたちが教えることと一致して生活するのを他の人が見るとき,わたしたちは他の人々の心を動かすより良い立場に置かれることになります。

      質問をしなさい

      7,8 (イ)他の人を動かす点での成功は,多く何に依存していますか。(ロ)心を動かす点で質問が有用なのはなぜですか。

      7 2番目の提案は,質問を用いることです。イエスはこの方法によっても非常に効果的な教え手となられました。イエスは,人々に考えさせ,推論させる名人でした。(マタイ 17:24-27)わたしたちの教える人々の心を動かすことができるかどうかは,かなりの程度質問を用いることに依存しています。なぜでしょうか。

      8 第一に,質問をすれば,研究生が自分の学んでいる事柄を本当に理解しているかどうかを見定めることができます。つまるところ,研究生が情報を理解せず,受け入れていないなら,どうしてその情報が心に根を下ろせるでしょうか。(ルカ 8:15)第二に,心の中にあるものを知ることは,心を動かすために役立ちます。先入観や偽りの宗教の教えがしっかりと根を生やしているかもしれません。わたしたちには心を読むことができないので,特に研究生が心のうちを自分自身の言葉で言い表わせるような質問を用いる必要があります。幾つかの例を考えてみましょう。

      9,10 見解を知る質問を効果的に用いる方法を示してください。

      9 「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます」という本の第10章,「邪悪な霊たちは強力です」を討議しているとしましょう。97ページの18節に進むと,「心霊術から離れたい場合に,エフェソスにいた初期クリスチャンのどんな良い手本に倣うことができますか」という印刷された質問があります。研究生は節の中から正しい答えを出すかもしれませんが,本当はどう思っているのでしょうか。その人は多年にわたり心霊術を行ない,それを固く信じているかもしれません。そうであるなら,その人は心霊術から離れるべきことを今確信しているでしょうか。「この点についてあなたはどうお考えですか。この資料を生活でどのように適用できますか」と,尋ねる必要があるかもしれません。研究生の答え方は,どの程度その資料が心に達しているかを明らかにするかもしれません。

      10 別の例として,子供と一緒に,同じ本の「正しい事をするための闘い」という26章を考慮しているとしましょう。220ページの8節の(ロ)の質問は,「ある青年が述べたようなどんな見方を持つのは賢明ですか」となっています。子供は初めに節の中から答えても,自分の本当の気持ちは言わないかもしれません。『では,あなたはこのことについてどう思いますか。この見方はもっともだと思えますか』と,少し深いところを優しく探る必要があるかもしれません。あるいは,ある状況を設定し,『学校で幾人かの若い人たちがたばこを吸っていて,あなたにもたばこを勧めたとします。ほかの大勢が見ていて,あなたがそれを受け取らなかったのであなたをからかい始めたとします。あなたはどうしますか』と質問してみます。思慮深く用いるなら,こうした質問は,お子さんの心にあるものを見定める助けになる場合があります。

      11 (イ)質問を用いる際にはなぜ注意が必要ですか。(ロ)子供たちが間違った見解を述べる場合,親にとって特に注意が必要なのはなぜですか。(コロサイ 3:21)

      11 しかし注意が一言あります。時々,こうした質問をした後,出て来た答えのために驚かされたり,落胆させられたりすることがあるかもしれません。ではどうしますか。微妙な問題の場合には,それを無理に推し進めるのではなく,『では先に行きましょう。この問題についてはいつかまた話しましょう』と言うほうがよいでしょう。(ヨハネ 16:12)特にこうした注意は親の側に必要とされます。間違った見解が述べられた場合にも,自分の感情を抑えるのです。意思疎通のきずなを損なってはなりません。お子さんが自分の気持ちを言い表わすことに恐れを感じるようになったなら,子供の心の中にある事を知って子供を助けることがどうしてできるでしょうか。

      神の律法に従うことの知恵を強調してください

      12,13 (イ)神の律法に従うことの知恵を理解すると研究生の心を動かすことになるのはなぜですか。(ロ)エホバに従うことが知恵の道であることを研究生が理解するよう助けることには何が関係していますか。

      12 3番目の提案は,神の律法に従うことの知恵を理解するよう研究生を助けることです。(申命記 4:5,6; 10:12,13)こうすれば研究生の心を動かすことができます。なぜそう言えますか。エホバの律法を守ることが自分の最善の益になることを確信しているなら,神を愛するように,また神を喜ばせたいと思うようになるからです。―詩編 112:1。

      13 皆さんの教えている人々が神の律法に従うことの知恵を理解するようどのように助けることができますか。エホバの律法と,「立入禁止」の看板と比べることによって例証できます。こうした看板自体一つの警告ですが,その看板に警告の理由が含まれているなら,従順を示しやすくなることに同意されませんか。例えば,看板に「立入禁止 ― 高圧電気」と書いてあれば,そこに立ち入ろうとしていた人は身に危険が降り懸かるのを理解し,その警告に注意を払いやすくなるでしょう。

      14 (イ)ある特定の歩みが賢明か愚かかを悟るよう研究生を助けるため,どのような方法で研究生と推論できますか。(ロ)ある歩みの善し悪しの理由を示すことの重要性をどんな聖句が示していますか。

      14 神の律法の場合も同じです。聖書では何が正しく何が間違いとされているかを研究生に告げるだけで終わってしまってはなりません。ある歩みがなぜ賢明なのか,なぜ愚かなのかが理解できるよう助けましょう。神の律法に対する従順がどのように益となるかを研究生と推論してください。それらの要求を無視することからどんな結果が生ずるかを理解するよう助けるのです。聖書そのものも所々でそのようにしています。箴言 22章24,25節,23章4,5節,24章15,16,19,20節をどうぞご自分でお読みください。各々の場合に,聖書がその道の善し悪しの理由を述べている点に注目してください。

      15 不正直さと淫行について神が述べておられることに従うことの知恵を,備えられている質問と聖句を用いて説明してください。

      15 このことを例証するものとして,次に述べる質問と聖句がどのように神の律法に従うことの知恵を強調しているか,考慮してみましょう。

      うそ,盗み: 不正直はなぜ有害ですか。(箴言 15:27; 20:10。啓示 21:8)他の人々と接する際に正直であることはなぜ引き合いますか。(箴言 3:3,4; 12:19。ヘブライ 13:18)

      淫行: 不道徳行為はどのようにわたしたちを害するかもしれませんか。(箴言 5:9; 7:21-23。コリント第一 6:18)それはどのように他の人々に有害な影響を及ぼすかもしれませんか。(テサロニケ第一 4:6。コリント第一 5:6。ヘブライ 12:15,16)聖書の道徳規準に注意を払うとき,どのように益を受けますか。(箴言 5:18,19。ヘブライ 13:4)

      このように聖書の律法に関して推論してから,『ではあなたは,エホバがわたしたちの最善の益を本当に図っておられると思いますか。神の律法が,わたしたちから何か良いものを奪うことなど全くないということに同意していますか』と尋ねてみることができます。

      16 このようにして推論するなら,研究生にどんな影響を及ぼすことができますか。

      16 研究の過程で,酩酊,税を支払うこと,喫煙,血の問題などに関する神の律法について同様に推論してください。そうすれば研究生や子供は,神の律法すべてが自分たちの益となることを理解するよう助けられます。神に従うべき理由を研究生が常に必要とするというわけではありませんが,幾つかの例を挙げれば,研究生の心を動かし,神を喜ばせたいという気持ちを抱かせることができるでしょう。こうして,「火」つまり試練が臨む時でも,研究生は神の言葉に一層従いやすくなります。―コリント第一 3:13。

      神を知るよう彼らを助けてください

      17 どんな付加的な提案は,あなたが教える人々の心を動かすのに助けとなりますか。

      17 4番目の提案は,研究生が神を知るように助けるということです。(ヨハネ 17:3)エホバの存在や,エホバがお名前を持たれることだけではなく,エホバを親しく知るように研究生を助けます。エホバを知るということはエホバを愛することですから,こうすれば研究生の心に達します。

      18 研究中,どのようにエホバの特質に注意を向けることができますか。

      18 研究生がエホバを親しく知るようにどのように助けることができますか。一つには,ある人の特質や物事の行ない方を知らなければその人を愛することはできません。ですから,研究の時は,比類のないエホバの特質に注意を促すことを忘れてはなりません。考慮している主題がどんなものであれ,この方法を頻繁に採用することができます。例えば,贖いについて討議している時にはふさわしい時点で休止をおき,『贖いの備えは,わたしたちに対するエホバの愛の深さをどのように強調するものですか』と尋ねることができます。あるいは,神が悪を許されていることについて討議している時には,『エホバは人間の悪に面して,どのように多大の辛抱強さを示してこられましたか』,あるいは,『エホバはエデンでの反逆を処置される方法のうちに,どのように比類のない知恵を示されましたか』と尋ねることができます。このように推論すれば,研究生のうちにエホバへの強力な専心の思いを築き上げる助けが得られます。研究生はエホバを,人を引きつける魅力的な特質を持たれる人格的存在者としてみなすようになります。

      19,20 (イ)エホバを親しく知るためにはほかに何が必要ですか。(ロ)この節の中の経験は,祈りについては正しい模範を示すことが重要であることをどのように例証していますか。

      19 それに加えて,何らかの意思の疎通がなければだれかを十分に知ることはできません。同様に,エホバとの意思の疎通がなければ,研究生はエホバとの親密な関係を享受できません。このことを認識し,研究生に祈りの仕方を教えましょう。祈るべきふさわしい事柄が広範にわたることを理解するよう助けてください。(ヨハネ第一 5:14)祈りを聞き,それにお答えになる方としてのエホバに対する認識を築き上げるのです。(詩編 65:2)エホバに『心を注ぎ出し』,自分の内奥の感情を言い表わすように励ましてください。―詩編 62:8。

      20 ここでもやはりあなた自身の模範が重要となります。あなたの祈りは,神への専心の深さを表わすものですか。これは,お子さんを含め,あなたの教える人々に非常に健全な影響を及ぼし得るものです。次の経験を考慮してください。

      数年前,一組のクリスチャンの夫婦が3歳の子供に祈り方を教えていました。ある晩のこと,その男の子はお父さんとお母さんを祝福してください,とエホバに祈った後,「ウォリー」を祝福してください,とエホバにお願いしました。「ウォリー」とはだれでしたか。両親にも全く分かりませんでした。そしてその子は決まったように必ず「ウォリー」のために祈るようになりました。色々考えたあげく,やっとのことでなぜそうするのかが分かりました。その男の子はマラウィの兄弟たち(その時に迫害を経験していた)のために祈っていたのです。でもその子は,マラウィを「ウォリー」と誤って発音したのです。大切なことは,この幼い男の子がそのように祈る親の言葉を聞いており,親の立派な模範に見倣ったということです。両親がどう感じたか,考えてみてください。

      この経験は,他の人に祈り方を教えるという点で,正しい模範を示すことの重要性を例証しているのではありませんか。

      報い

      21 (イ)コリント第一 3章14,15節によると,クリスチャンの建設者として,あなたは何を望むことができますか。(ロ)「報い」とは,神の新秩序でのとこしえの命の賞のことですか。説明してください。

      21 ですから,他の人がエホバとの良い関係を培うように助け,その人々のうちに火に耐える特質を築き上げたいのであれば,彼らの心を動かさなければなりません。そうするのは簡単ではないかもしれませんが,そうするだけの価値はあります。パウロは次のように述べてその点を明示しました。「その上に建てただれかの業が残るなら,その人は報いを受けます。だれかの業が[火に耐える材料を用いず,建て方が粗末だったために]燃え尽きるなら,その人は損失を被ることになります[つまり,その人が建てた物は「火」にのまれてしまう]が,その人自身は救われます。しかし,そうであるとしても,火をくぐるようにしてでしょう」。この「報い」とは何ですか。建て方の粗末だった人が,なんとか自分自身は「火」から救われるとしても「報い」は失う,ということからすると,パウロは神の新秩序でのとこしえの命という賞以外のものを思いに描いていたようです。―コリント第一 3:14,15。

      22,23 (イ)パウロは,テサロニケのクリスチャンの兄弟たちに関連して,どんな報いを得ましたか。(ロ)どんな「報い」があなたの心からの願いですか。どうすればそれを得ることができますか。

      22 では,この「報い」とは何ですか。パウロがテサロニケの人々に述べた事柄はこの点に光を投げかけています。同地の迫害されていたクリスチャンたちにパウロはこう書きました。「わたしたちの主イエスのみ前,その臨在の際に,わたしたちの希望,喜び,また歓喜の冠となるものは何でしょうか ― それは実にあなた方ではありませんか。確かにあなた方は,わたしたちの栄光また喜び[「わたしたちの誇り,またわたしたちの喜び」,今日の英語聖書]なのです」。(テサロニケ第一 2:19,20)パウロは,これらテサロニケの人々を真理の道へと助けました。そして,彼らは初めから迫害を経験しても堅く立っていました。パウロの報いは,彼らが反対に直面しても忍耐するのを見るという喜びだったのです。このことは,パウロが上手に建てたことを裏付けています。

      23 わたしたちの場合も同じです。あなたの教える人々がクリスチャンとしての耐久性のある特質を培うよう助けたいというのがあなたの心からの願いではないでしょうか。そのような耐久性のある特質があれば,研究生は,生ずるかもしれない誘惑や圧力に面しても堅く立つことができます。そうです,聖書研究生やお子さんがそうした火のような試みに耐えるのを見るのは非常に大きな報いです。それは,あなたが上手に建てたことを裏付ける証拠です。あなたが火に耐える材料で正しい土台の上に建て,ご自身の努力の上にエホバの祝福を仰ぎ求めるとき,あなたもそのような報いを得られますように。

      思い起こせますか

      心を動かすために ―

      □ 正しい模範を示すことはなぜ重要ですか

      □ どんな種類の質問が助けになりますか,なぜですか

      □ 研究生が,神の律法に従うことの知恵を理解する必要があるのはなぜですか

      □ 研究生が祈りの仕方を学ばなければならないのはなぜですか

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする