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  • 動物には知恵がありますか
    目ざめよ! 1976 | 8月22日
    • 以前箱を使ったことがあるにもかかわらず,バナナの真下にそれを持って行かずに,ただバナナの方向に箱を押しやり,果物を取ろうとしてその上から飛び上がるだけでした。

      別の実験において,あるチンパンジーは,バナナを取るのに二つの箱を上下に重ねて使いました。それでもまだ届かないので,このチンパンジーは,下のほうの箱を抜き出して,上にあった箱の上にまたそれを載せようとしました。

      これら同様の実験は,問題解決の能力がチンパンジー各々によってかなり異なっていることを示しており,また人間と違ってチンパンジーには理性がないことを証明しています。「動物は全く異なっている」と題する本は,こう述べています。「サルのうち少なくともあるものは,自分の手が目標物に届かないことが分かると,時折りではあるが補助具を使う必要を悟る。しかし,人間の場合,かなり小さな子供でも,自分の経験から一般的な法則を引き出し,常に正しい結論を出すのに対し,サルは物事の意味を全体的に把握した様子を少しも示さなかった。……知能検査の対象となったサルの行動すべては,いつの場合でも全く物質的な目当てを手に入れるためのものであった。バナナなどのえさが手に入らないと,彼らはすっかり関心を失ってしまった。……その行動は,常に視覚によってのみ支配されていた。たまたま棒切れが目に入ると,それをつかんで,おりの外のバナナを取ろうとした。しかし,棒切れが自分の後ろにあると,それには決して気付かなかった」。―68,69ページ。

      明らかに動物は,経験から論理的な結論を出すことによってではなく,むしろ試行錯誤によって物事を学びます。これは,犬に生じ得る事柄からもよく分かります。一匹の犬がある街角を通り過ぎるかもしれません。その犬は,突然,大きな犬に襲い掛かられ,ひどいけがをします。以来,その犬は,たとえ大きな犬がその付近に住んでいるのではなくても,自分がいやな経験をしたその街角をできる限り通らないようにするでしょう。その犬は,生じた事柄からあることを学びましたが,街角そのものは不快な出来事と何の関係もないという点まで考えることができないのです。

      論理的な思考の証拠?

      しかし,こう尋ねる人がいるかもしれません。数学の問題を解けるウマやその他の動物がいたのではありませんか。見掛けだけでは当てにならないことがあります。“利口なハンス”という名で知られる馬の場合を考えてみましょう。この馬は,足し算,引き算,掛け算ができ,また調教師の考え出した方法に従って文字をつづることさえできるように見えました。例えばこの馬は,『三分の一足す四分の一は』と聞かれると,七回足を踏み鳴らし,それから十二回踏み鳴らすでしょう。答えは十二分の七であるという意味です。なぜ,理性を働かせる能力のない馬にこうしたことができるのでしょうか。J・P・スコットは,「動物の行動」と題する著書の中でこう書いています。

      「動物学者と心理学者で成る一委員会はハンスを調べ,その馬が,報告されたような事柄を実際に行なうのを確認した。なぜハンスに答えが分かるのかという点に彼らが最初に気付いたのは,答えを知っている人がそばにいないと必ず失敗することを知った時だった。それで,直立不動の姿勢で答えを待つ主人は,ハンスが正しく答えたときに何らかの方法で無意識のうちに合図をしているということが分かった。主人との間についたてを置かれると,確かにハンスは,答える能力をすっかり失ってしまった。この不思議な馬は,実際には地面を前足でかくよう教えられていたにすぎず,それを長く続けるなら,必ず正しい答えに達する訳である。正しい数だけ地面をかくと,主人は安心してわずかに緊張を緩めるので,ハンスはそこでやめるべきことを知る。ハンスは高度に訓練しうる,観察力の鋭い馬だが,算数ができる訳ではない」。―161ページ。

      本能的な知恵と後天的な経験

      人間と違って動物には理性がありませんが,種族を保存するのに必要な知能すべてが備わっています。これは動物の中に,本能として埋め込まれています。動物の本能的な知恵は,多くの場合驚くべきものです。

      興味深いのは,コウテイペンギンの例です。コウテイペンギンは,一年中で最も寒い時期に地球の極寒地方でつがいます。雌は卵を産むと,すぐにそれを雄に渡します。卵は雄の水かきの付いた足の上に置かれますが,その部分には血管が多いので,卵は下の方から温められます。また,下腹部の皮膚のたるみにすっかり包まれるので,上からも温められます。“格式ばった”しぐさで互いに別れを告げると,雌は去って行きます。このころまでに,雄はすでに約一か月の間何も食べていませんが,気温が零下65度にまで下がる吹雪の中で,さらに二か月間何も食べずに耐えねばならないのです。雄のペンギンはどのようにして生き延びるのですか。あらしが始まるやいなや500羽から600羽のペンギンは,しっかりと身を寄せ合って,絶えず動きながら円陣を組みます。風をまともに受けていたペンギンは群れの内側に入り,それまで内側にいたペンギンが一時的に,吹雪の影響の一番強い側に移ります。本能的な知恵から生じる,こうした相互協力によって,雄のペンギンは生き続けるのです。

      本能に加えて,経験から多くを学ぶ能力を備えている動物は少なくありません。その結果,人間の目には,そうした動物が理性,思考力,そして人間の感情そのものを持っているように見える場合があります。似たような情況下での人間の行動を見るのと同じ仕方で動物の行動を見るために,動物にも人間と同じ感情があるという誤った考えを抱く人は少なくありません。

      もちろん,動物にも感情はあります。人間の導きとして特定の律法を与えたとき,創造者はこの点を念頭に置いていました。例えば,イスラエル人はこう命ぜられていました。「脱穀をする牛にくつこを掛けてはならない」。(申命 25:4,口)穀物のすぐ近くにおり,しかもそれを脱穀するために力を出しているとき,その牛を空腹にさせて苦しませることは禁じられていました。

      聖書は動物に感情があることを示してはいますが,人間だけが創造者の像に作られていることを明確にしています。したがって人間には,動物にない様々な属性が備わっています。(創世 1:27)このような訳で,動物には,感謝や同情などの人間的な特性が見られないのです。動物園の動物は,自分たちに向かって差し出された手から食べ物を乱暴にひったくります。動物が感謝の念を抱いていないことは,そのしぐさから明らかです。ニワトリを尾からむさぼり食うオオカミにとって,ニワトリの断末魔の叫び声も何ら意味をなしません。最初に頭を食いちぎったほうが,苦痛を早く終わらせてやれるのでせめてもの情けを示すことになるだろう,などと考えることは決してないのです。オオカミにとって,ニワトリは食べ物でしかありません。たとえどんなに愛情深く見える動物であっても,親しい友人や親族を失うことが人間にとって何を意味するかは理解できないのです。

      確かに,動物を「理性のない」ものとして語っている聖書は,非常に現実的です。(ペテロ第二 2:12)動物には本能的な知恵があり,また物事を習得する驚くべき能力を備えているものも少なくありません。しかし,利他的な愛や理知に基づく哀れみを示す倫理的な能力,そして理性を備えているのは人間だけです。それで,人間に見いだすことのできなかったもの,すなわち意志の疎通や心からの同情を動物に見いだそうとする人は,早晩ひどく落胆させられるのです。正しい動機を持つ人間は,思いやりや心遣いを表わすことができますが,動物にはそうした能力は全くありません。

  • 「あざみのうず巻きのように」
    目ざめよ! 1976 | 8月22日
    • 「あざみのうず巻きのように」

      神の民の敵に関して,詩篇作者はこう祈りました。「ああわたしの神よ,彼らをあざみのうず巻きのようにしてください。風の前の刈り株のように」。(詩 83:13,新)詩篇作者の故国では,秋になると,数多くのヤグルマギクが風に吹かれ,転げ回り,うずを巻くのがしばしば見られます。詩篇作者は,この祈りの言葉の中でそのことを念頭に置いていたのかもしれません。

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