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    ものみの塔 1970 | 1月1日
    • 23:2。使行 28:25)神の霊は,オテニエルやエフタまたサムソンなどの忠実なしもべの上にとどまりました。(士師 3:9,10; 11:29; 15:14)しかしそれまでの不完全な人間に関連して聖霊が用いられる仕方の中でまだ実施されていない方法がありました。つまり,これら忠実なしもべたちのうち,まだだれも聖霊によって天の命に召された人はいませんでした。

      仮庵の祭りのあいだ,ユダヤ人の祭司はエルサレムにあるシロアムの池に行き,金の容器に水を入れて宮に運ぶのをならわしとしていました。イエスはおそらくこの習慣を念頭において,その水よりもさらに心身をさわやかにする,より重要なものが将来訪れることを指摘されたのでしょう。そしてこのきたるべき「活ける水」は,イエスの追随者が神の霊を受けることに関連しているようです。

      イエスはその死の前夜,ご自分がやがて弟子たちに真理の聖霊を送り,そして弟子たちはイエスから聞いた事柄すべてをその聖霊の助けで思い起こすであろうと言われました。(ヨハネ 14:16,17,26)これは,弟子たちがその当時,聖霊を少しも受けていなかったという意味ですか。そうではありません。なぜなら,弟子たちは教えるわざに関連して奇跡的ないやしを聖霊の助けで行なっていたからです。(マタイ 10:5-8)また,聖霊の助けがあったからこそ,イエスから教えられた数々の霊的な事柄を理解できたのです。しかし弟子たちは,イエスがヨハネ伝 7章39節で言われた聖霊によって油そそがれることはまだ経験していなかったので,イエスの教えの全体を把握することはできませんでした。たとえば,キリストが三日目に死から復活して霊者になること,またキリストの御国は天のものであることを彼らは理解できませんでした。(ヨハネ 20:9。使行 1:6)人間が霊者になって天に住むなどということは,彼らにとって一度も考えたことのない事柄でしたから,それも当然です。しかし弟子たちはひとたび聖霊に油そそがれ,天の命の希望を与えられるにおよんでキリストの言われたそれらの事柄を理解できるようになりました。

      イエスが復活後,弟子たちに現われた時でさえ,ヨハネ伝 7章39節でイエスが言われたことばの意味においては,『御霊はいまだ降って』いませんでした。よみがえったキリストは弟子たちにこう約束されました。「聖霊,なんぢらの上に臨むとき,汝ら能力をうけん」(使行 1:8)弟子たちはすでに,イエスがメシアであることの証人となっていましたが,霊者としてのイエスが,かつて人間であった仲間の霊者たちとともに天で支配されるということはまだ証ししていませんでした。

      西暦33年ついにイエスは,天の栄光を受けた霊者としてエホバから与えられた聖霊をその追随者に注がれました。(使行 2:4,33)不完全な人間が霊者として天で生きるという希望を与えられたのはこの時が最初です。こうして油をそそがれた当時のクリスチャンは,イエスから聞いた多くの事柄を理解できるようになりました。また彼らにはなすべき仕事もありました。

      これら油そそがれたクリスチャンは新たな意味でイエスの「証人」になるのです。彼らは今や聖霊を受け,その「聖霊……は(彼らが)受く嗣業の保証」になりました。(エペソ 1:13,14)また天の御国を伝道することにより,「その腹より活ける水,川となりて流れ出づ」るようになったのです。なぜなら,彼らが受けた,命を与える真理の水はまさにとこしえの命に導くものだからです。このとこしへの命の保証は遠い将来のことではなく,天の命への召しはまさにその時点で受けることができたのです。そのペンテコステの日3,000人がこの「活ける水」の益にあずかってバプテスマを受け,「聖霊の賜物」を受けました。―使行 2:38-42。

      そしてエホバは油そそがれたそのようなクリスチャンを引き続き用いられ,ご自分のお目的の理解を彼らを通して与えてこられました。そのお目的の中には,キリストに信仰を働かせる今の世代の人々が,この邪悪な体制の終わりを生き残り,地上の楽園で永遠に生きられるという見込みも含まれています。聖霊によって油をそそがれて,天の命の召しを受けたクリスチャンから「活ける水」が流れ出ることを述べられた,ヨハネ伝 7章38,39節のイエスのことばは確かに真実でした。

  • 人を変える聖書の真理
    ものみの塔 1970 | 1月1日
    • 人を変える聖書の真理

      ● エホバの証人と聖書を学んでいるある夫婦は,2回目の研究が終わったとき,エホバの証人の聖書研究の集会に出席するようにとの招きに応じました。ふたりは次の日曜日の集会に出席し,以後続けて8週間も日曜日の集会に来ています。妻はエホバの証人をわきへ連れて行き,次のように言いました。「主人にはとてもかないません。いままで主人を教会に連れて行くことなどできませんでした。主人は日曜日の朝はいつも寝ていたものです。しかし今では,御国会館に来るしたくを一番早くするのは主人なのです」。

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