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ダイビングで暮らしをたてる目ざめよ! 1971 | 12月22日
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くちばしを突っこみ,魚を取ってしまう。だからペリカンは,ぼんやりしていると,せっかくの骨折りが水のあわになる。
高空からダイビングする別の鳥ではミサゴも同様の問題をかかえている。ミサゴが魚を捕えると,ハゲワシが ― もし近くにいると ― そのまさった大きさと力にものを言わせて,魚を手放すよう強要するのである。といってもこれは,ミサゴが小さいとか,弱虫だというのではない。ミサゴもなかなかの巨漢である。翼幅が1.8㍍はあろうか。だから,ミサゴのダイビングは見ものである。10㍍くらいの高さから飛び込むときは,とりわけ見事であり,それはよく見かける光景である。
水面近くにいる魚を見つけると,ミサゴはねらいを定め,翼をたたみ,まっさかさまにダイビングするが,足を前に突き出している。そして大きな音をたてて水を打ち,水中に沈むことが多い。たいていは,魚をつめでしっかりとつかんで,すぐに水面に出てくる。しかし,ミサゴは判断がまずいので知られている。
あるとき,1羽のミサゴが自分の手には負えない大きな魚につめをかけた。ミサゴが上がるかわりに,魚がミサゴを水中に引き込んだ。ミサゴはやっとのことでつめを抜き,おぼれ死なないうちに水面にもどった。しかし,ふたたび飛び立つだけの力を回復するまで,10分間ほど水面にからだを横たえていた。
かなり小さなダイバーだが,これまた勇敢で優美なのがカワセミである。カワセミは,高い木の枯枝にとまってじっと待つ。その鋭い目は,15㍍かそれ以上下の水面を見つめている。ハヤなどの小魚がうっかり水面近くに上がってくると,まっさかさまに飛び下りて,長いくちばしでそれを捕える。カワセミはまた水面に沿って飛び,えさが目にはいると,飛ぶのをやめて,しばらく舞い,やがて矢のようにダイビングする。
漁師にとって,アジサシの群れが舞ったり,海に飛び込んだりしている光景はありがたいものである。アジサシは,下のほうの大きな魚の群れによって水面に追い上げられる小魚を主食にする。漁師が関心をもつのはそのためである。カモメ類の近縁であるアジサシは,飛ぶ姿が非常に優雅なので,海ツバメとよぶ人もいる。
水面のダイバー
ほんとうに特徴のある捕魚鳥はスキマーである。これは多くの点でアジサシに似た白と黒の海鳥である。しかし他の鳥とちがって,下半分が上よりもかなり長い。たてに平たい,ナイフのようなくちばしをもっている。それで「はさみのくちばし」というあだ名をつけられている。この風変わりなくちばしが,その独特の漁法に使われるのである。
スキマーは,下嘴で水面を切るようにして90㍍ほど飛ぶ。これに海の小さな生物がひきつけられる。すると,スキマーはもどってきて,水面すれすれに飛びながら,下嘴でそれらをすくいあげる。くちばしは魚に触れると自動的に閉じる。だからスキマーは,たちばさみを持って仕事をしている仕立屋のようだ。
深く潜るダイバー
非常に興味深いのは深く潜るダイバーの一種で,長さ60ないし90㌢くらいの,筋肉たくましい鵜である。その羽毛は黒が主色で,その黒がよく緑色や青色に光っている。くちばしは長く,先端がかぎ状になっている。鵜はペリカンの近縁である。
しかしペリカンとちがって鵜は,水面または低いとまり木から水に潜る。泳ぐときには,飛び上がって前に進み,それから翼を両わきにかたくつけて,きれいなカーブを描いて水にはいる。飛び込む前にえさを見つけることもあるし,まず飛び込んでから,水中で魚を探すこともある。両翼と足を推進力にして魚を追いかけて捕える。時々,鵜は非常に深く潜る。1羽の鵜は,英国の沖で,水深36㍍のところにあったカニ取りかごにかかっていた。
ひなの時に捕えられた鵜は,漁師の魚を取る訓練を施される。かつては英国でもこれがよく行なわれた。東洋では古くから知られている。小魚以外は何も飲みこませないように,鵜のくびのまわりになわをゆるくかける。
潜水の名人のなかにはカイツブリとアビがいる。どちらも同じような特徴をもっている。水の中では大した腕前であるが,陸上では不器用である。足がからだのうしろのほうについているので,水に潜ったり,泳いだりするぶんには,いたって都合がいいが,陸にあがるとどうにもならない。アビは陸からは飛び立てないので,水から遠く離れた土地に連れていかれることは,たいていの場合死を意味する。
小さなカイツブリが水に潜るときの動作は見ていて楽しい。カイツブリは静かに,そしてすばやく身を沈める。音もしなければ,波紋もたたない。1分もすると水上に浮いている。次のしゅんかんにはもう姿がない。見ている者は,ほんとうに見たのかな,と考える。そしてしばらく待つなら,やっぱり見なかったんだ,と思う。それっきり姿を見せないからだ。カイツブリは長い時間水に潜っていることができ,潜ったまま遠くまで泳ぐ。それから水面に上がり,見られないように,巧みにくちばしと目だけを突き出す。
アビは,長さ90センチくらいの大きな鳥で,鳥の仲間では,深く潜るダイバーのチャンピオンだろう。いし弓の太矢のように翼で推進し,文字どおり水の中を飛ぶ。アビは一番速い魚を捕えることができる。そして,信じられないほど深いところまで獲物を追いかけるために,数分間も水中にとどまることができる。アビは水面下50㍍のところに仕かけてある漁網によくかかる。しかしそれよりもっと深く潜ると信じられている。
普通,鳥というものは,空のことしか知らないものだと考えられているかもしれないが,アジサシ,ミサゴ,ペリカンその他の水鳥は優秀な飛行家であるとともに,すばらしいダイバーでもある。そして,魚に負けないほどの水中機動性をもつものも少なくない。これらの鳥がダイビングでうまく暮らしをたてているのも不思議ではない。
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精神療法の研究目ざめよ! 1971 | 12月22日
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精神療法の研究
◆ 今日,精神療法医,つまり精神および感情面の障害を持つ患者を扱う医師の多くは,感情面の障害をかかえている人々に局外者が差し伸べうる援助を軽視するきらいがある。しかし,「精神療法の研究」と題する本の述べることからすれば,そうした態度ははたして妥当なものであろうか。アメリカ医学協力ジャーナル1970年12月21日号は,ふたりの心理学者の著わしたこの本に関する,B・P・リプトン博士の書評を掲載した。「集団治療が個人治療より幾らかでも効果的,もしくは不利だとか,精神療法は学派によって優劣があるとか,個人的な療法は医師の治療の効果を増すとか,経験を積んだ医師のほうが未経験者よりもすぐれた治療を行なえるとかということさえ実証されてはいない。実際,しろうと療法が熟練した専門家のそれに劣らず有効,もしくはよりまさっている場合さえありうることを示唆するいくつかの研究が紹介されている」。
以上のことからすれば,感情面の障害をかかえてやって来る,義を愛する人々に,私心のない円熟したクリスチャン奉仕者が有効な援助を与ええないとだれが言えるだろうか。事実は,それら奉仕者がイエスの次のような招待のことばを差し伸べて,たいへん大ぜいの人々を助けてきたことを示している。「あなたがた,苦労し,かつ重荷を負わされているものはみな,わたしのもとに来なさい。そうすれば,わたしはあなたがたを元気づけましょう。あなたがたはわたしのくびきを負って,わたしの弟子になりなさい。わたしは気質が柔和で,心が謙そんだからです。そうすれば,あなたがたは自分の魂を元気づけるものを見いだすでしょう。わたしのくびきは思いやりがあり,わたしの荷は軽いからです」。―マタイ 11:28-30,新。
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