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思慮深い者たちに霊的な“エネルギー危機”はないものみの塔 1974 | 11月15日
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です。それゆえ,霊で油をそそがれたクリスチャンはずっと見張っていなければなりません。機会の「戸」が閉ざされ,二度と再び開かれなくなる日と時刻はわからないのです。しかし,注意を怠らない,思慮深い人々は,霊的な輝きのための油を欠乏させて閉め出されることはありません。
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大論争は続くものみの塔 1974 | 11月15日
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大論争は続く
生命はいつ始まりますか。誕生時ですか,それとも妊娠時ですか。これは幾つかの国の法律制定者たちが考え込んでいる問題です。最近,米国上院は“堕胎に関する聴聞会”を開き,その席上で科学者たちは生命の始まりについて証言しました。証人の一人であるフランスの遺伝学者,J・レジュネ博士は,次のように主張しました。「我々がそれをもって出発したところの『もの』はすでに我々の親族の構成員なのである。……受胎[受精]から死に至るまで同じ人間なのである」。生命は妊娠時に始まるとするその論議の中で同博士はこう述べています。「9か月間,母親の胎内で保護されながら発育しなければならないからといって,事態は何ひとつ変わらない」。
この同じ聴聞会において堕胎に賛成する別の科学者は,この問題は,「本質的に宗教上,道徳上の問題である」と論じました。彼の論点を疑うものとして,宗教の教典のうち最大のものである聖書は生まれる以前のものについてどのように述べていますか。ただの組織にすぎないと言っていますか。聖書はエレミヤ記 1章5節でこう述べています。『汝が胎をいでざりし先に汝を聖め(たり)』。神は,エレミヤをその誕生前から命を持つものと見なされました。同様に,霊感を受けた詩篇作者ダビデは次のように言っています。『あなたはわたしの母の腹の中に仕切りを設けてわたしを保ってくださいました。……あなたの目は胎児のわたしを見られ……あなたの書物の中に(そのすべての部分は)書き記されていました』― 詩 139:13-16,新。
ですから,科学者や法律制定者の間では論争が続こうとも,聖書に答えを求める人々には,最も偉大な科学者であり,生命の源であられる方ご自身によって答えはすでに出されているのです。―詩 36:9。
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聖書の原則に従うことによって破たんを免れた結婚生活ものみの塔 1974 | 11月15日
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聖書の原則に従うことによって破たんを免れた結婚生活
アメリカ,マサチューセッツ州に住むある警察官の妻が,エホバの証人と聖書の勉強を始めました。ところが夫は,彼女が聖書を勉強することに反対しはじめました。しばらくの間別居生活が続いた後,夫は自分たちの結婚生活をなんとかして救おうと考え,聖書を勉強することに同意しました。しかしながら,同僚の警察官たちが彼を笑いものにしはじめたのです。そのことや他の圧力が原因して,この警察官は聖書の勉強をやめてしまいました。そしてすぐに,大酒を飲んだり,家の中で問題を起こしたりする,以前の生活に戻りました。その結果妻は,再度別居を余儀なくされました。
次に何が起きたかについて,その人自身こう語っています。「しばらくして妻は,離婚の手続きを取っていることをわたしに告げました。妻には,聖書的にも法律的にも離婚する根拠がありました。しかし,6人の子どもがおり,子どもや妻の事をその時でも深く気にかけていたわたしは,離婚したくありませんでした。そこで,以前わたしと聖書を勉強してくれたエホバの証人に電話をかけ,もう一度勉強をしてもらえないだろうかと頼みました」。
この男の人は,学んでいる事がらを自分の生活に当てはめていったため,妻にも,彼がほんとうに生活を改めつつあることがわかりました。そこで夫が,二人でもう一度やってみることはどうだろうかと言ったとき,妻は夫の願いを受け入れて家に戻りました。今では,神のことば聖書の中に見い出される指針に添って,二人は強く結ばれた,幸福な家庭生活を築いています。
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