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「肉の働きは宴楽である」ものみの塔 1968 | 7月15日
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にするには,どんな音楽をかけるかということにも一考を要します。若い人は,世間で宴楽と結びつけられている騒々しい音楽を好む傾向があります。そこでクリスチャンが音楽を選ぶとすれば,良い上品な音楽,必ずしもクラシックとか静かな音楽というのではありませんが,結婚の披露宴などでよく使われるリズムと大きな音を強調した感覚的,通俗的でないものを選ぶでしょう。低級な音楽は,ある人々に対するアルコール飲料の働きと同じく,人を本能的にさせ,またはめをはずさせる働きをします。
別の貴重な助けは,少なくとも二,三人の円熟したクリスチャンに出席してもらうことです。とくに参加者の大多数が青少年の場合,若い人々の霊的な福祉を心にかけている,真に円熟した何人かのクリスチャンが出席するのは望ましいことです。出席者がその人々を尊敬することから,集まりは健全な影響を受けます。
聖書的あるいはまじめな事柄を話し合うことの価値も考慮すべきです。たとえば聖書にしるされた出来事を基にしたクイズをする,聖書の原則を示す実例を語る,聖書の人物を演ずる,興味深い経験を語るなどのことをできます。これらのことは創意,演技力その他を発揮する機会となり,楽しいと同時に有益な晩をすごす助けとなります。エホバの民の大きな大会で毎年行なわれる聖書劇の成功はそれを物語っています。
適当な散会の時期をあらかじめ定めておくのも,見すごしてはならない実際的な処置です。パーティーが長びいて夜おそくなればなるほど,騒がしくなり,宴楽に堕する傾向があります。散会の時間をあらかじめ発表しておくこともでき,主人役が時間に気づかなくても,適当な時間に帰る必要を悟っている客は,必要以上に言い訳がましくせずに辞去できます。
そうすることの利点は一つにとどまりません。道徳的にはめをはずすおそれが少ないだけでなく,飲食にふけるかわりに睡眠を得ることになり,したがって健康を害するおそれも少なくなります。このすべてはクリスチャンの奉仕者にとって特に益があります。たいてい日曜日は宣教と崇拝で忙しい一日だからです。ある年配のクリスチャン奉仕者が言ったように,おもしろおかしく暮すことが少なければ,つまり,世の快楽を追うことが少なければ,それだけ多く与えることができます。
クリスチャンの生活に起こってくる他のすべての事と同じく,お祝い気分の行事の時にも自制と節制が必要です。創造者は,人間が社交的な集まりをも含めて多くのことから楽しみを得るようにもくろまれました。しかし社交的な集まりを宴楽にする必要はありません。言いわけも後悔も必要ない健全で楽しいものにできます。確かにそれは知恵の道です。
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老人も「耳を傾ける」ものみの塔 1968 | 7月15日
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老人も「耳を傾ける」
● 老人や盲人あるいは病人は宣教の助けにはなるまいと考えて,見過ごすべきですか。バハマの婦人の一伝道者はその問題に直面しました。しかしどんな結果が得られましたか。その婦人はこう述べました。「昨年,80歳になる盲目の一老婦人に会って,聖書研究を始めました。その婦人は深い関心を示しましたので,定期的に聖書研究を司会しました。そして『御国のこの良いたより』という小冊子を研究し終えたのですが,婦人は聖書の真理に深く感激しました。6月になって開眼手術を受けることに同意し,それ以来,両眼の視力を取り戻しました。そして神が自分を盲目のままにしておかれたのは,静かに座って真理を聞いて学ぶことのできるためだったと思うと語りました。もっと若い人と研究すれば,有効に時間を使え,より多くのことを成し遂げられるのではなかろうかと考えていたときに,『そのような人も若い人々と同様に命が必要であり,もしその婦人が研究を感謝し,よく進歩しているなら,その研究を続けなさい』と語った一兄弟の助言に従ったことを私は本当にうれしく思います」。曽孫もいるこの婦人は今では多くの友人や親類に証言しています。
― エホバの証人の1968年度年鑑より
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