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囚人の更生 ― どうすれば首尾よくそれを果たせるか目ざめよ! 1975 | 8月22日
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「この社会の犯罪者や麻薬中毒者を救い出している」と述べました。アンゴラ刑務所で起きた出来事はエホバの証人の業が成功したことを再び示すものです。
その計画の発端
去る1973年,アンゴラ刑務所の二人の囚人は,互いにそれとは知らずに,エホバの証人と文通して聖書を研究していました。その二人は偶然にも同じころニューヨーク市ブルックリンにある,ものみの塔協会の本部に手紙を書き,刑務所にだれかを遣わしてくれるよう依頼しました。そこで,ものみの塔協会は近くにあるエホバの証人のニュー・ローズ会衆の一人の証人にそのことを知らせました。
その間に,この二人の囚人は自分たちの学んだ聖書の真理について他の囚人に話し始めました。同じころ,その巨大な刑務所内の他の人々も自分たちの霊的な必要を認識するようになりました。例えば,カンザス州ウィチタで母親と兄弟姉妹たちがエホバの証人になっている若い囚人もその一人でした。彼はこう説明しています。
「そのころわたしの全生活は堕落の一途をたどり,ついに逮捕されて懲役3年の刑を言い渡されました。刑務所に入ってから三日目に,わたしは二人の男に襲われて同性愛行為をさせられそうになりました。その二人の男にひどく殴られ,一か月以上も入院しなければなりませんでした。わたしは自分が多くの非行を犯してきたことを知っていたので非常にふさぎ込んでしまいました。でも,そのすべては自業自得のように思えました。わたしは神に祈り,ついに母に手紙を書き,助けを求めました」。
「母は,遠路はるばる面会に来てくれました。後ほど母から聞いたのですが,できることならわたしを助けるために刑務所に来てくれるエホバの証人を見いだせるよう母はエホバに祈ったそうです。刑務所の門の所に立っていた時,母のハンドバックは開いており,その中には『とこしえの命に導く真理』の本が入っていました。それを見て近くに立っていた男の人が,『あなたはエホバの証人ですか』と聞いたそうです。母の祈りは聞き届けられました。というのは,その人は聖書研究の集会を取り決めるべく,囚人たちと連絡を取るため刑務所を訪ねようとしていたエホバの証人だったからです」。
ほどなくして,関心を持つ何人かの囚人を刑務所の中央の部屋に集めて定期的に集会を開く取決めが設けられました。それには相当の努力が必要でした。広さ7,000ヘクタールのアンゴラ刑務所には幾つもの異なった収容所があり,多数の建築物が建っているからです。しかし,やがて二つの定期的な集会が取り決められ,囚人の出席数も最初の5,6人から50人以上に増加してゆきました。
著しい変化
多くの囚人たちは,義の新しい事物の体制を招来する神の目的に対する認識が深まるにつれて,生活を大きく変化させました。(ペテロ第二 3:13,14)彼らは道徳上の振舞いを改めただけでなく,さらに仲間の囚人たちが神の目的について学ぶのを助けることに専念するようにさえなりました。生活を変化させた囚人たちは,一例として,休憩時間にレクリエーション活動に携わるよりも,むしろ他の人との聖書研究を司会するようになりました。刑務所の当局者たちは囚人の生活様式のそうした著しい変化に感銘を受け,その結果事態は異常な方向へ進展しました。
昨年の夏,全米69か所で開催された,エホバの証人の「神の目的」地域大会の一つが,アンゴラ刑務所から約100㌔離れたバトンルージュ市で開かれることになりました。そのような大会で最も興味を引くのはバプテスマです。バプテスマの際,各人はエホバ神のご意志を行なうために自分の命をささげたことを水の浸礼によって象徴します。8人の囚人たちがバプテスマを受けるためバトンルージュ大会に出席できるよう許可が申請されました。
相当の審議を重ねた末,刑務所の当局者は許可を与えました。地元の保安官は,1万4,000人余りが集まっているルイジアナ州立大学の大会センターまでその8人を連れて行くよう取り決めることに快く同意しました。それは何と心暖まる出来事だったのでしょう。手錠をはめられ,足を鎖でつながれた囚人たちが大講堂に入って来ると,大勢の聴衆は立ち上がって拍手かっさいしました。聴衆は,その8人が今や自分の生活を神の義の要求にかなったものとしたことを大いに喜びました。
前の記事で説明されているように,去年の10月5日,アンゴラ刑務所の中で開かれた大会において,さらに8人の囚人がバプテスマを受けました。そして,やはり聖書の要求にかなったさらに多くの囚人たちが,刑務所内でのいっそう大規模な大会において,今年の春バプテスマを受けることを計画していました。
刑務所の当局者は死刑囚と聖書研究をする許可さえ与えました。そして,その中の少なくとも一人は次の大会でバプテスマを受けることを希望するまでに進歩しました。定期的にアンゴラ刑務所を訪問しているエホバの証人に同行するとすれば,どんなことを経験するでしょうか。以下はそうした訪問に同行した人たちの報告です。
アンゴラ刑務所の死刑囚
「わたしたちは,午後2時半にエホバの証人の一人ゲーリー・ジェーニーをバトンルージュの彼の家の前で車に乗せ,アンゴラ刑務所へ向けて1時間半のドライブに出発しました。刑務所の守衛詰所に着くと,入場許可証を警備員から手渡されます。そして門をくぐると,死刑囚を収容している緑色の大きな建物が見えます。
「その建物の中に入ると,幾つもの鉄のとびらをくぐらされました。わたしたちが刑務所の中にいることにはもはや疑問の余地がありません。ようやく最後の廊下にたどり着き,わたしたちの後ろで最後のとびらが音を立てて閉じられると,独房の列が下に見えました。それが死刑囚の独房です。わたしたちは面会室に案内されました。
「その部屋は20人ないし25人の人を収容できるほどの大きさで,金属製のいすが数脚置いてあります。ものものしい金属製の仕切り網が部屋の真ん中にあり,訪問者と囚人を隔てています。さて,囚人たちが他方の側に連れて来られました。13人の死刑囚のうち8人が聖書研究をするために入って来ました。そのうちの数人は一年近く研究しています。ですから,ゲーリー・ジェーニーはすべての人をよく知っており,その一人一人の名前を呼んでわたしたちを紹介してくれました。
「それらの死刑囚は各々聖書と『とこしえの命に導く真理』と題する小さな紺色の本を持っています。初対面のわたしたちがいたため最初のうちは少し静かで,わたしたちがどんな人物かをいぶかっているようでした。しかしほどなくして,すべての人は聖書に基づく主題に従って話し合い,とてもくつろいだふんい気で会話を楽しみました。聖書研究の取決めをどう思うかと尋ねると,彼らは異口同音に,聖書研究は楽しく,その取決めを通して多くのことを学んだと答えました。
「『あなたとの研究を司会するエホバの証人を信頼するのはなぜですか』と尋ねたところ,一人の囚人はすぐにこう答えました。『それは簡単なことです。エホバの証人が言うことはすべて聖書に書いてあるからです』。刑務所に入る前に信仰心があったかどうか尋ねられると,8人ともそろって,『いいえ』と答えました。しかしながら,皆そろって,自分は以前カトリックあるいはバプテスト教会の会員だったと述べました。
「そこで,以前に所属していた教会になぜ助けを求めなかったのかと尋ねてみると,一人の囚人は笑いながらこう答えました。『エホバの証人は火の燃える地獄はないと教えてくれました。もう地獄の苦しみを味わうのは生きている間だけでたくさんです。今度は,もう少し希望の持てるようなことを聞きたいと思ったのです』。
「時間になったのでわたしたちは去らねばなりませんでした。わたしたちが帰ろうとして立ち上がると,彼らはわたしたちに再び来てほしいと申し出ました。それから一人の囚人がゲーリー・ジェーニーに向かって,誠実な態度で心の底から,『刑務所内の他のグループの人たちと同じように,わたしたちとも週2回研究していただけないでしょうか』と尋ねました。ゲーリーはそうするよう努力してみると約束しました。
刑務所内の別の場所を訪問する
「車に戻る道すがらいろいろな考えが次々と脳裏にひらめきましたが,その時それらについて考えている時間はほとんどありませんでした。わたしたちは車に乗り,刑務所内の別の門を通って3㌔ほど走り,教育ビルと呼ばれる刑務所内の建物に着きました。守衛詰所を通ってわたしたちは待機室に案内されました。
「囚人たちはこの部屋で歩き回りながら“呼び出し”を待っています。“呼び出し”は,種々の教育的な集まりに出席する際に,記帳を済ませて部屋から出るために行なわれます。ほとんどの人は黙っていましたが,エホバの証人の囚人とその仲間は,皆互いに語り合い,非常に友好的で楽しそうでした。彼らは集会を司会するゲーリー・ジェーニーとエド・ジャーニーを待っており,それぞれ聖書と研究用の書籍を手にしていました。
「“呼び出し”に関して何か問題があるようなので,わたしたちはまだ集会に出席していない一人の囚人のところへ再び訪問するために出かけました。その人は外部の幾つかの新聞社に寄稿している人です。彼はエホバの証人が互いに対して示し合う関心に当惑しています。そして,神の王国やその王国によって地上にもたらされる祝福に関する希望は良い見込みのように思えるが,少なからず信じ難いと考えています。(啓示 21:3,4)刑務所にはこの囚人のような人々が少なくありません。そうした人々は世の中の不公平と偏見のゆえに希望を失っているのです。わたしたちは彼を集会に招待してから,立ち去りました。
「“呼び出し”の際に幾らかの混乱があったため,約20人の囚人はその晩の集会に来ることが許されませんでした。そのため,出席したのは30人の囚人だけでした。わたしたちが集まった部屋は学校の教室によく似ていて,すべての人は机を前にして座っていました。わたしたちが紹介されると,囚人たちは歓迎の意を表わしてくれました。わたしたちはその場のふんい気が,地元の王国会館で開かれるいつもの集会と少しも変わらないことに気付きました。
「午後9時ごろ集会が終わり,わたしたちは帰路に着きました。わたしたちは午後2時半からずっと外出していたのですが,その活動は霊的にとても励みを与えるものだったので,疲れを感じるどころか興奮していました。帰りの車の中で,その日の出来事について話し合いました。わたしたちは,これらの囚人たちがエホバの目的を知るようになり,その結果,いわゆる自由の身にある人々さえ持ち合わせていない,心の平安や自由を持っていることに深い感動を覚えました」。
他の刑務所でも
エホバの証人は他の刑務所でも囚人を首尾よく更生させる喜びを味わってきました。ノース・カロライナ州バーゴゥ州立刑務所も,聖書研究が所内で司会されてきた刑務所の一つです。
マサチューセッツ州ノーフォークのノーフォーク刑務所では,何年間にもわたって刑務所内で聖書研究が行なわれてきました。刑務所の当局者は,囚人たちがその集会のために用いるよう所内の学校の一室をあてがってくれました。最近,同刑務所から釈放された,以前囚人だった人はこう説明しています。
「マサチューセッツ州フランクリン会衆から地元のエホバの証人たちが,その教室で行なわれる集会を司会するために,二週間に一度,土曜日の午後に来てくれました。彼らは聖書の講演を行なったり,わたしたちと交わったりして,二時間ほど過ごしました。土曜日の午前中,わたしたち関心を抱く囚人は,聖書文書を携えて監房から監房へ行き,囚人や看守の別なく話しかけました。新しい冊子が発表された時には,その冊子を700部近く配布しました」。
そのような業の効果について,以前囚人だったこの人はこう述べています。「一人の若者は,孤児院に収容されてから州立刑務所で服役している現在に至るまで,生まれてからずっと特殊施設暮らしをしてきました。長髪のその若者は,たばこをのみ,監房の壁には好色的な写真をいっぱいはり,汚ない言葉を使い,秘術にたいへん凝っていました。
「わたしたちはその囚人と聖書研究を始めました。二週間もたたないうちに,彼はたばこをのまなくなり,人をののしるのを止め,壁から写真を外し,髪を切り,言葉遣いを改めました。この人はすでにバプテスマを受け,刑務所内で他の囚人との聖書研究を司会しています。1972年の9月以降だけで,すでに6人の囚人がバプテスマを受けています。そのうち2人は刑務所の中で,4人は仮釈放中にバプテスマを受けました。
首尾よく更生させる道
ある刑務所当局者が証言しているとおり,前述のような経験はだんだん珍しくなくなっています。連合メソジスト教会の僧職者ディーン・M・ケリーが述べたように,エホバの証人は確かに「この社会の犯罪者や麻薬中毒者を救い出して」います。その上,そうした人々は犯罪に逆戻りするどころか,自分の生活を神の要求に合わせるよう,さらに他の人々を助ける面でよい働きをしてきました。
多くの刑務所当局者が困難な問題に直面していることは容易に理解できます。刑務所では囚人の暴動が起きたり,囚人たちが人質を取ったり,禁制品がひそかに囚人に手渡されたりしたことがありました。囚人の更生はたいてい失敗に終わりました。しかし,カリフォルニア刑務所機構の責任者であるプロキュニアーが認めているとおり,「既決の重罪人を“善良な人々”から隔離」することは,明らかに問題の解決策とはなりません。
エライン・ハントがアンゴラ刑務所の状況について述べた次のことばは,まさにその点を突いています。「当刑務所は,他の刑務所で起きたような大問題に直面したことはない。そして,その理由の一半は,囚人たちが外部の人々とできるだけ接触を保つことや宗教面からの積極的な影響を受けることを許している点にあると思う」。
エホバの証人はどの地方でも,喜んで刑務所の中にまで出かけて行って,囚人たちが神の言葉に書かれている義の原則を学ぶよう助けるために,惜しみなく自らの時間を用います。そうすることは,多くの犯罪者を首尾よく更生させる方法であることが証明されてきました。アンゴラ刑務所のヘンダーソン所長は,エホバの証人の業に協力して働いた結果得られた経験に関してこう述べています。「少なくともわたしが経験したことからすれば,エホバの証人の中にはうそつきはいない。エホバの証人は誠実で,囚人たちを助けたいと願っている。彼らは問題を起こしたことがない」。
あなたが刑務所の当局者のおひとりでしたら,ご遠慮なく土地のエホバの証人に助力を求めてください。あるいは,エホバの証人が刑務所を訪問したりするような場合には,生活を改めさせるよう囚人たちを助けたいというエホバの証人の申し出を十分に考慮してみてください。そのようにして囚人たちが生活を改めることは囚人たち自身にとって,また社会全体にとって益となります。
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悲惨な生活を強いられる子供目ざめよ! 1975 | 8月22日
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悲惨な生活を強いられる子供
● ネパールのカトマンズにある一宮殿には,子供が生きた“女神”として祭られています。クマリと呼ばれるこの少女はわずか7歳ですが,3歳の時から礼拝の対象としてこのヒンズー教の寺院に閉じ込められています。ヒンズー教の一学者は,人がクマリに選ばれるのはその人の生まれた時の星の位置が,「特に強い運命線」を示しているからである,と説明しています。その少女は寺院の儀式を執り行なったり,自分を礼拝するために遠くヒマラヤの村々からやって来る人々に祝福を与えたりして毎日を過ごします。礼拝に来る人の大半は,子供を欲しがる不妊の婦人です。クマリの両親はそこに訪ねて来ても,我が子に触れたり,特別なあいさつを受けたりすることは許されません。思春期になるとその子供は解放され,別の幼いクマリがその代わりに女神になります。しかしながら,前述の学者はこう述べています。「その子供が解放されたとしても,配偶者を見つけることはほとんどないであろう。当地の男性は,強い運命線を持つ婦人に関して迷信的な考えを抱いているからである」。その学者はさらに,「ごく最近までクマリだった少女のうちの幾人かは,売春婦としてカトマンズの街頭をさまよっている」と述べました。
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